『キャッチ ア ウェーブ』:2006、日本

16歳の佐々木大洋、小林誠人、田口浩輔は夏休みの間、湘南の別荘で過ごすことにした。田口の両親がヨーロッパへ行っている間、自由に使えるからだ。江ノ電の七里ヶ浜駅で降りた3人は、すぐに海へ遊びに出掛けた。するとサーフィン大会が開かれており、大洋は波に乗るサーファーに目を奪われた。小林と田口は、大会を見物している水着の女性たちに興奮した。サーファーのニックと仲間2人は彼らを突き飛ばし、「邪魔なんだよ。出て行け」と威嚇して立ち去った。
大洋たちは別荘に着くが、田口は鍵を無くしたことに気付いた。海に戻った3人は浜辺を探し回るが、鍵は見つからなかった。コンビニで食料を買い込んだ彼らは、そのまま浜辺で就寝した。翌朝、大洋が目を覚ますと、デューク川原という中年男性がサーファー3人組に服を奪われて全裸で倒れ込んでいた。大洋たちは怯えて逃げようとするが、デュークは助けを求めた。彼は褒美を渡すと3人に持ち掛け、自分が経営するサーフショップへ連れて行った。
デュークは褒美としてピンクのポロシャツを差し出すが、大洋たちは受け取らずに店を出た。水着ギャル3人組がサーファーと遊びに行く姿を見た小林は、モテるためにサーフィンを教えてほしいとデュークに頼む。田口も彼と同じ気持ちだったが、大洋は同調しなかった。デュークは大洋に「お前もか」と問い掛け、年齢を尋ねた。16歳だと大洋が答えると、デュークは「16か」と意味ありげに呟いた。大洋がサーフィンを教えてほしいと頼むと、デュークは店でのバイトを条件に承諾した。
デュークは大洋たちに、自分が朝のサーフィンに出掛けている間に店を掃除するよう命じた。小林と田口は仕事をサボり、大洋に店番を任せて買い物に出掛けた。デュークと顔馴染みのジュリアがローラーボードの修理に来ると、大洋は一目惚れした。デュークは大洋たちに店内のモップがけや窓拭き、自分の部屋掃除を特訓メニューとして課した。彼は異常に重い掃除道具を使うよう指示し、倉庫を片付けて寝床として使うよう告げた。倉庫を整理した大洋は、若き日のデュークが女性と赤ん坊の3人で並ぶ写真を発見した。
大洋はデュークに「掃除ばかりじゃないですか」と文句を言い、もう辞めると告げて店を出て行こうとする。デュークは3人の体を触り、「お前らの体がどれぐらい出来上がっているか確かめたんだよ。合格だ。明日から海だ」と述べた。早朝、彼は3人に、「海を舐めるな。前乗りするな。ゴミを捨てるな」という三ヶ条を教え、それが守れないとサーファー失格だと説いた。さらに彼は、身の危険を感じたら海から上がるよう約束させた。
デュークは大洋たちを車に乗せて湘南シークレットと呼ばれるビーチへ連れて行き、ショートボードの乗り方を教えた。大洋たちは上手く波に乗れなかったが、楽しい一日を過ごす。大洋はデュークから、修理したローラーボードをジュリアに届ける仕事を任された。ジュリアの家へ向かう途中、大洋は花束を抱えた貴子という女性と出会った。大洋はジュリアの家に到着し、ローラーボードを渡した。サーフィンに行こうとしていたジュリアは、大洋に頼んで波に乗る様子をビデオ撮影してもらった。
大洋とジュリアか浜辺で話していると、ニックと仲間たちが絡んで来た。かつてニックはジュリアに告白し、冷たく振られていた。まだ彼は諦めていなかったが、ジュリアは嫌悪感を剥き出しにして拒絶した。彼女はニックたちが横須賀のサーファーだと大洋に教え、「ルールもマナーも守れない最悪の奴ら」と酷評した。ジュリアは横須賀基地の下士官クラブで映画『エンドレス・サマー』の上映会があることを語り、一緒に行かないかと大洋を誘った。彼は父親が軍人で、基地に出入りできるのだと説明した。
ジュリアはノースショアに乗るのが夢だと明かし、冬になれば夢が叶うのだと告げる。彼女から夢を問われた大洋は、何も答えなかった。デュークは訪ねて来た元妻の貴子と話し、15年前を振り返って「自分の夢ばかり追い掛けていた」と口にした。大洋たちはデュークの車で再びビーチへ行き、サーフィンを練習した。何度も挑戦した大洋は、初めて波を捕まえることが出来た。ジュリアが友人2人とビーチに来て大洋に話し掛けると、小林と田口は羨ましがった。
デュークは大洋たちに「18歳未満立ち入り禁止の特別な場所へ連れてってやる」と言い、友人のマークがマネージャーを務めるレストランへ案内する。マークは店内で、若き日のデュークが優勝したサーフィン大会の映像を上映した。デュークは険しい顔になり、店の外へ出た。マークは大洋たちが16歳だと知り、デュークの息子が生きていれば同じ年だと教える。デュークは上映された大会の最中、急病で1歳の息子を亡くしていた。それがきっかけで彼はプロサーファーを引退し、貴子と離婚していた。
大洋はジュリアと上映会に出掛ける日、店の掃除をしながら時間を気にしていた。デュークはお使いの名目で、大洋を店から送り出した。ジュリアと合流した大洋は、横須賀基地を案内してもらった。ジュリアは大洋が撮影した波乗り映像を両親が褒めていたと話し、そっちの道へ進むのかと尋ねた。すると大洋は、映画を撮ってみたいのだと明かした。上映会を終えた大洋とジュリアは、ニックたちに絡まれた。ニックは大洋に難癖を付けて暴力を振るい、注意するジュリアを突き飛ばした。大洋はカッとなってニックを殴り倒し、ジュリアを連れて逃走した。ジュリアは大洋に礼を言い、翌日の早朝から湘南シークレットでサーフィンの個人レッスンを始めた…。

監督は高橋伸之、原作は豊田和真『キャッチ ア ウェーブ』(角川学芸出版 刊)、脚本は豊田和真、脚本監修は末谷真澄、エグゼクティブ・プロデューサーは和名愛吾&河井信哉、プロデューサーは豊田俊穂&稲田秀樹、ライン・プロデューサーは坂本忠久、スーパーバイザーは腰添健、アソシエイト・プロデューサーは大前典子&山本昭三&橋本芙美、技術プロデューサーは佐々木宣明、美術プロデューサーは津留啓亮、撮影は増井初明、美術は荒川淳彦、照明は木村伸、映像は藤本伊知郎、録音は神波哲史、編集は穂垣順之助、音楽はDEPAPEPE、主題歌はDef Tech『Catch The Wave』。
出演は三浦春馬、加藤ローサ、木村了、濱田岳、竹中直人、坂口憲二、とよた真帆、高樹沙耶(現・益戸育江)、三船力也、西宮佑騎(Micro)、ユーリ・コバロフ、アンドレス、桂亜沙美、川瀬南、斉川あい、ソフィア・コバロフ、ダグラス・エビンバ、ケネス・カードウェル、ファビー、ポップ、リッチィ、牛越峰統、吉岡啓文、河野正和、田中樹、田中英義、杉山知世、庄司哲郎、神保龍之介、エミリー・メルニック、モナ・ニシムラ、ヤジマ・マリア、ニナ、雨坪春菜、平野由希、宮原由里香、田中優花、マイケル・ロジャース他。


当時は高校生だった豊田和真の同名小説を、本人の脚本で映画化した作品。
TVドラマ『WATER BOYS』や『僕と彼女と彼女の生きる道』の高橋伸之が、初めて映画監督を務めている。
大洋を三浦春馬、ジュリアを加藤ローサ、小林を木村了、田口を濱田岳、デュークを竹中直人、マークを坂口憲二、ジュリアの母をとよた真帆、貴子を高樹沙耶(現・益戸育江)、ニックを三船力也が演じている。
大洋たちが目撃して憧れるサーファー役で、Def TechのMicroが1シーンだけ出演している。

粗筋をザッと読んだだけで何となく分かる人もいるかもしれないが、一言で表現するならば「ものすごく安っぽい映画」である。
それも、そんじょそこらの安っぽさではない。日本映画界に存在する。ありとあらゆる安っぽさを繋ぎ合わせて作ったかのような映画である。
プロの役者が出演し、プロのスタッフが仕事をしているから、商業映画としての体裁を何とか保っているという感じだ。
皮肉なことに、経験の浅い若手俳優たちをサポートするために起用されたはずの竹中直人も、安っぽさを助長する存在になっている。

最近は少なくなったが、かつては若手タレントやアイドルを売り出すために作られた深夜枠のテレビドラマが多く存在した。
この映画は、そういうドラマを少し連想させる。
誤解されると困るが、決して「ノスタルジーを刺激してくれる」というプラスの意味で言っているわけではない。
その手の深夜ドラマがせいぜいのレベルであって、普通ならワーナー・ブラザースという大手メジャーで全国公開される劇場映画のレベルには到底達していない。

田口が別荘の鍵を無くすと、小林は窓を割って入ろうと提案する。しかし田口は「割ったらママに叱られる」と反対し、3人は浜辺で野宿する。
でも、夜遅くまで浜辺で鍵を探し回っても見つからなかったわけで、じゃあ夏休みの間、ずっと浜辺で野宿するつもりなのか。
窓を割っても、それは他人のせいにすりゃいいだろ。自分たちがいる間は何も無かったことにして、「知らない」と嘘をついてもいいだろ。
「窓を割ったらママに叱られるから」というだけで別荘に入るのを完全に諦めるのは、なかなか無理のある展開だ。

デュークがサーファー3人組に服を奪われて全裸で倒れているってのは、どういうことかサッパリ理解できない状況だ。
まず、そんな時間にデュークは浜辺で何をしていたのか。サーフボードを持っていないから、サーフィンに来たわけでもなさそうだし。大洋には「日光浴」と言っているけど、それは適当な嘘だろうし。
あと、サーファーが服を奪う理由も謎。「イタズラ」という設定だろうけど、だとしても無理がある。そもそも、そこでサーフィンを楽しむ人間ならデュークを知っているはずだし。
後半に入ってニックたちの仕業だったことが明らかにされるけど、それで全てが納得できるわけでもないぞ。こいつらの悪役としての造形が、あまりにも陳腐なのよ。

デュークは大洋たちに「助けて」と言うが、まるで助けになっていない。一応は「デュークを囲んで周囲の人間から隠す」という設定ではあるが、ちっとも隠せていないし。
そもそも周りを囲んでもらうより、シャツか何か貸してもらえばいいだろ。
で、そんなデュークは急に真面目な顔で大洋に「お前もか」と告げて年齢を尋ね、16歳と知ると「16か」と意味ありげに呟く。
でも、パッと見て、そのぐらいの年代なのは分かるでしょ。そのタイミングで急に真面目モードになり、年齢を尋ねるのは、あまりにも不自然だわ。真面目モードになるような、何かしらのきっかけがあるわけでもないし。

大洋がデュークに命じられた掃除を始めると、「こうして僕たちの高校一年の夏休みが始まった。店の名前はアナカレ。ハワイの言葉で、おじさんと言うらしい」などとモノローグを語る。
でも、そのタイミングで彼にモノローグを語らせるなら、もう映画の冒頭で入れておくべきじゃないかと。最初のモノローグの段階で、もう20分ぐらい経過しているのよ。
そもそもナレーションなんて無くていいと思うけど、入れるのなら冒頭が一発目にした方がいい。
ただ、その後も全くナレーションは無いので、やっぱり無くていいけど。

掃除道具が異常に重く細工されている時点で、『ベスト・キッド』の模倣であることは誰でも簡単に気付くだろう。オマージュでも何でもなくて、ただの安い模倣だ。
それは置いておくとして、だったら「大洋たちは掃除ばかりさせられる」という手順で徹底すべきだろうに。
ところが実際には、外でローラーボードに乗るシーンが挿入される。ここで彼らが「これが本当にサーフィンの練習になるの?」と言っているので、ってことはデュークが指示した特訓ってことだよね。
それは掃除と全く違って「そりゃローラーボードならサーフィンの練習になるんじゃないの」と感じるし、完全に話がボヤけてしまうだろ。

大洋がデュークに「掃除ばかりじゃないですか」と文句を言う時点で、せいぜい1週間ぐらいしか経過していない。
それでも彼らが不満を漏らすのは分かるのだが、ここでデュークが「お前らの体がどれぐらい出来上がっているか確かめたんだよ。合格だ」と言うのは変だろ。
たかが1週間の掃除だけで、そんなに簡単に体が出来上がるなんて有り得ないだろ。
その程度で合格が出せるのなら、もう最初の時点で体は出来上がっていると思うぞ。

大洋はジュリアと横須賀基地へ出掛けた時、映画監督になる夢を口にする。
この前は何も言わなかったことについて問われた彼は、会ったばかりだし恥ずかしかったからだと説明する。
でも、そこで何も言わなかったのは、「将来の夢が何も無い、思い浮かばない」ってことに見えたのよね。
その時点で「実は映画監督になる夢があるけど、恥ずかしいから打ち明けない」という設定であるならば、そこの芝居や演出を間違えているとしか思えないぞ。

っていうかさ、大洋はビデオ撮影が得意だと言って、ジュリアに映画監督になる夢を打ち明けているのよね。それなら、なんで普段からビデオカメラを持ち歩いて、色んな物を撮影しないんだよ。
テメエが劇中で撮影したのは、ジュリアに頼まれた時だけじゃねえか。それもジュリアが自分のビデオカメラを渡して撮るように頼んでおり、大洋は湘南に自分のカメラを持参していないのだ。それは設定と矛盾してねえか。
あと、「サーファーを見て憧れを抱く」というトコから話を始めているのに「主人公の夢は映画監督」って、それも話の作り方としてどうなのよ。
なんで「将来なんて何も考えていなかったけど、サーファーとしての夢を抱く」という話じゃないんだよ。

ニックの仲間が波に前乗りしたせいで、妨害を受けた田口は頭に怪我を負う。ところがデュークは「相手にしない方がいい」と大洋たちに言い、ニックの一味を注意することもなく放置する。
だけどニックたちの横暴な振る舞いを放っておいたら、また同じような被害者が出る恐れもあるだろうに。
そういう連中が乱暴な振る舞いを繰り返しているのは、湘南のサーファーたちにとって由々しき事態だろうに。
それを黙認するのは、サーフィンを愛する人間、地元でサーフショップを経営する人間として、それでホントにいいのかよ。

大洋はニックの挑発を受け、台風が来る中で命懸けのサーフィン勝負を受ける。でもデュークは対決のことを知りながら、止めずに見ているだけだ。
大洋がボードから落ちて危機に陥ると急いで救助に向かうけど、人工呼吸が必要な状態になってるじゃねえか。
下手すりゃ命を落としたかもしれないのに、それを止めずに黙認するのも、明らかに間違ってるだろ。
「若い連中はいいねえ」みたいに、温かい目で眺めている場合じゃねえだろ。それで感動するとでも思ったのかよ。
感動も無ければ、ハラハラドキドキも無いぞ。ただ出て来る連中が揃いも揃ってバカばっかりだと感じるだけだぞ。

大洋はニックとの勝負を受けた後、勝つための特訓を積むのかと思いきや、すぐに対決している。つまり、まだ素人に毛が生えたようなレベルなのに、台風の中での対決に挑むのだ。
いやアホすぎるだろ。
それを考えると、止めなかったデュークは余計に責任を問われるわ。そんな命を軽んじる対決を黙認しているから、「息子の死が心の傷になっている」という要素も消化不良で終わっているし。
あと、その対決で危険な目に遭った大洋が、引っ越すジュリアと別れる時に「君のためならどんな波にでも乗れる」と言うのはアホすぎる。
いや、乗れない波もあるし、乗るために無茶したら死ぬんだよ。

(観賞日:2023年8月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会