『嘘八百 京町ロワイヤル』:2020、日本

古美術店「嵐山堂」の嵐山直矢と大物鑑定家の億野万蔵は文化庁文化財部長の後醍醐や政治家を抱き込み、古美術修復の仕事に絡んで甘い汁を吸っていた。嵐山は古美術修復に携わる職人として、牧野慶太という男を育てていた。牧野はテレビの古美術鑑定番組にレポーターとして出演し、「陶芸王子」と呼ばれていた。牧野は出演者の嵐山と億野を伴い、「獺」を訪問した。「獺」には行列が出来ていたが、それは店内で占い師の仕事を始めた小池いまり目当ての客だった。
小池則夫は高校時代の友人である青山一郎から30年ぶりに連絡を貰い、彼か担当する鑑定番組への出演を引き受けていた。則夫が佐輔の器を差し出すと、億野は一瞥して5千円と鑑定した。さらに彼は別の茶碗について、贋作だと断言して鼻で笑った。番組は生放送で、佐輔はギャラリーで展示会を開きながらテレビで見ていた。自身の作品が贋作扱いされたため、注文してくれていた客はキャンセルして去った。ギャラリーのオーナーもテレビを見ており、佐輔に展示会の打ち切りを通告した。そんな中、1人の男が8千円の皿を8万円で買うと申し出た。しかし彼が佐輔に百万円で贋作作りを依頼すると、妻の康子が断って帰らせた。
橘志野という女性が「獺」に現れ、則夫に茶碗の写真を見せた。それが「はたかけ」と呼ばれる古田織部の幻の茶碗だと気付いて、則夫は驚いた。志野は茶碗が亡き父の形見であり、認知症を患った母が修復を申し出た道具屋に騙されて持ち去られたのだと話す。「警察に相談したが手掛かりが乏しくて見つからなかった」と聞いた則夫は、志野への協力を申し出た。彼は佐輔、よっちゃん、西田、材木屋と会い、その一件を話した。
佐輔に贋作作りを依頼したのは、嵐山堂の番頭だった。嵐山は番頭に、佐輔は向こうから泣き付いて来ると告げた。佐輔は則夫に、20年前に「はたかけ」の贋作を作ったことがあると明かした。彼は則夫が下心から志野に手を貸したと見抜いており、呆れ果てた。彼は20年前に作った贋作の補欠を、則夫に渡した。則夫は贋作を志野に渡し、謝礼は受け取らなかった。ピエールは則夫の依頼を受けて動き、本物の「はたかけ」がある嵐山堂を訪ねた。彼が買い付けを装うと、番頭は5千万円を要求した。
則夫は贋作がネットオークションに出品されていると知り、志野に電話を掛けるが繋がらなかった。則夫と佐輔は志野を目撃して後を追い、彼女がホステスとして勤務するクラブに入った。志野は則夫と佐輔に非難されても全く悪びれず、テレビで見て彼に目を付けたと話す。その上で彼女は自分の計画に手を貸さないかと持ち掛け、国立古美術修復センターについて語る。それは1年前に出来た施設で、表向きは預かった古美術品を修復して返却する目的で設立されている。しかし実際は預かった本物を参考にして贋作を作り、海外に流していた。そんなセンターに嵐山堂が関与し、金を稼いでいるのだと志野は説明した。
志野は則夫たちに、嵐山堂が贋作ビジネスを手を染めるきっかけは20年前に樋渡開花堂が作らせた佐輔の茶碗だと教える。彼女は2人に、手を組んで嵐山を引きずり降ろそうと持ち掛けた。クラブに嵐山と億野が来たので、志野はそちらに席を移った。則夫は志野に手を貸すと決め、青山に協力を依頼する。しかし青山は鑑定番組を外れており、ケーブルテレビのディレクターを務める内山を紹介した。内山は嵐山を訪ね、新番組『お宝一期一会』の初回に目玉としてお茶会で「はたかけ」を出してほしいと依頼する。さらに彼は、お茶会の場所として渉成園を使うことを話した。志野はクラブで嵐山と億野を接待し、お茶会に招待された。
則夫は西田に、嵐山堂の先代の手紙を偽造するよう頼んだ。彼は偽の手紙で、嵐山を怖がらせる作戦を立てていた。先代の写真を見た西田は、よっちゃんに似ていると言い出した。佐輔が「はしかけ」の写しを幾つも作っていると、誠治が訪ねて来た。彼は特殊メイクの仕事をしており、京都の撮影所でゾンビ映画に参加していることを語った。則夫は撮影所に志野や先代の幽霊を演じるよっちゃんたちを連れて行き、お茶会当日の行動について渉成園のセットで指示した。
則夫は志野と2人きりになると、彼女の父親が先代の番頭だった橘正志だと指摘する。正志は先代の遺志を無視する嵐山の方針に抗議して店を辞め、自ら命を絶っていた。則夫は田中四郎と会い、古田織部の思いを尊重するなら「はたかけ」を「はしかけ」と呼ぶべきだと熱弁された。お茶会の当日、則夫や佐輔はテレビ局のスタッフに成り済まして待機する。生放送が始まると、志野が「はたかけ」で茶を点てた。億野が「はたかけ」を大げさに絶賛すると、そこへ贋作の茶碗が幾つも運ばれて来た…。

監督は武正晴、脚本は今井雅子&足立紳、製作は與田尚志&依田巽&井上肇&河野洋範&鈴木聡&花見れい子&高橋淳&中野伸二&清水厚志&井口佳和&岡田美穂、企画は大木達哉、エグゼクティブプロデューサーは加藤和夫&小竹里美、プロデューサーは佐藤現&横山和宏&氏家英樹&楠智晴、撮影は西村博光、照明は篠崎征司、美術は新田隆之、録音は鈴木健太郎、編集は細野優理子、音楽は富貴晴美、主題歌『門松』はクレイジーケンバンド。
出演は中井貴一、佐々木蔵之介、加藤雅也、竜雷太、広末涼子、友近、森川葵、山田裕貴、前野朋哉、国広富之、坂田利夫、木下ほうか、宇野祥平、ブレイク・クロフォード、塚地武雅、桂雀々、吹越満、坂田聡、浜村淳、山田雅人、冨手麻妙、矢野勝也、荒谷清水、真田実、中川浩三、河屋秀俊、吉井凰雅、鴨鈴女、木下聖浩、白井哲也、森本のぶ、酒井高陽、竹下眞、桜山優、奥井隆一、秋吉織栄、貝辻信子、田中孝史、佐渡山順久、平尾亮、前村雄大、札内幸太、中村正、藤本幸利、吉田哲子、山野さゆり、眞砂享子、西村亜矢子、安川集治、川並淳一、黒井涼平、大野洋史、山田かつろう、山本志づ世、曽木亜古弥、小野愛寿香、岡崎美知子、松田智子、佐藤都輝子、福原正義ら。


2018年の映画『嘘八百』の続編。
監督の武正晴、脚本の足立紳&今井雅子は、前作からの続投。
則夫役の中井貴一、佐輔役の佐々木蔵之介、康子役の友近、いまり役の森川葵、誠治役の前野朋哉、よっちゃん役の坂田利夫、西田役の木下ほうか、材木屋役の宇野祥平、ピエール役のブレイク・クロフォード、田中役の塚地武雅、後醍醐役の桂雀々は、前作からの続投。
嵐山を加藤雅也、億野を竜雷太、志野を広末涼子、牧野を山田裕貴、正志を国広富之、青山を吹越満が演じている。

シリーズ2作目だから、前作の主要キャストを揃えようとするのは理解できる。大抵の場合、主要キャストを揃えた方が観客には喜ばれるし、その判断が間違っているとは思わない。
しかし本作品の場合は厄介な問題があって、それは「多くのキャラを持て余している」ってことだ。
極端なことを言っちゃうと、前作のメインキャストの内、則夫と佐輔さえいれば成立する話なんだよね。
よっちゃんたちは、まだ「詐欺を手伝う仲間」としての仕事が一応は用意されているけど、それでも役割としては弱い。
それでも彼らはマシな方で、康子、いまり、誠治に関しては、存在意義が皆無に等しい。

それでも存在意義が絶対に必要というわけではなくて、「レギャラーキャストとしての顔見世」程度で終わっていても一向に構わない。
しかし困ったことに、いまりなんかは「大人気の占い師」という設定を用意して、変に目立たせようとしているんだよね。
誠治にしても、撮影所で働く特殊メイクアップアーティストという設定があるけど、それを充分に活用しているとは言い難いし。
康子は佐輔に些細なことで腹を立てて喧嘩するけど、それが後の展開に全く繋がっていないし。

いまりを人気の占い師として登場させたのなら、それがストーリー展開に絡んで来るんだろうと思ったのよ。ところが実際には、全く関係ないんだよね。
タロット占いで則夫にタワーのカードが出てビビるシーンがあったりするけど、「だから何なのか」って話だし。
彼女が何の仕事をしていようと、ストーリー展開には何の影響も及ぼさない。ハッキリ言って冒頭の「行列が出来ているけど客の目的は古美術じゃなくて占い」というネタのためだけの設定に留まっている。
っていうかさ、いまりと誠治に関しては、前作のラストから今回の話に上手く繋がってんのかね、これで。

たぶん製作サイドとしては、小粋なコメディーを狙っているんじゃないかと思う。でも、むしろ野暮ったさを強く感じる仕上がりになっている。
則夫たちがお茶会に向けて作業するシーンでは四分割画面を使うなどしており、スタイリッシュさを出そうとしているんだろう。
でもコメディーとしてのセンスが根本的に野暮ったいし、もっと言っちゃうと良くも悪くも松竹蒲田っぽいテイストを感じる。
あと、余計な手順でテンポを悪くしている箇所が目立つんだよね。それは大きな欠点だわ。

嵐山は番頭を佐輔の元へ差し向け、贋作を依頼させている。
その前に嵐山はテレビで佐輔の作品を贋作として酷評しているので、番頭の背後に彼がいると分かったら佐輔は怒って拒否する可能性が高い。
それを考えると「何がしたいのか」と言いたくなるが、後で則夫の台詞を使って「偽者呼ばわりしてスカウトする目的」と説明しているが、そこまでするメリットを感じないのよ。
それに、嵐山は国立古美術修復センターで稼いでいるんだから、既に贋作で悪評の高い佐輔を無理に引き込む必要も無いでしょ。

しかも嵐山は、わざわざ自分が番頭を雇って贋作を依頼したことを、「百万円、貰っといたら良かったのに」と馬鹿にした態度で佐輔に話しているんだよね。
そんなの、バラす必要性が全く無いでしょうに。
それは「佐輔が嵐山に腹を立てて志野の仕事を受ける」という展開に繋げるためだけの手順なのだが、目的に対する手間が無駄に掛かり過ぎていて、ちっとも粋じゃないよ。
しかも佐輔は「個展を打ち切りにするとオーナーに言われた」と吐露するけど、それが志野の計画を受ける理由なら、嵐山から馬鹿にされるシーンは無くてもいい。志野に計画を持ち掛けられた時点で、承諾すればいい。

志野は則夫と佐輔に計画を持ち掛ける時、その目的について「嵐山の犯罪を暴いたら金になる」と説明する。
だけど、その理屈が全く理解できない。
もちろん実際には金目当てじゃなくて、「父の仇討ち」という目的で動いているのよ。
でも表向きは「私はお金が好きなだけ」と言っているんだから、「嵐山の犯罪を暴いたら金が儲かる理屈」ってのは絶対に必要でしょうに。
そこを説明していないのに則夫と佐輔が計画に乗るのも、手順が足りていないと感じるし。

則夫と佐輔も金目当てじゃなくて復讐が動機になっているけど、ここも弱いんだよね。
だって彼らの復讐心は、「嵐山から贋作呼ばわりされた」という程度であって。
則夫の商売は、それが無くても決して繁盛していたわけじゃないでしょ。
佐輔にしても、個展は打ち切りになったけど、「大盛況で多くの作品が売れていた」ってわけでもないでしょ。
「20年前からの因縁」という設定があった前作に比べると、今回は彼らを突き動かすモチベーションが弱すぎるわ。

佐輔が嵐山から「百万円、貰っといたら良かったのに」と言われるのは、彼と則夫が牧野の作陶展を訪れたシーンの出来事だ。
でも、2人が牧野の作陶展に行く意味が全く無い。
一応は「則夫がギャラリーのオーナーに佐輔を売り込む」という目的があるけど、無理に用意した印象しか受けない。それに、その前のシーンで志野が計画を持ち掛けているんだから、流れとしても上手くないし。
作陶展のシーンを挟む理由は、前述した「佐輔が嵐山の言動に腹を立てる」という目的の他に、「牧野が佐輔のファンだと判明し、2人が会話を交わす」という手順を消化するためだ。
でも不細工な構成だし、実は牧野の存在意義も薄いんだよね。

国立古美術修復センターの設定は、かなりスケールが大きい犯罪だ。何しろ政治家や文化庁の役人も絡んで、国家機関が国際的な犯罪に手を染めているという設定だからだ。
そんな犯罪のスケールからすると、この映画の結末は全く見合っていない。
「則夫たちが嵐山の悪事を暴露して報復する」という個人的な復讐のレベルで済むような問題じゃないのよ。
そりゃあ則夫たちにすれば個人的な気持ちが晴れただけで満足だろうけど、政府や首相や与党なども責任を厳しく追及される問題であり、海外との関係にも影響を及ぼす問題であって。
なので、そっちへの影響を完全に無視したまま映画を締め括られると、雑に放り出しているように感じるのよ。

則夫たちがお茶会に向けて準備を進めている段階で、どういう計画なのかという大枠は見える。よっちゃんが先代の幽霊に扮することも、複数の贋作を使うことも、当日に志野が言う台詞も分かっている。
そこで見えた計画を、良い意味で裏切るような「さらなる手口」が用意されているわけでもない。
「嵐山が作戦に気付くが、それを上回る作戦を則夫たちが用意している」という奥行きも無い。
嵐山が先代の手紙や幽霊に過剰なほど怯えるなど簡単に作戦が進行し、コン・ゲームとしての痛快さは全く味わえない。

嵐山には強敵としての全く歯応えが皆無で、何もかもがサクサクと上手く運び過ぎる。そのため、ハラハラドキドキは全く感じられない。
終盤に入って計画に狂いが生じるが、それは急に内山が文句を言い出すからだ。
ってことは、則夫たちは彼に「嵐山に一泡吹かせるため」という目的を話していなかったのかよ。だとしたら、どう説明していたんだよ。
内山が文句を言い出すのは完全に則夫たちの失態であり、ただ呆れるだけでハラハラドキドキには繋がらない。
あと、ここで牧野に作戦を成功させるための役割を与えているけど、裏を返せば、そんな方法でも取らないと彼の使い道が無いってことなんだよね。

ネタバレを書くと、一応は「現場に乗り込んで来た警察も則夫が用意した仲間だった」というトコは事前に全く漏れていなかった情報だ。
でも、それが明らかにされても、大した驚きや爽快感は無い。
あと、また今回も前作と同じように、悪党との対決が終わった後に「志野が茶碗を持ち逃げしようと目論むが云々」みたいな後日談を用意しているんだけど、これも大して面白くないし。
っていうかお茶会のシーンが終わった後の部分は、ほぼ蛇足みたいになっちゃってるわ。

(観賞日:2023年2月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会