『コーヒーが冷めないうちに』:2018、日本

とある街の、とある喫茶店の、とある席には、不思議な都市伝説がある。その席に座ると、望んだ時間に移動できるという伝説だ。ただし、そこには非常に面倒くさいルールがある。過去に戻ってどんなことをしても、現実は変わらない。過去に戻っても、この喫茶店を出ることはできない。過去に戻れるのは、コーヒーカップに注いでから、そのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ。コーヒーが冷めないうちに飲み干さなければならない。過去に戻れる席には先客がいる。席に座れるのは、その先客が席を立った時だけ。過去に戻っても、この喫茶店を訪れたことのない人には会うことができない。それが喫茶店『フニクリフニクラ』のルールだ。

[夏]
時田数と流が働く喫茶店に清川二美子という女性が来て、自分を1週間前に戻してほしいと頼んだ。彼女が来た時、店には他に新谷亮介、平井八絵子、高竹佳代といった面々もいた。常連客の八絵子は、1週間前に二美子がアメリカ転勤の決まった彼氏と別れ話をしていたことを覚えていた。その軽い態度に腹を立てた二美子が、「行けば」と冷たく告げたことも彼女は覚えていた。二美子は相手の五郎が彼氏ではなく、幼馴染だと告げた。急に呼び出されたのにアメリカ転勤を軽く告げられ、腹が立ったのだと彼女は語った。
二美子は1週間前に戻り、今度は言いたいことを全てぶつけるのだと話す。数は二美子に、過去に戻っても現実は変わらないことを教える。八絵子はルールが1つではないと言い、決まった席に座らないと過去には戻れないと説明する。その席には夏服の女性が座っており、二美子が退けてもらおうとすると水中にいるような感覚に見舞われた。彼女が慌てて離れると、数たちは呪いだと教える。夏服の女性は幽霊で、無理に退かそうとすると呪いが掛かるのだ。その席に座るには、女性がトイレに立った時を狙うしかない。
二美子が待っていると、房木康徳が店に来て佳代に声を掛けた。佳代も夏服の女性の席が空くのを待っていたが、康徳に促されて店を去る。夏服の女性がトイレに行くと、数は転寝していた二美子を起こした。亮介も席が空くのを待っていたが、二美子に譲った。数は二美子に、過去に戻れるのはコーヒーをカップに注いでから冷めるまでの間であること、それを過ぎると戻れなくなることを説明する。夏服の女性は死んだ夫に会いに行き、コーヒーを飲み干さなかったので幽霊になったのだと数は二美子に教えた。
数がコーヒーを注ぐと、二美子は1週間前に移動した。また五郎と口論になってしまった二美子は、彼氏と別れた時に「俺も彼女と別れて、二美子が1人だったら結婚してやるよ」と言われたことに触れる。それを本気にして愛の告白を期待していたのだと彼女は言うが、五郎の言葉を待たずにコーヒーを飲みほした。その直後に五郎が恋人と別れたことを打ち明けたので二美子は狼狽するが、現在に戻ってしまう。二美子は数に「未来も変えられないのか」と尋ね、「それはお客様次第かと」と聞く。店を出た彼女はアメリカへ行くと決めて五郎にメールを送り、「待ってる」という返信を見て喜んだ。

[秋]
八絵子は妹の久美が店に来たので、カウンターの裏に隠れた。久美は数に姉への手紙を託し、店を後にした。久美が来ると、いつも八絵子は逃げ回っている。彼女は実家の旅館を押し付けたため、久美が自分を恨んでいると思っていた。亮介は所属するサークルが大学の学園祭で作品展を開くことになり、ポスターを店に貼らせてもらった。ポスターの写真を見た数は、幼少期のことを思い出して作品展に赴いた。彼女を見た亮介は声を掛け、正月に死んだ実家の猫と会いたくて喫茶店を訪れたことを話した。すると数は、『フニクリフニクラ』に来たことがある相手としか会えないことを教えた。見ていた写真について問われた数は、かつて母と一緒に住んでいた場所であること、父は自分が1歳の頃に死んでいることを語った。
佳代は喫茶店で数がコーヒーを持って行くと、「新しいバイトの方?」と問い掛けた。数は認知症を患う彼女に合わせ、新人のフリをした。佳代は「夫に渡せなかった物がある」と封筒を取り出し、それを渡そうとした日に戻りたいと語る。そこへ康徳が来て「帰りましょう」と声を掛けると、佳代は「どこかでお会いしたこと、ありましたか?」と尋ねた。佳代が店を去ったので康徳は代金を支払おうとするが、財布を忘れたので後で届けることにした。
康徳は夜になって喫茶店に現れ、代金を支払った。彼は佳代の夫だが、2年前に彼女が認知症を患って以来、混乱させないように看護師として接していた。佳代が渡したい物があると言っていたことを数に聞いた彼は、心当たりがあると口にする。康徳は試しに戻ってみようかと考え、席に座って数にコーヒーを注いでもらった。3年前に戻った彼は、佳代に「僕に渡したい物がないかな?」と問い掛けた。すると佳代は、康徳が未来から来たことを見抜いた。
佳代は今の自分が認知症のことを切り出せず、手紙を書いたのだと康徳に話す。3年後の自分が迷惑を掛けていないか彼女が訊くと、康徳は元気にやっていると答えた。康徳は佳代から封筒を受け取り、現在に戻った。彼が封筒を開くと、中にはバースデーカードが入っていた。そこに「私の前で、看護師でいる必要はない」「私はあなたの前で、患者でいたくない」「あなたとは最後まで夫婦でいたい」などと書いてあり、康徳は何も分かっていなかったと感じて涙をこぼした。康徳が帰宅すると、佳代は「誰ですか?」と怯えた。康徳は落ち着くよう話し掛け、自分は夫だと説明した。
町に出掛けた数は亮介と遭遇し、大学の食堂で一緒に昼食を取った。彼女は亮介や彼の友人たちと一緒に遊び、夜は八絵子の営むスナック『アリゾナ』でカラオケに興じた。八絵子は数を亮介とカップルにしようと考え、口紅を塗った。店を出た数は亮介から恋人について質問され、「彼氏より、まず友達を作れと良く言われるんです」と語る。亮介が「いいよ、なるよ。友達。もっと数ちゃんと話したいし」と口にすると、数は驚きながらも歓迎した。

[冬]
数は亮介と2人で出掛けることが多くなり、友達以上の感情を抱くようになった。八絵子はスナックを休んで姿を見せなくなり、数は流から彼女が田舎へ戻ったこと、久美が交通事故で亡くなったことを聞いた。葬儀を終えて戻った八絵子は久々に喫茶店へ顔を見せ、いつもと変わらない様子を見せた。数は久美から預かっていた手紙の束を差し出し、八絵子が受け取りを嫌がっても強引に渡した。スナックの仕事を再開した八絵子は閉店後、久美を思って涙をこぼした。
翌日、八絵子は喫茶店に現れ、久美が会いに来た9月に戻りたいと告げる。亡くなった相手に会うと別れを切り出せなくなる人も多いため、数はコーヒーに入れる温度計のアラームをセットした。彼女はアラームが鳴り終わるまでにコーヒーを飲み干すよう釘を刺し、八絵子は了解して9月に戻った。久美と会った八絵子は「実家に帰ってもいいよ」と言い、スナックを辞めて旅館を継ぐ考えを語る。「今まで好きにやってきたから、今度はアンタが好きにして」と彼女が告げると、久美は泣き出して「ずっと一緒に旅館をやるのが夢だった」と語った。驚く八絵子に、彼女は自分の考えを手紙にも書いたことを教えた。
八絵子は久美に事故が起きる11月19日は東京へ来ないよう言い、外出したら死ぬと警告する。しかし久美は本気にせずに笑い、化粧を直すためにトイレへ向かった。アラームが鳴り始めたため、八絵子は焦る。まだ話し足りないことがあると訴える八絵子だが、数から早く戻るよう促される。久美に「ごめん」と伝えるよう数に頼み、コーヒーを一気に飲んだ。現在に戻った彼女は急いで電話を掛けるが、やはり久美は事故死していた。八絵子は数と流に別れを告げ、実家へ戻ることにした。
亮介は流と話し、タイムリープできる席でコーヒーを淹れるのが時田家の女の仕事だと知る。夏服の女性が数の母だと聞いて、彼は驚いた。数が6歳の時、病弱だった母は救急車で搬送されて入院した。母が姿を消した時、周囲の面々は体の弱かった彼女が夫の後を追ったのだと噂した。数は亮介に、母がタイムリープする時に自分がコーヒーを淹れたことを語る。数が「私だけ置いていかれたの。コーヒーなんか淹れなきゃよかった」と漏らすと、亮介が元気付ける。数は亮介とキスを交わし、恋人として付き合い始めた…。

監督は塚原あゆ子、原作は川口俊和「コーヒーが冷めないうちに」「この嘘がばれないうちに」(サンマーク出版刊)、脚本は奥寺佐渡子、企画プロデュースは平野隆、プロデューサーは岡田有正&進藤淳一、共同プロデューサーは大脇拓郎、アソシエイトプロデューサーは諸井雄一、ラインプロデューサーは坂本忠久、撮影は笠松則通、美術は五辻圭、照明は渡邊孝一、録音は武進、編集は宮島竜治、音楽は横山克、主題歌「トロイメライ」はYUKI。
出演は有村架純、伊藤健太郎、石田ゆり子、波瑠、松重豊、吉田羊、薬師丸ひろ子、林遣都、深水元基、松本若菜、山田望叶、渡辺憲吉、佐藤直子、猫田直、長谷川ティティ、高橋里恵、城戸愛莉、梶原みなみ、田中偉登、西田彩乃、高橋拓伸、高松咲希、ついひじ杏奈、上村歩未、岬杏、横山歩、青木柚、野田あかり、白木愛子、小林優太、山田央太、杉山真也、近藤さつき他。


「劇団音速かたつむり」を主宰する川口俊和が自身の戯曲を基にして執筆した同名小説と、その続編を合わせて構成した映画。
TVドラマ『重版出来!』や『アンナチュラル』を演出した塚原あゆ子が映画初監督を務めている。
脚本は『バンクーバーの朝日』『マエストロ!』の奥寺佐渡子。
数を有村架純、亮介を伊藤健太郎、二美子を波瑠、夏服の女を石田ゆり子、康徳を松重豊、八絵子を吉田羊、佳代を薬師丸ひろ子、五郎を林遣都、流を深水元基、久美を松本若菜が演じている。

過去に戻るためのルールは、冒頭で文字として表示される。でも、そこで全て把握できる人は少数だろう。
なぜなら、非常に面倒くさいルールだからだ。
なので後で数たちの台詞を使って、改めて説明のための手順がある。だけど冒頭のナレーションが言い訳している通り、面倒くさいことは変わらない。
さらに厄介なのは、そのルールが穴だらけってこと。
荒唐無稽なのはいいんだけど、「荒唐無稽としてのディティール」が粗すぎる。ツッコミ所が多すぎて萎えてしまう。

時間移動を扱った作品は、「タイム・パラドックス」という問題から決して逃れられない。
出来るだけ穴を埋めるために科学考証を細かくやるとか、あるいは他の部分に力を入れて問題点から目を背けさせようとするとか、やり方は色々とあるだろう。
でも、この映画は無雑作に放置しているだけで、何の手も打っていない。
それどころか、大事なクライマックスの部分で、それを完全に無視した方法を使って感動のドラマを作ろうとするのだ。
それについては後述するが、とにかく「雑だなあ」と感じるし、それを甘受させるようなパワーやエナジーも感じさせない。

ファンタジーとしての力が導入部に全く無いのも、かなり痛い。
「バカバカしい話だ」と思わせておいて、いざ不思議なことが起きてからシフトチェンジして観客を引き込もうとする方法もある。だけど、そういうやり方を採用しているわけでもない。
それにも、この映画だと最初から登場人物が「過去に戻れる」と信じているので、最初からファンタジーとしての力を感じさせた方がいいだろう。
いっそのこと、『シザーハンズ』みたいに「どこにもない不思議の町」みたいなイメージで喫茶店を造形してもいいぐらいだ。

映画の冒頭から、かなり壮大なスケールを感じさせるBGMがガンガンと鳴り響いている。でも、まだ何も起きていないので、いきなり盛り上げようとされても付いて行けない。
それに、「これからスケールの大きい話がありますよ」ってのを匂わせる意味でBGMを使っているとしても、やはりマイナスでしかない。
なぜなら、そんなにスケールの大きい話は描かれないからだ。
時間旅行の要素はあるけど、基本的に喫茶店というスペースの中で繰り広げられる話だし、スケール感は小さいでしょ。

数と流の関係性にも触れない内に、話をどんどん駆け足で先に進めていく。なので、のっけから慌ただしい印象が否めない。
どうやら最初に主要キャラクターを全て登場させたかったようだが、これも失敗で、1つずつ分けた方がいい。
夏のパートは二美子のエピソードを描くことが目的なのに、亮介が数を気にするとか、房木が佳代を連れ帰るとか、そういうトコにも目を向けている。
そこを上手く整理できておらず、基本の世界観に深みを与えられず、メインのエピソードにも没入しにくくなっている。

「過去に戻っても現実は変えられない」というルールがあるのだが、それでも過去に戻ろうとする意味がサッパリ分からない。
もちろん、ホントに何の意味も無かったらドラマにならないので、「過去に戻ったことで何かが変わる」という展開は用意されている。
でも、なんか騙されたような気持ちにさせられる。
だって「現実は変えられない」と言っているけど、現実が変化するわけで。
言葉のロジックとしても、そこは整合性が取れていないんじゃないかと。それに、「騙されたけど心地よい」ともならないし。

二美子のエピソードが終わると秋になり、季節ごとに物語が1つずつ描かれる構成となっている。
しかし、この構成も失敗だろう。
最初に「常連客の面々」として主要キャラを揃えたのなら、もう少し短い期間の物語にした方がいいよ。
長いスパンの物語にした理由は1つしか思い浮かばなくて、たぶん数と亮介の恋愛劇を描くためなんだよね。でも、そこを描きたいがために背負ったハンデがデカすぎて、全く支え切れていないよ。

秋のエピソードでは、康徳が佳代から手紙を受け取って現在に戻っている。そうなると夏のエピソードと異なり、「現在」という意味でも現実が変化している。
このエピソードでは、佳代の手紙を読んだ康徳が「僕は何も分かっていなかった」と泣くシーンで感動を誘おうとしている。
でも、まるで感動できないんだよね。
佳代が「康徳は夫」と分からなくなってしまったんだから、看護師として接するのは仕方がないでしょ。こっちが夫婦として接しようとしても、向こうは分からなくなっているんだから、どうしようもないし。

冬のエピソードで八絵子がタイムリープする時、ゴーグルを装着する。過去に戻る時は「喫茶店が水中になり、そこへ落下する」というイメージで描かれているので、「水中に飛び込むからゴーグル」ってことだ。
でも、二美子も康徳もゴーグルなんて使わずにタイムリープしていたし、それで何か不都合が起きたわけでもない。
なぜ八絵子の時だけ「ゴーグルを装着する」という手順を用意したのか。
しかも、それで何か変化があるのかというと、特に何も起きないんだし。

八絵子の時は、「数がアラームをセットした温度計をコーヒーに差し込む」という手順もある。ここも二美子や康徳の時とは異なる行動だ。
「今回は会いに行く相手が亡くなった相手なので、別れを切り出せなくなる恐れがあるから」という理由は用意されている。
だけど相手が死んでいようがいまいが、会いたくて会いに行くんだから、別れを切り出せなくなる恐れは誰にだってあるはずで。
なので、八絵子の時だけアラームを用意するってのは変だぞ。
「コーヒーが冷める」という温度の基準もサッパリ分からないし、どの客でもアラームをセットした温度計をコーヒーに差した方がいいんじゃないのか。

タイムリープから戻って来た八絵子は電話を掛けて久美が事故死したことを確認し、「やっぱり一度起こったことは変わらないんだね」と口にする。
だけど久美が交通事故で死んだのは、過去に戻った八絵子の指示に従わなかったからだ。
もしも彼女の言葉を真剣に受け止めて事故当日に外出しなければ、死なずに死んだはず。つまり、一度起こったことが変わる可能性は充分にあったのだ。
なので、冒頭で説明された「過去に戻ってどんなことをしても、現実は変わらない」というルールは、完全に破綻しているのだ。

終盤、数は未来から来た娘にコーヒーを淹れてもらい、過去に戻って母と会う。そこで真実を知り、心のわだかまりが消える。
でも、その「未来の娘が現在にタイムリープしてきて云々」ってのは、かなり無理がある展開だ。
どういうカラクリなのかは分かるのよ。亮介が数と結婚し、娘が成長してから「実はこういう事情が」と説明して、過去にタイムリープしてもらったってことなんだろう。
でも、なんか反則っぽい印象だし、少なくとも「鮮やかな方法」とは言い難い。
タイム・パラドックスは完全に無視しているしね。

(観賞日:2020年10月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会