『うる星やつら いつだってマイ・ダーリン』:1991、日本

夏祭りの日、小さな4人の男たちが会場に現れ、あたるを捜索した。あたるはラムを撒き、ガールハントに励もうとする。4人は彼に声を掛け、付いて来るよう要求した。無視するあたるを捕縛しようとする4人だが、力が弱くて弾き飛ばされる。そこへ宇宙船でルピカが出現すると、あたるは美人の彼女に抱き付いた。ルピカが殴り付けても、あたるは執拗に抱き付こうとする。ルピカは何とか彼を昏倒させて、宇宙へ飛び去った。
あたるが宇宙船で連れ去られるのを目撃したラムは、おユキと弁天に知らせた。あたるが目を覚ますと、ルピカは大宇宙の姫君だと名乗る。彼女が「宇宙の彼方に神殿星と呼ばれる小惑星がある」と話すと、あたるは彼女が自分と挙式したがっているのだと決め付けた。ルピカは話の通じない相手だと感じ、「自分と付き合うには神殿星の奥にあるクリスタルの壷を手に入れなければダメという掟がある」と嘘をつく。あたるは軽い調子で、必ず手に入れると約束した。
ラムは両親からの通信で、何者かが「宇宙で一番の煩悩の持ち主」としてあたるを調べていたことを知らされた。ルピカはあたるを眠らせ、宮殿に運び込んだ。彼女の元には宇宙の各地から、次々に見合い写真が届いていた。「王家を継ぐ者は18歳の誕生日に結婚しなければいけない」という昔からの掟があったが、幼馴染で豆腐屋のリオに惚れているルピカは断固として拒否していた。ラムは星間パトロールにあたるの誘拐を訴えるが取り合ってもらえず、酒場でおユキと弁天に愚痴をこぼした。同じ酒場では、リオが友人たちからルピカの結婚話を聞かされてショックを受けていた。
ラムは老女から占いを持ち掛けられ、「想い人は別の女旅行中」と告げられる。弁天があたるについて「宇宙一の煩悩の持ち主」と評すると、老女は「神殿星の奥にある壷には究極の惚れ薬が入っている。それを入手できるのは宇宙一の煩悩の持ち主」と教えた。老女の占いでは「神殿に近付けば災いに巻き込まれる」と出ていたが、それを知らずにラムたちは神殿星へ向かった。あたるはルピカと共に神殿星へ行き、煩悩パワーで次々に罠を突破した。彼が壷を手に入れると、ルピカは即座に取り上げた。彼女は中身が究極の惚れ薬であること、飲んで最初に見た相手に惚れてしまうことを教え、あたるを置き去りにして去った。
あたるは激怒してルピカを追い掛け、壷を奪い取ってキスを迫る。ルピカが撃退しようとしているとラムが駆け付け、あたるを救出する。ルピカが追い掛けようとすると、弁天が妨害した。宇宙船に乗ったあたるは、壷を渡すよう要求するラムから逃げ回る。ラムは怒って電撃を浴びせようとするが、誤って船を壊してしまった。宇宙船はワープに失敗し、友引高校に不時着した。あたるは町へ飛び出して逃亡し、追って来たラムをトラックの荷台に閉じ込めた。
友引高校の面々は、弁天の言葉で惚れ薬の存在を知った。面堂やメガネたちはあたるを見つけ、壷を奪おうと追い掛ける。あたるは逃げる途中で母を目撃し、買い物駕籠に壷を隠した。面堂たちに捕まったあたるは、嘘の隠し場所を教えた。帰宅したラムは、あたるの母が壷を持っているのを目にした。あたるは宇宙船でやって来たルピカに脅され、嘘の隠し場所を教えた。ラムは偽の壷で帰宅したあたるを騙し、惚れ薬を飲ませた。あたるはラムを見ないよう、必死で目を閉じた。
そこへ騙されたと気付いたルピカが乱入して暴れた、あたるは目を開けて彼女を好きになった。ルピカは抱き付くあたるを攻撃し、偽物と知らずに壷を奪い去った。ラムが追い掛けてあたるを元に戻す方法を訊くと、彼女は「知らん」と告げて宇宙船で脱出した。ラムは自分の行動を悔やみ、本物の壷を割った。ルピカは偽物と知らないまま、豆腐を売りに来たリオに薬を飲ませた。しかし何の変化も起きないので、ルピカはショックで部屋に閉じ篭もった。
ラムは占い老女と会い、もう一杯飲めば惚れ薬の効果が無くなることを知らされた。薬は月の雫草の蜜を集めで作られた物だが、既に雫草は絶滅していた。老女は「惚れ薬の浸み込んだ地面から満月の夜、一輪だけ月の雫草が生えてくる。蜜を飲ませれば元に戻る。夜明けの光が当たると花は枯れる」と教え、今夜が満月だと知ったラムは急いで地球へ戻る。ルピカは情報を仕入れるため、占い老女を尋ねた。ラムは壷を割った場所へ行き、生えて来た雫草を摘もうとする。そこへルピカが来て雫草を奪い去ったため、ラムは後を追う…。

監督は山田勝久、原作は高橋留美子(小学館/少年サンデーコミック刊)、脚本は高屋敷英夫&金春智子、製作は多賀英典、企画は落合茂一、プロデューサーは松下洋子、キャラクターデザイン・作画監督は高橋久美子、美術監督は上原伸一、撮影監督は山口仁、録音監督は斯波重治、設定デザインは渡部隆、場面設定は渡辺すみお、色彩設定は杉田恭子、音楽は小滝満、主題歌『BEGIN THE 綺麗』はUL-SAYS(from T.P.D)。
声の出演は平野文、古川登志夫、松井菜桜子、古本新之輔(古本新乃輔)、小原乃梨子、三田ゆう子、永井一郎、鷲尾真知子、杉山佳寿子、神谷明、島津冴子、千葉繁、村山明、野村信次、二又一成、池水通洋、田中真弓、安西正弘、西村知道、小宮和枝、玄田哲章、緒方賢一、佐久間なつみ、沢りつお、山田礼子、田の中勇、トロリン。


高橋留美子の漫画を基にしたTVアニメ『うる星やつら』の劇場版シリーズ第6作。アニメ版の制作10周年記念として制作された。
監督は『妖精王』『魔物ハンター 妖子』の山田勝久。
脚本は『火の鳥 鳳凰編』『はれときどきブタ』の高屋敷英夫とシリーズ4度目の登板となる金春智子の共同。
ラム役の平野文、あたる役の古川登志夫、おユキ役の小原乃梨子、弁天役の三田ゆう子、錯乱坊役の永井一郎、サクラ役の鷲尾真知子、テン役の杉山佳寿子、面堂役の神谷明、しのぶ役の島津冴子らは、TVシリーズの声優陣。
他に、ルピカの声を松井菜桜子、リオを古本新之輔(現・古本新乃輔)が担当している。

TVシリーズが終了してから作られた映画であり、TVシリーズとはキャラクター・デザインが異なっている。本作品の評価が低い理由の1つとして、そのことが挙げられる。
ただ、劇場版第5作だって、TVシリーズとはキャラクター・デザインが違ったのだ。それに前作の同時上映だった『めぞん一刻・完結編』に比べれば、TVシリーズとの違いは遥かにマシだ。
あとキャラクター・デザインの問題よりも、大事なシーンで顔のバランスが崩れることの方が問題じゃないかな。
例えば、あたるが元に戻ってラムが涙ぐむシーンで、顔のバランスが崩れて不細工になっちゃってんのよね。

でもトータルとしては、絵の問題よりも「前作の内容を台無しにしている」ってことの方が、遥かに大きな問題だろう。
シリーズ第5作は原作の最終章を映画化しており、「完結編」という位置付けだった。そこでは、あたるのラムに対する思いを描いていた。
その表現は、今の時代の感覚では全面的に否定されるようなモノであり、最後まで「好きだ」と言わないまま「言葉にする必要は無い」というスタンスを貫くあたるの態度は不快感さえ覚えるほどだった。
だが、そういう問題はひとまず置いておくとして、記憶が消されることになっても「絶対にラムを忘れない」と誓うあたるの様子を描くことで、本物の愛を表現しようとしていた。
なので、そんな第5作を経ているにも関わらず、惚れ薬程度でラムを忘れて「ルピカしか見えない」となると、「前作は何だったのか」と言いたくなる。

それと、「あたるが惚れ薬でルピカに夢中になる」という設定は、別の問題もある。
そもそも今回のあたるは、ルピカに会った時から夢中になって追い掛けていた。
冒頭シーンではガールハントに励んでいた死、惚れ薬を手に入れると「誰に飲ませようか」と企んでいたけど、今回は「他の女性よりもルピカ」という状態になっていた。
彼女と付き合うために仕事を引き受け、ずっと彼女のことばかり見ていたのだ。
なので、惚れ薬を飲もうが飲むまいが、「ルピカに夢中」ってのは大して変わらないのだ。

あたるがラムに冷たい態度を取るのも、惚れ薬を飲む前からのことだ。「ルピカ以外の女性には興味を示さず、ルピカが去ると腑抜けになる」という部分には大きな違いがあるが、ラム側から見れば、「他の女に夢中で自分に目もくれない」という状況は変わっていないのだ。
なので、「あたるが惚れ薬を飲んでルピカに夢中になる」というのは、あまり意味の無い仕掛けになっているんじゃないかと。
ラストで元に戻ったあたるが他の女にも抱き付くのを見てラムが喜ぶので、そういう意味では有効に使われていると言えるだろう。
でも、そんなに上手い使い方が出来ているとは思わない。

ルピカは偽物だと知らないままリオに薬を飲ませて、効果が出ないのでショックを受ける。だけど、すぐに占い老女の元へ行って情報を手に入れ、雫草を奪い取る行動に出る。
なので、「偽物を飲ませたのに効果が出なくて云々」という手順は、ほとんど意味が無いのだ。
ただの時間稼ぎになっており、ストーリー展開を面白くするための効果は、ほとんど見えないのだ。
惚れ薬だけじゃなくて偽物まで登場させておいて、その程度の使い方で終わるのかと。

占い老女の存在は、果たして何だったのか。そもそも、なぜ彼女が惚れ薬に関する情報を知っているのかも、なぜラムに接触したのかも、サッパリ分からないし。
こいつの存在が、ただストーリーを進めるために都合のいいキャラでしかないんだよね。
「ラムが金を払わずに店を去るので、店主から支払いを請求される」というネタが天丼ギャグのように描かれるので、コメディー・リリーフ的な意味はあるのかもしれない。
ただ、それはそれとして、詳しい情報を知っている唯一のキャラとしての扱いが雑なのは紛れも無い事実だぞ。

ルピカはラムに雫草を奪還されると、あたるを捕まえて「こうなったら、おあいこだ。命に代えてもお前たちには渡さん。花がしおれて枯れ果てるまでは」と連れ去ろうとする。
だけど、そんなことをして何の意味があるのか。リオに惚れてもらうのが目的なのに、それとは何の関係も無いトコで意地を張っているだけだ。
もはやラムを困らせることが目的になってるけど、完全に本末転倒だろうに。
本末転倒になっていることが、ギャグなり物語なりの面白さに貢献しているわけでもないし。

ラムはあたるに雫草の蜜を飲ませることが出来ないまま、夜明けを迎えてしまう。ラムは落胆し、枯れてしまった雫草をあたるの口に放り込むという無駄なあがきを見せる。
ところが、なぜかあたるは元に戻るのだ。
いやいや、どういうことだよ。「枯れた花が効いた」ってわけでもないだろうに。
あたるが元に戻った理由の説明が何も無いのは、ただの手落ちだぞ。
雫草の蜜が無くても元に戻るなら、今までの争いは何だったのかと。

(観賞日:2022年5月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会