『キャバレー』:1986、日本

19歳の矢代俊一は、港町のキャバレー「スターダスト」でサックスを吹いている。彼はドラムスの中村、ピアノの金、ベースの浅井と組むカルテットでステージに立ち、時には歌手の伴奏も担当する。店の常連である滝川は『レフト・アローン』を聴きながら、ホステスの英子に「あの子に渡してくれ」と告げてチップを差し出す。英子は楽屋へ赴き、演奏を終えた俊一にチップを渡す。俊一は「ヤクザから貰う筋なんか無いから」と断るが、中村が「いいから取っとけよ。相手は菊川組の代貸だ」と言う。滝川は店に来ると必ず『レフト・アローン』をリクエストし、その一曲だけ聴いて去るので、俊一は怪訝に感じている。
次の日、いつもの時間になっても滝川は店に姿を現さない。中村は「忙しいんだろ。北憂会が何かと仕掛けて来てるっていう噂だから」と俊一に告げる。彼は俊一に、菊川組が博奕打ち一筋でシャブを御法度にしていること、そのシマに関東連合の切り込み隊長である北憂会が手を伸ばしてきたことを教えた。英子が外国人客に絡まれているのを見た俊一は助けに入るが、パンチを食らって倒れる。そこに滝川が現れ、外国人客に拳銃を突き付けた。彼は舎弟の章次に命じて、その客を店から追い出した。
滝川は俊一に『レフト・アローン』をリクエストするが、北憂会が賭場を荒らしたという知らせを受けて店を出て行った。夜の埠頭で練習していた俊一は、車が来たので演奏を止めて物陰に隠れた。車を停めて降りて来たのは北憂会組員の前川と阿久津で、賭場荒らしの処分に来る滝川を射殺する算段を話し合う。俊一は滝川の車を停め、桟橋で男たちが待ち伏せていることを教えた。滝川は俊一を帰らせた後、捕まえた賭場荒らしを処分する。前川と阿久津は滝川の銃撃を受け、車ごと海に転落した。
翌日、埠頭で3つの死体が引き上げられる様子を、俊一は野次馬に混じって見ていた。「やっぱり」という俊一の言葉を耳にした刑事の小坂井は、「何か知ってるのか」と詰め寄った。そこへ英子が来て適当に誤魔化し、俊一を連れて去った。その夜、店に来た滝川は俊一を呼び、「同じ曲を聴いてるのに、いつか聴いたレコードと同じには聞こえない。今日のアンタの音は、いつもより暗いみたいで、レコードのことを思い出した」と述べた。
俊一は滝川に、「港で死体を3つ見ました。やり切れないんです。こんなことなら貴方に知らせるんじゃなかった」と告げる。「アンタが知らせてくれなかったら、私が死体になっていた」と滝川は言う。章次が滝川の所へ来て、小坂井が店を張っていること、拳銃所持で逮捕しようと目論んでいることを知らせた。滝川は俊一に頼んで、ケイズバーを営む元恋人の恵に電話を掛けてもらう。恵がスターダストを訪れると、滝川は拳銃を渡して「預かってくれ」と依頼した。
恵は俊一の演奏を聴いて、「ジャズってる」と呟いた。演奏が終わった後、彼女は俊一に「気持ち良かっただろうね」と言う。俊一は英子と一緒に店を出て歩きながら、「素人に何が分かる」と苛立ちを示す。英子は俊一に、恵がヤク中で死んだ天才サックス奏者・南部明の妹であることを教える。「俺はゴミだ」と漏らす俊一を慰めた英子は、部屋に来るよう誘う。英子の部屋で、2人は肉体関係を持った。
翌朝、俊一と英子がダイナーで朝食を取っていると、小坂井が現れた。彼は2人と滝川の関係を怪しんでおり、俊一が城南大学2年在学中であること、父親は会社社長であること、家は田園調布にあることを調べ上げていた。「そんなお坊ちゃんが、なんでこんな掃き溜めに暮らしているんだ?」と彼は疑問を口にした。小坂井は英子に、「安原が仮釈で出て来るぞ」と告げた。俊一はスターダストで働く友人の久保から、安原がヤクの売人で英子のヒモだと知らされる。久保は俊一に、あまり英子と深い関係にならないよう警告した。
その夜、俊一が出番を終えて店を去ろうとすると、英子が「どこへ行くの?」と尋ねて来た。俊一は「どこだっていいだろ」と冷たく言い、ケイズバーへ赴いた。店に入ると、小坂井が来ていた。彼は恵が拳銃を隠していると睨んでいたが、店を捜索しても見つからなかった。俊一は店で流れている曲を聴き、南部明の演奏だと言い当てた。小坂井は俊一に、滝川の最初の殺しが10年前のゲームセンターだったこと、潰れた店のジュークボックスから流れていたのが『レフト・アローン』だったこと、恵がアリバイを証言したので滝川は捕まらなかったことを語った。
小坂井がバーを去った後、俊一は恵に、自分のサックスのどこが悪いのか質問するために来たことを明かした。その上で「でも分かった。ようするにハートの問題だってことがね」と彼が言うと、恵は「ハートはあるのよ。でも、それは傷付いたことも無い、血も流さない、叫びもしない、ただ歌ってるだけ」と告げた。俊一がアパートに戻ると、雨に濡れた英子が外で待っていた。俊一は「バカだなあ。風邪ひいちまうだろ」と言い、彼女を部屋に招き入れた。
翌朝、英子は俊一に、安原が出て来る前に町を出るつもりだと話す。「一緒になんか来てくれないよね」と問われた俊一は、「ごめん」と告げた。英子は落ち着いた様子で、「いいのよ。女よりもジャズが大事な人なんだもん。もう、これっきりにしないとね」と受け入れた。俊一とジャズ・サークルで一緒だった元恋人の千枝古が来ると、英子は入れ違いで部屋を出て行った。俊一は千枝古に、先輩の田能倉から「お前はアナクロだ」と告げられた時のことを話す。すると千枝古は、その田能倉が商社の内定を貰ったこと、プロポーズされたことを打ち明けた。ジャズを趣味にしようとする田能倉の生き方を、俊一は否定的に評した。
滝川は白江組組長の白江から呼び出され、彼から預かっている章次を伴って会いに行く。白江は滝川に、兄弟分の盃を無かったことにしてほしいと告げられた。困惑する滝川に、白江は「関東連合と縁組した。どうしようもねえんだ。こっちは組員20人のか細い組織だ」と言う。白江が縁組したのは北憂会であり、つまり滝川とは敵対関係になってしまうのだ。白江は滝川に、シマ内でシャブを扱うことを認めない限り、関東連合が命を奪うつもりだと教える。滝川は「今度会う時は、お前を取る」と告げた。
ケイズバーを訪れた滝川は、章次に白江の所へ帰るよう命じた。章次が離れることを嫌がると、滝川は殴り付けた。そこへ俊一が来ると、章次は滝川に一礼して店を出て行った。店の電話が鳴り、恵が受話器を取ると掛けて来たのは英子だった。英子は俊一に安原から逃げていることを話し、「今夜だけ泊めてほしい」と懇願した。俊一がアパートに戻ると、待ち伏せていた安原がドスを突き付けた。安原が俊一を殺そうとすると、章次が現れた。彼は安原を刺殺し、ドスを俊一に向けて脅した。さらに彼は以前から英子が好きだったことを明かし、彼女にドスを向けた。章次が目の前で英子を抱いても、俊一は何も出来なかった。
浅井が俊一の元を訪れ、ジャズクラブの『ドルフィン』からグループごと声が掛かったことを告げる。投げやりになっていた俊一は浅井に「英子もいなくなったし、スターダストを抜ける潮時だと思うんだ」と持ち掛けられ、「いいですよ、どっちでも」と言う。浅井は俊一を連れてドルフィンのマスターを訪ねようとするが、待ち受けていた菊川組の組員たちに捕まって滝川の元へ連行される。浅井は土下座して、「脅されたんです」と釈明した。
まるで訳が分からない俊一は、滝川に事情説明を求めた。滝川は彼に、「アンタって人は、本当に音楽のことしか分かっちゃいないな」と告げる。その夜、スターダストへ出向いた俊一は、久保から事情を聞かされる。スターダストは菊川組の店で、ドルフィンは北憂会の店だ。バンドを引き抜いてステージに穴を開けさせることで、関東連合は菊川組に全面戦争を仕掛けようと目論んでいた。戦争の引き金として、俊一たちは利用されたのだ。
北憂会幹部の佐島が子分を率いてスターダストに乗り込み、菊川組の組員たちと揉み合いになった。滝川は子分を制止し、佐島に「バンドは渡せねえ」と言う。佐島が契約書を見せると、滝川は用意しておいた大金を差し出し、買い取らせてほしいと持ち掛けた。佐島は「今度だけはアンタの顔を立ててやる。だが、この次はのっぴきならねえことになるぜ」と言い、契約書と金を交換して立ち去った。滝川は浅井の指を詰めさせた。俊一が「人間じゃない」と激しく非難すると、滝川は顔色を変えずに「俺はヤクザなんだ」と告げた…。

製作&監督は角川春樹、原作は栗本薫、脚本は田中陽造、プロデューサーは坂上順&菅原比呂志、撮影は仙元誠三、美術は今村力、照明は渡辺三雄、録音は瀬川徹夫、編集は田中修、ミュージック・スーパーバイザーは角川春樹、音楽プロデューサーは石川光、主題歌「レフト・アローン」はマリーン。
出演は野村宏伸、鹿賀丈史、三原じゅん子、倍賞美津子、原田芳雄、原田知世、真田広之、丹波哲郎、千葉真一、志穂美悦子、薬師丸ひろ子、室田日出男、本間優二、清水健太郎、宇崎竜童、ジョニー大倉、新井康弘、山川浩一、尾藤イサオ、夏八木勲、永島敏行、古尾谷雅人、白竜、原田貴和子、渡辺典子、竹内力、成瀬正(現・成瀬正孝)、大島宇三郎、津田ゆかり、宇佐美眉(現・堅田不二子)、中村孝雄、高月忠、中瀬博文、matsuji fujiwara、村田香織、高柳良一、清水昭博、中井啓輔、北方謙三ら。


栗本薫の同名小説を基にした作品。
製作した角川春樹事務所のボスである角川春樹が『汚れた英雄』『愛情物語』に続いて監督を務めた3本目の映画。
脚本は『セーラー服と機関銃』『上海バンスキング』の田中陽造。
俊一を演じた野村宏伸は角川春樹事務所の映画『メイン・テーマ』のオーディションで選ばれてデビューしており、これが初主演作となる。
滝川を鹿賀丈史、英子を三原じゅん子、恵を倍賞美津子、白江を原田芳雄、小坂井を室田日出男が演じている。他に、千枝古を原田知世、田能倉を真田広之、関東連合総長を丹波哲郎、関東連合組長を千葉真一、安原を宇崎竜童、中村をジョニー大倉、久保を新井康弘、金を山川浩一、浅井を尾藤イサオ、章次を本間優二、前川を清水健太郎が演じている。
志穂美悦子(パブのママ)、薬師丸ひろ子(ダイナーのウェイトレス)、夏八木勲(スターダストのマスター)、永島敏行(関東連合の運転手)、古尾谷雅人(佐島)、白竜(歌手)、原田貴和子(ピアニスト)、竹内力(10年前に滝川が射殺した舎弟)、成瀬正孝(阿久津)、高柳良一(レストランのウエイター)、清水昭博(バーテンダー)、北方謙三(スターダストの客)など、多くのゲストがチョイ役で出演している。

俊一がアパートの外から久保に呼ばれて目を覚ますと、全裸でソファーに寝ている。英子とセックスした後に全裸でサックスを抱えているという描写もある。
角川春樹は『汚れた英雄』で草刈正雄を全裸にしていたが、どうやら二枚目の若い男を全裸にするのが好きらしい。
俊一を全裸にする必要性なんて全く無いので、それは完全に彼の個人的な趣味だ。女性の観客からすると、嬉しいかもしれない。
脚本は前述したように田中陽造が執筆しているのだが、そこに角川春樹が手を入れて改変している。
原作小説でも田中陽造の脚本でも、舞台となるのは場末のキャバレーなのだが、角川春樹は「俺もフランシス・フォード・コッポラ監督の『コットンクラブ』みたいな映画を作りたい」と思ったもんだから、『コットンクラブ』に出て来る高級クラブみたいなイメージでスターダストを作ってしまった。

設定としては「場末のキャバレー」なんだけど、完成した建物は豪華すぎて、場末のキャバレーっぽさなど微塵も無く、スターダストは見事な高級クラブと化している。
しかも、もはやハーレムに建っていなきゃ成立しないような建物と化している。
しかし、角川春樹は自分が天才だと思っているもんだから、これだと決めた演出方針には全く迷いや揺らぎが無い。
「場所が日本だとして、どこなんだよ」と言いたくなるような、ほぼ無国籍映画のような状態になっても、「これでいいんだ」と思っているのである。

全てにおいて雑で、例えば滝川が「あのサックスの子に渡しておいてくれ」と英子にチップを渡すのは、初めて店を訪れてリクエストした時に取るべき行動だろう。
いつも通っていて、何度も同じ曲をリクエストしているのに、その日に限ってチップを渡すのは不自然だ。
その日が初めてだという証拠に、俊一はチップを英子に渡されて「要らないよ。ヤクザから貰う筋なんか無いから」と言っている。
いつも滝川がチップを差し出しているのなら、そういう反応にならないはずだ。

外国人客の揉め事があった後、店を去る俊一を追い掛けた英子が「お礼に今晩付き合って」と腕を組んで来る。
だったら、飲みに行く2人の様子が描かれるのかと思いきや、カットが切り替わると俊一は埠頭でサックスの稽古をしている。
ってことは、飲みに行っていないのか。飲みに行ったのなら、そこはシーンの繋がりとしてスムーズじゃないし。
2人で飲んでいるシーンを描かないのなら、英子が誘うシーンもカットしてしまった方がいい。
どうせ俊一と英子の恋愛劇なんて、まるで充実した描写に仕上がっていないんだし。

前川と阿久津は滝川を殺ために、「倉庫の陰から桟橋に乗り出して、出来るだけ車で近付いて引き金を引く」という作戦を立てる。
だけど、車を別の場所に停めて桟橋の近くに隠れ、そこから滝川を狙った方が確実だぞ。
車を走らせながら、つまり動いている状態で標的を確実に銃撃するのって、そんなに簡単なことじゃない。それに車で近付こうとしても、距離を詰めるまでに気付かれてしまうし。
もしも俊一が滝川に知らせなくても、作戦が失敗した可能性は充分に考えられるぞ。

港で死体の引き上げ現場を見た俊一が「やっぱり」と呟くと、すぐ隣に立っている小坂井が「何か知ってるのか」と追及する。
その位置関係、どう考えても不自然でしょ。
なんで離れた場所から見ている俊一のすぐ隣に、刑事の小坂井が立ってるんだよ。
それは最初から2人が一緒に見ていたとか、小坂井が俊一をマークしていたとか、そういうことじゃないと説明が付かないような位置関係だと思うぞ。

俊一は英子から恵が南部明の妹だと聞かされたあと、急に咳き込んで倒れる。
持病でもあったのかと思ったが、そうではないらしいから、なぜ急に咳き込んで倒れたのかは全く分からない。
で、彼は「俺は駄目だ、俺なんかゴミだ。才能ねえんだ」と言うのだが、どういうことで、そんな言葉を吐く心境になったのかも良く分からん。「死んでしまいてえよ」とまで言うんだけど、何があったんだよ。
こいつの心情の移り変わりがイマイチ伝わって来ないので、すげえ不自然な段取り芝居に見えるぞ。

外国人客と揉め事があった後の『レフト・アローン』演奏で、俊一がメロディーを吹いてサックスを放すと、バンド仲間はそのコーラスで演奏を終わらせる。
俊一は「ダメだ、気が抜けちゃった」と言うのだが、仲間がそのまま演奏を続ければ良かったんじゃないのかね。
曲の構成として、「サックスがメロディーを吹く」→「ピアノのソロ」→「サックスのソロ」というパターンもあるんだから。
そこでバンドが演奏を止めたのは、たぶん「俊一の空気を察して」ということなんだろうけど、ちょっと引っ掛かるなあ。

で、次に『レフト・アローン』を演奏しているシーンでは、俊一がアドリブを吹き、曲が終わるとバンド仲間が「ちったあ年寄りのことも考えろよ」「手加減しろよなあ」「参ったよ、本気でやりやがるんだから」と言う。
前回との違いは、アドリブをやるか否かという部分だ。
でも、「アドリブをやりまくったから熱が入っている」「メロディーしか吹かないから気が抜けた演奏」という分類は、分かりやすいっちゃあ分かりやすいけど、ちょっと素直には受け入れ難いなあ。
そういうことじゃないでしょ、音楽って。

それと、バンド仲間が「俺たちのレベルでは付いて行けない演奏」という旨の感想を口にする演奏にしても、もちろん上手いとは思うけど、「お手上げです」という反応を示すほどではないでしょ。実際、バンドの演奏も普通に付いて行っているように聞こえたし。
そこに限らず、俊一と他の3人って設定としては「才能溢れる男」と「三流プロ」という格段の違いがあるはずなんだけど、それほど能力的に大きな差があるようには感じないんだよな。
本来なら、俊一は「その外見も演奏している音も、場末のキャバレーに似合わない」という風に感じるような奴じゃないとダメなはずだ。バックバンドは三流プロで、音楽に対する思いも、演奏の質も、大きな違いがあるという風に感じるような奴じゃないとダメなはずだ。
しかし、スターダストで演奏する俊一には、「異質な佇まい」が全く見えない。悪い意味で、店の雰囲気に馴染んでしまっている。

俊一はケイズバーで南部明のレコードを聴いた時、その演奏について「独特ですからね。繊細なんていうんじゃなくて、まるで震えている神経を剥き出しにしているような。音の極限まで行っちゃった人」とコメントする。
恵が「本人はもっと先まで行こうとしてたわ」と言うと、俊一は「それじゃジャズじゃなくなっちゃう」と驚く。すると恵は、だから薬に溺れたの。ラリってトリップしている間だけ、南部明の音楽とジャズは幸せにセッションできたのね」と話す。
だけど流れているのは、ごく普通のビバップ系の音に聞こえるのよ。
際立って先鋭的だとか、凄まじい狂気を感じるとか、そういうのは無いんだよな。

俊一は社長の御曹司であり、金銭的には不自由しないがジャズを全否定されるような家庭環境にある。名門ジャズ・サークルに所属している才能豊かな青年で、ジャズの本質を追及したくて場末のキャバレーで腕を磨いている。そういう設定だ。
しかし、まず「社長の息子」「名門ジャズ・サークルの一員」というのは、ダイナーの会話シーンまで分からない。
それに、そのことはセリフでチラッと触れるだけで、「恵まれた環境にあった若者が、あえてエリートコースを外れて身を落としている」という印象は全く受けない。
しかも、活動している場所が場末のギャバレーではなく高級クラブになっているしね。

俊一の演奏に関して、恵は「ハートはあるのよ。でも、それは傷付いたことも無い、血も流さない、叫びもしない、ただ歌ってるだけ」と評する。
だけど、「ハートがあって歌っている」のであれば、それでいいんじゃないのか。
「血を流したり叫んだりしなきゃ本物のジャズじゃない」ということになったら、「じゃあ楽しそうにデキシーランド・ジャズを演奏している人たちは偽物なのか」と言いたくなるぞ。
ディジー・ガレスピーがノリノリで『ソルト・ピーナッツ』や『マンテカ』を演奏しているのも、叫びが無いからダメなのか。

千枝古は「ジャズにはハーレムと淫売婦と麻薬のの匂いが染み込んでいる」という俊一の考え方を述べ、俊一は田能倉に「麻薬とかアル中とか、悲惨な人生がブルースの魂を生んでくれるなんて時代錯誤で大錯覚だ」と言われたことを話す。
でも、この映画は俊一の考え方を是としている。
そりゃあ、ジャズをハードボイルドに落とし込むには、そういうカテゴライズにした方が描きやすいってのは分かるんだよ。
だけど、「バカじゃねえの」としか思えんぞ。

この映画におけるジャズの解釈は、ジャズが好きな人間の端くれとしては、どうにも受け入れ難いものがある。
「楽しいジャズ」「明るいジャズ」を全否定しているんだよな。
たぶんベニー・グッドマン楽団とかグレン・ミラー楽団なんかも、この映画の解釈だと偽物になるんだよな。
この映画、ジャズを扱っているけど、むしろジャズ・ファンは見ない方がいいかもしれない。あまりオススメしたいと思えない。

それと、「傷付いたり血を流したり叫んだりするのがジャズ」というところに俊一を落とし込んでいるのに、本人から伝わってくるジャズへの情熱が弱いんだよな。
「恵まれたポジションにいる若者が、音楽の神髄に触れようとして、あえて名門コースを外れて身を落とす」というのが俊一のキャラであるはずだが、ジャズを究めようという強い意識、音楽への激しい情熱は感じられない。
それどころか、たまにジャズの話をしてくれないと「高級クラブで小遣い稼ぎとして何となくサックスを演奏している」という風にさえ見えるぐらいだ。
それは野村宏伸には合っているかもしれないが、主人公としての魅力には欠けている。

俊一は「才能が無い」とか「ゴミだ」と自分を評するが、「才能ある若者がジャズを究めようとして打ちのめされ、苦悩の中で進むべき道を見失っている」という風には感じない。
そうではなく、単に軟弱で辛気臭いだけの若者に見えるし、やさぐれているだけに見える。
それは、角川春樹の演出力と野村宏伸の演技力の両方に問題がある。
「ジャズに人生を懸けており、ジャズにしか生きられない若者」を描写したり演じたりするには、どちらも力が不足していたってことだろう。
どういう形であれ、この映画は「未熟な若者の成長物語」であるべきなのに、そういう印象も乏しいし。

(観賞日:2014年5月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会