『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』:2008、日本

女子高生の比良本楓は、マーチングバンド部の親友である友子やエリと話していた。エリは、小雨が降る夜にかごめの歌を聞いた人は死ぬ という都市伝説を語るが、楓は笑い飛ばす。その夜、帰宅途中の楓の耳に、かごめ歌が聞こえて来た。さらに「お前の魂を貰いに来た」と いう女の声がした。逃げ出した楓は、ビビビのねずみ男とぶつかった。ねずみ男は「怪奇現象研究所所長」と記された名刺を差し出し、 近くにいたゲゲゲの鬼太郎をアシスタントとして紹介した。
翌日、ねずみ男は楓の前に現れ、「どんな料金でも格安料金で解決を」と持ち掛けた。楓はねずみ男が呼んだ一反木綿に乗って空を飛び、 妖怪の森へ案内された。妖怪ハウスでは、鬼太郎が猫娘に「人間を助けてもロクに感謝もしない」と愚痴をこぼす。目玉おやじは「母さん に相談してみようか」と口にした。閻魔大王の特別な計らいで、一度だけ母さんの魂と会えるのだという。
妖怪ハウスに楓とねずみ男が現れた。楓の手の甲には鱗が出来ていた。事情を聞いた目玉おやじは、思い当たる妖怪はないと告げた。 ねずみ男は目玉おやじに、価値のありそうな鞨鼓(かっこ)を見せた。そこへ、三浦半島に出掛けていた子泣き爺と砂かけ婆が戻って来た。 2人は、ねずみ男に手配書を突き付けた。ねずみ男は千年も守られた洞を壊し、鞨鼓を盗み出していたのだ。
目玉おやじは、千年ほど前の三浦半島には人間の魂を奪う悪霊がいたという話を思い出した。鬼太郎たちは妖怪図書館へ行き、その悪霊に ついて調べることにした。司書の文車妖妃は、悪霊の記録を調べてくれた。悪霊は目を付けた人間に鱗を張り付け、暁を2つ越えて次の 丑三つを迎える頃、魂を奪いに来るのだという。その悪霊は、護人囃子の儀によって封じられたらしい。目玉おやじは、再び護人囃子の儀 を行うことで呪いを解くことが出来るかもしれないと考えた。
悪霊が魂を奪いに来るのは明日の真夜中だ。それまでに、護人囃子の儀で使われる5つの楽器を手に入れる必要がある。その楽器とは、 ねずみ男が持って来た鞨鼓の他、鉦鼓(しょうこ)、鳳笙(ほうしょう)、篳篥(ひちりき)、楽琵琶(がくびわ)の4つだ。鬼太郎たち は3班に別れ、楽器を探すことにした。子泣き爺と砂かけ婆は三浦半島へ戻り、猫娘は高尾山へ、鬼太郎は楓と共に神山へ向かうことに なった。ねずみ男は責任を感じたのか、高尾山へ勝手に付いて来た。
猫娘とねずみ男は、竹切り狸と仲間たちに包囲された。舟を漕いでいた子泣き爺と砂かけ婆は、時化に見舞われた。神山に入った楓は、 「本当に信用していいんですよね。他人を簡単に信用しちゃいけないって、お婆ちゃんに言われてたから」と鬼太郎に強い疑念を向け、 「かごめ女に襲われた時、どうして同じ場所にいたんですか。本当はグルなんじゃないんですか。妖怪も悪霊の仲間なんですよね」と 責めるように言う。楓の鱗は、さらに大きく広がっていた。
砂かけ婆は陸地に流れ着き、井戸仙人と遭遇した。井戸仙人は鉦鼓を持っていたが、砂かけ婆から事情を聞くと、「それは濡れ女だが、 邪悪な悪霊などではない」と告げる。猫娘とねずみ男は竹切り狸の里に招かれ、鳳笙を借り受けた。楓は「食われるぐらいなら、ここで 死んだ方がマシ」という声に導かれて崖から身投げしようとするが、鬼太郎に救われた。彼女は心を操られたのだ。
神山には妖怪さとりが現れ、糞を撒き散らして襲って来た。鬼太郎は匂いに苦しみながらも撃退した。楓が倒れた木に押し潰されそうに なったため、鬼太郎は体を張って彼女を助けた。「どうして助けたの」と楓に問われ、鬼太郎は「どうしてだろう?体が勝手に動いた」と 口にする。鬼太郎は「そうか、人を助けるのに、理由なんか要らないよな」と気付いた。
鬼太郎と楓は琵琶牧々と遭遇し、楽琵琶を手に入れた。砂かけ婆から連絡があり、散らばっていた全員が集合した。砂かけ婆は、図書館の 資料が何者かによって改ざんされており、内容が間違っていたことを告げた。砂かけ婆は、井戸仙人から悪霊の真実を教えてもらったと 言う。濡れ女は悪霊ではなく、人魚の仲間の美しい妖怪だった。悪戯は好きだったが、人に害を加えることは無かった。
ある時、濡れ女は海人という漁師と出会い、恋に落ちた。彼女は人間になり、妻として生きることを選んだ。やがて2人の間には赤ん坊が 誕生した。だが、不漁が濡れ女のせいだと決め付けた漁師たちは、魔物封じの行者である鬼道衆を呼び寄せた。そして濡れ女を捕まえ、 護人囃子の儀によって封じ込めたのだ。今回の出来事は、濡れ女の人間に対する復讐だという。
その頃、濡れ女は、妖怪ぬらりひょんと参謀役である蛇骨婆の元を訪れていた。彼女は、魂を全て集めたら元の美しい姿に戻すという約束 を確認した。ぬらりひょんは、鬼道衆の末裔である百人の魂を濡れ女に集めさせていた。そして最後に残ったのが楓だ。ぬらりひょんは、 目的を果たす道具として濡れ女を利用していた。彼の近くには、異国からの客人である夜叉の姿があった。
楓の実家に赴いた鬼太郎は、漬物樽の中にあった篳篥を発見した。全ての楽器が揃い、鬼太郎たちは護人囃子の儀を執り行おうとする。 しかし「悪いのは人間であり、濡れ女は可哀想な被害者」と考えた楓は、篳篥を奪い取って護人囃子の儀を止めてしまう。そこへ夜叉を 引き連れたぬらりひょんが現れ、「いつまで人間の肩を持つ?」と鬼太郎に問い掛けた。彼は人間の愚かさを糾弾し、「このままでは世界 が滅びる」と警告する。
ぬらりひょんから「一緒に来い」と誘われた鬼太郎は、それを拒絶した。すると、ぬらりひょんは、鬼太郎の祖先が人間に滅ぼされた事実 を明かした。ショックを受けた鬼太郎に、夜叉が襲い掛かった。呆然として動けない鬼太郎を、猫娘が体を盾にして助けた。我に返った 鬼太郎は夜叉に立ち向かうが、大きなダメージを受ける。ぬらりひょんと夜叉は、猫娘を拉致して姿を消した。
鬼太郎は夜叉の妖気を辿り、ぬらりひょん一味が富士の樹海にいることを突き止めた。子泣き爺と砂かけ婆は楓を連れて出掛けようとする が、鬼太郎は「地獄へ立ち寄るので先に行ってほしい」と告げた。樹海に到着した子泣き爺たちは、鬼太郎を待たずに先へ進む。砂かけ婆 は蛇骨婆と、子泣き爺は夜叉と遭遇し、戦いを繰り広げる。一人で足を進めた楓は、ぬらりひょんに捕まってしまう…。

監督は本木克英、原作は水木しげる、脚本は沢村光彦、製作は松本輝起&亀山千広、企画は北川淳一&清水賢治、プロデューサーは 石塚慶生&上原寿一、エグゼクティブプロデューサーは榎望、撮影は金子正人、編集は川瀬功、録音は岸田和美、照明は金沢正夫、 美術監督は稲垣尚夫、衣装デザインはひびのこづえ、キャラクター監修は柘植伊佐夫、特殊メイクは江川悦子、VFXスーパーバイザーは 長谷川靖、アクションコーディネートは諸鍛冶裕太、音楽は高梨康治、音楽プロデューサーは安井輝、 主題歌「風立ちぬ」は中村中。
出演はウエンツ瑛士、北乃きい、田中麗奈、大泉洋、緒形拳、室井滋、寺島しのぶ、間寛平、河本準一(次長課長)、ブラザートム、 星野亜希、上地雄輔、中川翔子、ソ・ジソブ、佐野史郎、笹野高史、萩原聖人、岡本玲、夏生さち、山下結穂、田村泰二郎、有福正志、 小豆畑雅一、稲葉さゆり、向井地美音、佐々木麻緒、荒木博斗、秦来陽、友安一翔、軽部真一、中野美奈子、京極夏彦、梅津栄ら。
声の出演は田の中勇、柳沢慎吾、伊集院光、津嘉山正種ら。


水木しげるの同名漫画を基にした実写映画のシリーズ第2作。
監督は本木克英が前作から続投し、脚本は1作目のノベライズを執筆した沢村光彦に交代。
鬼太郎のウエンツ瑛士、猫娘の田中麗奈、ねずみ男の大泉洋、子泣き爺の間寛平、砂かけ婆の室井滋、釣瓶火の軽部真一は、前作からの 出演。声優陣では、目玉おやじの田の中勇、一反木綿の柳沢慎吾、ぬりかべの伊集院光が続投。
今回のゲスト出演は、楓役の北乃きい、ぬらりひょん役の緒形拳、濡れ女役の寺島しのぶ、夜叉役のソ・ジソブ、蛇骨婆役の佐野史郎、 井戸仙人役の笹野高史、海人役の萩原聖人、文車妖妃役の中川翔子、琵琶牧々役の河本準一、竹切り狸役のブラザートム、その女房役の 星野亜希、さとり役の上地雄輔、鬼道衆頭目役の京極夏彦、長老役の梅津栄など。

脚本家が変わっても、シナリオは雑なのは相変わらず。
テイストはかなりダークになったけど、子供だましで陳腐なので、大人の鑑賞に堪える質になったわけではない。ただ陰気になっただけ。
あと、エンディング曲が全く合ってないぞ。
それと、猫娘の衣装がマイナーチェンジされて田中麗奈の生足が見えなくなったが、それって、どう考えても改悪でしょ。

なぜか今回の鬼太郎は、楓に対して、やけに冷淡でそっけない。
妖怪ハウスで「人間を助けても感謝もしない」という愚痴をこぼしており、「そういう気持ちが根底にあるから人間に対して冷たい対応を 取るのだ」という理由付けが無いわけではない。
ただ、そのように軽くセリフで語った程度では、説得力に欠ける。
もっと大きなモノを、そこに用意してほしい。

楓の態度にも、首を傾げたくなる。
ねずみ男と共に一反木綿で空を飛び、妖怪ハウスで事情を説明し、鬼太郎たちと一緒に妖怪図書館で調査を進め、楽器探しが開始された のに、神山に入ると、急に「他人を簡単に信用しちゃいけないって、お婆ちゃんに言われてた」などと、妖怪への猜疑心を露にする。
そして鬼太郎を責めるような態度を取る。
なんで態度が急変するんだよ。今までは普通に妖怪と接していたのに、なんで急に「他人には心を閉ざしています」みたいな感じに なっちゃうんだよ。
そんな楓に対して、慌てた様子で「違うよ、妖怪にだって色々なやつがいるんだよ」と釈明する鬼太郎の態度も解せない。
助けても感謝されないという気持ちから冷淡に接していたはずなのに、擦り寄るような態度になっちゃってる。
だけど、そこは「やっぱり人間は、自分達が助けようとしているのに感謝しないどころか疑うんだな」という感じになるべきじゃない のかね。

楓は広がった鱗を見て「まだ、やりたいことが、たくさんあったのに」と寂しそうに漏らすが、なぜ死ぬことを前提に喋っているのかも 分からない。
だって、妖怪を信用してないんでしょ。
だったら、そんな妖怪たちが「悪霊が鱗の目印を付けて魂を奪いに来る」という話を、なぜ簡単に信じているのよ。
そんなことより、まずは医者に診察してもらえよ。

井戸仙人は砂かけ婆に「濡れ女は邪悪な悪霊などではない」と言うが、その言葉がおかしいことに誰も気付かなかったのか。
「悪霊」と言っている時点で、それは悪い霊のことなのよ。だから「邪悪じゃない悪霊」なんて存在しないの。
「邪悪ではない」と言うのなら、そいつは悪霊でもないのよ。
そこは「濡れ女は悪霊などではない」と言うのが正しい。
もう一つ、鬼太郎の「楓ちゃんのお婆ちゃんが鬼道衆の末裔とはね」というセリフも、おかしいことに誰か気付かなかったのか。
祖母が末裔なら、楓の父か母も、そして楓も末裔ってことになるだろうが。なぜ、お婆ちゃん限定なんだよ。

楓は心を操られたところを鬼太郎に救われた後、もう彼への疑念や反発は消えたのか、普通に同行している。
木に押し潰されそうになったところを救われて「どうして助けたの」と尋ねているが、それなら、そこまでは鬼太郎に対する反発をずっと 示しておかなきゃダメでしょ。
一方の鬼太郎も、そこで「人を助けるのに理由なんか要らないよな」と気付くのなら、それまでは、人を助けることへの疑問をずっと 持ち続けておかなきゃダメでしょ。
だけど楓が「グルなんでしょ」と反発した後、そんな様子は全く無いぞ。

「楓が妖怪に不信を抱いていたが、心を開くようになる」という流れと、「鬼太郎が人間を救うことに疑念を抱いていたが、解消される」 という流れを両方とも一度にやろうとして、どっちもマトモに処理できていない。
そもそも、そういうのって、もっと時間を掛けて、後半まで引っ張って描写していくべきじゃないのかな。
前半の短い時間で、あっさり解決するのはいかがなものかと。

ぶっちゃけると、これは映画と言うよりも「有名人仮装大会」だから、ストーリーのまとまりやスムーズな進行は二の次なんだろうな。
とにかく大勢の妖怪を登場させることを意識して、脚本が用意されているんだろう。
さとりが鬼太郎を襲ってくる理由なんてサッパリ分からないけど、理由なんかどうでもいいから、出来るだけ多くの妖怪を配置しておこう ってわけだ。
そうしないと、有名人を多く出すことが出来ないからね。

濡れ女が寺島しのぶという配役は、どうなのかね。
申し訳ないけど、どう見ても、年増のプリンセスだよな。
そりゃ芝居は上手いだろうけど、もっと若い女優にした方が良かったんじゃないかなあ。
正直、この映画に演技力なんて求められてないし(もちろん演技力があって困ることは無いけど)。
申し訳ないけど、「美しい妖怪」とか「元の美しい姿に」とか言われても、ちょっと引っ掛かってしまうしなあ。

ガシャドクロを蘇らせるために、なぜ鬼道衆の末裔100人の魂が必要なのかは不明。
実際には100人の魂じゃなくて、ぬらりひょんに約束をホゴにされた濡れ女の憎しみで動き出すんだけど、だったら最初から、人間への 復讐心を抱く濡れ女の憎しみで復活させることは出来なかったのかな。
その辺りの設定は、あまり突っ込まずに、もっとユルーい気持ちで見るべきなのかな。

ぬらりひょんの元には異国からの客分として夜叉がいるが、ストーリー上は全く必要の無いキャラクターだ。
むしろ、そこに外国の妖怪が絡むとまとまりが失われるので邪魔だと言っていい。
だけど、そこは韓国の俳優も起用して、韓流が大好きな日本の女性客を呼び込むと同時に、韓国のマーケットでも稼ごうという、あざとい (そして浅薄な)狙いがあるんだろうな。

楓は篳篥を奪い取り、護人囃子の儀を止めてしまう。
いや、「人間が悪いのに濡れ女を封じるのはどうなのか」と考えるのは別にいいけど、封印しなかったらアンタが死ぬんだよ。なんで 「可哀想だけど封印しないと自分が死ぬし、どうしよう」という形での苦悩じゃなくて、真っ直ぐに「濡れ女を助けなきゃ」になっちゃう のよ。自分は死んでも構わないってことなのか。
あと、鬼太郎が言ってるように、濡れ女は大勢の魂を奪っているんだけど、それは楓の中では「彼女は悪くない」という解釈なのかね。
楓も含めた鬼道衆の末裔に、濡れ女を封じた罪は無いでしょうに。
っていうか、そもそも鬼道衆は招聘されたから仕事を遂行しただけで、濡れ女が復讐すべきは、鬼道衆よりも彼らを呼んだ漁師たちじゃ ないのか。

鬼太郎はぬらりひょんから「このままだと世界は滅びる」と人間の愚かさを説明されて「一緒に来い」と誘われると、やや迷ったような 態度を示す。
神山で楓を助けた時に「人間を助けるのに理由なんか要らないんだ」と悟ったはずなのに、また「人間を助けることに疑問を抱く」という ところに戻っちゃうのかよ。「5マス戻る」というマスを用意するとは、なんちゅう構成だ。
一旦解決されたのなら、その問題に戻ったらダメでしょ。
つまり、そこで少しでも鬼太郎を迷わせるのであれば、冒頭から鬼太郎が「人間を助けても感謝もしない」などと、かなり強引なやり方で 悩ませる展開を削除しておくべきだ。
あと、祖先が人間に滅ぼされたと聞いてショックを受けるけど、楓から「力を貸して」と言われると、あっさりと「分かった、君を信じる よ」と答えるのね。祖先が人間に殺されたと知っても、それが人間を助けることへの逡巡や苦悩には全く繋がらない。
なんだ、その構成は。

祖先の真実を知った鬼太郎に、楓は「人間はずるくて身勝手な生き物だけど、力を貸してください」と言うが、その前に力を貸そうとした にも関わらず、護人囃子の儀を阻止した奴の言うセリフじゃねえよな。
ただ、楓が力を貸して欲しいというのは、自分の呪いを解くことじゃなく、濡れ女を助けることなのね。
アホらしい。
っていうか、それは人間に力を貸すんじゃなくて、濡れ女という妖怪に力を貸すことになるんじゃないの。

ぬらりひょん一味が富士の樹海にいると分かったのに、鬼太郎は地獄に立ち寄ると言い出す。
この非常事態に、なぜ道草を食ってんだと思ったら、それは閻魔大王に頼んで海人の魂を復活させてもらうための行動だった。
でも、そんなの目玉おやじにでも頼めば済むことじゃないのかな。
鬼太郎を排除することで、砂かけ婆と蛇骨婆、子泣き爺と夜叉というバトルを描けるという考えだったのかもしれんが、その2人が敵の 相手を買って出て、鬼太郎を先に行かせるという形にすれば、同じように出来るんだよな。

前作では鬼太郎が隻眼ではなく両目があるという、あってはならない改変が行われていた。
しかし今回は、「実は義眼だった」という設定が説明されている。
これは原作ファンである佐野史郎のアイデアらしい。
もうさ、この手のジャンル映画(妖怪モノと特撮モノ)には、必ず佐野史郎に参加してもらうようにしたらどうだろうか。
さらに言うなら、企画の段階から介入してもらって、脚本と演出にも加わってもらう形にしたらどうか。
蛇骨婆役の演技も含めて、彼だけは文句無しにグッド・ジョブ。

(観賞日:2009年8月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会