『クリーピー 偽りの隣人』:2016、日本

警視庁捜査一課の高倉幸一は、連続殺人犯の松岡を事情聴取した。「どうせやるなら楽しいことをしたい」と語る松岡に、彼は「犯罪でもいいってこと?」と質問した。すると松岡は軽い調子で、「やってもいいことと悪いことの区別ぐらい付きますよ。俺には俺のモラルがあります」と述べた。松岡は検察へ引き渡されることになるが、貴重なサンプルだと感じた高倉は部下の野上に「もっと話したい」と言う。松岡は警官を殺して取調室から脱走し、女性にフォークを突き付けて人質にした。高倉は絶対に襲われないと確信し、松岡に無防備な姿をさらして説得しようとする。しかし松岡は高倉を突き刺して「どうですか、俺のモラル」と笑い、女性を殺害した。刑事たちが発砲し、松岡は射殺された。
1年後、高倉は警視庁を辞め、一軒家を購入して妻の康子、愛犬のマックスと引っ越した。高倉と康子はチョコレートを持って、両隣の家へ挨拶に赴いた。最初に田中という女性の家を訪ねるが、無愛想に「面倒だから、こういう付き合いはしていない」と拒絶された。奥から老女の呻き声がすると、田中は寝たきりの母親を介護しているのだと説明した。もう一軒の西野家を訪ねた高倉と康子だが、インターホンを押しても応答が無いので、2人は立ち去った。
高倉は警視庁を辞めた後、東洛大学で犯罪心理学の講師として働いていた。彼は講義が終わった後、助手の大川が犯罪事件の分類をしていることを知る。6年前に発生して未解決となっている日野市一家失踪事件に、高倉は興味を示した。その事件では両親と長男が失踪し、1人だけ残された長女の本多早紀は言うことが何度も変わるので証言能力が無いと判断されていた。大川は高倉に、本多家へ行ってみようと持ち掛けた。康子は一人で西野家を訪ね、主人の西野雅之に会った。西野の異様な対応に、彼女は強烈な不快感を抱いた。高倉は本多家を訪れるが、中には入らず立ち去った。
帰宅した高倉は、康子から西野について「私が言ったことに全然答えてくれない変人だった」と聞かされる。高倉は「凶悪犯は近所には感じのいい人だっていう場合が多いから、そういう意味では安心かな」と告げる。数日後、高倉が日野市一家失踪事件の現場へ行ったことを知って、野上が東洛大学へ現れた。高倉は早紀に会わないかと持ち掛け、警察は事件から手を引いたので自分は任意同行できないのだと説明した。すると高倉は、「その前にもう一度、現場へ行ってみないか。あそこは明らかに怪しい」と述べた。
康子が目を離した隙にマックスが西野へ飛び掛かったので、彼女は止めに入って謝罪した。西野は前回の態度を詫び、周囲は近所付き合いが無いので同じような対応をしてしまったのだと弁明した。澪が下校したので康子は挨拶を交わし、西野に「今度は奥様も是非」と告げる。すると西野は急に険しい表情を浮かべ、「それ、どういう意味です?」と問い掛けた。高倉が野上と共に現場を再訪すると、早紀の姿があった。高倉が「何か助けが必要なら相談に乗ります」と告げると、彼女は逃げるように走り去った。
高倉が家へ向かっていると、西野が来て「貴方の奥さんに家のことを根掘り葉掘り訊かれて迷惑している」と抗議された。謝罪した高倉は帰宅した後、西野について「酷い人だな」と康子の前で苛立ちを示した。高倉は早紀から連絡を受け、彼女が祖母と暮らすアパートを訪問した。早紀は家族が失踪する前後の記憶がハッキリしないこと、最近になって断片的なイメージが蘇るようになったこと、それが真実かどうかは分からないことを語った。
康子はシチューの余りを鍋に入れ、西野の家へ赴いた。すると西野は妻に会うよう勧め、家に招き入れた。澪は西野から康子を母に紹介する考えを聞かされると、無言のまま奥へ引っ込んだ。不気味に感じた康子は、西野の妻に会うことを遠慮して立ち去った。すると西野は追い掛けて来て、妻が鬱病で自分には手に負えないので会ってほしいと頼んだ。高倉は早紀を大学へ連れて行き、野上が同席する中で話を聞く。早紀は事件の直前に母が誰かに怯えていたのではないか、父と兄も同じ男と接触していたのではないかと語り、自分も狙われていたが3日前から修学旅行に行ったので助かったのだろうと述べた。早紀は高倉の無神経な詰問を受け、「高倉さんも同じなんですね。人の心を、まるで実験材料みたいに」と口にした。
高倉が帰宅すると、西野と澪が来ていた。康子は高倉に、澪に料理を教えることになったと説明した。夕食を一緒に取った高倉は、西野に職業を尋ねる。西野は「協会の理事で株式を取り扱っている」と言うが、詳細は話そうとしなかった。早紀は高倉が確信した通り、また話をするために大学へやって来た。彼女は最後に家族と会った時、3人が喋るのを聞いていた。その時、家族は早紀が修学旅行で家を空けることを「ちょうどいい」と話していたらしい。早紀は事件の前、男が隣家の庭に立っているのを見たことがあると語る。隣家には水田という夫妻が住んでいたが、今は空き家になっている。早紀は付き合いが無く、水田という名前も記憶に無いと告げる。
高倉は帰りの電車で西野と遭遇し、10年前は出版社で勤めていたこと、その関係で洛大学の理事と今でも付き合いがあることを聞かされた。野上は旧水田家を調べ、押し入れに入っていた5つの遺体を発見した。康子は姿が見えなくなったマックスを捜索に行き、公園で西野と一緒にいるのを見つけた。西野は街で見つけて保護したと言い、康子は礼を述べて去ろうとする。西野は彼女に近付き、「康子さんって呼んでいいですか。康子さんも、もっと自由に走り回りましょうよ。ご主人と僕と、どっちが魅力的ですか」と述べた。
野上は事件の3年前から水田が出社していなかったことを突き止め、高倉に「隣に住んでいたのは別人ではないか」という推理を語った。家に帰ろうとした高倉は、澪から「あの人、お父さんじゃないです。全然知らない人です」と告げられた。高倉は詳細を尋ねようとするが、澪は走り去ってしまった。その夜、康子が居間を出て階段で電話を掛けていたので、高倉は相手が誰なのか質問した。すると康子は急にヒステリックな態度を取り、「いちいち言わなきゃいけない?」と喚き散らした。
次の日、高倉は野上に電話を入れ、西野について調べてほしいと要請した。彼は田中に西野のことを訪ね、「付き合いが無いので知らないが、人の心を持っていない鬼だ」という批評を聞かされた。野上は水田の職業も協会理事だと知り、西野の家を訪れた。応対に出た西野の顔を見た彼は、自動車免許証の写真とは別人だと気付いた。西野は「ちょっと待って下さいね」と言って奥へ引っ込み、なかなか戻ってこなかった。野上が家に上がって奥へ進むと、金属製の重い扉があった。
高倉が屋外で考え事をしていると、田中家で爆発が発生する。高倉は炎上する家から田中を救出しようとするが、再び爆発が起きたので近付けなかった。ふと視線を移した彼は、西野がテレビを見て全く家から出てこようとしないのを確認した。野上の上司である谷本は高倉を訪ね、康子には席を外すよう頼んだ。谷本は高倉に、田中家から母子と野上の遺体が発見されたことを伝えた。すぐに高倉は西野の仕業だと確信するが、谷本は真剣に受け止めようとしなかった。
高倉は早紀の元へ行き、西野の写真を見せて「水田じゃないか」と質問する。早紀が否定すると、高倉は「そんなはずはない」と執拗に詰め寄った。早紀は「それでも人間ですか」と彼を非難し、アパートへ引っ込んだ。康子は外で西野と会うが、立ち去ろうとする。西野は「握手していいですか」と呼び止め、彼女の腕を握りながら「絶対にウチへ来てください」と告げた。西野は澪の母である多恵子を金属扉の部屋に監禁しており、彼女の夫と長男は既に死亡していた。彼は遺体の処理と多恵子への薬物注射を、澪に任せていた。
高倉は一時帰宅するが、康子に「ちょっと出掛けて来る」と言って早々に外出した。康子の腕には注射痕が幾つもあったが、高倉は全く気付いていなかった。西野は多恵子にナイフで襲われるが、反撃して殴り倒した。彼は澪を怒鳴り付け、拳銃を渡して母親の射殺を命じた。澪が躊躇していると、西野は多恵子を射殺して遺体の始末を指示した。澪が「1人じゃ出来ない」と言うと、西野は康子を呼び付けて手伝うよう指示した…。

監督は黒沢清、原作は前川裕(『クリーピー』光文社文庫刊)、脚本は黒沢清&池田千尋、製作総指揮は大角正、製作は高橋敏弘&木下直哉&長澤修一&丹下伸彦&市村友一&高橋誠、エグゼクティブプロデューサーは黒田康太、プロデューサーは深澤宏&住田節子&赤城聡&石田聡子、撮影は芦澤明子、照明は永田英則、美術は安宅紀史、録音は島津未来介、編集は高橋幸一、音楽プロデューサーは高石真美、音楽は羽深由理。
出演は西島秀俊、竹内結子、香川照之、東出昌大、川口春奈、藤野涼子、笹野高史、戸田昌宏、馬場徹、最所美咲、池田道枝、佐藤直子、齋賀正和、柳生拓哉、久保勝史、原田翔平、井上康、小林博、大谷智子、辻本瑞貴、筒井巧ら。


第15回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した前川裕の小説『クリーピー』を基にした作品。
監督は『リアル〜完全なる首長竜の日〜』『岸辺の旅』の黒沢清。
脚本は黒沢監督と『東京の日』の池田千尋による共同。
高倉を西島秀俊、康子を竹内結子、西野を香川照之、野上を東出昌大、早紀を川口春奈、澪を藤野涼子、谷本を笹野高史、大川を戸田昌宏、松岡を馬場徹、多恵子を最所美咲、早紀の祖母を池田道枝、田中を佐藤直子が演じている。

この映画で圧倒的な存在感を見せているのは間違いなく香川照之で、彼のための映画と言ってもいいぐらいだ。
ただ、香川照之は怪演しているけど、ある意味では「いかにも香川照之がやりそうな役柄を、いかにも彼らしいアプローチで演じている」というだけで、言ってみりゃ通常運転なんだよね。
むしろ西島秀俊に西野を演じさせた方が、意外性があって面白かったんじゃないかと思ったりもする。
まあ本作品の芝居を見る限り、彼に西野を上手く演じ切れるかどうかは分からないけど。

オープニングシーンから、警察の無能ぶりが堂々と描かれる。
なぜ凶悪犯の松岡を、たった1人の警官が取調室で監視しているのか。なぜ取調室にいた松岡が、簡単に凶器を手に出来ているのか。
松岡がいたのは、天下の警視庁の取調室なんでしょ。そして松岡は連続殺人犯なんだから、警視庁はいかに危険な人物なのか把握しているはずでしょ。
それにしては、あまりにも警戒が杜撰だ。
松岡が逃げ出して女性を殺したのは、彼が狡猾なのではなく、警察がボンクラすぎるだけだ。

あと、松岡による殺人が行われる冒頭シーンって、実は「高倉が刑事を辞めて転職する」というきっかけに使われているだけで、ほとんど意味が無いんだよね。
高倉が殺された女性への罪悪感に悩み続けることも無いし、その遺族が後の展開に絡んでくることも無い。松岡は射殺されるから、その後の展開には全く関わって来ないし。
なので全体の構成を考えた時、ギクシャク感が強い。
どうやら原作とは設定を変更しているようだが、それが完全に裏目に出たと言わざるを得ない。

そもそも、高倉を「刑事だったけど辞めて大学講師に転職」というキャラ設定に改変する必要性って、全く無いんじゃないか。松岡の事件から入る必要性も感じないし、むしろ高倉を「元刑事」に設定したことで、マイナスが生じている。
1年前まで刑事だった上に専門がサイコパスのはずなのに、自分の近くで起きている異変に対して無能すぎるでしょ。松岡の時は「貴重なサンプル」と刑事の領分を超えて興味津々だったのに、西野に対する感覚が鈍感すぎるでしょ。
松岡の一件があったのに、そこから全く学習していないってのも引っ掛かる。
つまり冒頭シーンの改変は、あまりにもマイナスが多すぎるってことだ。

高倉と康子は挨拶回りに行った際、「隣人が変だ、異様だ」と感じる。そこに観客も同調するように作っているはずだ。つまり裏を返せば、高倉と康子、少なくとも康子は「ごく普通の主婦、平凡な主婦」に見えなきゃいけないはずだ。
それを考えると、「挨拶の品が手作りチョコ」ってのは、ホントにそれでいいのかと言いたくなってしまう。
そりゃあ引っ越しの挨拶回りに何を持って行くかは人によって違うだろうけど、手作りチョコってのは「変な奴」の部類に入ると思うぞ。
細かいことかもしれないけど、そういうトコで無意味に引っ掛かりを持たせる意味は無いわけで。手作りチョコが重要なアイテムとして使われるならともかく、そうでもないんだし。

野上が大学に来ると、高倉は「良くここが分かったな」と言う。
そりゃあ野上は警視庁の刑事なんだから、すぐに分かるだろ。
高倉は携帯を変えて連絡を断っていたらしいけど、そんなの何の意味も無い。自分も元刑事なんだから、その気になれば簡単に自分の仕事場を野上が突き止められることぐらい分かるだろ。
なので、その台詞は、どう考えても変だ。
細かいことかもしれないけど、そういう些細なトコにも黒沢監督の雑な意識が透けて見える。

野上は高倉に、警察が早紀の証言を丁寧に取ろうとしなかったこと、日野市一家失踪事件から手を引いていることを話す。そこの設定については、「実際の警察も、そのぐらいのボンクラぶりは平気で見せるよね」ってことで理解できる。
それじゃホントはダメなんだけど、残念ながら日本の警察が優秀とは言えない。「面倒なことに首を突っ込みたがらない」「ややこしい事件は未解決で済ませる」という部分においては、日本の警察は無能だ。
ただ、それ以外の部分でも劇中の警察は無能っぷりを露呈しており、「そこは幾ら何でも」と言いたくなるような描写の連続だ。
谷本も西野が危険人物だと理解したはずなのに、単独で彼の家へ乗り込むし。

澪は最初に登場した時、西野に怯える様子は皆無で笑顔を見せ、マックスと楽しく遊んでいる。ちっとも洗脳しているようには見えない。
もちろん、その時点で西野に洗脳されていることがバレバレになってしまったら、ミステリーとしては大失敗だ。しかし、真実が明らかになった時、振り返ってみて整合性が取れなくなるのは、もっとダメでしょ。
あと、初登場時は笑顔だった澪が、西野から「康子を妻に紹介する」と言われた時は怯えたような様子を示したり、高倉に「あの人はお父さんじゃない」とだけ言って走り去ったりするのは、どういうことなのかと言いたくなる。
その場その場で、コロコロと態度が変化しているようにしか思えない。

怪奇現象を描くようなホラーなら、ある程度の理不尽さや説明の足りなさは恐怖に繋がることもあるだろう。しかしミステリーやサイコ・サスペンスの場合、それだと困るのだ。
だが、黒沢監督は「その場その場でゾッとさせる」ってことだけに意識を傾けており、ミステリーとしての破綻なんて屁とも思っちゃいない。
その辺りの感覚は、良くも悪くも全くブレていない。悪く言えば、まるで成長していない。
だけど、黒沢監督がどういうセンスの持ち主なのかは、フィルモグラフィーを見れば一目瞭然なわけで。
なので、ミステリーを任せた時点で、明らかな間違いなのだ。

康子は西野に不快感を抱いたはずなのに、なぜシチューの余りを持って再び訪れるのか。その心情は、まるで理解できない。そこまで無理をして、西野との近所付き合いに対して積極的なのは、どういうことなのか。
しかも、なぜか西野の方だけで、田中に対しては同じ態度を示さないし。
彼女の行動が不自然さに満ち溢れていて、そのせいで西野に洗脳される以前から別の意味で変な奴になっている。
そこは「ごく普通の主婦が西野の毒牙に」って形じゃないとマズいんじゃないのか。

高倉は大学を訪れた野上に「犯罪心理学をちゃんと身に付けている刑事は自分が知る限り、高倉さんしかいません」と言われた時、「それがあの失態を引き起こしたんだ」と声を荒らげる。
そこだけを取れば、「松岡の一件で女性を死なせたことを今でも引きずっている」と思うかもしれない。しかし彼は、早紀から話を聞いた時に「面白い」という言葉を平気で使う。早紀が困っていても、平気で詰め寄るように質問を繰り返す。
ようするに、何も反省しちゃいないのだ。
実際、早紀から「高倉さんも同じなんですね。人の心を、まるで実験材料みたいに」と指摘されても表面的に謝罪するだけで、まるで気にしちゃいないし。
ひょっとすると「高倉と西野はコインの表と裏」みたいなことを狙ったのかもしれないが、そうだとしても消化不良。

西野は殺人や遺体の処理を全て他人に任せ、本人の解釈として「犯罪者になる」ってことを避けようとしている。そのくせ、澪が母親の殺害を躊躇していると、迷わずに自ら射殺している。
それはキャラの行動に一貫性が無いんじゃないか。「それも含めてサイコパス」ってことだとしたら、もはや何でも有りの世界になってしまう。
あと、西野が拳銃を所持しているのも、都合が良すぎやしないか。それまで策略を凝らして狡猾に犯罪を繰り返してきた奴なのに、そんな直接的で分かりやすい凶器を使うかね。
あと、澪にしても、母親への薬物注射も父や兄や遺体処理も平然と遂行しているのに、射殺だけは出来ないってのも違和感があるぞ。

終盤に入り、康子が「とっくに諦めてたのよ、色々なこと。引っ越したら何かいいことあるんじゃないかと思っていたけど」と言い出し、彼女が今の生活に不満を抱えていたことが匂わされる。
しかし、そこまでの描写からは、そんな彼女の心情が全く伝わって来なかったぞ。
なので、たぶん「康子の心の隙間に西野が上手く入り込んだ」ってことにしたんじゃないかと思われるが、それが成立しなくなっている。
っていうか、どうせ西野は「注射したら指示に従う」とい便利すぎる薬で彼女を支配下に置いちゃうし。

やたらとBGMを使って不安を高めようとしているが、先走っているというか、中身が伴っていないと感じる。
もちろん映画が音楽に頼るってのは、決して悪いことじゃない。
ただ、この作品の場合、ドラマの方に粗が多すぎて、BGMが過剰に鳴り響く度、TVドラマの陳腐な2時間サスペンスのようだと感じてしまう。
黒沢清は「自分が描きたいことだけを丁寧に描き、それ以外は超が付くほど適当に処理」というスタンスで本作品を撮っているのだが(としか思えない)、それが安っぽさに繋がったということだろう。

(観賞日:2018年6月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会