『映画 妖怪人間ベム』:2012、日本

妖怪人間のベム、ベラ、ベロはバスジャック犯3人組を退治し、乗客を救った。しかし妖怪人間としての姿を乗客に見られたため、また別の街へ行くことを余儀なくされた。フェリーを降りた3人は、かつて来たことがある街だと気付いた。すぐに移動しようと考える3人だが、埠頭に大量出血で倒れている男性を発見する。そこへ重機が落下したので、ベムたちは男性を抱えて移動させた。その重機はワイヤーが決断されており、何者かが故意に落としたことは明らかだった。人が来たため、ベムたちは立ち去った。
倒れていた男は、MPL製薬の林田専務だった。幸いにも死なずに済んだものの、意識不明の重体だった。これまでにMPL製薬の社員4人が斬り付けられる事件が発生しており、警察は林田の襲撃も同一犯と断定した。社長の加賀美正輝は記者会見を開き、事件解決への協力を口にした。総合医療センターに収容されていた林田は、深夜に侵入した何者かによって殺された。事件が気になったベムは、その街に留まることを決めた。
ベロは右脚の悪い少女・上野みちると出会い、好意を抱く。みちるの父・達彦は、MPL製薬の研究者だった。みちるが忘れていった絵日記をベロが見ると、両親との楽しそうな思い出が幾つも描かれていた。一方、刑事の夏目章規はベムたちと別れた後も、3人のことを気にしていた。彼は妻の菜穗子、娘の優以、家政婦の町村日出美、大学教授の緒方浩靖、その孫の小春たちと夕食を取ろうとしている時、林田の事件を知らせるテレビのニュースを見た。
翌日、ベロは病院から出て来るみちるを発見し、日記帳を返す。しかし「両親と楽しそうで羨ましい」と彼が言うと、みちるは寂しげな評定で立ち去った。一緒にいた達彦は、「もう母親はいないんだ」とベロに告げた。ベロは学校帰りのみちるを待ち受け、勝手に日記を読んだことを謝罪した。みちるは笑顔でベロを受け入れ、母である小百合の写真を見せて思い出を語った。ベロはみちると楽しく遊ぶが、ベラから「正体がバレちまったらどうするんだい」と叱られた。
「人間に期待することを忘れてはいけない」とベムが言うと、ベラは「アンタらは甘いんだよ。忘れちまったのかい、この街でも」と口にする。以前、この街に来た時、3人は架橋建設地に誘拐されて殺されそうになっていた男児を救った。しかし包囲した警官隊は3人を悪党と決め付け、容赦なく発砲した。「この子を助けたかっただけなのに」とベムたちは激昂して変身し、警官隊を飛び越えて逃走した。
MPL製薬本社ビルの一部が崩れて瓦礫が加賀美の頭上に落下するが、ベムたちが駆け付けて助けた。ベムたちは近くにいた達彦が逃げ出す姿を目撃して後を追うが、見失ってしまった。警備員たちが駆け付けて3人を包囲するが、夏目が駆け付けて身許を保証した。ベムたちは夏目を隠れ家へ案内した。夏目は以前から斬り付け事件が気になっていたことを彼らに話し、協力を申し出た。夏目と握手を交わそうとしたベムの前に、名前の無い男が現れた。名前の無い男は「本当は人間になりたいんでしょう?申し上げたはずです。貴方がたが人間になる方法。それは私という悪を取り込むこと。さあ、今度こそ悪を取り込みなさい」と誘うが、それは夢だった。
翌日、ベム、ベラ、夏目の3人は、ベロがみちると楽しそうに遊ぶ様子を密かに観察する。みちるはベロに、達彦が絶対に枯れない葉っぱを持っていること、それを調べれば永遠の命が手に入ることを明かした。不審を抱いたベムたちは、山へ向かう達彦を尾行した。女性の存在を感知したベムたちが現場へ急行すると、そこには死んだはずの小百合がいた。ベムたちの前で小百合の右腕は変貌し、鋭く長い鎌が飛び出した。小百合はベムたちに襲い掛かるが、現場に駆け付けた達彦が呼び掛けると逃走した。
ベラは小百合を追い詰め、自分も同類であることを明かした。一方、達彦はベムたちに、小百合が変貌した事情を説明する。かつて小百合は達彦と共にMPL製薬で薬剤の研究に携わっていたが、2人は命を落としかねない副作用に気付いた。そこで2人は加賀美に、回収指示を要請した。後日、家族で山へドライブに出掛けた時、ブレーキが利かずに達彦は事故を起こした。小百合が死亡した時、達彦は持っていた緑の葉を絞って彼女の口に汁を垂らした。しかし復活の気配が無いため、彼はみちるを連れて下山した。
達彦が救急隊を連れて山に戻ると、小百合の姿は消えていた。汁を飲んだ彼女は、右腕が変異した状態で蘇っていたのだった。彼女は達彦の元へ行き、その姿を見せた。達彦と小百合は社員の1人を問い詰め、加賀美が新薬の副作用を揉み消すために事故を仕組んだことを知った。小百合が激怒すると右腕が武器に変わり、気付くと社員を殺害していた。怒りを抑制できないと確信した彼女は、みちるの前から姿を消した。達彦は山へ通い、みちるの様子を小百合に伝えていた。
ベムは達彦に、緑の葉のことを尋ねた。すると達彦は、自分が小学生の頃の体験を語る。ある日、彼は親しくしていた近所の青年が名前の無い男に悪のアメーバを注ぎ込まれる様子を目撃した。青年に誘拐された達彦は、化け物3人に救われた。逮捕された青年が緑の涙を流し、それは枯れた植物に落ちた。すると植物は蘇り、何年が経過しても枯れなかった。いつか謎を解明しようと考えた達彦は、緑の葉をお守りとして持ち歩くことにしたのだ。達彦を助けたのはベムたちだが、もちろか彼は知る由も無かった。
ベムたちが達彦を助けた現場へ行くと、緑の葉が一面に生い茂っていた。小百合は葉の汁を飲んだため、悪のアメーバによって右腕が変貌してしまったのだ。「何とか彼らを救いたい」とベムが呟くと、ベラは「むしろ喜ぶべきかもしれないね」と口にした。彼女が葉を絞って右腕に汁を垂らすと、一瞬だけ人間の状態に変化した。一行が隠れ家に戻ると、小春、緒方、そして夏目家の面々が待ち受けていた。緒方は緑の葉を使えば人間になれるのかと問われ、「なれるはずだ」と答えた。しかし小百合に関しては、難しいだろうと告げる。もし人間に戻ったとしても、死んだ状態になるだけだと彼は説明した。
ベロはみちるから「運動会で一等賞になりたい」と聞き、特訓に付き合った。ベムとベラは小百合が加賀美を襲っていることを感知し、現場へ急行した。2人は加賀美を救い、ベラは逃げる小百合を追った。加賀美はベムに「自分の罪を償って下さい。貴方は自分の身を守るために、あの家族を」と言われると、「多くの命を守っただけだ。あの薬には副作用があるが、供給を止めたら救えるはずの多くの人間が死ぬことになる」と主張した。
加賀美は「多くの人々を救えるなら、自分の手を汚してみせる」と言い、隙を見てベムを刺殺しようとする。しかしベムは簡単に阻止し、あえて自分の体を突き刺して「忘れないで下さい。犠牲になる者にも、温かい血が流れているということを」と述べた。ベラはベムに、いっそのこと小百合に加賀美を襲わせたらどうかと持ち掛ける。「全ての人間に助ける価値があるのかい。もう私たちが幸せになったっていいだろ」と、彼女は苛立ちを吐露する。ベロは2人の前で「幸せになりたいけど、みちるちゃんにはもっと幸せになってもらいたい」と泣く。ベムとベラは小百合と会い、みちるを応援するために運動会へ行こうと誘った…。

監督は狩山俊輔、原作はアサツー ディ・ケイ、脚本は西田征史、製作指揮は城朋子&佐野讓顯&藤島ジュリーK.、製作は奥田誠治&中村浩子&和田修治&市川南&伊藤和明&由里敬三&小泉守&藤門浩之、エグゼクティブプロデューサーは櫨山裕子、Co.エグゼクティブプロデューサーは藤本鈴子&神蔵克、プロデューサーは河野英裕&大倉寛子&原藤一輝&小泉守&田中正&畠山直人、撮影は迫信博、照明は徳永博一、録音は甲斐匡、美術は内田哲也、特撮監修は岡野正広、VFXプロデューサーは熊本直樹、美術プロデュースは小池寛、特殊メイク・造型は梅沢壮一、アクションコーディネーターは野口彰宏、編集は上野聡一、音楽プロデューサーは石井和之、音楽はサキタハヂメ。
出演は亀梨和也、杏、鈴木福、北村一輝、柄本明、観月ありさ、筒井道隆、中村橋之助(現・八代目中村芝翫)、石橋杏奈、永岡佑、杉咲花、堀ちえみ、広田レオナ、あがた森魚、畠山彩奈、山中敦史、大地泰仁、古川康、水野直、大石将史、田邊秀輝、田中洋之助、林田麻里、太田美恵、野間洋子、中谷竜、吉田祐健、夏江紘実、笹山哲平、大竹浩一、犬飼若博、岡本光太郎、津村和幸、島守杏介、キンタカオ、渋谷謙人、植田茂、大谷俊平、荒木誠、安部賢一、李滋鋭、荒木信広、小松大介、須田瑛斗、馬渕誉、森篤夫、小谷公一郎、岡本りか、名取誠之、望月理恵ら。
ナレーターは小林清志。


2011年に日本テレビ系列で放送されたTVドラマ『妖怪人間ベム』の劇場版。
メガホンを執ったのはドラマ版の演出を担当していた狩山俊輔で、これが映画監督デビュー。
脚本はドラマ版も担当していた『映画 怪物くん』『アフロ田中』の西田征史。
ベム役の亀梨和也ベラ役の杏、ベロ役の鈴木福、夏目役の北村一輝、名前役の柄本明、小春役の石橋杏奈、辻役の永岡佑、優以役の杉咲花、菜穗子役の堀ちえみ、日出美役の広田レオナ、緒方役のあがた森魚は、ドラマ版のレギュラー出演者。
他に、小百合を観月ありさ、達彦を筒井道隆、加賀美を中村橋之助(現・八代目中村芝翫)、みちるを畠山彩奈が演じている。

ドラマ版では、全ての事件の黒幕であり、人間になるために融合するよう持ち掛けた「名前の無い男」をベムが倒し、人間を守るために妖怪人間として生きていくことを決意して物語は終わっている。
ようするに、シリーズを通してのボスキャラを退治し、自分たちの進むべき道も決めたのだから、完全に話は完結しているのである。
最近はドラマで話を完結させず、「続きは映画でね」という卑怯な手口を使うケースもある。
そんな中で、ドラマの最終話でキッチリと完結させているのは評価できる(ホントはそれが当然なんだけど)。

しかし、そこで終わらせておけば潔かったものを、「視聴率が良かったし、映画にすれば稼げるだろう」という、テレビ局が主導する映画の安易な風潮に乗っかったせいで、蛇足としての劇場版が作られてしまった。
ドラマで話が完結していても、「ファンのためのボーナストラック」として続編を作るケースはあってもいいと思う。
しかし、それはドラマのスペシャル版として製作すべきだろう。
この作品も、そういうことだ。わざわざ映画にするような中身ではない。

何しろ、ドラマ版で名前の無い男を倒してしまったので、もう「最強の敵」は消滅している。
それに代わって悪役として登場するのは、ただの人間でしかない加賀美だ。まず肉体的にも、戦闘能力の面でも、ベムたちの敵ではない。また、「地位や人脈を使ってベムたちを追い詰める」という権力も持ち合わせていない。
劇場版なのに、むしろドラマ版よりスケール・ダウンしているような状態なのだ。しかも映画にする必要性が無いどころか、ドラマとしても1時間で済むような中身だ。
それと、この作品の場合、「その後のベムたち」を描こうとするのなら、1本のボーナストラックじゃなくてTVシリーズのパート2を作るべきだと思うぞ。
それぐらい尺を使わないと、一度は完結した地点からベムたちに新たな目的や悩みを与え、別のドラマを作り出すのは難しいと思うよ。

さて、物語の流れに沿って細かい点を指摘していこう。
まず冒頭、バスジャック犯を退治したベムたちは「乗客に姿を見られたから」という理由で別の街へ移動するんだけど、化け物としての姿を見られただけであって、人間の状態から変身する過程を見られたわけではない。
ずっと人間の姿で生活していれば、自分たちの素性がバレる危険性は無いはずなのだ。
だから「化け物の姿を見られたから街を出ないといけない」ってのは、おかしな考え方だろう。

林田が襲われる事件があった後、加賀美が部下から「警察の見解では、これまで4件の斬り付け犯と同一犯だと」と聞かされている。
でも、これまでの4件は切り付け事件で、今回は重機を落として殺そうとしているんだよね。それって、手口が明らかに違うでしょ。
たぶん「重機を落とす前に林田が斬り付けられている」ってことなんだろうけど、斬り付けられる現場が描かれているわけじゃないから、なんか違和感があるんだよな。
ようするに、そこは処理が下手だってことよ。

「その町で過去にベムたちが体験した出来事」として、男児を救ったエピソードが回想シーンとして挿入されるのだが、かなりギクシャクした構成になってしまっている。
「過去にあった出来事を今回の物語と絡める」という設定の時点で少し厳しいモノを感じたりはするが、そういう形を取るにしても、何度かに分けて過去の出来事を明かしていくとか、最初に過去の出来事に触れるのをベムたちじゃなくて達彦にするとか、もう少し策を凝らして丁寧にやった方がいいんじゃないかな。
その回想シーンの中で、ベムの頬に流れる緑の血が一瞬にして引いただけで警官が発砲するのは不可解だ。見た目は人間であり、強力な武器を持っているわけでもなく、攻撃する態度も示しておらず、「今すぐこの子に手当てを」と告げただけなのに、いきなり発砲するのよ。メチャクチャだ。
しかも、その奥に男児がいるので、下手すりゃ命中する可能性もあるのだ。実際、2発目が当たりそうになっているし。
っていうか、警官隊の指揮官がいるはずなのに、その勝手な発砲が漫然と許可されているのも変だろ。

その後、「嘘つけ、バケモン」「お前みたいなバケモンが人間助けるわけないだろ」「人間のフリしてんじゃねえ」などと警官たちが口々にベムたちを罵るのも、不自然さに満ちている。
「ベムたちが人間から差別や迫害を受けてきた」というのを描きたいのは分かるけど、あまりにも有り得なさが酷すぎる。「ごく一般的な人間の、妖怪人間に対する反応」ではなくて、その警官隊が異常な連中に見えるのだ。だからバカバカしさしか感じないし、本来なら伝わって来るべき「ベムたちの怒りや悲哀」が見えなくなってしまう。
ベムたちが加賀美を救った後、警備員たちが取り囲むってのは状況的に不自然だ。ベムたちが化け物の姿に変身しているならともかく、そうじゃないんだから。
そこに夏目が駆け付けるのも、これまた都合が良すぎる。そりゃあ、TV版のレギュラーを絡ませたいのは分かるけど、完全に管轄が違うわけで、それなのに「気になる事件だから」ってことで夏目が出張って来るのは無理がありすぎじゃないか。

名前の無い男が幻覚としてベムの前に現れ、語り掛けるというのは、取って付けたような印象が強い。
もうドラマ版で名前の無い男との関係性には決着が付いており、「融合を拒み、人間を守るために生きて行く」と決めたはずでしょ。
だから、ベムが「今度こそ悪を取り込みなさい」と持ち掛ける名前の無い男の悪夢に悩まされるというシーンを挿入されても、「そこを蒸し返すのかよ」と言いたくなる。
決着を付けたはずのベムが、同じ悩みを思い起こすようなきっかけも見当たらなかったし。

みちるが好きな遊びは「どんどん繋がる電車遊び」ってヤツで、ようするにマジカルバナナだ。
で、その設定は何の問題も無いんだけど、「緑といえば、葉っぱ」というベロの連想に続けて、みちるが「葉っぱといえば、永遠の命」と口にして、そこから「お父さんが絶対に枯れない葉っぱを持ってるの」と明かす流れは無理がありすぎるだろ。
あと、ベロの「牛といったら角」に続けて「角といったら化け物」ってのも強引。
さらに「化け物といったら優しい」と告げ、「お父さんが言ってたよ。化け物さんは人間を助けてくれるんだって」と話すのも無理がありすぎるわ。

加賀美が副作用を揉み消すために自動車事故で達彦と小百合を殺そうとするってのは、かなりバカバカしい。そもそも2人を始末しても副作用は出るわけだから、揉み消し工作として成立していないでしょ。
それと、2人を始末しようと目論むにしても、明らかにタイミングが早すぎる。その薬を使い続けたいのなら、回収せずに放置すればいいだけだ。で、それに対して達彦たちが事実を公表しようという動きを見せた時に、初めて始末すればいい。
もしも「なぜ回収しないのか」と抗議されたとしても、加賀美の脅しで口をつぐんだとしたら、わざわざ殺す必要は無いんだし。
大体さ、その事故で達彦は死んでいないのに、そのまま放置しているじゃねえか。揉み消し工作として2人の殺害を目論んだのなら、さっさと達彦も消さなきゃダメだろ。

蘇った小百合は加賀美の仕業だと知ったのに、なぜ役員を次々に殺していくのか。殺すべき相手、怒りを向けるべき相手は加賀美のはずでしょ。
だから怒りで我を忘れたとしても、その状態で加賀美ではなく役員たちを狙うってのは筋が通っていない。
あと、小百合は相手に斬り付けて殺害する能力を持っているはずなんだから、林田に斬り付けた後で重機を落とす意味は何なのかと。
ビルを壊して瓦礫を加賀美に落とす時もそうだけど、行動が変だぞ。

それと、達彦のブレーキに細工が施してあったのなら、なぜ警察の調査で明らかになっていないのか。それを揉み消すほどの力は、加賀美には無いはずでしょ。警察を黙らせるほど権力があるようには全く見えないぞ。
で、小百合が殺され、自分の命を狙われたのに、達彦が何も行動を起こさないのも不可解。
「どうせ揉み消される」と言っているけど、事故はともかく薬の副作用に関しては、メディアにリークすればいいんじゃないのか。
っていうか、重大な副作用があるなら、露呈するはずだろ。
前述したように、揉み消し工作として関係者を始末したところで、副作用を消すことは出来ないんだからさ。

ベムは加賀美が小百合を殺害したことを知っているのに、小百合に襲われた彼を救って「自分の罪を償って下さい。貴方は自分の身を守るために、あの家族を」と説教するだけで終わらせる。
加賀美に命を狙われても、やはり「忘れないで下さい。犠牲になる者にも、温かい血が流れているということを」と説教するだけ。殺人の証拠を集めて警察に突き出すわけでもなく、副作用のある薬を回収するよう脅しを掛けるわけでもない。
何がしたいんだか、サッパリだ。
お前の説教なんぞ、これっぽっちも効力が無いっての。

ベラがベムに「全ての人間を救う価値があるのか」と問い掛けるシーンがあるが、それをテーマとするドラマは全く膨らまない。
まず、ベラには「人間になれないことへの苛立ち」や「人間になりたいという強烈な渇望」が不足している。ベムの方には、「なぜ全ての人間を助けるのか」という問いに対する明確な答えが無い。また、彼の中には「人間になりたい」という渇望と「人間を救うためには妖怪人間のままでいるべきだ」とい考えの間の葛藤が無い。
本当ならば、みちると仲良くなったベロが最も人間になりたい気持ちを強く持っているはずだから、「ベロが人間になりたいと望み、ベムが諭す」とか、「人間になりたいベロが反発し、ベムは悩む」とか、そういう展開を持ち込むべきじゃないかと思うが、そういった類のドラマは全く膨らまない。
そして、「全ての人間を救う価値があるのか」という問題提起は、テーマとして全く機能していない。

映画は「全ての人間を救う価値があるのか」というテーマを掘り下げることはせず、みんなで運動会を見に行くというヌルすぎる展開に突入する。
でも、小百合がベムや達彦たちと一緒に観戦しているのは軽率すぎるだろ。
達彦たちがいるってことは、みちるが視線を向けることは確実だ。でも小百合は死んだことになっているんだから、みちるに気付かれたらマズいだろうに。
っていうか、みちるだけじゃなく、保護者や学校関係者の中にも小百合を知っている人はいるはずだから、そんなに堂々と顔をさらして観戦したらダメだろ。

加賀美は終盤に入ると、みちるを拉致して小百合と達彦をおびき寄せ、殺害しようと目論むが、アホなのかと。
こいつには信頼できる手下が1人もおらず、有能な殺し屋を雇う金や知恵も無いのか。なんで全てをテメエでやろうとしているんだよ。
悪役が加賀美だけで手下が誰も出て来ないから、ただでさえベムたちの前に現れる敵としてのスケール感に乏しいのに、ますます小物っぽさが強調されている。
手下役に大勢の俳優を揃える予算が無かったわけでもあるまいに。

加賀美が上野一家を殺そうとするのは、もちろん彼が悪いんだけど、ベムが何か手を打っておけば防げたことだ。
説教するだけで悪党を野放しにするから、犠牲者が出そうになっているじゃねえか。
「誰も傷付けずに全ての人間を救いたい」というベムの主張を加賀美は「綺麗事だ」と切り捨てるが、その通りだわ。
「誰かを救おうとすれば誰かが犠牲になる」という理屈に対してベムは「ならば俺たちが犠牲になる」と言うけど、何の解決法にもなっていない。

「誰も傷付けずに全ての人間を救いたい」という綺麗事を受け入れるとしても、だったら綺麗事を成立させるための方法を用意しないとダメでしょ。
例えば加賀美が上野一家を殺そうとした時に「ベムが犠牲になる」ってのは、具体的にどういうことなのかサッパリ分からん。
加賀美を退治せずに放置しておく以上、彼は上野一家を殺そうとするわけで。
つまり、上野一家を救おうとするのなら、何かしらの形で加賀美を傷付ける必要があるのよ。

加賀美は「多くの人々を救うためには、誰かが犠牲になる必要がある」と主張する。
だが、彼が本当に大勢の人々を救うために副作用のある薬を販売しているわけではなく、単に利益優先の悪党にしか見えない。
なので、「誰も傷付けずに全ての人間を救いたい」というベムとの意見対立の構図が、真っ当な形で成立しない。
そもそも、重要な副作用を無視してまで販売している薬がどういう物なのか、どんな効果があるのか、どれだけ大勢の人々が薬のおかげで救われているのか、そういうことが全く描かれていないし。

(観賞日:2015年1月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会