『ガッチャマン』:2013、日本

21世紀の初め、異様な姿をした怪物たちが現れて、世界中で大きな戦争が始まった。シールドと呼ばれる赤い光が全ての攻撃を跳ね返し、人間が作ったあらゆる戦争の道具は役に立たなかった。戦争勃発から17日目、世界の半分は怪物たちの物になり、征服者はギャラクターと名乗った。人類は限られた地域での生存を許され、ただ絶滅するのを待つだけだった。そして人々は、最後の望みをある物に賭けた。それは、「石」と呼ばれる不思議な結晶体である。2015年、東ヨーロッパ。鷲尾健という少年は光る石を握り締め、ギャラクターの首領であるベルク・カッツェに崖へと追い詰められていた。「その石を渡せ」と要求された健は、石の力を使って飛び去った。ベルク・カッツェは「覚醒したか、適合体」と呟いた。
13年後、東京。健、大月ジュン、彼女の弟である甚平、中西竜の4人は南部博士からの通信で、「潜入任務は終わりだ。敵の狙いはISO総会。世界中から集まった科学者、政府、正規軍、財閥の要人が攻撃対象だ。戦線コードはラスト・スーサイド。君たちにとっては初めての実戦だが、これが最後のつもりで挑め」と告げられる。西新宿にはギャラクターの巨大機動兵器が降下し、軍の攻撃も歯が立たない。一方、ISO東京支局で総会に出席した南部は、生体兵器の出現に怯える列席者に対して「既に作戦は発動しています」と告げた。
南部は列席者に、人間とギャラクターのDNAは99パーセントが一致すること、1パーセントの違いがウイルスXであること、1718年に人類がアフリカの奥地で28個の未知の結晶体を発見して「石」と名付けたことを話す。そして石が発する光のエネルギー「G粒子」が無敵かと思われたギャラクターのシールドを突破し、ウイルスXを破壊して活動を停止させることが出来ることを説明した。適合者であるISOのエージェントが石に触れれば、その力を発揮することが出来る。南部は適合者を集めて訓練を重ね、対ギャラクター用の最終兵器に育て上げた。それがガッチャマンである。
健、ジュン、甚平、竜はガッチャマンに変身し、ギャラクター隊員の前に現れた。ジュンは機動兵器に突入し、爆弾を解除しようとする。残る3人は、目の前に出現したギャラクター隊長のギルマン、メイ、マイクミラーと戦う。甚平が窮地に追い込まれたところへ、新たなガッチャマンのジョーが現れた。ジョーは健と甚平の目の前で、ギルマンを軽く始末した。メイとマイクミラーは「木星が月の影に入った。ゲートが開く」ということで、その場から退散した。ジュンは爆破タイマーを破壊し、機動兵器の突進を止めた。
ジョーは健に「初陣にしては上出来だな」と告げ、他の面々には「ISOヨーロッパから来たジョージ朝倉だ」と挨拶した。ISO東アジア支局に戻ったジュンは、ジョーとの関係を健に尋ねる。健はギャラクターに親を殺されてから13年前からの付き合いであることを話す。ジョーは甚平に、普段の健のことを質問した。甚平は彼に、ジュンが健に告白して振られたことを明かす。それを聞いたジュンは「私は何も言ってない」と否定するが、ジョーの「振った原因は、恐らくナオミ」という言葉が気になった。
ジョーは海辺で佇んでいる健の元へ行き、彼に声を掛けた。ジョーはヨーロッパで大勢の人々の死体を見たことを語り、「子供の頃から自由を奪われ、訓練に励み、それでも何も出来ない。こんな人生に何の意味があるんだ」と口にする。健は表情を変えず、「意味なんて必要ない。俺たちは石に選ばれたんだ。他に選択肢は無い」と言う。「変わったな。すっかり優等生だ。俺はナオミの復讐が出来たらそれでいい」とジョーが告げると、健は無言のまま立ち去った。
南部は健を呼び出して「東京へ戻れ。ラスト・スーサイドは終わってなかった」と言い、移動ゲートが出現した同時刻に別のゲートからベルク・カッツェが東京へ潜入している証拠映像を見せた。健はメンバーを集め、南部から命じられた任務を説明する。それは情報提供者であるギャラクターNo.2のイリヤを保護する任務だった。驚くジョーに、彼はイリヤがカッツェとの覇権争いに敗れて亡命を希望していることを説明した。健はジョーに、「イリヤを殺すなよ」と忠告した。
6時間後、東京。ガッチャマンは潜伏しているイリヤと接触するため、仮面パーティーの会場に赴いた。健とジュンはカップルを偽装し、会場に潜入した。健はジュンから「イリヤのこと話して」と追及され、自分とジョーを含む3人が幼少時代にヨーロッパで訓練を受けていたこと、5年前にギャラクターの襲撃を受けて仲間がイリヤに殺されたことを明かす。「もう1人って、ナオミさん?好きだったの?」と嫉妬心を示すジュンだが、ジョーが通信機で「心配するな、ナオミは俺の女だ」と言うと安堵の表情を浮かべた。
健とジュンはイリヤと接触し、彼を連れてパーティー会場を出た。しかし合流ポイントへ戻ると、ジョーたちの姿が無かった。ジョーは甚平と竜を拘束しており、イリヤに銃を突き付けた。健は銃を構え、「任務は保護することだ、殺すことじゃない」とジョーに告げる。激しい復讐心を燃やすジョーが指示に従わなかったので、健は高圧電流弾を撃ち込んで気絶させた。倒れたジョーを見つめながら、健は5年前の出来事を思い出す。難民を避難させるバスの中で、ジョーはナオミに求婚した。健は困惑しつつも祝福し、ナオミはジョーから指輪を受け取った。その直後にバスが襲撃され、ジョーが負傷した。冷静さを失った健はギャラクターを追い掛け、包囲される。ジュンは健を守るために盾となり、イリヤの攻撃を受けたのだった。
ISOは電磁シールドと液体窒素を使った檻にイリヤを閉じ込め、健が「ラスト・スーサイド」の意味について尋問する。イリヤは健を挑発する態度を取り、「その方法はベルク・カッツェの頭の中だけにある」と述べた。尋問の様子をモニターで見ていたカークランド博士は、自分が開発したモスコーンの使用をアンダーソン長官に要求する。イリヤはカークランドが見ていることを察知しており、挑発するように「貴方の妻を拷問し、なぶり殺した」と語った。
健はジュン、甚平、竜の元へ行き、待機命令が出たこと、モスコーンを使った作戦が実行されることを話す。モスコーンとは、G粒子のビーム砲を発射する人工衛星のことだった。それを使えばシールドを破壊し、ギャラクターが中枢を置くカサブランスを始めとした主要都市6ヶ所を殲滅できる。「捕虜はどうするの?」とジュンが訊くと、健は「必要のある犠牲と認められた」と言う。「健もそう思うの?上の言いなり」と責めるように尋ねるジュンに、健は「既に作戦は決定した」と冷淡な表情で告げた。
竜はジュンと甚平に、難民救出作戦で出会った母親のような存在の女性がいること、彼女の余命が短いこと、傍にいてあげたいので除隊を考えていることを明かす。カークランドは甚平を伴ってイリヤの元へ行き、激しい怒りをぶつけた。その時を待っていたイリヤは軽々と檻を抜け出し、警備兵を始末して甚平を拘束した。モスコーンを狙っていたイリヤは、制御装置を持ち歩いているはずのカークランドを捕獲した。南部から連絡を受けた健は甚平を心配するが、「イリヤの確保を優先しろ」という指示に従った。
竜は檻に駆け付け、液体窒素の噴射で危機に陥っている甚平を救出した。イリヤの元に駆け付けたジョーは、紀元前5世紀にウィルスXが宇宙からもたらされたこと、第二次世界大戦で感染者の軍事利用が画策されたこと、半世紀後に地底の研究所を発見して感染したのが最初のベルク・カッツェであることを聞かされる。さらにイリヤは、「我々はウィルスXに感染して進化した人間。だが、誰でも感染できるわけじゃない。石の適合者は、同時にウィルスXの適合者でもある」と話す。
イリヤはジョーの眼前で、ナオミへと姿を変えた。ナオミはイリヤに殺されたのではなく、ウィルスXの適合者として連行されたのだ。そして彼女こそが、3代目のベルク・カッツェであった。動揺するジョーに、ナオミは「生まれて初めて私は選択する機会を与えられた。エージェントになるか、ギャラクターになるか。私は、自由を選んだ」と言う。ナオミはジョーのキスしてウイルスXに感染させ、「貴方にも選ばせてあげる」と告げる。「復讐なんて忘れて、もっと自由になりなさい」と言い、彼女はゲートに姿を消した。
ベルク・カッツェは自らの肉体そのものをモスコーンの制御装置にしているカークランドを機動要塞へ連行し、動きを封じた。彼女はカークランドの精神をコントロールしてモスコーンを発射し、東京を含む世界の主要都市5ヶ所を破壊しようと企てていた。最初の発射が30分後に迫る中、南部はガッチャマンに「敵艦内にいるカークランドを見つけ出し、モスコーン発射を食い止めろ。ゴッドフェニックスでの発進を許可する」と告げた。
まだテスト飛行も終えていないゴッドフェニックスの使用に竜は反対するが、南部は「今使わなければテスト飛行の機会すらない」と言う。健は「分かりました。直ちに出撃します」と告げ、ジュンたちに準備を指示する。竜から甚平を見捨てたことを非難された健は、冷たい表情で「任務に従った」と言う。「いいか忘れるな、俺たちは適合者だ」と健が口にすると、ジュンは彼を責めて「貴方狂ってる。もっと普通に出来ないの?」と告げる。健は「俺たちが普通に出来るわけないだろ」と声を荒らげた。そこへジョーが現れ、「リーダーなら掟じゃなく仲間を守れ」と健に言う。険悪な雰囲気が残る中、ガッチャマンはゴッドフェニックスで出撃する…。

監督は佐藤東弥、原作はタツノコプロ、脚本は渡辺雄介、製作指揮は城朋子&佐藤直樹、エグゼクティブプロデューサーは奥田誠治、製作は門屋大輔&由里敬三&市川南&藤門浩之&柏木豊&富山幹太郎&田中修一郎、エクゼクティブプロデューサーは奥田誠治、プロデューサーは藤村直人&田中正&山本章、撮影は蔦井孝洋、美術は原田恭明、照明は疋田ヨシタケ、録音は山方浩、監督補は西村了、編集は渋谷陽一、コスチューム・メカニカルデザインは荒牧伸志、特殊造型プロデューサーは蟻川昌宏、スタントコーディネーターは小池達朗、VFXプロデューサーは田中尚美、VFXスーパーバイザーは森田淳也、音楽プロデューサーは志田博英、音楽はNima Fakhrara。
主題歌:「虹を待つ人」BUMP OF CHICKEN 作詞・作曲:藤原基央。
出演は松坂桃李、綾野剛、剛力彩芽、濱田龍臣、鈴木亮平、岸谷五朗、中村獅童、光石研、初音映莉子、新上博巳、Yumiko、川本耕史、グレゴリー・ペーカー、菜葉菜、アレクサンダー・クレメンス、マノジュ・マントリ、ディララ・イスラム・ティナ、リー・デイビッド・カーマイケル、サッド・ギルバート、バルニー、奥井長門、大元喜翔、石井心愛、岩田遥、吉田翔、古味来夢、増田健一、松田ジロウ、岩田有弘、屋敷紘子、矢吹奈子、馬場典子(日本テレビ)、佐藤義朗(日本テレビ)ら。


タツノコプロ制作のTVアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』を基にした実写映画。
脚本は『20世紀少年』『GANTZ』の渡辺雄介、監督は『ごくせん THE MOVIE』『カイジ 人生逆転ゲーム』の佐藤東弥。
健を松坂桃李、ジョーを綾野剛、ジュンを剛力彩芽、甚平を濱田龍臣、竜を鈴木亮平、南部を岸谷五朗、イリヤを中村獅童、カークランドを光石研、ナオミを初音映莉子、ギルマンを新上博巳、メイをYumiko、マイクミラーを川本耕史、アンダーソンをグレゴリー・ペーカーが演じている。

日本テレビが開局60年記念で制作した映画であり、公開前には大規模な宣伝活動が展開されたが、わずか3週間で打ち切りとなった。
だが、実際に映画を観賞すれば、「まだ3週間ってのは頑張った方じゃないか」とさえ思えてしまう。
このシナリオで、良くゴーサインが出たものだ。そして、この出来栄えで、良く公開したものだ。私が配給した日活の責任者だったら、公開日を先延ばしにして作り直させていたかもしれない。
ただし、作り直すといっても、一部分だけを修正すれば済むというレベルじゃないんだよな。完全に一からやり直さないと救えないんだよなあ、この映画。

『ガッチャマン』の本編開始前には、『劇場版 おはよう忍者隊ガッチャマン』という掌編のFLASHアニメが付いている。
これは、日本テレビ系列で生放送されている朝の情報番組『ZIP!』のコーナー「あさアニメ」で放送されていた『おはよう忍者隊ガッチャマン』の劇場版だ。
しかし、これを本編の前に付けた意味が全く分からない。
本編とは全く質の異なるコメディー作品だし、コスチュームも違う。本編へ導入するための道具としては機能していないし、むしろ邪魔なだけだ。

もう『劇場版 おはよう忍者隊ガッチャマン』から始めている段階で、この映画を作った連中が腐り切っていることが透けて見えるぞ。
ようするに、この映画を作った連中ってのは、『科学忍者隊ガッチャマン』も、映画も、観客も、全てを舐め切っているのだ。もちろん『科学忍者隊ガッチャマン』に対するリスペクトや愛なんて皆無だが、それどころか映画に対する真摯な姿勢も無い。
もっと酷いことに、そいつらは商売人としてのセンスさえ無いのである。
原作アニメへのリスペクトや愛が無くたって、せめて商売人としのてセンスがあれば、バカな観客から搾取できる作品を用意しただろう。その能力やセンスも無いんだから、どうにもならない。

オープニングで幼少時代の健、ジョー、ナオミが登場し、「ウイルスXに感染するとギャラクターになっちゃうんだって」「石が光ってる間は感染しても守ってくれるんだよ」という説明のためのセリフを喋る。
その後にはナレーションによって、「21世紀の初め、異様な姿をした怪物たちが現れて〜」という説明が入る。
そこで説明されるのは、原作アニメを完全に無視している上に、オリジナル設定としても「はあっ?」と言いたくなる内容だ。
原作を無視していても、面白ければ、『科学忍者隊ガッチャマン』を見ていなかった観客には受ける可能性がある。
しかし、むしろ持ち込まれたオリジナル要素が、ことごとくクソなのだ。

原作アニメでは科学忍者隊のモチーフが鳥であり、それぞれに「大鷲の健」「コンドルのジョー」「白鳥(しらとり)のジュン」「燕(つばくろ)の甚平」「みみずくの竜」という呼び名があった。
しかし鳥の要素は消去された上、アニメでは健だけを指す言葉だった「ガッチャマン」が5人の総称になっている。
そんなガッチャマンのことをナレーションでは「石を操る現代の忍者」と言っているが、何がどう忍者なのかはサッパリ分からない。この映画に出て来る連中は、ちっとも「科学忍者隊」ではない。
取って付けたように「科学忍法なんちゃら」と言うシーンもあるが、そうやって中途半端に原作の要素を残していることが、これまたクソ。「科学忍法火の鳥」なんて、ミサイルの爆発で真っ赤になっているだけなので、ただの火だるまでしかないし。

たった17日でギャラクターが世界の半分を征服したこと、大勢の人々が死んだことがナレーションで語られ、「もはや残っている人類は少数であり、街は崩壊しているのかと思いきや、13年後の東京は普通に都会としての顔を見せており、人々は平和な様子で暮らしている。
ジュンは呑気に買い物を楽しみ、街にいる人々にも絶望感や悲壮感など皆無だ。
ギャラクターは17日で世界の半分を征服した後、何もせずに休憩していたのだろうか。そして人々は、ギャラクターの存在など忘れてしまったのだろうか。
そんな風に疑いたくなるぐらい、東京の街は平和そのものといった雰囲気に包まれている。

ナレーションでは「人類は限られた地域での生存を許され、ただ絶滅するのを待つだけだった」と語られるが、なぜ限られた地域での生存を許されているのか良く分からない。そして、生存を許したはずのギャラクターが、13年後になって街を襲撃している理由も良く分からん。
今さら攻撃するぐらいなら、なぜ13年間は放置していたのかと。
もしも人類滅亡が目的なら、わずか17日で世界の半分を征服したんだから、数ヶ月もあれば達成できるでしょ。ってことは、今までは人類を滅ぼさずに放置していたってことでしょ。そうじゃないと整合性が取れない。
で、放置していたとすれば、まだ多くの人類が生存していることの整合性は取れる。
ただし、「なぜ今まで放置していたのか、なぜ今になって攻撃を開始するのか」という別の疑問は生じる。
どっちにしろ、珍奇な内容になっているのだ。

街に兵士の姿はあるが、一般人が何の危機感も警戒心も見せずに生活しているので、その存在が完全に浮き上がっている。ギャラクターが襲撃してから出動すればいいんじゃないかと思ってしまう。
っていうか、兵士が配備されているってことは、ギャラクターの襲撃は日常的に行われているってことなのか。だとしたら、なぜ人々は恐怖も不安も見せず、ノホホンと暮らせているのか。
そして、ギャラクターが何度も街を襲っているのだとしたら、最初に写し出された東京の街が全く破壊されておらず、大勢の人類が生存しているのはどういうことなのか。
そこも整合性が全く取れていない。ギャラクターの目的もサッパリ分からんし。

買い物を楽しんでいたジュンを含むガッチャマンの面々は、南部から「潜入任務は終わりだ」と言われる。
しかし、果たして何の潜入任務をやっていたのか、それがサッパリ分からない。
ただ単に、一般人の格好で普通に暮らしていただけじゃねえのか。それは潜入任務とは言わないだろ。
潜入任務と言うからには、ギャラクターの組織を探るのが任務のはずでしょ。一般人に紛れて生活しているのは、それは「ガッチャマンの仕事を離れた私生活」でしかないでしょ。
何がどうなったら、それを潜入任務と呼べるのか。

大体さ、人類を救う最後の希望としてガッチャマンが存在しているのに、隠密部隊として行動させる意味ってあるのか。
ギャラクターには存在を知られているんだし、正体を隠して行動する意味が無いだろ。
だから、仮面パーティーに別の人間を装って潜入するという任務も、なぜガッチャマンの素性で行っちゃマズいのかが分からない。
そもそも、なんでイリヤは仮面パーティーの会場でガッチャマンと接触しようとするんだよ。仮面の意味も全く無いし。

前述したように、兵士は最初から街に配備されており、ギャラクターが来ると銃火器で戦う。
だけど、もう13年前の段階で、人間の持つ銃火器はシールドに防がれて効果が無いことは分かっているんだよね。だったら、どれだけ撃っても弾丸の無駄遣いでしかないことも分かっているはずでしょ。そして、それを考えると、そもそも兵士が配備されていること自体も無駄でしょ。
っていうか、13年もの年月があったのに、「石の適合者を戦わせる」「G粒子ビーム砲の人工衛星を使う」という以外にギャラクターに対抗する手段を用意できていない人類は、どれだけ愚かなのかと。
モスコーンなんてデカい兵器を作る前に、もっと普通に軍隊が使えるような武器を開発しろよ。モスコーンで都市は破壊できても、襲って来るギャラクターの部隊には使えないでしょうに。
っていうか、そもそも主要都市6ヶ所を破壊するというカークランドの作戦は、ベルク・カッツェの主要都市5ヶ所を壊滅させようとする計画と大して変わらんだろ。あと、そのカークランドがバリバリの日本人で日本語を喋ってるってのも、どういうセンスなのかと思っちゃうぞ。

東京の街を襲撃したギャラクターは、巨大なタイヤが回転するような形状の機動兵器を使っている。
それをISO総会の開かれているビルに向かわせ、取り付けた爆破装置を起動させようという作戦だ。
だけど、そんな巨大な機動兵器があるなら、なぜ自爆させなきゃならんのか。そこに色んな武器を付けて攻撃すれば、簡単にビルを破壊できるだろ。ただ突っ込ませるだけでもビルを破壊できるだろうし。
それと、その襲撃は、そちらに目を向けさせている間にベルク・カッツェが東京へ潜入するための囮なんだけど、ベルク・カッツェって人間に変身できるんだし、ゲートを使った瞬間移動の能力もあるんだから、囮なんて要らないだろ。人間に化けて潜入すればバレないだろ。

アクションシーンは安っぽくて、スピードも迫力も弱い。VFXもチープで、アクションシーンの飾り付けとしては冴えない。
それは最初のアクションシーンで露呈しているし、爆弾を解除しようとしていたジュンが最終的にはタイマーを壊して機動兵器を止めているのも呆れるばかりだ。それで止まるのであれば、爆弾を解除しようとする努力なんて最初から無駄だろうに。
その後のアクションシーンでも、最初に感じたマイナスの印象を取り返すことは出来ていない。見せ場になるようなアクションシーンは皆無で、その出来栄えの悪さは『CASSHERN』にも劣るんじゃないかと思わせるほどだ。
冒頭でギャラクターが街を襲撃した後、敵の部隊やメカが攻撃してくることは無く、クライマックスの戦闘まではベルク・カッツェ(イリヤ)だけが目立つという構成も冴えない。
そのせいで、ギャラクターのスケール感が小さくなっちゃってるし。

原作アニメとは大幅に変更されたガッチャマンのコスチュームは、ちっともカッコ良くない。
ヘルメットのバランスがイマイチだし、あれだけゴテゴテした鎧を装着しているのならマントは邪魔なだけでしょ。
それとさ、確かにコスチュームはカッコ悪いんだけど、だからってジュンにマジなトーンで「醜いスーツを着せられて」と言わせるのはダメだろ。
なんでガッチャマン自らが「ワシらのコスチュームはダサいんやで」と認めちゃうんだよ。

そのジュンのキャラクターが、ホントに疎ましいことになっている。
原作アニメでも彼女が健に一方的な思いを寄せているという設定はあったが、それが不必要なまでに大きな扱いで持ち込まれている。
ジュンが健にラブラブ光線を発射し、ナオミのことで嫉妬心を剥き出しにするという描写が、場違いに描かれる。
「今はそんなことを言ってる場合じゃないだろ」「恋愛話なんて後回しにして、今はとにかくギャラクターと戦えよ」と言いたくなる箇所が、何度も出て来るのだ。

っていうかハッキリ言って、ジュンの恋愛要素なんて要らないとさえ思ってしまう。入れるにしても、せいぜい「健に好意を抱いている」ってのを匂わせる程度に留めておけばいい。なんで物語のメインであるかのように使っちゃうのか。
それは健&ジョー&ナオミの三角関係にしても同様で、そういうのをメインに据えちゃってるから話がヌルくなるのよ。
しかも、それを上手く消化できていない。
例えばベルク・カッツェの正体がナオミだと知った後でも、健とジョーは戸惑いつつも彼女と普通に戦っちゃう。
それ以前の問題として、「ナオミは健に惚れていた」というのが上手く表現できていないし、そもそも三角関係の描写が薄い。

とにかく、色々と欲張って持ち込み過ぎなのよ。
前述した健&ジョー&ナオミの三角関係、ジュンの健に対する恋心と嫉妬心、ジョーの復讐心、ナオミを死に追いやったことに対する健の罪悪感、ガッチャマンの「戦う理由」に対する悩み、任務最優先の健と他のメンバーとの亀裂、ウイルスXに感染したジョーの苦しみ、ベルク・カッツェによる自由への誘いなど、多くの要素がある。
だけど、完全に処理能力を超過しており、全てが薄っぺらいモノになっている。
だから、それに関して役者が芝居をしても完全に上滑りであり、伝わってくるモノは何も無いのである。

それらの要素は、全て削り落としても構わないぐらいだ。そしてガッチャマン(特に健)を「自らが戦う正義のために一直線で行動する熱血キャラ」にして、もっと単純明快に「正義のガッチャマンと悪のギャラクターの戦い」という勧善懲悪の構図にすれば良かったのよ。
背伸びして『ダークナイト』的なことをやろうとしたり、他にも色んな要素を持ち込んだりして、見事なぐらいバラバラでまとまりがない。
そもそも、『科学忍者隊ガッチャマン』の実写版というよりも、自分の描きたいことを描くために「ガッチャマン」という名前を利用しているだけのようにしか思えない。しかも、そうやって持ち込んだであろう描きたいはずの要素も、ロクに表現できていない。
そして結果的に伝わって来るのは、安っぽいVFXと三文芝居だけという始末。

ウイルスXに感染して進化した人間がギャラクターだとか、石の適合者はウイルスXの適合者でもあるとか、ベルク・カッツェが襲名制になっているとか、そういう設定も、どうでもいいとしか思えない。それが話の面白味にも、深みにも、厚みにも繋がっていない。
ベルク・カッツェを襲名したナオミが「私は自由を選んだ」と言うけど、その自由が意味するところもサッパリ分からんし。
どうやら、石の適合者としてギャラクターと戦うことを定められたガッチャマンは奴隷的な存在で、そこから解放されたから自由ってことを言いたいようだ。
だけど、そもそも「適合者としての苦悩」が全く描写できていないんだから、そりゃあナオミの主張する自由の意味も伝わらんよ。

終盤、モスコーンの発射の回避も不可能な状態になり、南部はナオミとの戦いに赴いたジョーを置いて脱出するよう健に命じる。
すると健は、「たかが4人を助けるために、1人の命を見捨てるという考え方を否定する。1千万人を助けるために、1人の命を犠牲にするという考え方を否定するジョーも俺たちも東京も、全て救う」と口にする。しかし、爆発に巻き込まれるかもしれないというギリギリの状況からゴッドフェニックスで脱出を試みる時には「死ぬ時は一緒だ」と笑う。
いやいや、みんなを救うって、ついさっき言ったばかりだろ。
確かに死ぬ確率が高い状況ではあるけど、そんなこと言ったら、テメエが決め台詞っぽく吐いた言葉を全否定することになるぞ。

ナオミと戦った健は、彼女の腹を突き刺してから「教えてくれ、ナオミなのか?」と尋ねている。それを訊くのはタイミングが遅すぎるぞ。
で、ジョーが「ナオミはとっくに死んだんだ。約束を果たせ」と健に言うのだが、その「約束」ってのは、幼少時代にナオミが「石の光が消えた時は殺して」と頼んでいた約束のことだ。すると健は「掟とか義務とか関係ないんだ。人は助けたいから戦う。救いたいから身を投げ出す。あの時、ナオミは俺を救った。今度は俺が救う番だ」と語り、ナオミを殺害する。
確かに約束は果たしてるけど、健は「全て救う」って言ってたし、そこでも「人は助けたいから戦う」って言ってるよね。それは本当に、ナオミを救ったことになるのか。ナオミが洗脳されてると捉えて、「そこから解き放ってやれば救える」という風には思えないのか。
そこでナオミを殺すという行動が、ものすごく安易で思慮深さに欠けるようにしか思えないぞ。例えば、ナオミが部分的に正気を取り戻して、「このままだと自分の全てが悪に染まる。その前に殺してほしい」と願ったとか、そういうことなら話は別だけどさ。

(観賞日:2014年10月30日)


2013年度 HIHOはくさいアワード:6位

 

*ポンコツ映画愛護協会