『くりいむレモン』:2004、日本

野々村亜美は17歳の高校2年生。2歳年上の兄ヒロシは大学生だが、学校には全く行かず家でブラブラしている。2人は共に再婚した両親の連れ子なので、血は繋がっていない。両親が海外出張へ行ったため、亜美とヒロシは2人きりになった。亜美がヒロシの部屋に来て勉強するなど、兄妹の仲はいい。いや、仲がいいという以上に、2人の中には特別な感情が秘められていた。
ヒロシは両親の代理として、亜美の進路相談に出席した。担任教師の佐々木が厳しい物言いをするのに怒ったヒロシは、思わず手を出してしまう。亜美は友人の由美から、男っ気が無いことを指摘される。恋人の真也と不仲になった由美は、亜美の家に遊びに来てヒロシと親しく喋る。その夜、亜美から由美について尋ねられたヒロシは、「別に好きじゃないよ」と言い訳をする。2人はためらいながらも、「俺は亜美のことが好きだよ」「私もお兄ちゃんのことが好きだよ」と、初めて互いの感情を口にした。
亜美が発熱で寝込んでしまい、ヒロシは付きっ切りで看病する。しかし自分も高熱を出し、寝込んでしまった。起き上がったヒロシは亜美の部屋へ行き、「俺のこと、どう好きなの?」と問い掛けた。亜美がヒロシをベッドに誘い、2人は肉体関係を持った。それ以来、2人は何度も肌を重ね合う。しかし海外から戻った母に抱き合う姿を目撃され、亜美とヒロシは家を飛び出した。車に乗り込んだ2人は、そのまま伊豆へと逃避行する・・・。

監督は山下敦弘、ストーリーは永森裕二、脚本は向井康介&山下敦弘、製作は関正博&松井建始、プロデューサーは永森裕二&野口周三&片山博史&太田裕輝、撮影は近藤龍人、編集は元木隆史、録音は川田保、照明は橋本清明、美術は西村徹、音楽は赤犬、編曲・演奏は吉川忠信(バイオリン、マンドリン)&楠見栄雄(ギター)&松本章(ノイズ)、挿入歌「ゼニゲバラ」「ガンバナショナリズム」作詞&作曲&編曲は赤犬。
出演は村石千春、水橋研二、根岸季衣、大鷹明良、小沢和義、山本浩司、勝俣幸子、三浦哲郁、細江祐子、山本剛史、岩波藍、岡田亜矢、小川仁美、今泉力也、柴田晃良、奥野正明、浜田貴也、岩見洋志、前田かおり、高瀬尚也、村社淳、小野川愛、奈良田憲子、藤井麻穂子、那須千里、涌井克行。


アダルトアニメの金字塔『くりぃむれもん』(今は『くりいむレモン』という表記になっているらしい)は1984年に1作目が発表され、長く続くシリーズとなった。
その中でも特に人気だったのが、血縁関係の繋がらない兄妹の関係を描いた亜美シリーズだ。私は妹萌えの感覚がゼロなので亜美シリーズには全くハマらなかったのだが、かなりの人気を呼んだ。
その1作目であり、『くりぃむれもん』シリーズの第1作でもある『媚・妹・Baby』を基にした実写版映画が、この作品だ。

『くりぃむれもん』シリーズの実写版は、これまでに1度だけ、1997年に『くりいむレモン エスカレーション 天使の翼』というビデオ作品が製作されている。
しかし、アニメシリーズのファンからは完全にそっぽを向かれた。
今回の実写版も、どうやらアニメファンからは低評価を食らったようだ。
まあ、当然のことであろう。

亜美を演じるのは、これが映画出演2作目にして初主演の村石千春。ヒロシを水橋研二、両親を根岸季衣&大鷹明良、佐々木を小沢和義が演じている。
終盤、ベンチでヒロシに声を掛ける営業マンとして、山下敦弘監督作品のトレードマークである山本浩司が登場する。しかし、今回の山本浩司は、無理にハメ込もうとして完全に浮き上がったような状態になっている。そこでコメディー・リリーフを登場させる意味は全く無いし、明らかに余計なキャラクターと化している。

互いに意識しながらもハッキリとは打ち明けられないドギマギした空気とか、危うい緊張感とか、微妙な距離感とか、嫉妬や動揺などの繊細な感情の揺れ動きが伝わってくる前半は、なかなかイイ感じだ。
禁断の恋という背徳感が皆無なのと、最初の肉体関係を持った以降は一気にタルくなるのは残念だが、青春恋愛劇としては、なかなかのモノだと思う。
しかしながら私は、この映画をクズと断定する。
それは、『くりいむレモン』でありながらヒロインが全く脱がず、ハードな直接的エロが無いからだ。

例え青春恋愛映画としてどうであろうとも、『くりいむレモン』である以上、ヒロインは脱がねばならないし、直接的なエロ描写は必須である。それを避けるのであれば、『くりいむレモン』とは全く関係の無いオリジナル作品にすればいい。
『くりいむレモン』である以上、これはアニメの劇場版『旅立ち−亜美・終章−』(エロ無しで一般映画として作られた)と同じぐらいダメな作品だと言わざるを得ない。
『くりいむレモン』を利用するなら、爽やか青春恋愛路線なんぞ要らないから、もっとベタベタなネタのオンパレードでエロど真ん中な映画を作れと言いたい。言い含めたい。言いくるめたい。

お前はスケベ精神が強すぎるんだと非難されそうだが、いや別に私だって最初からオリジナルとして作られていれば、ハードコアなエロが無いことに文句など言わない。
何しろ山下敦弘監督作品なんだから、エロなんて全く要求しない。
だけどね、『くりいむレモン』を映画化する以上、その名前を使っておいて直接的エロ表現が無いってのは、そりゃ完全なる詐欺行為なんだよ。

オリジナルの『くりぃむレモン』を知らない人にはピンと来ないかもしれないが、例えば『ドラえもん』の実写版が作られたとして(その段階で暴挙だけど)、秘密道具が出てこなかったら詐欺だと思うでしょ?
それと同じようなことだと考えて欲しい。
『ドラえもん』において秘密道具が作品の肝になっているように、『くりいむレモン』の肝は恋愛じゃなくてエロなのよ。

どうせ実写にしている時点で、何をやろうとアニメファンは付いて来ない可能性が高いし、だから最初からアニメシリーズとは遠く離れたテイストでも構わないと考えたのかもしれない。
ただし、アニメ版を全く無視するのであれば、何故わざわざ『くりいむレモン』というパッケージを引っ張り出して来なければいけないのかと思ってしまう。
そのパッケージを使う以上は、アニメ版の洗礼を受けた人々を満足させることを意識して作るのが、商業映画に携わる人間としての誠意じゃないのか。
というか、アニメ版を知っている人々を無視するのであれば、どの観客層を狙って『くりいむレモン』というパッケージを持ってきたのかと思ってしまう。

ただし、これは山下敦弘監督だけに全ての責任があるわけではない。これまでの山下監督のフィルモグラフィーを考えれば、彼がエロ映画なんて撮らないことは明白だし。山下監督よりも、そこにオファーを出したプロデューサーの罪が重い。
しかもプロデューサーはエロを撮るよう要求せず、監督の好きなように撮っていいと任せたらしい。
アホかと。最上級のアホかと。
この映画を企画した連中は、何のために『くりいむレモン』をわざわざ引っ張り出してきたのかと。

妹萌えだけなら、最近の漫画で色々と仕えそうなネタは転がっているだろうに。
お上品でキレイなセックス描写なんぞ、クソ食らえだよ。
亜美に風呂場で放尿させんかい。亜美が股を開いたら眩しい光が広がるようにせんかい。「亜美、とんじゃう!」って言わせんかい。
村石千春に対しても、本人の覚悟が無くて脱がなかったわけじゃないから、批判する気は全く無い(いや本人はエロい映画には出たくないという気持ちがあったみたいだけどさ)。濡れ場は多いし、乳は見せないがセミヌードになっているし、かなり頑張っていると思う。
だからやっぱり、全ての罪はプロデューサーにあるんだよな。

 

*ポンコツ映画愛護協会