『カーテンコール』:2004、日本

東京の出版社で契約記者として働く橋本香織は、菅野大臣と清純派女優である白川美咲の不倫をスクープしようと2ヶ月間も張り込んでいた。2人のキス写真を撮ることに成功した彼女は、恋人である山崎編集長に報告した。山崎は話を聞き、「おめでとう。これで正社員に推薦できる」と告げた。しかし美咲が自殺未遂事件を起こしたことで、香織は謹慎処分を言い渡される。コピー取りの日々が続く香織に、山崎は福岡へ行くよう持ち掛けた。大学の先輩がタウン誌をやっているので、そこで働かないかと彼は告げる。「必ず戻って来られる」と彼に言われ、香織は異動の話を承諾した。
香織はは「懐かしマイブーム」読者投稿コーナーに送られてきた一枚の葉書を読み、興味を抱いた。そこには、「昭和30年代の終わりから40年代中頃まで、映画の幕間にギターを弾いたり歌を歌ったりして観客を喜ばせる芸人がいました」と記されていた。その幕間芸人は下関の「みなと劇場」で働いていたらしい。香織は編集長に承諾を得て、取材を開始した。みなと劇場を訪れた香織は、モギリの宮部絹代に支配人を呼んでもらう。しかし40年近く前のことであり、10年前に父の跡を継いだ支配人は芸人のことを詳しく覚えていなかった。
当時から働いている絹代は、安川修平という幕間芸人について良く覚えていた。映画が終わって舞台に立つと、観客が喝采を浴びせるほどの人気だったと彼女は話した。修平が映画館へ来たのは、昭和36年の秋頃だった。社員募集の貼り紙を見た修平は、正式な社員にならず、ガリ版刷りのビラを作って近所に配った。それだけでなく、場内整理や掃除など様々な仕事を積極的に引き受けた。翌年の春、ある事件が起きた。『座頭市物語』の上映中に、フィルムが切れてしまったのだ。
観客の怒声が飛び交う中、支配人の福田と映写技師のタケさんがフィルムを直そうとする。修平は絹代に効果音を出してもらい、舞台に出て座頭市の形態模写を披露した。さらにダジャレも口にすると、観客は拍手を送った。それ以来、修平はギター漫談の芸人として舞台に立つようになり、お盆の興行ではプログラムに名前が掲載された。1年が経った頃には立派なスターとなった修平だが、ビラ配りなどの地味な仕事も続けていた。
当時のみなと劇場には2番館が存在し、映画の上映が終わるとフィルムを運ぶ必要があった。修平は自転車でフィルムを運び、町の人々に笑顔で挨拶した。いつも笑顔の修平だったが、時に寂しい表情を浮かべることもあった。ある時、修平は観客として映画館に来たOLの良江と知り合い、恋に落ちた。ロビーでのデートが続き、やがて2人は映画館で結婚式を挙げた。2年後の昭和40年、修平と良江の間に長女の美里が誕生した。良江は勤めを辞め、修平は良江を連れて舞台に立つこともあった。しかし映画は斜陽の時期に突入しており、観客の数は減少の一歩を辿っていた。
修平は良江に、違う仕事を考えていると話す。良江は「アンタにこの仕事辞めたら何が出来る?映画が好きなんやろ」と言い、町工場の仕事で家計を手伝った。しかし昭和43年の暮れ、福田は修平を呼び、入場者数が減っているので2番館を閉鎖すること、経費削減として辞めてほしいことを話した。話を聞いた良江は福田に頭を下げ、修平を舞台に出してほしいと頼む。福田は承諾し、修平は給料が出ない中でも舞台に立ち続ける。しかし入場者数は減り続け、1年ほど経つと福田は改めて修平に辞めてほしいと告げた。お別れ舞台の日は昔からの馴染み客が集まり、久しぶりに映画館は大入りとなった。修平は良江を舞台に上げて観客に紹介し、万雷の拍手を浴びた。
絹代の話を聞き終えて映画館を後にした香織は、父の達也に「大学を卒業したら、下関に帰るって約束やったんやないのか。母さんの具合もあまり良うないんや。東京で、フリーターなんかでやっていけるんか」と言われたことを思い出した。香織は達也に電話を掛け、「2、3日、泊めて下さい」と頼む。実家に戻った彼女は、母の遺影に手を合わせた。香織は達也に、みなと劇場の幕間芸人のことを尋ねる。すると達也は、会社で聞いてみると告げた。
翌日、香織は長府へ出向いて修平と家族について調べるが、何も情報は得られなかった。香織は支配人に電話を掛け、「お母様に聞いて頂けたでしょうか」と尋ねた。すると支配人は、ボケが始まっているので「日本人がどうの、朝鮮人がどうの」と言うだけで要領を得ないと語る。話を聞いた達也は、修平と美里は在日朝鮮人ではないのかと告げる。香織は民団の職員である崔と会い、その推理が当たっていたことを知る。美里は安美里という名前で、現在は宋義徳という男と結婚して焼肉店を営んでいた。香織は崔に、中学時代の同級生で在日朝鮮人の金田信哲について尋ねる。すると崔は、金田が民団の仕事をしていることを香織に教えた。
香織は焼肉店を訪れ、修平に関する取材を美里に要請した。すると美里は、良江の父親が結婚に反対していたこと、自分が生まれてからも一度も会いに来なかったことを語る。修平は済洲嶋で生まれ、幼い頃に来日したが早くに両親を亡くしていた。病気を患っていた良江が亡くなった後、美里は大分にある母方の実家へ預けられた。しかし10歳の時に祖父が死去したため、再び下関へ出て父と暮らし始めた。修平はキャバレーでギター漫談の仕事を続けていたが、客には受けなかった。月に数回の仕事も、あっという間に無くなった。
小学校を卒業した直後、修平は「しばらく仕事で留守にするけ。お金は毎月、心配せんでも送るけ。おまえがええ子にしとったら、すぐに迎えに来るけ」と告げる。その言葉を信じた美里だが、中学に入ると6月には送金が無くなり、保護施設で暮らすようになった。それで美里は、いつか父が迎えに来てくれると信じ続けた。美里が17歳になった時、修平からの手紙が届いた。手紙には美里を捨てねばならなくなった言い訳と、韓国の従兄に誘われたので一緒に連れて行きたいという旨が綴られていた。
香織は再び絹代を訪ね、お盆の興行で劇場が閉館することを知らされた。翌日、香織は美里の元へ行き、修平の手紙を見せてもらう。彼女が「本当は今でもお父さんに会いたいんじゃないですか」と問い掛けると、美里は否定して「ウチがどんだけ苦労したか、あの人には分からんと思う」と告げた。香織は金田から連絡を貰い、宋に相談されたことを聞かされる。香織が金田に会いに行くと、宋が待っていた。宋は修平に会ったことを告白し、それは良江の33回忌だったと言う。
美里は子供の病気が重なったため、宋は1人で大分の墓地へ出向いた。すると修平がいたので宋は声を掛け、今でも韓国でギターを使った仕事をしていること、20年ぶりに来日したことを聞いた。宋は美里に会ってほしいと言うが、「どのツラ下げて会えますか」と遠慮して立ち去った。宋は美里が父に会いたがっているのだろうと推測しており、タウン誌に葉書を出したのは自分だと打ち明けた。香織は修平を捜すため、済洲島へ向かった…。

脚本・監督は佐々部清、原案は秋田光彦、プロデューサーは臼井正明、撮影は坂江正明、美術は若松孝市、照明は守利賢一、録音は瀬川徹夫、編集は青山昌文、音楽は藤原いくろう。
出演は伊藤歩、藤井隆、鶴田真由、夏八木勲、藤村志保、井上尭之、奥貫薫、津田寛治、橋龍吾、田山涼成、粟田麗、伊原剛志、黒田福美、福本清三、田村三郎、水谷妃里、小川楓雅、永井杏、崔哲浩、長谷川友子、原田佳奈、三坂知絵子、上瀧征宏、森康郎、植田禎俊、小清水一揮、長沢一樹、松本じゅん、ANNA、佐藤草、井上雪彦、若林麻衣子、冨永洋一、水津勉、藤城洋一、森下まゆみ、深田仁、申徹也ら。


映画プロデューサーの育成を目的とした日本映画エンジェル大賞(既に終了)で、第2回の大賞を受賞した企画の映画化作品。
臼井正明プロデューサーが佐々部監督らと共に設立した株式会社シネムーブの第一回作品。
原案を担当した秋田光彦は、浄土宗大蓮寺の住職。
監督&脚本は『半落ち』『チルソクの夏』の佐々部清。
香織を伊藤歩、修平を藤井隆、美里を鶴田真由、達也を夏八木勲、現在の絹代を藤村志保、現在の修平を井上尭之、良江を奥貫薫、義徳を津田寛治、金田を橋龍吾が演じている。

冒頭、香織はスクープをモノにするが、その標的となった女優が自殺未遂事件を起こして謹慎処分を食らう。
だが、香織は女優が自殺未遂事件を起こしたことについて、罪悪感や責任感を抱いている様子など全く無い。福岡へ異動した後、心情に変化が訪れて「あの時の自分は間違っていた」と思うといった展開も無い。
ようするに、冒頭のエピソードは「ヒロインが福岡のタウン誌で働き始める」という状況を作るためだけに用意されているのだ。
だったら、まるで要らないよね。最初から福岡のタウン誌で働いている設定でもいいし、福岡で仕事をクビになってタウン誌に拾われたという形でもいいでしょ。

香織が編集長から福岡へ行くよう促されるシーンの後、カットが切り替わると、もう彼女がタウン誌で働いている様子が描かれる。つまり、勤務初日のシーンは無くて、「もうタウン誌の一員になってから、しばらく経ちまして」という状態なのだ。
そういう構成にするなら、ますます「東京の出版社にいたけど、福岡で働くように」という手順なんて要らないでしょ。
彼女は葉書で幕間芸人のことを知り、興味を抱いて取材を始めるんだけど、ってことは「田舎へ飛ばされて退屈な記事ばかりなので辟易する」といった気持ちが全く無かったわけだ。最初から、タウン誌の仕事に前向きな気持ちで取り組んでいたわけだ。
そうなると、やっぱり「東京の出版社からから福岡のタウン誌へ異動して」という手順は要らないでしょ。

「東京から福岡へ」という手順を全て排除したとしても、まだ導入部には違和感が残る。
それは、「香織が幕間芸人に興味を抱いて取材を志願する」という部分。
葉書には「世知辛い世の中にもう一度、あのような至福の時間を過ごせたらと思い、ペンを取りました」と書いてあるけど、ぶっちゃけ、そんなに心に響くような文面ではないのよ。
香織は編集長から「今時の若い子に受けるかしら?」と言われると「若い子こそが古風なハートを持ってるんですよ」と告げるけど、本人は何に心を惹かれたのか。葉書の文面で彼女に刺さった部分が何なのか、それがサッパリ分からないのである。
だったら、いっそのこと「編集長から指示され、本人は乗り気じゃないけど取材を始める」という形にでもしておいた方が、よっぽどスムーズな入り方じゃないかと。どうせ後から「最初は乗り気じゃなかったけど、取材を進める中でどんどん興味を抱いて」というドラマは幾らでも作れるんだし。

修平が座頭市の形態模写を披露すると、それまで怒っていた観客にバカ受けする。
だけど残念ながら、こっちからしてみれば全く面白くないのだ。それは、形態模写という芸が現代的じゃないとか、座頭市の物真似が古いとか、そういう問題ではない。単純に、形態模写としてのレベルが低いのだ。
ハッキリ言って、せいぜい「中学校でクラスメイトに受けるレベルの物真似」でしかない。
「ちょっとお待ち、お待ち、天知茂」と言って笑ったら観客から万雷の拍手が来るってのも、無理があり過ぎるだろ。みなと劇場の観客は、それぐらい笑いに飢えていたのか。幾ら昭和30年代だからって、笑いのレベルが低すぎるだろ。

その後の修平は「ギター漫談」という形で舞台に出るのだが、普通にギターで映画の主題歌を歌うだけなので、それで観客から大人気のスターになるってのがサッパリ理解できない。
しかも「ギター漫談」と言ってるけど、漫談なんて全くやらないし。
劇中では「時代の変化や観客の減少に伴い、修平の芸が必要とされなくなった」という形にしてあるけど、そういう筋書きに乗れないのよ。
だって、そもそも彼の芸が観客に受ける理由が、サッパリ分からないんだからさ。

ただし、修平がスターに全く見えないのは、藤井隆の芸人としての能力だけに問題があるわけではない。
形態模写に関しては彼にも責任の一端があるけど、基本的には見せ方が悪いのだ。
修平にスターとしての輝きを感じさせるための工夫が、何も用意されていない。どういうわけか、そこを全て藤井隆の力に頼っているのだ。
そりゃあ藤井隆はお笑い芸人だし、歌手活動もしているけど、「オーラやカリスマ性」を全て委ねてもいいほどの人物ってわけではないでしょ。

現在の美里が、キャバレーで全く受けなくなった修平について「所詮はアマチュアの芸だったんよ」と評するシーンがある。
でも、ホントに最初から「所詮はアマチュアの芸」に見えちゃダメでしょ。
そうじゃなくて、「映画館で観客に受けるのも納得できる」という芸じゃないとマズいのよ。でも、それが時代の変化に伴って「古い芸」と見られるようになり、観客に受けなくなるという形に見えなきゃダメなのよ。
それを考えると、そもそも芸の中でも「笑いを取る芸」に設定したのが失敗じゃないかと。
映画で「笑いの芸」を表現するのって、至難の業だからね。

絹代は香織に修平のことを話す中で、やたらと当時の出来事を挟んで来る。
例えば修平が映画館へ来たのは昭和36年の秋頃だと話す時は、「確か大鵬と柏戸が一緒に横綱になった時や」と補足する。美里が誕生した昭和40年のことを話す時は、『東京オリンピック』が大ヒットしたことに触れる。修平の舞台が廃止された昭和43年の暮れについて話す時は、「3億円事件があったやろ。その事件があった翌日」と説明する。
そりゃあ、当時の世相や風俗を盛り込むのは、過去の時代を描く映画では大きな要素となるよ。
だけど、それは描写として持ち込からこそ意味があるわけで、台詞によって説明するのは不細工なだけだぞ。

香織が絹代から話を聞き終えた後、「父親との関係」という要素が入って来る。これがメインの筋書きと上手く絡んでいない。
ドラマを厚くするために複数の要素を使うのは常套手段だし、それが悪いとは言わない。でも、ちゃんと使いこなせなかったら、ただの邪魔な要素になってしまう。
この映画の場合、残念ながら余計な要素でしかない。
たぶん修平と美里の関係を、香織と達也の関係に重ね合わせる狙いがあったんだろうとは思うのよ。でも結果的には、まるで重なっていないのでね。
何しろ香織と達也(&死んだ母親)の関係描写なんて、申し訳程度のペラッペラなんだから。

もっと厄介なのは、「在日朝鮮人」という要素が入って来ることだ。
そこに絡んで「人種差別」という方向で話を進めることが、映画のピントを完全にボケさせてしまった。
どう考えたって、そんな要素は排除して話を構築すべきだわ。
佐々部監督は『チルソクの夏』でも朝鮮人差別を扱っているので、少なくとも当時は、そういう問題に強い関心があったんだろう。
だけど、それを持ち込むことが、映画のバランスを壊しているのよ。

「香織は中学時代に金田から告白されたけど、相手が在日だから怖くなって断った。それを今になって謝罪する」というシーンもあるけど、「だから何なのか」と言いたくなるし。そんなの、まるで要らない要素だわ。
在日に関連する部分で厚みを付けたかったんだろうけど、話を散らかしているだけだよ。
しかも、「滲み出るように」とか「サラッと自然に」という形じゃなくて、やたらと「差別が、差別が」と声高に台詞でアピールさせているので、「うるせえよ」と言いたくなる。
そりゃ差別は良くないことだけど、この映画で「差別、ダメ、ゼッタイ」と無闇に訴えるのが褒められた行為だとは到底思えんよ。

そもそも、修平が在日のせいで理不尽な差別を受けている様子なんて、まるで描かれていないのよ。
彼が芸人として食えなくなったのは、在日朝鮮人だからではない。みなと劇場で正式な社員にならなかったのは在日だったからじゃないかと美里は推測しているが、でも充分な給料は貰っていたし、差別されている様子も無かった。
良江の父親が結婚に反対していたことが美里の口から語られるけど、そのせいで結婚できなかったわけではない。
それに相手が幕間芸人だったら、在日じゃなくても反対される可能性は大きいでしょ。

美里は惨めな子供時代を過ごしているが、これも在日朝鮮人差別のせいではない。全ては修平が姿を消し、金を送らなくなったせいなのだ。
そして修平が失踪し、金を送らなくなったのは、在日朝鮮人差別のせいではない。単純に、彼が父親失格というだけだ。
修平と美里の関係が断絶された事情に「在日朝鮮人への差別」ってのが何の関係も無いのであれば、やたらと「差別が云々」と訴えるのは御門違いというモノだろう。
っていうか、そこに差別問題が絡まないのなら、最初から在日の要素なんて持ち込まなきゃいいのよ。

(観賞日:2017年6月1日)

 

*ポンコツ映画愛護協会