『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』:1999、日本
1999年、地球は巨大怪鳥ギャオスの大量発生という異常事態に見舞われていた。女性鳥類学者の長峰真弓は4年前に東京でガメラと戦ったギャオスを見て以来、生態研究を続けていたが、未だに謎を解明できずにいた。
4年前のガメラとギャオスの激闘に巻き込まれて両親を失った中学生の少女・比良坂綾奈はガメラを憎んでいた。親戚に引き取られて奈良県の山村で暮らしていた綾奈はある日、村に言い伝わる「柳星張」が眠るとされる社の沢という洞で、奇妙な卵状の物体を発見する。
東京の渋谷にはギャオスが出現していた。それを追うようにガメラも出現。ガメラはギャオスを撃退するが、街を破壊するガメラを危険視する世間の声が高まる。かつてガメラと心を通わせた草薙浅黄は長峰の元へ掛け付け、レギオンとの戦いで自然界のバランスが崩れたことがギャオス大量発生の原因だと告げる。
綾奈が発見した卵状の物体からは不思議な生物が生まれる。その生物にイリスと名付けた綾奈はガメラの仇を打ってくれるよう願いながら育てていく。だがその生物はギャオスの変異体だったのだ。それを知った内閣情報調査の朝倉美都と推測統計学に精通した天才ゲーム作家の倉田真也は綾奈を誘拐し、京都へ連れ去る。
綾奈がギャオス変異体の鍵を握ると知った長峰は浅黄や元刑事の大迫と共に京都へ。そこで倉田からギャオス変異体が綾奈との融合を試みていると告げられる。やがて巨大化したイリスは京都へ降臨。そして追うように現れたガメラとの戦いが始まった…。監督は金子修介、脚本は伊藤和典&金子修介、総指揮は徳間康快、プロデューサーは土川勉&佐藤直樹&南里幸、製作代表は加藤博之&石川一彦&小野清司&磯田尚正、撮影は戸澤潤一、編集は冨田功、録音は橋本泰夫、照明は吉角荘介、美術は及川一、衣裳は石川純子、特技監督は樋口真嗣、怪獣デザインは前田真宏&樋口真嗣、怪獣造型は原口智生、視覚効果は松本肇、音楽は大谷幸、音楽プロデューサーは山本晴之。
出演は中山忍、前田愛、藤谷文子、山咲千里、手塚とおる、津川雅彦、清川虹子、石丸謙二郎、上川隆也、渡辺裕之、小山優、安藤希、螢雪次郎、本田博太郎、川津祐介、かとうかずこ、三田村邦彦、八嶋智人、堀江慶、前田亜季、加藤博之、田口トモロヲ、斉藤暁、根岸季衣、鴻上尚史、石橋保、徳井優、仲間由紀恵、伊集院光、三輪明日美、生瀬勝久ら。
金子修介監督による、平成ガメラ3部作の最終作。
上記したような粗筋なんだけど、一回読んだだけではサッパリ分からないかもしれない。私自身も、書いていて良く分からなくなった。
それが、この映画の最大にして致命的な欠陥だと思われる。
つまりね、この映画を、果たして誰に見せようとしてるのかってコトなんですわ。1作目と2作目を見ていることを前提としたネタが多いので、シリーズを通して見ていない人は、メインのターゲットから除外しているだろう。
あまりに難しい話なので、子供向けに作っているとも思えない。ということは、この映画がターゲットにしている観客層って、おのずと「シリーズを最初から見ている、特撮オタクな大人の人々」に限られるのよね。
オタクだけの所有物になった時点で、怪獣映画ってのは、大衆映画としては死亡宣告を受けたようなものだ。だから、この映画も大衆映画としては、ほとんど死んでいる。主要人物は総じて「そこにいるだけ」になっており、ほとんどの人物は単なる傍観者以上の役目を果たせていない。多くの要素を詰め込んでいるのだが、単にゴチャゴチャしただけに終わっている。人物もストーリーも、やたらとゴチャゴチャしすぎ。
映画の中で解決できないコトを、あまりに多く持ち込みすぎている。
ほとんど処理できないのだったら、最初から詰め込むべきではない。
特撮が良く出来ているとか、そういう部分では誉めることも可能だ。
だが、そういうことで評価して、この映画の恥部を隠すべきではない。
日本の怪獣映画の未来のためにも、ハッキリと断言しておこう。
この映画は駄作であると。