『ウォータームーン』:1989、日本

山奥にある報恩寺で修行僧として暮らす捨て子の竜雲は、そこでの生活に嫌気が差している。そんな中、竜雲は奇妙な痛みに見舞われる。昭和31年9月7日、長野県破王岳に隕石が落下し、政府と在日米軍による合同調査が実施された。その光景がフラッシュバックのように彼の脳裏に飛び込んできた。翌日、内閣調査室チーフの奥野康雄が寺を訪れ、住職の木村宗禅に「今年もそろそろですね。兆候が出てるんじゃありませんか」と問い掛けた。宗禅が「いや、まだ何も」と告げると、奥野は「御仏の傍にお預けしているのは何のためか、今一度良くお考え頂いて、何事にも背くことの無いように、本年も無事1ヶ月間修業できますように、お願い致します」と述べた。
その夜、修行僧たちはアダルトビデオを観賞し、最も若い知念を甚振った。そこへ竜雲が現れると、彼らは殴り倒し、侮蔑する言葉を浴びせる。竜雲は彼らを叩きのめし、二度と知念に手を出すなと威嚇した。宗禅から「あれほど怒りを持つなと言っただろう」と叱られた竜雲は、「耐えることだけが仏の道なのですか」と反発する。「人が当たり前に生きることは一番苦しいことだなあ」と宗禅は漏らし、「山を下りろ。山道は許さん。山伝いに尻尾を巻いて逃げて行け」と命じる。
山を下りて東京にやって来た竜雲は、当ても無く街を歩き回った。公安の命令を受けた修行僧たちは、竜雲を捜索する。夜の公園で寝ようとしていた竜雲は、サバイバルゲームに興じる連中の標的にされる。その内の2人を叩きのめした竜雲だが、サバイバルナイフで腹を刺される。奥野と部下の広川健三、栗林政治たちは、竜雲にやられた男が複雑骨折を負ったという知らせを受け、石原一郎博士の元へ赴いた。石原は「指名手配でも何でもして早急に回収したらどうだ」と苛立つが、奥野は「それが出来るくらいなら苦労はしませんよ。歴代の総理、関係閣僚、自衛隊と内閣調査室の一部、そちら側のピックアップメンバー、それに報恩寺の木村宗禅以外は、一切漏洩禁止、国の第一級秘密事項だ」と静かに語る。
石原が「しかしRが寺を脱走したまま血液交換をせずに生命を停止してしまったら、どうにもならん」と口にすると、奥野はRの体を撮影したレントゲン写真を見ながら「みんな昆虫みたいな骨格で、元々、中の血管もどきには透明な液体しか入っていなかったのに、なぜ人間の血液で生きられるんだ」と質問する。石原は「偶然の結果だったんだ。なぜかは、まだ分からん。分かっているのは、Rは自ら血液を作り出す機能が全く無いということだ。だから1年に1回、1ヶ月掛けて、古い血液と新しい血液を取り換えてる。その1ヶ月が、我々にとっても1年に1度の研究期間だ」と述べる。血液交換のリミットは、長くてもあと2週間だという。
竜雲は教会まで辿り着き、中に入ったところで意識を失った。それから1週間後、意識を取り戻した竜雲は、旅館の一室にいた。勝手口で倒れていた竜雲を発見した旅館の娘・古清水鹿野子が、彼を助けたのだ。鹿野子は盲目だった。女将である義母・淑江の愛人である作家の津久井忠は、鹿野子の体を狙っている。だが、淑江は津久井ではなく、鹿野子に対して「私のいい人にまで手を付けるんだね」と嫌味を言い、娘に冷たく当たっている。
街に出た竜雲は、風俗店の呼び込みをしている知念と再会した。いつか竜雲に会えるのではないかと考え、知念は1人だけ町に残ったのだいう。知念から「東京にいない方がいいよ。どこか遠い所へ逃げて下さい」と促された竜雲だが、「今はお金が要るんだ。何か出来ることは無いか」と相談を持ち掛ける。知念は竜雲をパチンコ店に連れて行く。目が回ってすぐに投げ出した竜雲だが、知念から渡された馬券が的中し、それが万馬券だったため、17万円が手に入った。
稼ぎの大半を知念から貰った竜雲は、「私はまだここにいて、しなければならないことがあるような気がするんだ」と告げた。知念は「水商売合うみたいだから」と、横浜へ帰ることを告げて彼と別れる。旅館に戻った竜雲は、鹿野子に金を渡して旅立とうとする。だが、急に鼓動が速くなってフラッシュバックに見舞われ、意識を失って倒れてしまう。また鹿野子の世話になった竜雲は、彼女が運転中の不注意から恋人と彼の娘を事故に遭わせていたこと、その時に視力を失ったことを知る。
奥野と部下たちは宿泊客として旅館に入り、竜雲を捕獲しようとする。だが、彼らの会話を盗み聞きした鹿野子は、旅館に火を放った。火が広まって宿泊客が逃げ惑う中、竜雲は鹿野子に「私が貴方の目になる」と告げ、彼女を連れて脱出した。2人は鹿野子が子供の頃に見たというリラ色のコスモスを探し出すため、旅に出た。「コスモス畑があったとしても、もう私には見れないんです」と弱音を吐く彼女に、竜雲は「辛いのは貴方だけじゃないんです。ちゃんと生きてる限り、光は必ずやって来ます」と告げる…。

監督は工藤栄一、原案は長渕剛、脚本は丸山昇一、企画は黒澤満&後藤由多加(ユイ音楽工房)、プロデューサーは青木勝彦&森田秀美(オフィス レン)、撮影監督は仙元誠三、美術は今村力、照明は渡辺三雄、録音は細井正次、編集は川島章正、音楽監督は長渕剛、音楽プロデューサーは山里剛(CREO)&高桑忠男 編曲は瀬尾一三&国吉良一。
テーマソング:「しょっぱい三日月の夜」詞・曲:長渕剛、編曲:瀬尾一三。
出演は長渕剛、松坂慶子、小林稔侍、岩崎加根子、清水紘治、誠直也、金沢碧、成田三樹夫、垂水悟郎、小林勝彦、菅田俊、大林丈史、萩原聖人、堀勉、伊藤洋三郎、今井雅之、長坂しほり、星野晶子、小椋正、瀬木一将、山口健次、三田村賢二、片瀬誠、小松伸、佐藤孝光、川口仁、内木場金光、佐藤信一、篠原勝行、鈴木旺盛、岸一成、藤岡大樹、中村好男、斉藤芳雄、米澤史織、細山田隆人、小川京子ら。


長渕剛の『オルゴール』に続く主演第2作。
鹿野子を松坂慶子、奥野を小林稔侍、淑江を岩崎加根子、津久井を清水紘治、広川を誠直也、亮子を金沢碧、石原を成田三樹夫、宗禅を垂水悟郎、栗林を菅田俊、知念を萩原聖人が演じている。
監督には工藤栄一の名が表記されているが、撮影途中で降板し、長渕が代わりに監督を務めている。
っていうか、工藤が降板する前から、実質的には長渕剛が監督だった。それだけでなく、長渕は脚本も大幅に改変している。
ようするに、長渕剛がワンマンに取り仕切ったオレ様映画ってことだ。

イカれた奴が何か犯罪をやらかした時、ニュース番組で「警察の取り調べに対し、容疑者は意味不明なことを話しているということです」と報じられることが良くある。
だが、その容疑者が話した内容を調べてみると、「心の声が誰かを殺せと命じた」とか、「周囲の人間が自分を殺そうとしているので、殺される前に刺した」とか、そういった感じのことだったりする。
それはイカれたコメント、妄想に憑依されたコメントではあるが、「意味不明」と表現するのは正確ではない。
「心の声が誰かを殺せと命じたんだな」「周囲の人間に殺されると感じたから刺したんだな」という風に、意味は分かる。
本当に「意味不明」ってのは、この映画のようなことを言うのだ。

宗禅から「あれほど怒りを持つなと言っただろう」と叱られた竜雲は、「耐えることだけが仏の道なのですか。どうしても我慢ならないことに怒るのが、なぜいかんのですか。人は口で暴力を吐き、人はこの目で過ちを叩き付け、人はこの手で心を歪める。人が苦悩に打ちひしがれ、例えば涙を流すことがあったとしても、それを黙って指をしゃぶるだけが仏の道なのですか」と反発する。
だが、その言葉は、まるで心に響かない。
だって、自己陶酔している奴の戯言にしか聞こえないからね。
あと、「人は口で暴力を吐き、人はこの目で過ちを叩き付け、人はこの手で心を歪める。人が苦悩に打ちひしがれ、例えば涙を流すことがあったとしても」という辺りは、ほとんど歌詞を読んでいるような台詞回しになっているのね。

修行僧たちはアダルトビデオを観賞するのだが、それは「宗禅に見つからないよう、こっそりと」という感じではなく、かなり堂々と観賞している。
それが初めてではなく常習のようだが、なぜか宗禅は全く気付いていないってことだろう。もしも気付いていながら見逃しているのであれば、もはや禅寺としての価値は無い。
で、そんな俗物の修行僧たちしかいないことに嫌気が差した竜雲は寺を出るのだが、そんな竜雲も平気で煙草を吸い、生意気な態度を取るような腐れ坊主だ。
そもそも無精ヒゲを生やしている時点で修行僧として失格だと思うのだが、なぜか宗禅は許しているし、煙草を吸っても警策で叩くだけで終わらせている。

竜雲は知念を甚振った修行僧をボコボコにするのだが、それまで真面目に修業を積んでいた奴が卑劣な行為に激怒して暴力を行使するならともかく、その修行僧たちに負けず劣らずの俗物である竜雲なので、それはチンピラ同士の喧嘩に近いものがある。
TVドラマ『とんぼ』と映画『オルゴール』でヤクザを演じた長渕だが、演じる役は修行僧に変わっても、やってることは全く変わっていない。
何しろ、修行僧が竜雲に「おのれ、和尚から盃もろたからちゅうてあんまりデカいツラすなや」と言っているぐらいだし。
「盃を貰う」って、もう完全にヤクザじゃねえか。

っていうか、知念以外にマトモな修行僧が存在しないんだけど(その知念ですら平気で煙草を吸っているし)、宗禅って明らかに住職として失格だろ。
竜雲は他の修行僧に腹を立てる前に、それを許している宗禅を糾弾すべきだろ。
あと、暴力を振るった竜雲を宗禅が叱責するのは当然だが、先に手を出したりアダルトビデオを見たりしていた修行僧たちを放置しているのは、どういうことだよ。

知念から夢は何かと尋ねられた竜雲は、「当たり前の男になりたいってことかな」と答えている。
当たり前の男になる前に、まず当たり前の修行僧になれよ。「修行僧なのに煙草を吸ったり無精ヒゲを生やしたり人をボコボコにしたりする」という時点で、「当たり前の男になる気なんて無いだろ」と言いたくなるぞ。
その後、東京に出た彼は、公園で幼児を抱き上げて水を飲ませ、母親に「何するんですか」と怒られる。そりゃそうだろ。
でも、どうやら竜雲は(っていうか長渕は)、なぜ怒るのか、自分は何も悪いことをしていないのに、と思っている。
その夜、繁華街で道端(路地裏に入るところ)で座り込んで煙草を吸っていた竜雲は、ぶつかってコケそうになった酔っ払いのサラリーマンに絡まれる。
でも、そんな場所にいたら邪魔だし、そりゃ絡まれても仕方が無いぞ。

竜雲はRと名付けられた宇宙人で、「たまたま人間の血液が合った」という御都合主義丸出しの設定で生き延びている。
で、その血液を1年に1度のペースで交換しないと死んじゃうらしいんだが、それが分かっているのに、なぜ宗禅は下山させたのか。
あと、そもそも政府機関は、なぜ禅寺に竜雲を預けたのか。
一応は研究対象になっているようだが、それは1年に1度、1週間だけで、それ以外の期間は禅寺に預けて修業をさせているって、何がしたいんだよ、日本政府は。

それと、竜雲は自分が宇宙人ってことが分かっているはずで、そんな奴が「耐えることだけが仏の道なのですか」とか怒りを見せても、「そもそも、お前の星に仏の道とかねえだろ」とツッコミを入れたくなる。
そんなことより、宇宙人なら宇宙人らしく、「地球に一人しかいない宇宙人」としてのアイデンティティーについて考えたらどうなのか。もしくは、何とかして故郷へ帰還する方法を考えるとか。
っていうか、これは明らかに長渕が「人間とは、かくあるべき」という自分のカルト宗教じみた主張をアピールするための映画なんだから、そんな作品で、なぜ主人公を宇宙人という設定にしたのか。
そんな設定にした意味が全く見えて来ないぞ。

サバゲーの男に刺された竜雲は教会まで辿り着き、中に入ったところで意識を失う。それから1週間後、意識を取り戻した竜雲は旅館の一室にいる。
勝手口で倒れていたところを救われたらしいが、どうやって彼が旅館まで移動したのかは全く分からない。
それと、高熱を出して倒れていたらしいが、刺された腹の傷はどうなったのかも分からない。血液を入れ替えなきゃ死ぬはずだが、かなりの血を失ってもピンピンしている。
あと、古清水親子が救急車を呼んだり病院へ運んだりしなかった理由も全く分からない。

街に出た竜雲は、風俗店の呼び込みをしている知念と再会する。いつか竜雲に会えるのではないかと考えて、知念は1人だけ町に残ったことを説明する。
ってことは、他の修行僧は捜索を中止したのかよ。そんなに簡単に諦めるのか。
っていうか、それで知念が1人だけ街に留まっているのも、「なんでだよ」と言いたくなる。
で、竜雲から「お金が要るんだ。何か出来ることは無いか」と相談された知念は、彼をパチンコ店へ連れて行き、馬券を渡す。
寺では真面目に修業をしている様子だったけど、パチンコも競馬もやっているのかよ。

奥野たちが竜雲を捕まえようとしていることを知った鹿野子は、内戦で「逃げて」と伝えようとするが不在だったので、いきなり旅館に火を放つ。
そうやって騒ぎを起こしている間に竜雲に逃げてもらおうという狙いなんだけど、メチャクチャだろ。
竜雲を逃がしてやろうと思った時に、まず最初に「放火」という作戦を思い付くかね。思い付いたとしても、何の迷いも無く火を付けるかね。
あと、火事になったからって、それで竜雲が「鹿野子が自分を奥野たちから逃がすためにやった」と悟るのは、どんだけ勘がいいんだよ。
で、鹿野子は竜雲に連れられてコスモスを見るための旅に出るのだが、なんでだよ。

発作で倒れて政府の施設に担ぎ込まれた竜雲は、自分の角膜を鹿野子に移植してほしいと要望する。
聞き入れられずに処置が施されようとすると、彼はパワーがゼロだったはずなのに、暴れまくって政府の連中を叩きのめす。
でも、そこから逃げ出したところで、自分の角膜を鹿野子に移植することは不可能だぞ。
で、宗禅が現れると、竜雲は「初めから無い物と分かっていても、そこに命を懸けることこそが尊い。水に映る月、即ち、叶わぬ夢に己の命を懸けるその姿こそが、人の生きる道ではないのですか」と喚く。
その問い掛けに対しては、「いや、違うよ」と冷たく答えておく。

宗禅に「頼むから生きてくれ」と言われた竜雲は、「人はどうして、ひたむきに生きることが出来ないんですか? 人はどうして、真面目に生きるのがバカバカしく思えるんですか?俺はどうして幸せだと思えないんですか。どうして、でかいツラの東京は俺を受け入れないんですか?どうして俺にツバをかける、どうして俺に銃口を向ける?どうして、どうして、どうして、あの人の目が治せないんですか?僕は、何も悪いことしてないのに」と泣き出す。
一応は感動的なシーン、涙を誘うシーンとして演出されているんだが、よっぽど熱狂的な長渕ファンでない限り、感動するのは厳しいと思う。
なんせ身勝手な奴の戯言を聞かされているだけだからね。

その会話の後、場面が切り替わると竜雲は豪雨の中で読経し、叫んでいる。そこから場面が切り替わると、今度は雨が止んだ湖のほとりに竜雲が倒れている。そこへやって来た鹿野子の顔に竜雲が触れると、彼女の視力が回復する。
何がどうなって視力が回復したのかは全く分からない。
で、鹿野子に抱かれて竜雲が目を閉じるので、「竜雲が最後のパワーを使って鹿野子に視力を与えた」という設定なのかと思いきや、場面が切り替わると、まだ竜雲は普通に生きている。
さんざん死ぬフラグを立てておいて、死なないのだ。

誰もいない早朝の東京に現れた竜雲の前に、奥野が姿を現す。奥野は竜雲に銃を構えるが、なぜ殺そうとするのかは良く分からない。
竜雲は余裕の態度で口笛を吹き始めるが、奥野はなかなか発砲しようとしない。で、竜雲が口笛を吹き続ける中、銃を下ろしてしゃがみ込んだ奥野は、自分のこめかみに銃を突き付ける。しかし弾は発射されず、竜雲は彼の肩に手を置いた後、口笛を吹きながら立ち去る。
最後は画面に大きく「生きて生きて生きまくれ 俺の命は生きるために流れている 竜雲 合掌」という文字が出る。
まるでワケが分からない。
最初に書いたように、こういうのを「意味不明」と表現するのだ。

(観賞日:2013年5月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会