『劇場版 金色のガッシュベル!! 101番目の魔物』:2004、日本
富士山麓の森で遊んでいた少女コトハは、鳥の巣がある木に白い本が引っ掛かっているのを発見した。本を開くと、中には何も書かれていなかった。しかし突然、「素敵なプレゼントが届く」という文字が浮かび上がる。その直後、コトハは母から欲しかった帽子をブレゼントされた。再び本に文字が浮かび上がり、今度は「金色の髪の少年と運命の出会いが待っている」と示された。
ガッシュ・ベルと高嶺清麿、ティオ&大海恵、キャンチョメ&フォルゴレ、ウマゴン&サンビームの4組は、富士山へピクニックに出掛けた。湖に魚を獲りに行ったガッシュは、そこでコトハという少女と出会った。コトハは、運命の金髪少年がガッシュなのかとガッカリした。コトハはガッシュに、お告げが示される白い本のことを話した。
ガッシュが本を開くと、そこに「森の洞窟で母が待っている」という文字が浮かび上がった。そこへ清麿が現れ、ガッシュをキャンプ地へ連れ戻そうとする。その時、白い本を見ていたコトハは、「母が原因不明の病で倒れる」という文字を目にした。その直後、コトハの母が急に倒れてしまう。そして白い本には、「森の洞窟で治療薬が見つかる」という文字が出た。
ガッシュ、清麿、コトハは洞窟へ向かうが、その途中で魔物が現れる。ガッシュと清麿は魔物を退散させ、コトハに事情を説明した。洞窟に到着したガッシュ達は、そこで金髪の少年と出会う。少年は、万能の薬草を所持していた。少年が運命の相手だと確信したコトハは、彼と2人にしてほしいとガッシュに頼んだ。
ガッシュと清麿は、コトハと少年を残して先へ進む。すると2人は突風に襲われ、気が付くと魔界にいた。魔界第七小学校に迷い込んだガッシュは、自分の過去を知る魔物モップンと出会う。ガッシュはモップンから、自分が天才少年ワイズマンを差し置いて魔界の王を目指す100人に選ばれたことを聞かされる。
魔界では、魔物の暴走を鎮圧するパワーを秘めた101冊目の魔本が、魔界最強の戦士・黒騎士の元から盗まれる事件が起きていた。ガッシュと清麿は犯人だと勘違いされ、黒騎士に捕まってしまう。ガッシュと清麿は、コトハの持っていた本が101冊目の魔本だということ、犯人がガッシュを利用して魔界の門を開けたこと、その犯人が洞窟の少年ワイズマンだということに気付く…。監督は志水淳児、原作は雷句誠、脚本は橋本裕志、製作は亀井修&高橋浩&亀山千広&東聡&岩切靖治、企画は都築伸一郎&森下幸三&金田耕司&竹内淳&木村京太郎、企画協力は三上信一(真一は間違い)&除俊之&村上正直、エクゼクティブ・プロデューサーは久保雅一&清水賢治、プロデューサーは油井卓也&関弘美&高瀬敦也&河内史紀子&熊澤秀雄、製作担当は杉本隆一&椎葉一夫、キャラクターデザイン&総作画監督は大塚健、作画監督は渡部圭祐&橋本英樹、美術監督は渡辺佳人、色彩設計は板坂泰江、撮影監督は高橋基、編集は片桐公一、録音は池上信照、音楽は大谷幸、オープニングソングは谷本貴義「君にこの声が 届きますように」、テーマソングは上戸彩「涙をふいて」。
声の出演は大谷育江、櫻井孝宏、錦織健、大塚周夫、釘宮理恵、前田愛、菊池正美、高橋広樹、こおろぎさとみ、郷田ほづみ、森川智之、矢島晶子、三石琴乃、高山みなみ、清水よし子、雷句誠、秋谷智子、溝脇しほみ、千葉繁、杉山佳寿子、西村知道、西村朋絋ら。
週刊少年サンデー連載の漫画を基にしたTVアニメシリーズの映画版第1作。
タイトルの「金色」は「こんじき」と読む。
ガッシュ役の大谷育江、高嶺清麿役の櫻井孝宏、ティオ役の釘宮理恵、大海恵役の前田愛、キャンチョメ役の菊池正美、フォルゴレ役の高橋広樹、ウマゴン役のこおろぎさとみ、サンビーム役の郷田ほづみといった声優陣は、TVシリーズと同じ。
他に、黒騎士の声を錦織健、魔界小学校の校長を大塚周夫、ワイズマンを森川智之、コトハを矢島晶子が担当している。他のTVアニメの映画版と同じように、キャラ紹介や世界観説明をせずに話を進めていく。しかし洞窟へ向かう途中、魔物と戦った後で、ガッシュ&清麿がコトハに「魔物と人間のコンビ100組が、魔界の王を目指して戦っている」ということを簡単に説明する。
まだ説明するだけ他の作品よりマシと言えるかもしれないが、無理に挿入している印象が否めない。
そこで登場する魔物は、その場だけで消えてしまうチョイ役であって、その後のストーリー展開には全く関係が無い。
つまり、コトハに対して事情を説明するためだけに、全くストーリーに乗れていない「やられ役」を、いびつな形で放り込んだということだ。
世界観を説明する気持ちがあることは評価したいのだが、もうちょっと上手くやれなかったのかなあ。映画が始まって30分ほど経過し、ガッシュたちが魔界に入ってしまうと、もう終盤までコトハと会うことが無い。最初にコトハとガッシュたちが出会うところから話が動き始めるのだから、分断状態が長く続くのは得策とは思えない。もっとガッシュ&清麿とコトハの交流という部分に、長く時間を割いてやるべきだろう。
コトハがワイズマンに頼まれて戦いのパートナーを引き受ける辺りは、かなりギクシャクしたものを感じてしまう。しばらくするとコトハが敵を傷付けることを拒み、ワイズマンが洗脳するシーンが登場するが、だったら最初からそうしておけばいい。どうせワイズマンは、当初から人間を対等のパートナーとして考えていないのだし。コトハは他人を傷付けることを嫌がり、ワイズマンは感情を邪魔なものだと考える。
この「痛みを知る心」「感情の大切さ」という辺りでの物語の構築は、ワイズマンとガッシュ&清麿との敵対関係の中でやっていくべきことだろう。
終盤まで対決が無いのは、構成として上手くない。少なくとも前半か中盤で1度は、この対決シーンを入れておいた方がいい。
ガッシュの悩みや、清麿に対する反発と再びの結束という流れも、やはりワイズマンとの敵対関係を構築した中で描写すべきだろう。タイムリミットに焦るよりも、ワイズマンとの戦いで焦ってほしい。
だから、例えば「ガッシュはワイズマンとの戦いの中で、自分が王を目指す資格があるのかと悩み、自信を失う。しかし仲間がピンチに陥り、再び立ち上がる」という筋書きにするとか。ワイズマンが人間界でコトハをパートナーにして暴れ始める一方で、ガッシュと清麿には「タイムリミットまでに魔界を脱出しなければ魔界の王を目指す戦いから外される」という問題に直面する。
ここで、2つの話が出来上がっていることになる。
しかし、この2つの話に連動性が薄いし、見事に「一兎を追う者は何とやら」の状態と化している。
ガッシュの母親に会いたいという気持ちがあり、コトハの優しさとワイズマンの冷たさの対比があり、ガッシュの王を目指す資格は無いのかという悩みがあり、とにかく色々なことを詰め込みすぎて、話がバラバラになっている。
もっと絞り込みをすべきだった。
シリーズ1作目ということを考えると、「ガッシュの悩み」辺りがベターだろうか。終盤への流れを考えた時に、実はガッシュたちが魔界に行く展開は要らないのではないかと思えてしまう。それは「ワイズマンが魔界の門を開けさせる」という目的から始まっているわけだが、門を開ける目的のためにコトハに白い本を拾わせたり、お告げを何度も示したり、ガッシュを母に会えると騙したりする手順が、ものすごく無駄に感じられるのだ。
コトハとワイズマンの交流や、ガッシュの母親に対する思いという要素が話の軸になるのなら、それでもいいが、そうではない。
「ワイズマンが人間界に行く」ということを成立させるために、そこまでの手順を踏む必要があるのだろうか。もっと簡略化できるだろう。
そんなところで時間を食っているから、ワイズマンが「人間は滅びるべき、感情は無意味」という信念で行動する流れに、ガッシュと清麿が全く関わることが出来ないままで終盤まで行ってしまう。コトハが極端に言えば「要らない存在」になっているのは気になる。
前半でガッシュと彼女の友情が深まっているか、あるいはワイズマンとの関係描写が描写されているか、いずれかが成立していればクライマックスの戦闘シーンにも活きてくるのだが、さっさとガッシュとは別れるし、ワイズマンには出会って間もなく操り人形にされてるし。
前半でコトハが雛鳥を助けるために絶壁に飛び込み、そのまま墜落しそうになるというシーンがある。この「雛鳥救助の気持ち」というのがクライマックスへの伏線になっているのだが、自分の命を投げ出してまで鳥を助けようとするってのは、やりすぎだろう。
素直に「命懸けで仲間を助ける」ってことを鍵にしておけばいいのに、なぜ対象を鳥にしちゃったのやら。ワイズマンの盗んだ本には、「相手の呪文を全て吸い取る」という、ある意味では無敵とも言える能力がある。
それに対してガッシュたちがどんな方法で立ち向かうのかと思ったら、「みんなの力を合わせて強力な呪文を使う」というのが答え。
おいおい、力押しかよ。
なぜ知恵者に対して、筋肉バカみたいな手口で勝ってしまうのよ。そこは、さらに上を行く知恵で勝ってほしいぞ。登場した時から一貫して完全なる悪党として振舞い続けていたワイズマンだが、最後の最後になって改心してしまう。
その腰砕けは無いだろ。
最後まで徹底してワルを完遂しろよ。
もし最後に改心するのであれば、それまでの話の中で、チラチラッと気持ちの迷いや揺れ動きを示して、その改心に繋がるような伏線を作っておくべきだろう。