『カリブ 愛のシンフォニー』:1985、日本

23歳の沢木彩は、飛行機でメキシコへ向かった。彼女は、今までの暮らしが全て欺瞞と虚飾で織り成されていたような気がしており、確か なものを掴みたいと考えていた。彩は空港へ到着するが、迎えの人間が見当たらない。電話を掛けていた男が迎えではないかと思った彩は 声を掛けるが、彼はキャップの到着予定が変更になって困っている東都日報メキシコ支局の特派員・松永治だった。
彩がホテルの予約も全て迎えの人間に任せてあることを聞いた松永は、「何とかしますよ」と彼女をタクシーに乗せた。遅れて空港へ 現れた建築家のミツアキ・フカヤは、「沢木彩さま」と書いた紙を掲げて呼び掛けた。松永は彩を、キャップが泊まる予定だったホテル・ カミノレアルに案内した。チェックインした彩は、日本での出来事を回想した。
彩は日本を発つ前、スタイリストをしている親友・宮尾由香里に、「会社だけじゃなくてデザイナーの道も捨てる」と告げていた。彩は 20歳で新人賞を獲得しており、由香里は考えを変えさせようとする。しかし彩は「人間を信じられなくなった。しばらく旅に出るつもり」 と口にした。行く当てについて尋ねられ、彼女は国際的ファッションデザイナー・最首俊輔の記事を見せる。ショーを貰った時に手紙を 出しており、それから文通が続いているという。
彩はタクシーに乗り、最首の屋敷へ赴いた。すると臨時雇いの女中ベラがいたので、彩は語学本を片手にカタコトのスペイン語で「日本 から最首に会いに来た」と説明する。しかし最首はニューヨークにいて、戻る日は分からないという。オープンカフェに入った彩は、迎え に来なかった人物のことで愚痴をこぼした。その時、隣のテーブルには背中合わせでミツアキがいた。ミツアキは彩を捜すため、市内の ホテルを片っ端から当たることにした。
彩は夜のメキシコシティーを歩きながら、日本での出来事を回想した。会社のチーフである篠原薫は、彩のデザインを盗んでショーで発表 し、絶賛を浴びた。そのことを彩が社長の土井均に相談すると、「薫を辞めさせて君をチーフにしてもいいが交換条件がある。愛人に なってくれないか」と要求された。薫も愛人になったことで出世していたのだ。それを拒んでいるところへ薫が現れ、「やっぱり社長を 垂らし込もうとしてたのね」と彩を罵った。薫に平手打ちを食らわされた彩は、怒ってやり返した。
ホテルの部屋で彩が眠っていると、慌てた様子で松永がやって来た。彼は「今すぐ部屋空けてください、キャップが最終便で急に到着 しちゃったんですよ」と言う。寝る場所が無くなった彩に、松永は「とりあえず僕のアパート行きましょう」と懇願する。2人が出て行く のと入れ違いで、ホテルにミツアキがやって来た。フロント係から「今、出て行ったのが沢木彩さんです」と知らされたミツアキは、松永 が彼女をタクシーに連れ込むのを見て誘拐だと思い込み、急いで追跡した。
ミツアキは松永のアパートのドアを激しくノックし、2人は揉み合いになった。彩が制止し、双方の誤解は解けた。ミツアキは、最首から 彩のことを頼まれたのだと説明した。会議が長引いたせいで、出迎えに遅刻したのだという。ミツアキは、自分もアパートで泊まることに した。「ちょっと待ってよ、俺ってそんなに信用ない?」と訊く松永に、ミツアキは「無い」と断言した。
深夜、彩はベッドの中で日本での出来事を回想した。彼女は引き出しに隠してあった父・省吾からのエアメールを発見し、そのことを 芙美子に尋ねた。封筒には、メキシコの風景を撮影した写真が入っていた。「もう関係の無い人よ」と芙美子は口にした。画家の省吾は 15年前に家を出たきり、何の音沙汰も無かった。しかし彩は「私、メキシコへ行く。どんなお父さんだったか確かめてみたいわ」と言い、 芙美子の反対にも考えを曲げなかった。
松永の部屋で翌朝を迎えた彩は、父を捜しに来たことを2人に語った。松永は、沢木省吾が何年か前に一度だけメキシコで個展を開き、 忽然と姿を消したことを知っていた。彩はミツアキと松永に写真を見せ、そこに写っている場所について尋ねた。ある写真にチチェン・ イツァ遺跡が写っていたため、ユカタン半島だということは分かったが、詳しい場所は分からない。彩に好意を抱いたミツアキと松永は、 彼女を連れて父親を捜す旅に出掛けることにした。
車で出発した3人はチチェン・イツァ遺跡へ行き、そこから写真の景色があるバイアドリードという町に辿り着いた。省吾が住んでいる アパートを見つけた3人は、アパートの女将に尋ねた。すると、省吾は10日前に死んでいた。夜、彩はミツアキとガリバルディ広場で酒を 飲み、次の日に日本へ帰ることを告げた。ミツアキが止めるのも聞かず、彩は強い酒を浴びるように飲んで眠り込んだ。ミツアキは彼女を 背負って酒場を出た。酒場では陽気に笑っていた彩だが、ミツアキの背中で涙をこぼした。
翌朝、彩はミツアキと共に、ニューヨークから戻った最首の元を訪れた。「これからどうするつもりだ。もう一度、デザインに挑戦して みないか」と最首は勧めるが、彩は「ありがとうございます。でも、父の死を確認して全てが吹っ切れた思いです」と断った。彩が空港に いるとミツアキが現れ、「連れ戻しに来た。このまま帰ったら、ただの観光客に過ぎない。君は君自身のルーツを求めてメキシコに 来たんだろ。お父さんが妻子を捨ててなぜメシキコに住み着いたのか、その目で良く確かめるんだ」と説いた。
ミツアキは「お父さんが歩いた後を全部尋ねるんだ」と言い、半ば強引に彩を空港から連れ出した。ミツアキは彼女をスクーターに乗せ、 メキシコシティーを巡った。オープンカフェに入ったミツアキは、「人間は一人で生まれ、一人で死ぬ。その間にあるのは戦いなんだ」と いう言葉を彩に教えた。それは、ミツアキが死んだ父から言われた言葉だという。
彩はミツアキの話を聞き、「自分に甘えていたのかもしれない」と口にした。ミツアキは「人間は結果じゃないと思う。やるかやらないか 、生きたか生きなかったかだよ」と告げる。2人は闘牛場に出掛けた。闘牛を見物しながら、彩は「人間は一人で生まれ、一人で死ぬ。 その間にあるのは戦いなんだ」というミツアキの言葉を思い出した。彼女は心の中で「やってみよう。ダメでもいい。力いっぱい生きたと いう実感をこの手でしっかりと掴みたい」と決意した。
彩はミツアキと共に、再び最首の屋敷を訪れた。最首は、省吾と会ったことがあり、彩が彼の娘だということも知っていたと打ち明けた。 やる気を取り戻した彩に、彼は1週間に30枚のデザインを完成させるよう要求し、「カンクンにあるアトリエを使いたまえ」と述べた。 それのアトリエはミツアキのデザインだった。ミツアキは彩をカンクンへ送り届けた。クルーザーでやって来た2人を、イルマという19歳 の娘が目撃した。彼女は2人の後を追い、最首の別荘の前で話している様子を覗き見た。
ミツアキが仕事場であるカンクン総合開発センターへ行くと、所長から「イルマの日本語会話を見てやってくれ。大学の試験がもうすぐ らしい」と頼まれた。ミツアキは所長の家に下宿しており、イルマは所長の娘だった。夜、ミツアキが帰宅すると、イルマは彼の部屋で 待ち受けていた。イルマがキスをせがむので、「バカ言ってると試験に落ちるぞ」とミツアキは告げる。イルマはミツアキに好意を抱いて いたが、ミツアキは妹のように思っていた。
彩はデザイン画に没頭し、ミツアキは会社での仕事に励んだ。そんな中、松永が電話でミツアキを呼び出し、東京本社へ転勤になったこと を告げた。彼が「帰国する前に彩さんに会っておきたい。プロポーズしたいんだ」と言うので、ミツアキは驚いた。「会いたいんだ、案内 してくれ」と頼まれ、ミツアキは「彼女はそれどころじゃないんだ。全てを懸けて自分自身と戦ってるんだ」と告げた。
彩は30枚のデザインを完成させ、いつの間にか眠り込んだ。翌朝、彼女が目を覚ますと、最首が別荘に来ていた。彼はデザイン画を見て 「やったね、彩君。予期した以上だよ。君は心で描いている」と感嘆する。彼は「その内の3点については、ニューヨークにある自分の オートクチュールで発表させてもらう」と告げた。ミツアキは彩をトゥルム遺跡へ連れて行き、その城に残されている愛の伝説について 語った。2人は互いの愛を確認し、熱い口づけを交わした。
イルマの19歳の誕生日パーティーに、ミツアキは彩を連れて行き、レイエス夫妻に紹介した。イルマは彩を見て嫉妬し、ミツアキを物陰へ 連れ込んでキスをする。ミツアキは彩のことが好きだと彼女に告げる。イルマは彩の元へ行き、「ミツアキはもうすぐ私と婚約するし、 お腹の中に彼の赤ちゃんがいるの」と告げた。ショックを受けた彩は、最終便でメキシコシティーへ戻ってしまう。イルマが彩に嘘を 吹き込んだと知ったミツアキは、車でメキシコシティーへ向かった…。

監督は鈴木則文、脚本は小林竜雄&志村正浩&鈴木則文、企画は田中友幸&相澤秀禎、製作は小林桂子、撮影は岸本正広、編集は小川信夫 、録音は近田進、照明は大沢暉男、美術は樋口幸男、音楽は小六禮次郎。
主題歌「Carribean Wind」作詞は松本隆、作曲・編曲は大村隆則。
挿入歌「いそしぎの歌」作詞は松本隆、作曲は尾崎亜美、編曲は大村隆則。
出演は松田聖子、神田正輝、宍戸錠、峰竜太、ラウラ・フローレス、仲谷昇、加藤治子、浜田朱里、中島ゆたか、イザベル・ドゥラン、 ジャミットアブド・トゥフィク、シルビデ・ヤング、エバンヘリーナ・M・オルテガ、エバンヘリーナ・S・マルキネス、 アルフォンソ・オセケラ、谷口奈緒美、遠藤貴左子、神田美栄子、斉木信博、高島裕子ら。


松田聖子の主演第4作。
彩を松田聖子、ミツアキを神田正輝、最首を宍戸錠、松永を峰竜太、イルマをラウラ・フローレス、土井を 仲谷昇、芙美子を加藤治子、由香里を浜田朱里、薫を中島ゆたかが演じている。
撮影に入る直前、松田聖子は付き合っていた郷ひろみと破局し、この映画で共演した神田正輝との交際をスタートさせ、同年6月に スピード結婚している(後に離婚)。

松田聖子の主演第2作『プルメリアの伝説 天国のキッス』はハワイの観光映画、第3作『夏服のイヴ』はニュージーランドの観光映画と いう一面があった。
今回の作品も、メキシコの観光映画という一面がある。
っていうか、それがメインと言った方がいいかもしれない。
これらの映画が作られた1980年代の日本では、海外旅行は庶民が簡単に行けるような娯楽ではなかった。
そのため、観光映画というのは、ちゃんと製作意義を見出すことが出来るジャンルだったのだ。

この作品は、監督も脚本家も異なるのに、なぜか『プルメリアの伝説・天国のキッス』と似たものを感じさせる。
具体的に、どこが似ているかというと、「ヒロインを巡って2人の男が登場し、前半ではコミカルなノリをやるが、喜劇調は最後まで持続 せず、後半に入るとシリアスになり、ラスト近くになって急に悲劇へ向かってハード・ランディングを試みる」という大まかな流れだ。

冒頭、メキシコ行きの飛行機の中で、「私、沢木彩、23歳。もう決して若くはない。なのに、いつの間に道を見失ってしまったのだろう」 というモノローグが流れる。
いやいや、充分に若いだろ。
23歳で「決して若くはない」って。
女子中学生や女子高生が23歳の女に向かって「もうオバサンでしょ」とか言うならともかく、23歳の女が自分を若くないとか言うなよ。
どんだけ贅沢なんだよ。

空港へ遅刻して現れたミツアキは、フロント係に日本語で「沢木彩さんという女性から伝言ありませんか」と尋ねる。
アンタ、そこで長く暮らしている日系三世なんだろ。なぜ日本語なのよ。
そして、なぜフロント係も都合良く日本語が話せるんだよ。
一方、彩は飛行機では思い詰めたような表情をしていたが、タクシーの中では「まあいいや、ともかく来てしまったんだから、何とか なるわね」と、やけに明るく前向きな様子を示している。
随分と簡単に気持ちが変わるんだな。

彩が最首に会うためメキシコへ行くことを語った時、由香里は「デザイナーを辞めるんでしょ。なのにどうして?」と訊く。
それに対して彩は「だからこそファッション界で一番尊敬できる方に相談したいのよ」と言うが、彼女の論理が全く理解できない。
「辞めようかどうか悩んでいる」というのなら分かるけど、もう辞めることを決めたのなら、今さら相談することなんて何も無いはずだ。

彩が最首の屋敷へ行くと、過剰にツンケンしたメイドが「彼はニューヨークにいる」と告げる。
おいおい、彩は文通してるんだろ。しかも屋敷の場所まで知っているのに、なんで最首がニューヨークにいることは知らないんだよ。
で、彩はベラに早口で喋られて「そんなに勝手にベラベラ喋られても分かんないじゃない」と怒っているが、それはスペイン語が 分からないアンタが悪い。
向こうは言い方こそ意地悪だけど、普通に喋ってるだけだ。
で、ベラは「ベラベラですって。私の名前はベラよ」とスペイン語で言うが、なんだよ、その完全に滑っている語学ギャグは。

全くスペイン語が喋れないはずなのに、なぜか彩はオープンカフェに一人で堂々と入り、オレンジジュースを飲んでいる。 それは注文できたのね。
で、ここでは背中合わせで隣のテーブルにミツアキがいて、それぞれが相手に対する文句を言うという喜劇が演じられる。
「もしかしたら私を出迎えるはずだったのは人間でなくて時間の分からない馬や牛だったのかもしれないわ」と、冗談めかしたことを言う 彩だが、その表情は至って真面目だ。
その直後、噂をされたミツアキがクシャミをするというベタベタなギャグがある。

ミツアキと松永はアパートの部屋でケンカを始めるが、シリアスな格闘ではなく、そこも喜劇調。
物を口に押し込んだり、パンチしようとしたらアルミ皿で受け止められて痛がったり、野菜やパンツを投げ付けてラケットで防御したり する。最後は彩が2人を立て続けにギターで殴り、ミツアキの頭をギターが突き抜けて彼は目を回すというベタな終わり方。
そのシーンに2分ぐらい掛けてるけど、もうちょっとコンパクトにやろうぜ。

回想シーンで彩は、母に「私メキシコへ行く。どんなお父さんだったか確かめてみたいわ」と言っている。
その前には「最首に会うためにメキシコへ行く」という目的が提示されていたが、メキシコへ来た目的は1つではなく2つ存在 するのだ。
そこで欲張った意味がサッパリだ。そこにメリットを何も見出せない。焦点がボヤけるというマイナスしか感じない。
それなら最初から、メキシコ行きの理由は「父に会うため」という方に絞っておけばいい。そして「デザイナーを辞めようか迷っていた時 (あくまでも迷っている段階にすべきであって、辞めようと決意しているのは得策と思えない)、たまたま父がメキシコにいることを知る 。自分がデザイナーを目指したのは父の影響もあるので、その父に会うことで自分の生き方を見つけたいと考える」ということにでもして おけばいいだろう。
「では最首はどうするのか」という問題だが、正直、要らないよね、このキャラ。

ミツアキと松永は彩を狙うライバル関係にあるのだが、その敵対している構図の描写も、完全に喜劇としてのモノになっている。
つまりミツアキもコミカルなキャラになっているわけで、なのに後半に入ると完全にライバル関係の描写は消えて、彩とミツアキの ロマンスがシリアスなモードの中で描写されていく。
その豹変ぶりに付いて行くのは、なかなか難儀な作業だ。

彩に惚れたミツアキと松永は、彼女を連れて父親を捜す旅に出掛けることにする。
ただし、それは便宜上のことであり、実際に製作サイドがやりたいことはメキシコの観光案内である。
チチェン・イツァ遺跡では、ご丁寧にも松永がガイドのナレーションまで付けている。
省吾を捜すのに遺跡を歩く必要があるのか、そこで写真を撮影する必要があるのかというと、もちろん全く無いわけで。
しかし「松永の取材旅行も兼ねているから」という理屈を付けて、それを正当化しようとしている。

ミツアキと松永が沢木省吾のことをアパートの女将さんに尋ねると、10日前に死んでいたことが明かされる。
で、スペイン語が分からない彩にショックを与えないように「どこかへ引っ越したらしい」とミツアキが嘘をつくと、女将さんの娘が 現れて、「彩、彩さんでしょ。子供の時の写真見たよ、とてもキレイな人。先生に一目会わせたかった。神様の所へ行ってしまって」と、 カタコトの日本語だが、長いセリフをキッチリと喋る。
与えられたセリフでもなければ、到底そんな言葉は出てこないだろうというような言葉だ。

省吾は日本人だが、そこではスペイン語を使っていたはずなのに、女将の娘は日本語がベラベラなのよね。
そこまで無理をして、省吾の死を告げる役割を彼女に担当させた狙いがサッパリだ。
普通にミツアキたちに告げさせるか、あるいは女将さんの雰囲気を見て彩が察するか、そういう形にしておけば自然な流れだった だろうに。
無駄に手間を掛けて、不自然な形にする狙いは何なのかと。

この映画、父親捜しが目的だったのに、それは前半だけで終わらせる。
父親捜しという目的は、大した意味を持っていないのである。
その後、彩は最首の元を訪れるが、「父の死を確認して全てが吹っ切れた思いです」と、日本に戻る意志を告げてオシマイ。
最首に会って相談すると言っていたが、何も相談しておらず、ただ挨拶に行っただけだ。
そっちの目的も、この物語において大した意味を持っていなかったことが、そこで明らかになっている。
で、「だったら本作品にとって重要な要素は何なのか」と問われたら、「そりゃあメキシコの風景に決まってるじゃん」と答えておく。
重要なのは、「メキシコでロケをする」ということにあるのだ。

ミツアキは彩に「連れ戻しに来た。このまま帰ったら、ただの観光客に過ぎない。君は君自身のルーツを求めてメキシコに来たんだろ。 お父さんが妻子を捨ててなぜメシキコに住み着いたのか、その目で良く確かめるんだ」と説いているが、そんなのは建て前で、ようするに 「まだ観光地案内が足りないので、それを理由にして観光地を巡ろう」という製作サイドの思惑が露骨に透けて見える。
まさにスケルトン状態でバレバレだ。
で、ミツアキは彩を空港から連れ出し、スクーターに乗せる。
なぜ昨日は車だったのにスクーターなのかというと、小回りが利くからではなく、『ローマの休日』の模倣をやりたかったから である。
2人はチャプルテペック公園、ソチミルコ、中央広場(ソカロ)、国立芸術院を巡るが、そこを省吾が歩いたという証拠は何も無いし、 やってることは単なるデートである。
都合のいいことに、前日の夜から、松永は全く絡んで来ない。

彩がデザイナーとして再び頑張ろうと決めた後は、もはやメキシコへ来た目的は両方とも終わっているので、別の話が始まる。
メインとなるのは、彩がデザイナーとして頑張る話ではない。
ミツアキとのロマンス&観光案内だ。
っていうか結局、彩がデザイナーとして再び頑張ろうと決意したこと、デザイン画を必死で描き上げたことは、その後の展開に全く影響を 及ぼさないのである。

ミツアキは彩をトゥルム遺跡へ連れて行き、王女とユカタンの若者の愛の伝説をダラダラと、いや、長々と語る。
だが、まるで頭に入ってこない。
っていうか、頭に入れる気も起きない。
そんなモノに大した意味が無いことが、もう見えてしまっているのでね。
この映画で重要な意味を持つモノなど、観光地の風景以外には何も無いと言っても過言では無い。

彩がイルマに嘘を吹き込まれて最終便でメキシコシティーに帰ってしまったと知り、ミツアキは追い掛けることにする。松永が「飛行機、 もう無いぞ」と言うと、ミツアキは「車がある」と告げる。松永が「間に合うかなあ、1800キロだぞ」と言っても、「とにかく行く。例え 地の果てまでも」と彼は口にする。
さて、ここで冷静に計算してみよう。
時速100キロで車を走らせたとしても、到着は18時間後だ。
翌朝まで待って飛行機の第一便に乗った方が、絶対に早く到着するぞ。
ただ、そう思っていたら、なんとミツアキは明け方にはシティーに到着しているのだ。
たぶん5、6時間で着いている。
どんだけ猛スピードで暴走したんだよ。

メキシコシティーに到着したミツアキは、何の迷いもなく、真っ先に闘牛場へ赴いている。
彩がミツアキの言葉を思い起こし、シティーに留まってデザイン画を頑張ろうと決意したのは闘牛場だが、しかしミツアキとの思い出の 場所というわけではない。そもそも、彩がその言葉を心の中で思い起こしたことは、ミツアキが千里眼でもない限り分からないはずだし。
だけど、誰もいない闘牛場に、彩はポツンと一人で座っている。
なんてバカバカしい再会シーンだろうか。なぜ、そんな場所に一人で座り込んでいるのかと。
行く当てが無いのなら、とりあえず最首の屋敷にでも行けよ。もしくは、例のオープンカフェでもいいだろう。
他に誰もいないという時点で、そもそも御都合主義が露骨に見えまくりなのだが、ともかく闘牛場の真ん中で2人は抱き合う。
抱き合うために観客席を走っていたはずなのに、なぜ途中で闘牛場に下りてしまったんだろうか。

ミツアキは彩に「明日、結婚しよう」というが、そんなに焦らなくてもいいのに。
だが、ミツアキの焦りはそれどころじゃなかった。
仕事を片付けるためにカンクンに戻った彼は、教会へ向かうために車を飛ばす。
だけど、そもそも「仕事を片付けて、シティーへ戻って、それから結婚式の準備に取り掛かる」ということにしておけば、そんなに焦る 必要は無かったはず。仕事があるなら、なぜ式の予定を入れてしまったのか。
で、式に遅刻したので車のスピードを無理に上げて、交差点でトラックと衝突して死亡する。
アホすぎる。
そもそも、なぜ車で向かったのか。飛行機を使えよ、飛行機を。

(観賞日:2010年7月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会