『うさぎドロップ』:2011、日本

河地ダイキチは祖父・鹿賀宋一の葬儀のため、実家を訪れた。庭にいた6歳の少女・りんについて母・良恵に尋ねると、宋一の隠し子だと 葬儀に来ていた親族は、ダイキチが宋一そっくりなので驚いた。親族が棺を運び出そうとすると、りんは宋一が好きだったりんどうを庭 から引き抜いた。りんは宋一に握らせようとするが、手が開かない。「もう起きないの?」と彼女が問い掛けたので、ダイキチは「もう 起きない」と教えてやった。
葬儀の後、親族はりんの扱いについて相談。母親が誰なのかさえ、誰も分かっていない。当面は誰が面倒を見るのかという話題になるが、 ダイキチの父・実と母も含め、全員が敬遠した。ダイキチは庭にいるりんに歩みより、「俺ん家来るか?」と誘う。りんが服の裾を掴み、 ダイキチは親族が呆れる中、彼女を引き取ることにした。母から渡された母子手帳には、「吉井正子」という名前があった。
ダイキチはりんを保育園に行かせないといけないと知り、愕然とする。妹・カズミから電話があったので、彼は「保育園にはどうやって 入れてもらうんだ」と尋ねる。だが、妹は恋人とベッドにいたこともあり、すぐに電話を切った。ダイキチは自力で調べようとするが、 幼稚園と保育園の違いも分からない。ファッション雑誌に目をやった彼は、モデルに別れを告げられる妄想を膨らませた。
カズミからダイキチに電話が入り、三択よ。緊急一時保育。あやめ保育園は家に近いけど午後6時半で終わり。常盤中央保育園は会社の 近所で午後7時に終わり。ゆりかご保育園は遠いけど24時間体制」と告げた。ダイキチは電話を切った後、別の雑誌モデルから「貴方の 生き方って好きよ」と言われる妄想を膨らませた。ダイキチは、りんをゆりかご保育園に預けることを決めた。毎日、りんを連れて電車に 乗り、保育園に預けてから会社の販売部へ出勤し、仕事を終えてから迎えに行くという生活が始まった。
ある日、ダイキチが疲れ果てて寝ていると、カズミから電話が入った。「緊急一時保育は、あと3日よ」と言われ、ダイキチは焦った。彼 は上司の日高に事情を打ち明け、残業の無い課へ異動させてほしいと頼んだ。倉庫作業に異動したダイキチは、2歳の息子がいる先輩の 女性社員・後藤由起に相談する。「お子さんのことで自分が犠牲になってるって思ってことありますか」と質問すると、彼女は「子供との 時間も、自分の時間だから」と答えた。
倉庫作業員の中には子持ちもいて、すぐにダイキチは仲良くなった。一方、りんはコウキという園児に話し掛け、親しくなった。ある朝、 ダイキチが目を覚ますと、りんがおねしょをしていた。しかし、りんが「これは汗」と言うので、「はいはい、汗です」と布団を干した。 夜中にダイキチが目を覚ますと、おねしょしたりんが着替えていた。ダイキチが「起こしたっていいんだぞ」と言うと、りんは「でも汗 だから」と口にする。ダイキチは、「汗だろうと何だろうと、起こしていいって」と告げた。
ダイキチがおねしょのことを同僚たちに話すと、「自分のことを自分でやろうっという気持ちが強いんじゃないかなあ。ダイキチさんに 遠慮してるっていうか」という意見があった。その夜、ダイキチは、りんが寝る前にトイレに行ったと嘘をついたことに気付く。ダイキチ が「どうした、怖いのか。夜はちゃんと付いて行ってやるから、ちゃんと行けよ」と言うと、りんは「それでも漏らしちゃった時は?」と 訊く。ダイキチが「着替えるだけだ。りんはまだ小っこいんだから気にするな。俺なんて小5くらいまでしてたぞ」と語ると、りんは 「そうなの」と驚いた。
りんに「ダイキチも死んじゃうの?」と訊かれたダイキチは、「いつかは死ぬだろうけど、ずっと先のことだ。当分は死なない」と答えた 。ダイキチはりんに、祖父に関して覚えていることを尋ねた。りんは宋一の思い出を嬉しそうに話す。彼女が庭に植えたりんどうに水を やり、「おじいちゃんのお墓にしてもいい?りんだけの内緒のお墓」と言うので、ダイキチは「いいよ」と優しく告げた。
ある日、ダイキチが保育園へりんを迎えに行くと、コウキを迎えに母・ゆかりが走って来た。自分が妄想していた雑誌モデルが彼女だった ため、ダイキチは驚いた。さらにダイキチは、ゆかりが「妖艶な大人の女」という勝手な思い込みとは全く違う口調だったことに、また 驚いた。りんと握手をしたゆかりは、熱があることに気付いた。ダイキチが困っていると、ゆかりは「付いて来て」と知り合いの病院へ 案内し、りんを診察してもらった。ゆかりはダイキチに、「こういう時は親が落ち着いてあげないとさ」と告げた。
数日後、ダイキチが会社を休んでりんを看病していると、ゆかりがコウキを連れてやって来た。ダイキチが「りんが全く水を飲まなくて」 と言うと、ゆかりは「熱が上がり切ったら温めない方がいいの」と告げ、りんの口に氷を入れてやった。ダイキチは礼を述べ、「実は俺、 りんの父親でも何でもなくて、ただの親戚なんですけど」と明かす。ゆかりは「この前さ、りんちゃん、アンタにしがみついてたでしょ。 子供は誰が助けてくれるのか分かってるんじゃないのかな。りんちゃんにとって、それがダイキチなのよ。今のりんちゃんには、ダイキチ がいれば大丈夫」と語る。ダイキチは席を外し、涙をこぼした。
りんが回復し、ダイキチは仕事に復帰した。ある日、ダイキチは伯父から電話で祖父の家に呼び出された。ダイキチが出向くと、伯父は 杉山由美子という女性を紹介して「この人に何でも相談したらいい。子供のことに関して詳しいんだよ」と言う。ダイキチは「困ってる ことなんて何も無いです」と言い、名刺の受け取りも断った。杉山に頼まれて、ダイキチは彼女を駅まで車で送ることになった。
杉山は車の中でも「大変でしょう」などと話し掛け、執拗にりんを預けるよう促した。彼女は何も大変ではないと主張するダイキチに我慢 できなくなったのか、急に声を荒げて「犬や猫じゃないのよ。時期が来たら反抗するし、病気したり傷付いたり嘘ついたりするのよ。所詮 、貴方は誰かの代わりよ。誰かが放り出した責任を貴方が勝手に拾ったの。これか先、ずっと大事に出来るの?嫌になったらウチに連れて 来なさい。ちゃんと育ててあげるから」と語った。
祖父の家に戻ったダイキチは、モデムを見つけた。家に帰ったダイキチは、りんに「じいちゃんの家に、パソコンはあったのか」と尋ねる 。りんは「あった。でも、ほとんど、お手伝いさんが使ってた。お手伝いのまさこさん」と口にした。その言葉を聞いたダイキチは、その 「お手伝いのまさこさん」が、れんの母親ではないかと推察した。どんな人だったか尋ねると、りんは「私のことが嫌いで、いつも 怒ってた。だから私もまさこさんのことが嫌いなの」と述べた。
ダイキチが母子手帳をめくっていると、URLのメモ書きがあった。それをパソコンで打ち込むと、それは西園寺まろんという漫画家の サイトだった。そして、その西園寺まろんこそが正子だった。ダイキチがメールを送ってりんの母親かどうかを尋ねると、すぐに「そう ですけど、何んですか?」という返信があった。その文言に腹を立てたダイキチはメールを送り、彼女と会う約束を取り付けた。
ダイキチはりんを両親に預け、指定の場所に行く。正子は落ち着きの無い様子で、「りんを娘だと思うべきではないと思う決心は、既に 妊娠中に。ずっと売れなくて、お手伝いさんやってる時にソウイチさんと出会って。やっと大きい仕事を貰えた矢先に妊娠が分かって。 子供育てながら出来る仕事じゃないなって思って。やっぱり仕事を昼型にするのは無理だし。何より物理的に不可能と言うか」などと語る 。「僕がりんと暮らしていくのか、貴方としては問題ないことなんですか」とダイキチが訊くと、彼女は「はい」と答えた。「貴方はりん のことを、どう思ってるんですか」とダイキチが怒りを抑えて尋ねると、正子は「分かんない」と言う…。

監督はSABU、原作は宇仁田ゆみ『うさぎドロップ』(祥伝社・フィールコミックス)、脚本は林民夫&SABU、製作は小崎宏&藤岡修& 籏啓祝&古橋明&山崎浩一&久保田修&町田智子&竹ノ上蔵造&山本潤&喜多埜裕明&百武弘二、エグゼクティブプロデューサーは春名慶 、プロデューサーは松本整&宇田川寧、共同プロデューサーは柴原祐一、撮影は柳田裕男、照明は宮尾康史、録音は岩倉雅之、美術は 秋葉悦子、特殊メイクは中田彰輝、編集は坂東直哉、音楽は森敬、音楽プロデューサーは安井輝。
主題歌『SWEET DROPS』:PUFFY、作詞・作曲:鈴木祥子。
出演は松山ケンイチ、香里奈、芦田愛菜、桐谷美玲、中村梅雀、風吹ジュン、綾野剛、高畑淳子、池脇千鶴、キタキマユ、佐藤瑠生亮、 秋野太作、木野花、根岸季衣、斎藤洋介、宮地雅子、及川ナオキ、吉田羊、長澤壮太郎、田辺まり、池田成志、木村了、阿部亮平、 平井雅士、藤崎賢嗣(ランチランチ)、生方ななえ、内田尋子、片岡富枝、田根楽子、富川一人、佐藤智幸、塚原大助、鹿内大嗣、 河野マサユキ、南優、吉元哲郎、福田久、江戸川卍丸、伊藤佳範、兼松若人、政宗アタル、岡本奈月、早川久美子、内山森彦、ナビ、 友倉由美子、鈴木ちえ、根岸晴子ら。


宇仁田ゆみの同名漫画を基にした作品。
全9巻のコミックスの内、2巻までの内容をベースにしている。
ダイキチを松山ケンイチ、ゆかりを香里奈、りんを芦田愛菜、カズミを桐谷美玲、実を中村梅雀、良恵を風吹ジュン、カズミの彼氏・ キョウイチを綾野剛、杉山を高畑淳子、後藤を池脇千鶴、正子をキタキマユ、コウキを佐藤瑠生亮が演じている。
監督は『DRIVE ドライブ』『疾走』のSABU。

私は原作漫画を読んだことがあるが、第4巻までは魅力的だと感じた。
5巻以降、りんがティーンズに成長し、ダイキチに恋心を抱くという展開になってからは、それが強引な話にしか感じられず、まるで 気持ちが乗らなかった。
だから第2巻までの内容をベースにして映画を構築するというのは、悪くない判断だと思う。
しかし実際に見てみると、第2巻までの内容でさえ、114分の尺に収まり切れていないと感じた。
ただし、これは「原作のボリュームが厚すぎるから、コミックス2巻分を2時間枠で描き切るのは無理」ということではない。
何を削ぎ落とし、何を抽出すべきかというところで判断ミスをしているのだろう。

ダイキチの年齢を27歳に設定したことはマイナスだろう。
原作では30歳だった年齢を引き下げたのは、松山ケンイチに合わせたということなんだろう。
ただ、30歳という年齢は、意外に重要なポイントだったような気がするのだ。「決して若くはないけど、完全に自立して家族を持てる ような感じも薄い」ということで、30歳の独身男というのは絶妙だったんじゃないかと。27歳だと、まだ若いんだよな。
ただし、じゃあ年齢設定だけを30歳にすればいいのかというと、そういう問題でもない。
ダイキチには、見た目としても「オッサンぽさ」が欲しいところなのだ。
松山ケンイチだと、そこの部分で物足りなさがある。

松山ケンイチだけでなく、芦田愛菜のキャスティングにも問題がある。
彼女が年齢に似合わぬ演技力を持った子役俳優であることは、もちろん私だって認める。ただ、その上手さが、逆にマイナスだと感じる のだ。
それと、あまりにも有名子役になりすぎたせいで、そのキャラクターではなく、「芦田愛菜が演技をしている」というのが強く見えすぎて しまう。芦田愛菜が上手な演技をしても、それが「りんちゃん」に見えて来ないのだ。
まだ手垢の付いていない子役を起用した方が良かったのではないか。
あと、芦田愛菜って、ちょっと原作の「りん」のイメージとも違うんだよな。

葬儀に来た親族がダイキチを見て「祖父にそっくり」と驚くのはともかく、妹まで「うわあ、そっくり」は変だろ。
アンタは兄と良く会っているはずだし、祖父の顔も知っているはず。
なんで「初めて知った」という反応なのか。
あと、ダイキチは若い頃の祖父とそっくりなはずで、今の祖父と似ているんじゃないはずだから、そういう意味でも、妹の反応は 変でしょ。祖父の若い頃の写真を見て、それと兄を比べて「うわあ、そっくり」なら分かるけど。

りんを預かる段階で、まだダイキチが27歳の独身男だとか、彼女もいないとか、サラリーマンをしているとか、そういうパーソナルな情報 は全く観客に提示されていない。
先にそういうことを全て説明しておいて、「そんな奴が6歳の子供を預かることに決めた」という流れにした方が、そこは効果的なんじゃ ないか。
原作でもいきなり葬儀へ行くシーンだったし、ダイキチの仕事や生活環境も全く説明が無かったけど、そこは原作を踏襲する必要はない でしょ。
もう少しディティールを丁寧に描写した方がいい。
漫画と映画ってのは媒体が異なるから、「読者(観客)の脳内補完に任せてもいい領域」も違って来るはずだし。

りんがダイキチの服の裾を掴み、ダイキチが彼女を引き取ると知った家族が驚くと、ダイキチが目を覚ましてりんが「おじさん、お腹 すいた」と言うシーンに切り替わる。
つまり、既に引き取った後のシーンに切り替わるんだけど、それだと「引き取る」という行為のデカさが伝わらない。
そこは、もっとインパクトのあるモノとして提示すべきだから、引き取ると決めたところでタイトルロールに入って、そこで場面を切り 替える構成の方がいいんじゃないか。

ダイキチは引き取ってから「なんであんなこと言っちゃったんだよ」と思いきり後悔する様子を見せるが、その直後、りんにおかわりを よそってあげたり、彼女が握ったおにぎりを食べたりするシーンでは、まるで嫌な素振りは無い。
その辺りは、コロコロと態度が変化しているように見える。
その後、ダイキチがりんを連れて子供服を行くと母親たちがクスクス笑っているが、その描写は不自然。
父親が子供服を選びに来たとしても変じゃないでしょ。
変に思う奴もいるかもしれないけど、みんなで揃ってバカにしたりはしないよ。

ダイキチがモデルとの会話を妄想したりダンスを始めたりするのは、明らかに邪魔。
原作には無い要素で、それは監督が持ち込んでいる演出なんだけど、どういう意図で持ち込んだんだろうか。作品の内容にもテイストにも 、まるで合っているように思えないぞ。
それと関連しているが、ゆかりの職業をモデルに設定しているのも解せない。そこは普通のシングルマザーにしておくべきでしょ。
モデルという華やかな職業にしてしまうと、彼女の生活環境が見えにくくなる。
あと、性格設定も原作と全く違っているんだけど、そこを変更した意味は何なのか。先に香里奈の起用が決まっていて、それに合わせて キャラ変更したってことなのか。

ダイキチが一時保育の場所をゆりかご保育園に決めたことが、そこへ連れて行くまで分からないというのは、どうなのよ。
そこに決めるというシーンを省略して、いきなり出勤シーンにしているのは、上手い演出とは思えない。
あと、部署の異動に伴い、保育園も別の場所にしたんでしょ。だったら、そこへ最初に連れて行くシーンは、ちゃんと描くべきでしょ。
そこは省略すべきではないと思うぞ。

りんは、ゆりかご保育園ではずっと一人ぼっちでいたのに、なぜか新しい保育園では自分からコウキに声を掛けている。
その変貌は不自然に感じる。
そのくせ、他の園児に話し掛けられたら、それは無視するんだよな。どういうことなんだよ。
あと、新しい保育園に移った最初の日、ダイキチがりんを迎えに行くシーンもカットなんだよな。
初日は、迎えに行くシーンも描いた方がいいんじゃないかなあ。

あまりナレーションの過剰な作品は好きじゃないけど、この映画に関しては、ある程度はナレーションを入れて進行する形にした方が 良かったんじゃないか。
シーンとシーンの繋がりが悪くて、スムーズな流れが生じていないんだよね。
場面転換の際に流れが死んでしまう問題を解消するために、ナレーションを利用するのがベターだったかなと。
もちろん、最初からシーンとシーンの繋がりを考えて演出したり、構成したりすればいい問題ではあるんだろうけど。
始まってから38分ぐらい経過したところで、唐突にダイキチの「りんが俺なんかといていいのか正直分からない。だけど俺が初めて会った 孤独で悲しげなりんは、今、こうして俺と手を繋ぎ、無邪気に笑っている。それでいいじゃないか」というモノローグが入るけど、それ なら、もっと早い段階からナレーションを利用しようよ。

尺の問題があるから仕方のない部分はあるんだろうけど、やはり展開が慌ただしい。
例えばダイキチが異動を願い出るタイミングなんかも、原作とそんなに大差が無いんだけど、こっちは慌ただしく感じる。
それはたぶん、原作だとダイキチの気持ちが文字で詳しく表現されているのに対して、こっちは全く無いってのが大きく影響していると 思う。ダイキチがどう思っているのか、ほとんど伝わって来ないのよね。
もちろん、言葉に頼らず、芝居やドラマだけで表現できるのであれば、それに越したことは無い。
だけど実際には、全く伝わって来ないわけで、だったらナレーションに頼るのがベターだったんじゃないかと。

杉山がダイキチを怒鳴り付ける展開は、あまりにも唐突で違和感がある。そのことがダイキチの言動に何か影響を与えるのかと思ったら、 そういう流れも無いし。
あと、杉山が何者なのか分かりにくいぞ。
その直後、ダイキチはモデムを見つけるが、すぐにりんが正子のことを口にする展開になるので、「ダイキチが祖父には似つかわしくない モデムを発見する」というシーンの意味が弱くなってしまう。
ダイキチがりんと会話をする中で、お手伝いさんのことが話題に出るという流れにすれば済むことだ。

あと、ダイキチがりんから「お手伝いの正子さん」について聞かされた後、漫画家だと知り、会いに行く展開も拙速に感じる。
ただし、既に映画は後半に入っているから、尺のことを考えると、急がざるを得ないという事情もあるだろう。それを考えると、思い 切って正子と会う展開はカットしても良かったのではないか。もし本作品がヒットして続編が作られたら、それも描くというプランに してさ。
この映画だと、正子はダイキチが会いに行くシーンと、あと1度だけチョロッと登場して役目が終わりなので、精神的に少しヤバそうな女 でしかないんだよな。
でも実際には、祖父が残した手紙で「少し誤解されやすいタチだが決して悪い娘ではない」と擁護しているように、人間的に未成熟な女 なのだ。ダイキチ自身も、原作だと「りんの心配までは出来ているけど、他人を巻き込んでいる自覚が無さそうだ」と解釈している。
そういうところまで描いて、もう少しダイキチと絡ませないと、あまり意味の無いキャラになってしまう。

ダイキチは正子と会うために、りんを両親に預ける。
原作だと、その前に「年末にダイキチが帰郷する際にりんを連れて行き、最初は心を閉ざしていたりんが家族と仲良くなる」という展開が あった。そこを映画版では使っていないので、ダイキチは正子との面会に行く段階で、りんはまだ彼の家族と打ち解けていない。
そうなると、ダイキチがりんと離れることが、思いやりの無い行為に見えてしまうのだ。戻って来たら家族と仲良くやっているけど、 だからOKってことじゃないでしょ。
あと、その前に、ダイキチが伯父に呼び出されて祖父の家へ出向くシーンがあるけど、ってことは休日なんだよね。だったらダイキチが 出掛けている間、りんはどこにいたのか。

細かいニュアンスとか、間の取り方とか、表情の付け方とか、セリフの言い回しとか、そういうのが色々と違ってるんじゃないかなあ。
まるで方向性が間違っているとかじゃなくて、大まかな流れは原作に沿っているんだけど、細かいミスが積み重なって、結果としてはダメ な映画になっちゃってる印象だ。
むしろ原作を意識し過ぎたせいで、余分な要素を削ぎ落とす作業でミスを犯したのではないか。
だから、本来は流れがあって、そのシーンに至るからこそ、心を揺り動かすことが出来るのに、手順をすっ飛ばしているから、効果的に 作用しないという症状が発生しているのではないか。
コウキがりんを連れて父の墓参りに行くシーンなんて、まさに、そんな感じだ。
それで感動させようということが露骨に見えるけど、まあ泣けないわな、あまりに唐突で不自然だから。

っていうかさ、その辺りの展開自体、どうなのかと。
「りんとコウキが保育園を抜け出したのでダイキチたちが捜索する」という終盤の展開は映画オリジナルだが、そこで家族や会社の面々を 使うのは取って付けた感満載だし、これまた流れってモノが皆無。
大体さ、会社の連中が仕事を放り出して捜索に出るってのも不可解だし。
コウキが父の墓へりんを連れて行くってのも、そのタイミングじゃなくていいだろうと。
ぶっちゃけ、この映画にクライマックスとしての盛り上がりなんて、特に必要は無かったと思うんだよね。

不審な男がりん&コウキに声を掛けてくるのも、アホらしい。
しかも、そのことをりんは喋らないから、ダイキチは不審な男が関与していたことを知らないままで終わっているし。
そこは流れとしては、「りんから若い男に道案内されたことを聞いてダイキチが変質者だと思い込み、そいつをりんが見つけて指差した ので掴み掛かったら、実は妹の彼氏だと判明した」とか、そういう流れが無いと。
そうしておかないと、キョウイチを絡ませた意味が無くなってしまうでしょ。

(観賞日:2012年5月1日)

 

*ポンコツ映画愛護協会