『CUTIE HONEY -TEARS-』:2016、日本

如月博士は娘の瞳を連れて、高層タワーの屋上へ逃亡した。そこへ追っ手のジルと手下たちが現れ、如月に発砲して怪我を負わせる。瞳は怒りに燃えて敵を攻撃しようとするが、如月が制止して「逃げ続けるんだ」と告げる。瞳は如月に体を押され、足場から落下した。立ち入り禁止区域に入って警備員に捕まった少年の早見青児は、地上へ落ちた瞳を目撃した。警備員が驚いている間に逃走した早見は、ピンク色の光を放つ瞳が気絶している姿を発見した。
日本では汚染区域が拡大して居住エリアが減少し、街を上に重ねて完全自立型の重層構造都市が作られた。盾濱特殊区域はユートピアを目指した監視区域だったが、ほころびが出始めていた。成長して毎朝新聞の記者となった早見は「下層階に謎の超人が出現」という記事を執筆するが、編集長は「でっち上げにも程がある」と言う。早見が「実際に会ったことがある」と訴えると、編集長は発言に注意するよう告げた。
ジルは側近のルキアからAIの老朽化で都市機能に不具合が出ていることを報告され、「あの子がいれば」と漏らす。彼女は記事を書いた早見の元へ行き、目撃した超人について教えるよう迫った。早見が冗談だと釈明すると、ジルは見つけたら教えるよう告げて立ち去った。早見は黒瀬という男が反乱罪でソドム(機械兵)に連行される様子を目撃し、浦木一仁に連絡を入れて後を追う。黒瀬の娘が泣きながら駆け寄ると、ソドムが殴り付けた。そこへソドムに化けた瞳が現れて変身し、機械兵を全滅させて立ち去った。
早見は浦木を呼んで瞳を尾行するが、気付かれて「何の用だ」と詰め寄られた。早見は「俺たちは敵じゃない。黒瀬さんは俺たちの仲間なんだ」と釈明するが、瞳は「私に構わないで」と冷たく言い放った。彼女が去る時、浦木は追跡装置を忍ばせた。瞳は世話になっている轟夫婦のアパートへ戻り、笑顔を見せた。戦闘のあった現場へ赴いたジルは、エリアを閉鎖するようルキアに命じた。アパートを覗いた早見は、瞳に気付かれる。しかし夫婦が出て来たので、瞳は笑顔を浮かべて友達だと嘘をついた。
早見は瞳に、下層階で苦しんでいる人に希望を与えたくて記事を書いていると話した。彼が「富裕層には弾圧されて、有害な飴まで撒き散らされて」と憤懣を示すと、瞳は「私には関係ない」と告げる。早見は少年時代に目撃したことを話し、「天使が落ちて来たのかと思ったよ。腕の文字も顔も、20年前のあの時のままだ」と言う。彼は上層部に都市機能を維持しているAIがあること、それを破壊しようと考えていることを語る。
早見は「全ての排気システムはAIがコントロールしており、上層階の人間は雲の汚染量が増していることを知らない。その雲のせいで下層に住む人は疫病に苦しんでる。俺は雲を消し去りたい」と話し、協力を求める。しかし瞳は「私は貴方が考えているような存在じゃない。私に関わらないで」と告げ、その場を後にした。早見が追い掛けて説得していると、ソドムが襲って来た。瞳は轟夫婦を助けるよう頼み、ソドムから逃亡する。早見は轟夫婦をアパートから連れ出して倉庫へ隠れるが、ソドムに追い詰められた。
瞳は攻撃を受けて倒れるが、浦木たちが来てソドムを始末した。浦木は瞳をレジスタンスのアジトへ運び込み、部下の木村龍太に体を分析させた。木村は自己修復機能があることを話し、仲間の清瀬由紀子は冷めた口調で「つまり気色悪いってことよ」と告げた。瞳は怪我を負った早見から轟夫婦を救えなかったことを知らされ、涙を流した。ジルはルキアから瞳に協力者がいことを聞かされ、「時間が無い」と焦りの色を見せた。
瞳は早見に、あの夫婦が自分をアンドロイドだと知りながら子供のように面倒を見てくれたことを語った。浦木は2日後に上層階で建国イベントが開かれ、排出される汚染物質の量が過去最大になることを瞳に説明する。AIを止める方法を問われた瞳は、父が都市機能をAIに管理させる研究をしていたこと、そのために作られたのが自分であることを明かす。如月博士が半永久的にエネルギーを生み出せる空中元素固定装置を埋め込んだため、瞳は物質を作り変える能力を持っていた。
ジルが都市機能を管理することになった時、如月は瞳を逃がした。ジルは感情を持たない新型アンドロイドであり、彼女にとって人間は部品と同じだった。早見は浦木の計画に反対し、「テロリストと同じだ」と批判する。浦木は「平和を取り戻すためには犠牲は付き物だ」と言い、2年の間に多くの仲間が死んだことを語って去る。浦木はAIがある高層タワーごと爆破しようと目論んでおり、大勢の犠牲が出ることは確実だった。
早見は瞳に、「ずっと逃げ続けて何の意味がある?きっと博士も、動き出せって言うんじゃないかな。無理して命令に従う必要は無いんじゃないか」と告げる。彼は病死した父のことを思い出し、「苦しい時こそ笑え」と教えられたのだと述べた。早見は管理局のサーバーに不正アクセスしており、データ上では如月が生きていることになっていると瞳に教えた。「高層タワーの最上階に博士はいる。目指す場所は同じだ。一緒に行こう」と誘われ、瞳は承諾した。
建国パーティーの当日、早見は瞳を会場へ向かわせる。浦木たちも発電エリアに潜入して計画の準備を進めており、排気開始までにAIを止められなければタワーを破壊すると早見に通告した。早見は瞳にジルを引き付けておいてもらい、サーバーにウイルスを仕込んでAIを止めようと考えていた。上層階のテレビ司会者であるクリスは瞳に声を掛け、パーティーの客を盛り上げる。早見は編集長のIDを使い、サーバールームへ向かう。
ファッションショーが始まる中、瞳もモデルとして登場する。ジルは報告を受けるが、会場へ向かわず待機する。瞳は気付いたソドムと戦い始め、浦木は早見に連絡を入れ、「ソドムにマークされた。予定より早く起爆する」と告げる。まだサーバールームに到着していないため、早見は激しく動揺する。浦木の爆破によって会場が停電に陥る中、早見は何とかサーバールームに辿り着いた。そこへルキアが来て早見を襲うが、瞳が駆け付けて彼を救う。早見は「俺はここで排気口を止めていく。」と言い、瞳にジルの相手を任せた…。

監督はA.T.&ヒグチリョウ、原作は永井豪、脚本は中澤圭規&田中靖彦、製作は村松秀信&木下直哉&亀山暢央&平哲夫&永井隆&間宮登良松&鈴木仁行&白石剛&市村友一&牧和男&福嶋更一郎&林真司&寺島ヨシキ&岩熊正道、プロデューサーは小池賢太郎、共同プロデューサーは永井一巨&柳迫成彦、アソシエイトプロデューサーは山田周、撮影監督は大塚雄一郎、照明は山盛修、美術は吉田実、録音は大竹修二、編集はA.T.&大永昌弘、アクションコーディネーターは横山誠、音楽は北里玲二。
主題歌「BELIEVE」西内まりや 作詞:西内まりや、作曲:Zen Nishizawa&Yousuke。
出演は西内まりや、三浦貴大、石田ニコル、岩城滉一、笹野高史、倉野章子、高岡奏輔、永瀬匡、今井れん、エリック・ジェイコブセン、深柄比菜、仁科貴、西山由希宏、安藤美優、坂本悠宇真、比佐仁、栗本修次、峰秀一、板野成美、萩山沙貴、吉家翔琉、新井敬太、中田勇樹、吉信尚輝、吉田興平、三堀亮、阿部信介、坂内勇気、山田拓未、野田セリナ、田尻夏樹、安井レイ、貴島明日香、鈴木翼、宍戸准之助、長田凛大、船木七海、山本葵怜奈、池田怜生、小作圭輔ら。


メディアミックスとして企画された永井豪の漫画とTVアニメ『キューティーハニー』を基にした作品。
監督のA.T.(Asai Takeshi)とヒグチリョウは、いずれもCMやMVの世界で活動してきた人物。ヒグチリョウはアニメ作品
『劇場版 ゆうとくんがいく』で映画監督を経験しているが、A.T.は初めて。
脚本はTVドラマ『隠蔽捜査』『ホワイト・ラボ〜警視庁特別科学捜査班〜』の中澤圭規と『ノタ』の田中靖彦。
瞳を西内まりや、早見を三浦貴大、ジルを石田ニコル、如月を岩城滉一、轟夫婦を笹野高史&倉野章子、浦木を高岡奏輔、木村を永瀬匡、清瀬を今井れんが演じている。

西内まりやの当時の所属事務所であるライジングプロダクションは、かなり力を入れて彼女を売り出した。
2007年に『ニコラ』のモデルとして活動を始めた西内まりやだが、翌年にはTVドラマ『正義の味方』で女優デビューし、2011年には『スイッチガール!!』でドラマ初主演。
2014年には『LOVE EVOLUTION』で歌手デビューも果たした。
そして2015年には、『レインツリーの国』で映画デビューした(吹き替え版の声優としては2007年の『ライラの冒険/黄金の羅針盤』に参加している)。

ライジングプロダクションはバラエティー番組にも積極的に西内まりやをブッキングし、顔と名前を売り込んだ。
観月ありさや国仲涼子などライジングには大勢のタレントが所属しているが、「今後の事務所を支えてくれる稼ぎ頭」として期待していたのだろう。
金も手間も人員も使い、前述の『LOVE EVOLUTION』では日本レコード大賞最優秀新人賞や日本有線大賞新人賞も受賞させた。
しかし本人の実力が伴わなかったのか、事務所のゴリ押しに拒絶反応を示す人が多かったのか、歌手としても女優としても、あまり芳しい結果を残すことは出来ないままだった。

そんな中、ライジングプロダクションが西内まりやに「初主演映画」として持って来た企画が、この『CUTIE HONEY -TEARS-』である。
様々な売り込みのアイデアが不発に終わって万策尽きたから窮余の策だったのか、それとも本気で「この企画ならイケる」という確信があったのか、事務所の思惑は分からない。
もしも後者だったとしたら、この仕事を持って来たマネージャーはゴーサインを出した事務所は完全にセンスが狂っている。

こんな映画で西内まりやの評価が上昇するとか、女優として認められるとか、そんなことは有り得ない。
それは企画の段階で、既に分かり切っていることだ。これが「無名のグラビアアイドルを売り込むための企画」ってことなら理解できるけど、そうじゃないんだから。
別に原作や永井豪をバカにしているわけではないけど、『キューティーハニー』の映画化という企画の時点で、かなり難しい。
2004年に公開された庵野秀明監督の同名映画が酷評を浴びて興行的に惨敗したこともあるし、「東映が配給する全国公開のメジャー映画」としては、かなり疑問符が付く企画だ。

それでも「荒唐無稽なボンクラ・アクション映画」として徹底的に振り切ってしまえば、カルト映画チックな方向で高く評価される可能性はある素材と言えるのだ。
ところが何を勘違いしたのか、製作サイドはクールでスタイリッシュなアクション映画として仕上げようとした。
作品における大きな魅力だった「お色気」という要素を、なぜか無造作に排除してしまった。
その結果として残ったのは、紀里谷和明の出来損ないみたいな映像や、チープな特殊視覚効果、使い古された設定を組み合わせただけなのに意味不明で説明不足な世界観、ユルユルのシナリオ、冴えないアクション、主演女優の稚拙な演技力、エトセトラ、エトセトラ。

まず最初に気になるのが、監督が2人ってことだ。
これが例えば「ずっとドラマを手掛けてきた人がアクション監督と手を組み、互いに得意分野を担当して補完し合う」という形であれば、共同監督で撮るのは理解できる。あるいは、ずっとコンビを組んで活動してきたのであれば、それも分かる。
しかし、似たようなジャンルで活動し、実写映画を撮った経験が無い新人が2人で担当するってのは、「1人に任せるのは心配だから2人を起用した」ってことにしか思えないのよね。
その段階で、もう不安一杯のスタートだ。

この映画は、漫画やアニメとは設定や内容が大きく異なっている。
敵は犯罪結社のパンサークローじゃないし、原作から引き継がれているキャラはハニーと如月と早見青児とジルだけ。青児はレジスタンスの一員になっているし、ジルはパンサークローの大幹部じゃなくて組織のボスになっている。
そもそもヒロインの名前からして、「如月ハニー」ではなく「如月瞳」にしている。
ストーリーも全く異なっているし、もはや『キューティーハニー』の名を借りた、全く別の作品と言ってもいいような状態だ。

特に引っ掛かるのがヒロインの名前を変更したことで、その意味は全く分からない。
「ハニーってのは現実離れしている名前だから」とでも判断したのか。でも作品の世界観が非現実的なんだし、そんなトコで妙な生真面目さを出しても何の得も無い。
大体さ、ヒロインの名前をハニーから瞳に変更してしまったら、なぜ変身後に「キューティーハニー」と名乗るのか、その理屈が通らなくなるでしょうに。
ジルが瞳を「キューティーハニー」と呼ぶシーンがあるけど、むしろ唐突で違和感が生じているぐらいだし。

『キューティーハニー』を映画化するのであれば、極端に言ってしまえば「ハニーフラッシュと叫んで変身する」「その時に服が脱げる」「変身したら名乗りを上げる」「普段から様々な衣装に着替え、それに応じた能力を発揮する」といったハニーの設定さえ大事にしていれば、オタクのファン層を掴むことは出来たかもしれないのだ。
ところが全く逆のベクトルを狙い、原作にあった魅力を全否定し、どこの観客層にも訴求力が無い企画にしているのだ。
もうね、何がしたいのかと言いたいよ。

一応、序盤の「ソドムに化けた瞳が戦う」というシーンでは、「一時的に裸になってからキューティーハニーの姿に変化する」という演出を用意している(もちろんホントに西内まりやがヌードを披露しているわけではないよ)。
しかし、お色気を意識したシーンではない。
建国パーティーのシーンでは、早見が瞳を露出度の高い格好で出席させるという仕掛けもある。
でも、たまに入るコメディー寄りの演出も含めて、そういうのを中途半端に盛り込んでも全体のテイストと融合せず邪魔になるだけだ。

とにかく断言できるのは、「何から何まで文句無しに酷い」ってことだ。
前述したボンクラな要素について、もう少し詳しく掘り下げよう。
例えば映像と世界観。「富裕層と下層階級の居住区が分割され、有害な下層階には有害な雨が降る」という既視感たっぷりの設定であり、そんなに詳しく説明しなくても「ああ、あれね」と多くの観客が脳内補完してくれるような世界観だ。
だが、見せ方が下手なので、それでも「説明不足」と感じさせてしまう。
おまけにディティールが粗いので、「なぜ如月は都市機能を管理させるために瞳を作ったのか」「なぜ瞳を逃がさなきゃいけない羽目になるようなジルを自ら作ったのか」「そもそも如月に研究をさせていたボスがいるだろうに、その人物は何をしているのか」など、色々と疑問が浮かぶ。

映像や世界観に関しては、たぶん両監督が自分の好きな映画、影響を受けた映画を真似したかったんだろう。
そして、自分たちでもこれぐらいは出来るんだぜってことを見せたかったんだろう。
だけど、『ブレードランナー』が好きでも、同じ規模の予算は貰えないわけで。なのに同じ景色を描こうとしても、そりゃ無理に決まっているでしょ。
予算に見合わない世界観をイメージし、それを実現しようとしてシオシオのパーになってしまうってのは、「映像ディレクター」の肩書きから映画の世界に足を踏み入れた人が陥りがちな失敗と言えるかもしれない。

ちょっと考えてもらいたいのは、スティーヴン・スピルバーグ監督が『ジョーズ』を作った時、あるいはジェームズ・キャメロン監督が『ターミネーター』を作った時、どうしたのかってことだ。
彼らは自分のイメージする映像を実現するのに予算が足りないと分かった時、身の丈に合わせるためのアイデアを、ちゃんと持ち込んだ。
愚かな理想を追い求めて、無残なことになるような失敗は犯さなかったのだ。
そういうセンスの有無が、映画の出来栄えを大きく左右するのだ。

シナリオ方面についても、幾つか具体例を。
早見が書いた記事について、編集長は「機械兵を素手で倒す救世主?作り話だろう」と告げる。
だが、その時点では「瞳が機械兵を素手で倒す」というシーンなど描かれていない。青児は「会ったことがある」と言うが、倒れている瞳を少年時代に見ただけだ。まだ敵が機械兵であることさえ説明していない。
そういう記事を書いていることを示すのであれば、「瞳が機械兵を素手で倒す様子を彼が目撃する」というシーンを用意すればいい。
しばらく経ってから「目撃した直後に瞳が起き上がり、ソドムから早見を救った」ということが明らかにされるが、それを隠しておく意味が全く無いのよ。

っていうか、そもそも「少年時代の早見が意識を失っている瞳を目撃して、それから時が経ち」という手順にしている意味が全く無い。それによって、「ジルは十数年も経たないと瞳を発見できないどころか手掛かりさえ掴めなかったのかよ。
っていうか瞳の方も、十数年間は何をやっていたのかと。如月が「逃げ続けろ」と言ったせいで、ホントに逃げ続けているだけなのよね。
「逃げ続けていた瞳が早見たちと出会い、協力して戦うことを決める」という展開に繋げているんだけど、そもそも「戦う気が無い」というトコからスタートさせていることの意味が無い。
彼女が戦いを拒否する理由は、ドラマとしての魅力に全く貢献しないモノだし。

ジルは救世主の記事を書いた青児の元へ赴き、その女について尋ねる。
だけど、そんな仕事までボスが自ら出向くのかよ。そんな用事は、手下に任せておけよ。
幹部クラスの奴はルキアしかいなくて、後はソドムと呼ばれる機械兵しか見当たらないんだよな。
都市を牛耳っているぐらい強大な力を持っている奴のはずなのに、どんだけ人員が少ないんだよ。
予算の都合があったとしても、「顔が見える何人かの幹部」を配置するぐらいのことは出来ただろ。

轟夫婦が殺されるシーンを描かないという大胆な構成には、ある意味で驚かされた。 「それを知った瞳がアンドロイドなのに涙を見せる」という重要な意味を持つシーンなのに、それを見せないセンスって何なのか。そもそも、「瞳か知らない場所で殺されている」という設定の時点で大きなマイナスだと思うぐらいなのに。
っていうかさ、「アンドロイドだから涙も見せない」と言われた直後に泣く様子を見せているけど、そもそも瞳は轟夫婦の前で笑顔を見せているわけで。
それが仮に作り笑顔だったとしても、既に表情の変化を見せちているので、「轟夫婦の死を知らされ、初めて感情を表現する」という仕掛けが成立しなくなっているよ。
その後には「早見の話を聞いた瞳が笑顔を見せる」というシーンもあるけど、これも「瞳が初めて笑顔を見せる」という出来事じゃなくなっているし。

早見がAIを止めるために考えた作戦は、「瞳を建国パーティーの会場へ行かせてジルの目を引き付け、その間にサーバールームへ潜入 してウイルスを仕込む」という内容だ。で、瞳は会場へ行き、ファッションショーのモデルとしてステージに立つ。
そういうことだけを書くと「いきなり来た奴がモデルとしてショーに参加するって、どういうことだよ」とツッコミを入れたくかもしれないが、それどころじゃないぐらいデタラメだ。
ジルの目を引き付ける方法が、それなのかと。
大体、ジルが瞳に注目したとしても、ソドムは他の場所も警備しているんだし、すんげえバカな作戦にしか思えんよ。っていうか、もっと他に利口な方法は幾らでもあっただろ。

最後に、出演者の演技力とアクションについて。
瞳はアンドロイドなので、そんなに多くの感情を表現するわけではない。その分だけ芝居の負担が低いと思うかもしれないが、そうでもないのよね。
これが「完全に無感情のアンドロイド」ってことなら楽だけど、一応は感情を持っている設定なので、むしろ普通の女の子より難しいんじゃないか。
あと、西内まりやだけじゃなくて石田ニコルも、ちょっと厳しいことになっている。
ただ、実は演技力の問題って、作品の内容やテイストによっては必要性が薄くなるのよね。これが明るく楽しくおバカなアクション映画だったら、例え演技が稚拙でも許容できた可能性は充分に考えられるのだ。

アクションに関しては、西内まりやにしろ石田ニコルにしろ、そういう訓練を積んで来たタレントではないので、もちろん動きの質には 全く期待できない。撮影前に少しぐらいは特訓したかもしれないが、付け焼刃で何とかなるような問題ではない。
なので、「カット割りを細かくして誤魔化す」という方法を取っている。それはアクションの出来ない役者にアクションシーンを演じさせる場合、良く使われる方法だ。
だから考え方としては決して間違っちゃいないんだけど、まあ誤魔化し切れていないわな。
これは演者の問題というより、撮り方の問題だろう。横山誠がアクションコーディネーターを担当しているから、殺陣に問題があるとは考えにくい。
っていうか共同監督制を採用するなら、1人は横山誠にすれば良かったでしょうに。

(観賞日:2018年2月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会