『ガマの油』:2009、日本

1日の取引で数億円を稼ぐこともあるデイトレーダーの矢沢拓郎は、プール付きの豪邸で妻の輝美と息子の拓也の3人暮らしをしている。彼は拓也から、友人のサブローを引き取って欲しいと頼まれる。される。拓郎は「一人ぐらい何でもない。第一、父さんが引き取らなきゃ、刑務所から出られないんだろう?」と言い、軽い調子で承諾する。輝美は少年院から出て来るサブローを迎えに行くが、拓也はバイトで行けなかった。しかし輝美からの電話でサブローが怖がって動かないと聞かされ、拓也は「分かった。4時までには行くから、母さん、帰っていいよ」と告げた。
バイトを終えた拓也は、恋人の光に電話を掛ける。渋谷に出て来た光が迷子になっている様子なので、拓也は動かないよう指示して迎えに行く。拓也は光を見つけ、電話を掛けて自分の所在を示した。拓也がサブローを迎えに行くと知り、光は帰ることにした。拓也は少年院へ向かう途中、自動車事故に遭って意識不明の状態に陥った。病院へ駆け付けた輝美はサブローに住所を書いたメモと必要な物を買うための10万円を渡し、拓也の荷物を持ち帰るよう頼んだ。
サブローは豪邸に到着し、輝美が用意しておいたコロッケを食べようとする。そこへ拓郎が来て、「チンして食べなさい」と促した。サブローはコロッケを2つ手に取ると、拓郎に会釈して病院へ赴いた。光は祖母・ちよに、誕生日を祝ってもらった。サブローは病室に入り、意識の無い拓也に話し掛けた。夜、拓郎は輝美に、サブローが金を盗もうとしていたと言う。すると輝美は、自分が渡した10万円だと説明した。「なんでそんなトコに置いてんだ」と拓郎が言うと、彼女は「返そうとしたんじゃない?」と答えた。
拓郎は輝美に頼まれ、サブローの留守中に彼の部屋へ10万円を置きに行く。しかし「まだ子供なんだから」と呟き、1万円だけ置いて残りは自分の物にした。拓也の携帯電話が鳴ったので拓郎が取ると、相手は輝美だった。「拓也?どこにいるの?」と輝美が言うので、拓郎は困惑しながら「俺だよ」と告げた。輝美は「拓也のバイト先に電話しなきゃと思って」と、取り繕うように述べた。サブローは病室の床にマットを敷いて寝ころび、「俺のこと、藤村って呼んでくれないか。秋葉サブローという男がいなくなって、藤村という男が生まれるんだ。藤村ユウジ」と拓也に語り掛けた。
翌朝、拓郎は病院へ行き、明るく拓也に話し掛ける。彼は光から拓也宛てに届いた何通ものメールを読んだ。光が帰宅すると、「バカバカ言うな。愛を込めて 矢沢拓也」という手紙があった。光から拓也の携帯に電話が掛かって来るが、傍らにいた拓郎は取ろうとしなかった。だが、少し経ってから彼は、光に電話を掛けた。光は電話を取った途端、「大好き」と連呼した。拓郎が声を発しても、光は相手が拓也だと思い込んだまま喋る。拓郎は拓也に成り済まし、彼女と会話を交わした。
光と言い争いになって電話を切った後、また拓郎は連絡を入れる。「これは矢沢拓也の携帯です。俺は誰でしょう?」「なんか変じゃない、俺」などと彼は話すが、光は別人であることに全く気付かない。光の言葉で、拓郎は息子が自分を「あぶく銭のギャンブラー」と呼んでいたことを知った。拓郎は再び拓也に成り済まして光と会話を交わし、電話を切った。その夜もサブローは豪邸に泊まらず、病室で寝た。サブローは拓也に、「頑張って宇宙へ行くよ、拓也のロケットで」と告げた。それが拓也の夢だったのだ。
翌朝、拓郎は息子の部屋で、拓也とサブローの顔を宇宙飛行士に張り付けたポスターを見つけた。彼は光に電話を掛け、種子島にいると嘘をついた。彼は「すぐ帰る。種子島はロケットが飛ぶからメールは駄目だ。時々、電話するから」と光に言う。拓郎は楽しそうに合言葉を決めたがる光と話し、笑顔を浮かべた。その夜も拓郎は光に電話を掛け、会話を交わした。次の朝、拓郎と輝美は病室の天井に宇宙飛行士のポスターを貼った。「宇宙は夢か」と拓郎が呟くと、輝美は「夢じゃないわよ、この子は宇宙へ行く」と告げた。
その夜、サブローが病室で寝ていると、拓也が目を覚ました。拓也が「温泉行こうな」と誘うと、サブローは「ホントは怖かったんだ、宇宙に行くの。でも、お前のこと信じてないみたいで言えなかったんだ」と打ち明けた。拓也が目を閉じたので、サブローは電気を消して眠りに就いた。拓也が死去し、拓郎は火葬された息子の骨を見て号泣した。サブローは骨を掴み取ろうとして落としてしまい、拓郎に激怒される。サブローが「お墓の中、暗くて狭いから、嫌だろうなと思って」と釈明すると、「仕方が無いじゃないか、死んじゃったんだ」と拓郎は告げた。
骨壺を抱えた輝美はベンチから立ち上がり、少し離れた場所に腰を下ろした。拓郎が視線を向けると、彼女の髪に蝶が停まった。それを見た拓郎は、幼少時代の出来事を思い出した。故郷にガマの油売りがやって来た時、その妻にも同じように蝶が停まっていたのだ。油売りの妻は拓郎の視線に気付くと、蝶を指先に停まらせ、軽く吹いて飛ばした。拓郎は両親を亡くし、祖父と2人で暮らしていた。それを知った油売りの妻は、「父ちゃん母ちゃんは、さぞ無念だろうよ。言ってやんな、オイラは大丈夫、父ちゃん母ちゃん頑張れって。坊やも頑張るんだよ」と告げて拓郎を抱き寄せた。
拓郎は散骨しようと考え、サブローを連れてフェリーに乗った。しかし拓郎が海に骨を撒こうとすると、「こんな海の底、嫌だなあ。ずっと一人なんて」とサブローが言い出す。そこで拓郎は海への散骨を中止し、富士山へ向かうことにした。だが、いざ富士山を見ると「このまま登ったら俺たちが死んでしまう」と腰が引けてしまい、また拓郎は散骨を中止した。「君はどこへ行きたいんだ?」と拓郎に訊かれたサブローは、「恐山に行きたいんです」と答えた。
拓郎が理由を尋ねると、サブローは「拓也に謝りたい。母さんとも話したいんです。イタコって人がいるでしょ」と言う。「拓也の骨をどうしようかって言ってるんだよ。第一、イタコなんてイカサマに決まってるじゃないか」と拓郎は告げ、仕事もあるので恐山は遠すぎて無理だと反対する。拓郎は幼少時代、ガマの油売りから「仏壇は父ちゃん母ちゃん、そのまた父ちゃん母ちゃん、みんなの家なんだ。そこから、みんなが、坊主がいいこと言うかどうか見てる。綺麗にすれば、みんなが気持ち良くなる。きっといいことがあるぞ。オモチャやお金をねだったらガッカリされる。ありがとうございます、それでいい」と言われたことがあった。
拓郎が光に電話を掛けると、愛してると言ってほしいと頼まれる。拓郎が「愛してる」と告げると、光は「光も」と返した。拓郎はRVを購入し、サブローを乗せて恐山へ向けて出発する。サブローは刃の潰してあるナイフで、拓也の骨を削り始めた。サブローが「俺、拓也殺しちゃったし」と言うので、拓郎は「君のせいじゃないよ」と告げる。彼は「どん底の時には笑うことにしてるんだよ。仕事でドカンとやられた時には大笑いだよ」と語った。
拓郎は森の中を移動するガマの油売りの幟を発見し、サブローを連れて後を追った。石段を駆け上がった拓郎は、あの日頃と同じ油売りの口上を拝聴する。油売りは拓郎に気付き、「坊主」と呼び掛けた。油売りはサブローにも「秋葉君」と声を掛け、「元気出せ。独りじゃないんだから」と言う。彼はサブローの手を握り、「いい子だ、いい子だよ」と妻に告げる。妻はサブローを手招きし、優しく抱き締めて「ホントだ。いい子だ、いい子だよ」と口にした…。

監督は役所広司、原案は役所広司&中田秀子、脚本は うらら、プロデューサーは小西啓介&原田雅弘、製作は小西啓介&高橋増夫&橋荘一郎&熊澤芳紀&久松猛朗&木村研二、撮影監督は栗田豊通、美術監督は稲垣尚夫、照明は鈴木秀幸、録音は鶴巻仁、編集は上野聡一、記録は福田花子、音楽はタブラトゥーラ(つのだたかし、田崎瑞博、江崎浩司、近藤郁夫、山崎まさし)。
出演は役所広司、瑛太、小林聡美、益岡徹、八千草薫、澤屋敷純一、二階堂ふみ、岩松了、柄本時生、河原健二、浜近高徳、井上肇、高川裕也、小山颯、青柳加代子、加東千尋、進藤則夫、高橋ひとみ、堤貴裕、富澤力、南谷朝子、正木佐和、石原健司、鳥飼卓司、片桐信直、鏑木雄大、工藤友里奈、佐藤正樹、高橋薫、二階堂瞳子、方志順悟、峯村響、茂木芳昌、渡辺京ら。


俳優の役所広司が初めて監督を務めた作品。
拓郎を役所広司、拓也を瑛太、輝美&油売りの妻を小林聡美、ガマの油売りを益岡徹、ちよを八千草薫が演じている。
サブロー役は元K−1ファイターの澤屋敷純一、光役はファッションモデル出身の二階堂ふみで、いずれも映画初出演。
他に、巡回の警官役で岩松了、光をナンパする男の役で柄本時生が出演している。
原案はスクリプターの中田秀子と役所広司による共同。中田は「うらら」名義で脚本も執筆している。これが『教祖誕生』に続く2本目の脚本となる。

拓也が事故に遭うするシーンは、どうしてあんなことになってしまったんだろう。
まず、真っすぐな道で見晴らしが良く、拓也がジョグしながら車道に出て来たとはいえ、それを車が回避できないってのは、ちょっと不自然に思える。かなり距離がある段階で、車の運転手は拓也が車道に出たのが見えるはずだし。
もっと不自然なのは、あのスピードでぶつかっただけなのに、拓也が意識不明に陥るってことだ。しばらく走った後でコテンと倒れ込み、カットが切り替わると「死んだ」という描写になっているんだけど、違和感が強い。だってさ、車は拓也に気付いて急ブレーキを掛けており、それどころか映像を見る限りは、ぶつかってさえいないんだよな。
一応は「軽く当たっただけ」ということになっているけど、軽く当たっただけなら大事には至らないでしょ。なんで「せいぜい軽く当たっただけ」という形にしてあるのか、なんで「しばらく走ってから倒れる」という形にしてあるのか、理解しかねる。
普通に「車にはねられて植物状態になった」ということでいいんじゃないのか。

拓也の前で車が急ブレーキを掛けるシーンは1カットで撮影されているので、そこはホントにスピードを出した状態で激突することが無理なので、「ギリギリでブレーキを掛ける」という形になるのは分からんでもない。
ただ、そもそも1カットにこだわる意味なんて無いし。
もっと言っちゃうと、別に自動車にひかれるシーン自体が無くても成立しちゃうわけだしね。
わざわざ「車が急ブレーキを掛けたので軽く当たっただけで済んだけど、しばらく走ってから倒れて植物人間に」という、妙に凝った形にしている意味が良く分からん。

ひょっとすると、「ぶつかった直後は平気で、しばらく走ってから倒れる」という形にしたのは、「ひかれて倒れて意識不明」という形だと、運転手の責任が明確な形で問われることになり、警察やら弁護士やらが関与するような問題になるから、それを避けようという狙いがあったのかもしれない。
しばらく走ってから倒れた形にしておくことで、「両親は車にはねられたことを知らないし、運転手も拓也が倒れたことを知らないから、警察が絡んでくることも無い」という形に出来るわな。
ただ、そういう理由があったとしても、「しばらく走ってから倒れて植物人間に」という形にしてあることにはメリットよりデメリットがデカいように思うなあ。
もっと言っちゃうと、「意識不明の重体が何日か続いて、少しだけ意識を取り戻すけど、目を閉じて死んでしまう」という手順を踏んでいる意味さえ感じないんだよね。「交通事故で死にました」ということにしておけばいいんじゃないかと。

拓也が意識不明になってから死亡するまでの時間って、ただ無駄に取り留めも無くダラダラしているだけにしか感じないのよ。その間に描かれる拓郎や輝美、サブローや光たちの様子って、別に無くてもいいんじゃないかと。
意識不明から死亡までの経過をバッサリと削り落として、その代わりに拓也が事故に遭うまでの家族や光、サブローとの関係描写に時間を割いた方がいいんじゃないかと思うんだよねえ。
「息子が意識不明になったり、死去したりしたことを拓郎が受け止めきれずに云々」というトコロが、この作品にとって重要なはずだ。だったら、そんな拓郎の心情を伝える上で、「まだ元気だった頃の拓也と拓郎の関係性」を厚く描いておくことが効果を発揮するんじゃないかと。
もちろん、それが無くても、やり方次第では何とでもなるだろうけど、前述したように取り留めの無い時間の使い方をするぐらいなら、そっちの方がいいだろうと。

初監督ということで役所広司は張り切ってしまい、色んなことをやろうとしたのかもしれない。そして、それが空回りになってしまったのかもしれない。
前述した拓也の事故シーン以外にも「余計な装飾だなあ」と感じる箇所はあって、例えば拓郎が拓也の携帯電話を取って輝美と話すシーン。
分割画面で拓郎と輝美を一緒に写しているんだけど、まるで必要性が無い。どっちか片方にしたり、あるいは交互に切り替えたりすればいい。
分割画面にすると、無駄に引っ掛かりが生じるんだよね。拓郎の光が電話で喋るシーンでも分割画面になるんだけど、これも同じことが言える。

そこが話の肝みたいなモンだから「それを言っちゃあ、おしめえよ」ってことになるんだろうけど、どうしても「拓郎が拓也のフリをして光と喋る」というトコロに違和感を抱いてしまう。
拓也が意識不明になった後も拓郎が全く変わらない様子を取っているのは、「悲しい現実から目を逸らしている」「拓也に起きた事実を認めたくないから、光に本当のことを話さない」ということなんだろうという解釈も出来る。
ただ、拓也に起きた事実を認めたくないのであれば、拓也に成り済まして光と喋るのはおかしいでしょ。
拓也に成り済ましている時点で、「拓也は電話に出ることが出来ないのだ」と認めているようなモンでしょ。

「拓郎の声も喋り方も喋る内容も、拓也とは明らかに異なるのに、光が別人であることに全く気付かない」というのは、普通に考えると不自然だ。
光がパッパラパーみたいなキャラクターになっているのは、そこの不自然さを解消するためなのかもしれない。「アホだから気付かない」ってことなのかもしれない。
だけどねえ、そういう狙いがあったとしても、光のアホっぽさは、ちょっとキツいわ。
「底抜けに明るい」ということならともかく、ヤクでもやってんのかと言いたくなるようなキャラなんだよな。
あと、二階堂ふみが幼すぎて、瑛太とのバランスが悪いんだよなあ。恋人同士というよりも、兄妹、もしくは保護者と少女って感じなのよ。

拓郎が散骨の旅に出るのが唐突で「なんで?」と思ったが、「君が言い出したことだろう」という彼の台詞でサブローの発案だったことが示される。劇中で該当するシーンは描写されていないが、そういう経緯があったという設定なのだ。
でも、そういう経緯があったのなら、そこは省略せずに描写した方がいい。
散骨に行くことだけでなく、サブローを連れて行くのも違和感を覚えたし。
そもそも「サブローが言い出したから」というだけで拓郎が同意するのも、ちょっと引っ掛かるし。

2人が旅をする展開に移行するに当たっては、前述のように「サブローの発案に拓郎が乗った」という理由を付けているんだけど、かなり無理があると感じてしまう。
で、拓郎とサブローの二人旅が始まることで疑似親子っぽい関係が匂うけど、そこを掘り下げるわけでもなく、どこへ進もうとしているのかボンヤリしたまま話が進む。
「拓也じゃなくて、俺が死ねばよかったんだ」とサブローが言うと拓郎は「死ぬんだったら俺が死んでからだ。お前は俺の息子だ」と告げるけど、いつの間に、そこまでの気持ちになったのかと。
「実子である拓也を亡くした拓郎が、サブローに息子のような愛情を抱くようになる」というドラマなんて、まるで見えなかったぞ。

拓郎とサブローが山中で熊と遭遇する展開は、何を表現したいのか良く分からない。
単純なロード・ムービーにおけるエピソードの1つってことなら、そういうのがあってもいいとは思うのよ。
だけど、どうやら何かしらの意味がありそうで、それなのに何の意味があるのかサッパリ見えて来ないので、困惑させられてしまう。
この映画ってザックリ言っちゃうと、最初から最後までそんな感じなんだよな。

この映画は最初に中田秀子の考えたプロットがあって、そこに役所広司が自身の故郷である長崎県諫早市で幼少期に出会ったガマの油売りの思い出を盛り込んだらしい。
タイトルにもしているぐらいだから、役所広司としてガマの油売りとの出会いは、かなり思い入れの強い体験なんだろう。
しかし皮肉なことに、この映画においてガマの油売りが出て来る部分は明らかに邪魔だ。
完全に物語から浮いており、無理にハメ込んでいる印象が強い。

輝美と油売りの妻を小林聡美が二役で演じていることは、余計な含みを持たせる結果になっている。
ひょっとすると、拓郎は「幼少期の思い出があったから、油売りの妻と瓜二つの輝美を妻に選んだ」ということなのかもしれない。
でも、そうだとしても「だから何なのか」って話だ。
油売りの妻に関しては、もう1つの問題があって、それは「ガマの油売りに対する思い入れよりも、その妻に対する思い入れの方が強くなっていねえか」ってことだ。幼い拓郎は、明らかに油売りよりも彼の妻に懐いているんだよな。

ガマの油売りは幼い拓郎に、「仏壇は父ちゃん母ちゃん、そのまた父ちゃん母ちゃん、みんなの家なんだ。そこから、みんなが、坊主がいいこと言うかどうか見てる。綺麗にすれば、みんなが気持ち良くなる。きっといいことがあるぞ。オモチャやお金をねだったらガッカリされる。ありがとうございます、それでいい」ということを語る。
その回想が入ってから、拓郎がサブローを連れて恐山へ向かう手順に入る。
ってことは、拓郎が恐山へ行くことを決めた動機として、油売りの言葉が関係しているってことなんだろう。
だけど、何がどう関係しているのかが良く分からない。

油売り夫婦と出会うのは拓郎の幻覚かと思ったらサブローも見ている上に会話まで交わすので、どういうことなのかサッパリ分からない。
しかも、その出会いによって拓郎とサブローの気持ちや関係性が大きく変化するのかというと、そんな感じは無いんだよな。拓郎が光に事実を明かそうと決めるのもサブローから「おじさんは嘘ついてる」と言われたのがきっかけで、「そこは油売りとの再会や、油売りの言葉がきっかけにすべきじゃないのかよ」と思うし。
結局、この映画ってガマの油売り夫妻の部分を全て削っても成立するし、その方がスッキリするのよね。
終盤、拓郎が光に「子供の頃さ、お祭りに来たガまの油売りのおじさんが、人は二度死ぬんだって話をしてくれたんだ。一回目は体が死んで無くなっちゃった時、二回目は、その人を誰も思い出さなくなった時、ホントに死んじゃうんだって」「だから俺たちに出来ることは、いつも思い出してあげることなんだって」と電話で話すけど、それだけでも充分なんだよね。
で、そういう形でガマの油売りを関与させたいのであれば、「その言葉を油売りが拓郎に教えた」というシーンを盛り込むべきじゃないかと思うのよね。

(観賞日:2015年2月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会