『クライマーズ・ハイ』:2008、日本

1985年初夏。北関東新聞社遊軍の悠木和雄は、登山仲間の販売部員・安西耿一郎と共に谷川岳の麓の川を訪れていた。2人とも息子を 連れてきている。安西は、11年前に衝立岩へ登った時に親友を死なせたことを語り、悠木に「お前とアタックする」と告げた。悠木が 「俺にはまだ無理だ」と言っても、安西は「もう決めたから」と譲らなかった。悠木の息子は、母親の元へ戻ることになっていた。空港 まで息子を送り届けた悠木は、川で拾ったという石を渡された。
2007年初夏、群馬県土合駅。登山用リュックを背負って電車を降りた悠木は、トンネルの中に伸びる長い階段を上がった。外に出ると、 安西の息子・燐太郎が待ち受けていた。2人は車で谷川岳に向かい、衝立岩へのアタックを開始した。山に入った悠木は、1985年に息子 から貰った石ころを眺めた。燐太郎は彼に、来年の春になったらエベレストに挑戦することを告げた。
1985年8年12日、16時30分、前橋市の北関東新聞社ビル。安西は販売局に悠木を呼び、翌朝から衝立岩にアタックする予定を確認した。 販売局長の伊東康男が現れ、安西に「今日中にカタを付けろ」と命じた。安西はリュックを背負い、販売局を出た。「なぜ山に登るのか」 と悠木が訊くと、安西は「下りるため」と答えた。安西は母親の店で働く黒田美波という女性の元を訪れ、「会社として出来る限りのこと はさせてもらいます」と告げて土下座した。
19時25分、本社に戻って来た県警キャップの佐山達哉は、エレベーターで社長の白河頼三と遭遇した。白河は「なんで悠木なの?あいつは クズだよ」と口にした。佐山は県警に残っているサブキャップ・川島から「時事通信が妙なことを言っている」との電話を受けた。彼は リュックを背負って出掛けようとする悠木を呼び止め、「ジャンボが消えたそうです」と告げた。
テレビのニュースで、東京発大阪行きの日航123便がレーダーから消えたことが報じられた。佐山は県警に戻り、他の局員も慌ただしく 動き始めた。悠木は白河に呼ばれ、社長室に出向いた。白河は美波の写真を並べ、側近に「向こうに弱みは無いのか」と尋ねていた。白河 は悠木を「坊や」と呼び、日航機墜落事故に関する全権デスクに任命した。
21時20分、どの県に飛行機が墜落したのか判明せず、群馬県警に戻った佐山は焦れていた。悠木は安西の妻・小百合に電話を掛け、安西 から連絡があったら電話するよう伝えて欲しいと頼んだ。悠木は現場取材のスタッフとして、山歩きの経験が豊富な“登ろう会”の面々を 起用しようと考えていた。政経部デスクの岸円治は、「みんな他局だろう。上に話しておけよ」と忠告する。
悠木は岸に、「ダメだよ。1年掛かっても無線機1つ入れさせることの出来ない連中だぞ」と告げた。地域報道班の玉置千鶴子は、先輩の 神沢周作たちに無線機が導入されていない事情を尋ねた。編集局長の粕谷隆明、局次長の追村穣、社会部長の等々力庸平たちは大久保・ 連赤を取材した連中で、時代遅れの精神主義者のため、無線機を入れようとしないのだ。
23時03分、締め切りまで2時間を回り、追村が作業を急がせる。悠木は佐山からの電話を受けた。佐山が現場へ行きたがるので、悠木は 承諾し、夜明けまでは動かないよう命じた。悠木は現場に“登ろう会”の誰かを差し向けようとするが、佐山は「山登りの連中なんて 要りません、カメラマンを寄越してください」と告げた。悠木は神沢を行かせることにした。
8月13日、1時30分。朝刊を印刷する輪転機が回り始めた。2時33分、佐山は群馬県多野郡上野村に到着した。5時38分、テレビでは 墜落現場からのヘリ中継が放送された。共同通信の発表により、墜落現場が御巣鷹山だと判明した。佐山と神沢は御巣鷹山へと出発した。 悠木は第二陣として、登ろう会の面々を中心にしたメンバーを選抜した。悠木はメンバーの一人から、安西が赤十字病院に運ばれたことを 聞かされた。新前橋の駅で倒れ、意識不明の重体だという。
11時15分、御巣鷹山の山中で生存者が発見されたことを共同通信が伝えた。佐山と神沢は消防団から離れ、別のルートを進んだ。悠木は 整理部員・吉井弁次郎に、広告を外してでも写真を掲載するスペースを空けろと無茶な要求を出した。佐山からの連絡が無いので、等々力 は社会部デスクの田沢善吉に指示し、共同電の情報を使って現場雑観を書かせようとした。それに気付いた悠木は激しく抗議し、「佐山が 出稿します。まだ締め切りまで8時間ありますから」と告げた。
17時16分、佐山と神沢は墜落現場に到着した。悠木は安西が運び込まれた病院を訪れ、小百合から「安西は植物状態になるかもしれない」 と聞かされた。病室を出たところで、悠木は燐太郎と顔を合わせた。2007年の悠木は、海外にいる息子のことを燐太郎から尋ねられた。 悠木「5年前に嫁さんを連れて行くと急に電話してきた後、何の連絡も無い」と告げた。
23時19分、降板は午前1時なのにも関わらず、粕谷が今日中に降ろすつもりだと悠木は知った。悠木が説明を求めると、粕谷は「輪転機が 故障して、遅い旧式を使わなきゃいけないので締め切りは延ばせない」と告げた。そのことは早い時点で分かっており、等々力が悠木に 伝える役目を指示されていた。しかし等々力は、意図的に知らせなかったのだ。
悠木は等々力に掴み掛かろうとして、岸に止められた。悠木は怒り狂うが、「決まったことだから」と追村も等々力もさっさと帰って しまった。佐山たちは電話を借りられる場所が見つからず、必死に駆けずり回った。8月14日、2人は傷だらけになりながら民宿に着き、 電話を借りた。短い現場雑観を語る佐山に、悠木は締め切りが終わっていることを打ち明けられなかった。
悠木がロビーに出ると、玉置が「事故調のメンバーに大学の先輩がいます」と言うので、当たらせることにした。ソファーで眠り込んだ 悠木は、政経部長の守屋政志に叩き起こされた。守屋から広告を飛ばしたことを責められても、悠木は適当に聞き流した。だが、「お前は 社長に可愛がられてる。母親が社長の妾だか何だが知らないが」と言われ、カッとなって殴り飛ばした。
7時、今後の方針を決める会議が開かれた。悠木は、一面で10日シリーズを行い、その一回目に昨日落とした佐山の現場雑観を掲載すると 述べた。本社に戻って来た佐山と神沢は、雑観が朝刊に掲載されなかったことを知って激怒した。悠木は冷徹な口調で「あんな短いのは 雑観じゃない。シリーズ企画で好きなだけ書いてみろ」と言い放った。佐山は反発心を掻き立てられ、ペンを取った。悠木は玉置から、 教授を直撃することを報告された。
悠木は佐山の原稿を整理部長の亀嶋正雄に渡し、一面トップに載せるよう指示した。病院を訪れた悠木は、安西がここ1ヶ月ほど安西が ろくに寝ていなかったことを小百合から知らされた。販売局長の伊東に扱き使われていたのだ。安西は、前の社長秘書である黒田美波の ことで走り回っていたという。悠木は小百合から、安西が「衝立岩は怖いが悠ちゃんを下ろすために登る」と言っていたことを聞かされた。 「俺にとっての衝立岩は、悠ちゃんにとっての社長だ。あいつは下りたがっている」とも話していたという。
悠木は美波に電話を掛け、喫茶店に呼び出した。悠木は彼女が結婚のために退職したと思っていたが、実際には白河の執拗なセクハラを 受けて辞職したのだった。美波は、自分が悠木に惹かれており、所有欲の強い白河がそれを知ってネチネチと悠木のことを話すように なったことを打ち明けた。白河は「あいつは私生児だから、俺を父親のように思っている。絶対に俺から離れられない。俺の子犬だ」と 語り、さらに娼婦だった悠木の母親のことも話したという。
悠木が本社に戻ると、一面トップに指示したはずの佐山の原稿が、社会面に差し替えられていた。それを知った悠木は、等々力を罵った。 等々力は土下座して謝罪するよう要求するが、悠木は応じない。佐山の記事は自衛隊の宣伝になると考えて追村が一面から外し、白河も 同意を示していた。悠木は社長室に乗り込んで白河に嘆願するが、冷たく無視された。
8月15日、テレビでは中曽根総理の靖国参拝が大きく報じられている。玉置から悠木に電話が入り、隔壁の破裂が事故原因だと語った。 教授が事故調に連絡を入れて得た情報だという。悠木は情報を確実なものにするため、事故調査官に当たってダブルチェックするよう玉置 に指示した。ある母親が息子を連れて現れ、新聞が欲しいと言ってきた。他の社員が「ロビーにある」と手荒く追い払ったのを見た悠木は、 母親を追い掛けて新聞を渡し、お代は受け取らなかった。母親と息子は、御巣鷹山墜落事故の遺族だった。地元の新聞なら最も詳しい情報 が掲載されているだろうと考え、本社に来たのだ。
その母親の姿に心を動かされた悠木は、靖国参拝ではなく墜落事故関連の記事を一面トップに掲載すると宣言した。19時15分、出来る限り 紙面を事故関連で割こうと考えた悠木は、国際面や内政面にも記事を突っ込むよう岸に頼んだ。地方部デスクの山田厳には、地方面でも 扱うよう要求した。正気を失った神沢が、死体の様子を克明に記した記事を持って来た。悠木から「お前を調子付かせるために522人が 犠牲になったわけじゃない」と怒鳴られた神沢は、その場に泣き崩れた。
0時5分、神沢はロビーのソファーに寝かされた。悠木が岸に連れられて料亭に行くと、等々力と田沢がいた。等々力は再び土下座を要求 するが、悠木は「ひがみ根性で輪転機の故障を早く伝えなかった」と批判した。さらに悠木は、「北関は大久保・連赤で東京の大手新聞社 に惨敗した。優秀な記者は次々に東京へ引き抜かれた」とぶちまけた。
神沢は外に飛び出し、車にひかれて死んだ。16時3分、通夜の準備が進められた。悠木は佐山に玉置から寄せられた情報を説明し、現地に 飛んで事故調査官に当たるよう指示した。玉置は「私のネタです」と抗議するが、悠木は冷徹な口調で「サポートに回れ」と命じた。朝の 会議で、追村は朝刊の大半が事故関連の記事だったことを咎めた。悠木が一点効果だと説明すると、「バリエーションを考えろ。お前は 北関のトップになったわけじゃない」と批判した。
亀嶋は「こんな事故、二度と経験できませんよ。このまま突っ走って、他社を圧倒しましょうよ」と、悠木を擁護した。悠木は、遺族の 検死待機所に北関東新聞を無料で500部配ることを提案した。粕谷は難色を示すが、等々力は悠木のアイデアに賛同した。佐山と玉置は、 夜の竹林に潜み、事故調査官が会議をしている旅館を張り込んだ。玉置からの電話連絡を受けた悠木は、「締め切りは1時。しかし場合に よっては締め切りを1時半まで延ばす」と告げた。
悠木は田沢と吉井に協力してもらい、追村を飛ばして粕谷と等々力に話を付けることにした。吉井が追村に話し掛けている間に、田沢は 粕谷、悠木は等々力の元へ赴いた。1時半の締め切りで印刷した版が配られるのは、一部地域に限られる。それでも悠木は、抜きネタを 載せる価値はあると主張した。等々力が「販売局と全面戦争になるぞ」と告げると、悠木は「臨むところです」と言い切った…。

監督は原田眞人、原作は横山秀夫、脚本は加藤正人&成島出&原田眞人、 製作は若杉正明、プロデューサーは久保理茎、ラインプロデューサーは松田康史、撮影は小林元、編集は須永弘志&原田遊人、録音は 矢野正人、照明は堀直之、美術は福澤勝広、音楽は村松崇継。
出演は堤真一、堺雅人、山崎努、高嶋政宏、遠藤憲一、中村育二、螢雪次朗、小澤征悦、田口トモロヲ、堀部圭亮、マギー、尾野真千子、 滝藤賢一、でんでん、矢島健一、皆川猿時、野波麻帆、西田尚美、金子和、樋渡真司、矢柴俊博、内浦純一、佐伯新、小浜正寛、 佐藤真弓、若松力、滝直希、斉藤祐一、小島康志、岸博之、山田明郷、猫田直、村岡希美ら。


横山秀夫の同名小説を基に、『突入せよ!「あさま山荘」事件』の原田眞人が監督した作品。
悠木を堤真一、佐山を堺雅人、白河を山崎努、 安西を高嶋政宏、等々力を遠藤憲一、粕谷を中村育二、追村を螢雪次朗、燐太郎を小澤征悦、岸を田口トモロヲ、田沢を堀部圭亮、吉井を マギー、玉置を尾野真千子、神沢を滝藤賢一、亀嶋をでんでん、美波を野波麻帆、小百合を西田尚美が演じている。

実際にあった御巣鷹山墜落事故が題材になっているが、事故そのものを描くのが主題ではない。
『突入せよ!「あさま山荘」事件』と同じで、組織の中の人間模様を描く内容になっている。そもそも原作がそうなっているらしい。
145分という長尺で、それほど退屈させずに最後まで保たせたのはお見事。
ただ、「何を描きたかったのか」というのが、映画を見ても全く伝わってこなかった。

「命を追った、あの夏」というキャッチコピーは、映画を見た後だと、ちょっと不快感を覚える。
北関の連中は、そんなに真摯な気持ちで命を追ってないでしょ。
大久保・連赤の連中はもちろん、悠木や佐山にしたって、デカいネタをモノにして他の新聞社に勝とうという意識で突き 動かされている。
大勢が犠牲になった事故を、ある意味では「美味しいネタ」と考えているんだし。

社内が騒然としていること、興奮や緊張などは良く伝わってくる。
けれど、何を喋っているのか分からない箇所が出てくるのはキツい。
特定の役者のセリフだけが聞き取りにくいわけではないので、発声の問題じゃなくて録音の問題だろう。言葉がモゴモゴしてるん だよな。
っていうか、社内だけじゃなくて、オープニングからして、安西が何を喋っているのか良く分からない。
ただ、それは録音が云々という問題だけじゃなくて、「会話の内容がまるで頭に入ってこない」という問題だけど。

悠木が電車を降りたところで英語でタイトルがドーンと大きく出るのだが、そこに違和感。
「なぜ英語?」と。
あと、悠木が堤真一で、親友の息子が小澤征悦って、年齢的に違和感ありまくり。
悠木がまるで年を取っていないのも違和感ありまくり。
一応は老けメイクをしているつもりなのかもしれんけど。1985年8年12日の時点で「もうすぐ40です」と言っているので、2007年は60歳を 越えていることになる。
とてもじゃないが、そんな爺さんには見えないぞ。

1985年初夏のシーンから、2007年のシーンに切り替えるタイミングにも引っ掛かる。
というのも、2007年になる直前のシーン、悠木は息子から、川で拾った石ころを渡されている。
なのに、なぜ2007年に移り、安西の息子とのシーンに繋げるのかと。
ちゃんと繋がってないでしょ。
1985年のシーンにおいて、安西の息子なんて、ただ一緒にいただけで全く存在感は無かったのに。

燐太郎と共に谷川岳に入った悠木は、1985年に息子から貰った石ころを眺めるが、ピンと来ない。
なぜ今も、それを持っているのか。そして、なぜ谷川岳に持って来たのか。その石ころに、どれほどの思いが込められているのか。安西の 息子と登山することに、その石ころは何の関係があるのか。
悠木の息子の関係は空港で別れるシーンしか描かれてないし、まるで伝わってこない。
安西が倒れて植物状態になるエピソードに、何の意味があるのかがサッパリ分からない。そのエピソードが何の効果を生んでいるん だろう。悠木と安西の関係、安西の人物描写は薄弱だし、本筋とも全く関わっていない。
で、安西の病室を出た悠木が燐太郎と遭遇すると、登山をしている2007年のシーンに移る。その後も、何度か衝立岩のシーンが挿入される。
悠木は息子のことを話したりするが、そんなの挿入する意味が全く分からない。

佐山が書き上げた原稿が読み上げられると、また悠木が燐太郎の登山シーンが挿入される。
だけど、1985年の紙面作成のエピソードと、まるで繋がっていない。記事作りの中で、安西との絆や登山に関する言葉が悠木の行動や考え に影響を及ぼしているわけでもないし。
悠木が燐太郎と衝立岩にアタックするエピソードを全てカットして、1985年の出来事に絞った方が良かったんじゃないのか。
そこに限らず、物語に広がりや深みを持たせるのではなく、ただ余計な枝葉になっていると感じるモノが多い。
神沢は、そもそも正気を失っているところからして、やりすぎだと思うし、車にひかれて死ぬのは「それ、必要か?」と思っちゃう。
そもそも悲惨な事故現場や無残な遺体、悲痛な遺族の叫びなどが全く描かれていないから、神沢が精神的におかしくなることがピンと 来ないし。

白河はエレベーターで佐山に「なんで悠木なの?あいつはクズだよ」と言うが、なんでそんなことを、いきなり佐山に言うのかが 分からん。
で、後になって悠木が私生児で、母親が社長の妾で云々という設定が出てくるが、その必要性が全く分からない。
そんなの、物語に何の影響も与えないし、本筋に何の関係も無い。
ここも安西や息子と同様、カットしていい箇所だろう。

悠木が美波と喫茶店で会うシーン、彼は「セクハラ」という言葉を口にしているが、その当時、まだセクハラという言葉は使われて いなかったはず。
あと、そのセクハラ問題は放り出されたまま終わっている。そのセクハラのエピソード、要らないんじゃないか。
あと、その喫茶店で、悠木が「白河は娼婦だった母親のことを美波に話した」と聞かされた後、ナット・キング・コールの『モナ・リザ』 が流れるのだが、そのセンスには付いていけない。
全く合ってないだろ。

隔壁破裂が事故原因だという裏を取った佐山から「出来すぎじゃないですか」と悠木が疑問を提示された時、「母親らしき娼婦と米兵、 それに幼い頃の悠木らしき少年が映画館にいる様子」が回想シーンとして挿入される。
そして回想を終えた悠木は、「俺には打てない」と告げて抜きネタの掲載を中止する。
どういうこと?
その回想と抜きネタの掲載は、何の関係があるの?

ラスト、悠木は息子夫婦がいるニュージーランドへ赴く。
だけど、彼と息子、あるいは家族の関係に関する描写、悠木の息子に対する思いなんて、ほとんど描かれていなかったじゃないか。
なのに、息子の元を訪れるシーンをラストに持って来られても、「はあ?」としか感じない。
成長した息子の姿を見せないのは意図的だろうが、外しているとしか感じないし。

(観賞日:2009年8月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会