『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』:1986、日本

雨の夜、ラム、あたる、面堂、しのぶ、メガネたちは映画撮影について話しながら車で移動する。友引町では大規模な停電が発生するが、一行は全く気にしなかった。翌朝、ラムが小鳥の群れを連れて登校すると、メガネは映画用のカメラを回す。ランが来たのであたるが抱き付こうとすると、小鳥たちが妨害した。ランは小鳥たちと話し、言葉ではなく音の無いメロディーのような物が理解できるのだとあたるに話す。さら彼女は、自分もラムも幼少期は今よりもハッキリと聞こえたのだと告げた。
夜、面堂家の敷地では名木の太郎桜を囲み、盛大な宴が催された。太郎桜は面堂家の守り神のような木だが老朽化が進み、冬を越すことが難しくなっていた。面堂は家に伝わる物語を基に台本を書いた映画『鬼姫伝説』の撮影で太郎桜を切り、接ぎ木をして二代目として生まれ変わらせようと考えていた。宴会の場にサクラが現れるが、大勢の妖怪を伴っているのであたるたちは驚いた。サクラは面堂に、太郎桜と昵懇の仲だというので連れて来たと説明した。
ラムは太郎桜に寄り添い、サクラが何をしているのか尋ねると「歌を聴いてるだっちゃ。耳を澄ますと聞こえるだっちゃ」と答えた。その言葉を受けて、あたるたちも一斉に耳を澄ませた。しのぶだけは他の面々から離れて、「信じられない」と反発した。「みんな優しすぎる風景なんて、本当に友引町なのかしら」と、彼女は疑問を抱いた。同じ夜、ゴミ集積場では2人のホームレスがテレビを見つけ、スイッチを付けた。すると全てのテレビが一斉に付き、画面には一瞬だけラムの姿が映し出された。
翌日から映画撮影が始まり、あたるは主役の青年を演じた。彼が太郎桜に斧を入れると、切れ目から大量の泡が吹き出した。太郎桜は一撃で倒壊し、巨大生物の骨のような部分だけを残して溶けてしまった。サクラの家で居候していた妖怪たちは、一斉に姿を消した。その後も撮影が続く中、鬼姫を演じるラムは急に魂が抜けたような様子を見せた。あたるがクシャミをさせると、彼女は我に返った。深夜に警護していた面倒家の黒服たちは、鬼の面を被った女たちが空を飛ぶ不可思議な行列を目撃した。
ラムは電流の力が弱まり、空を飛ぶスピードが出なくなった。友引高校の周囲では、セミやトンボが大量発生した。ラムは面堂としのぶがデートする様子を目撃し、声を掛けた。すると面堂としのぶは見知らぬ相手に話し掛けられたかのように、怪訝そうな表情で通り過ぎた。面堂はしのぶにキスしようとするが、ラムの姿が脳裏をよぎり、逃げるように去った。4月なのに異常寒波が友引町を襲う中、メガネ&カクガリ&チビは異なる女子高生に恋をした。尾行した3人は同じ高校の前で鉢合わせし、気まずそうな様子を見せた。
ラムはサクラに体の調子が悪いと相談し、映画を作っている時に怖い気持ちになったと打ち明けた。サクラは特に異常は見られないと言い、しばらく療養するよう告げた。その直後、友引町で大きな地震が発生し、中央に湖のある巨大な岩山が出現した。ラムはテンに、どっかに忘れ物をしている気がすると告げた。不意に大量の音が脳内へ流れ込み、ラムは両耳を塞いだ。彼女はランに、こんなに多くの音があるなんて知らなかったと語った。
面堂はあたるとメガネを呼び、修学旅行の写真からラムの姿が消えていることを教えた。彼は「全ての異常現象は自主映画を境に始まっている」と言い、鬼姫伝説の詳細は祖父が知っていると言う。彼は2人を地下1200メートルへ案内し、祖父は密室で瞑想中だと教えた。ラムは日記を付け始め、テンが中身を見たがると嫌がった。逃げ回ったラムは窓から脱出を図るが、空を飛べずに転落した。ショックを受けたテンは、熱を出して寝込んでしまった。
あたる、面堂、メガネは水中へ潜って神木を調査しようとするが、白骨化した鬼姫がいたので慌てて逃走した。ラムは窓の外に、あたるが幼少期の自分と手を繋いで立っている姿を目撃する。外へ飛び出した彼女はサーカスの一団と遭遇し、付いて行った。あたるは急いで帰宅し、ラムの日記を読んだ。同じ頃、ラムは湖に足を踏み入れていた。就寝した面堂は、自分が近未来都市で闘技場の戦士になっている夢を見た。国民的英雄の彼は戦いに勝ち、多くの女性が押し寄せた。運転手のあたるが操縦する車で去る時、面堂はラムの姿を目撃するが、それが誰なのか分からなかった。
面堂はスケジュールをキャンセルし、恋人の1人であるサクラの家を訪れた。彼には大勢の恋人がいて、サクラとは33番目に結婚することが決まっていた。面堂は突然の引退を発表し、全ての恋人と合同結婚式を挙げることにした。入り口を通り過ぎるラムの姿に気付いた彼は、あたるに追い掛けるよう命じた。あたるは後を追って声を掛けた時、相手がラムだと気付く。ラムが壁の向こうに消え、あたるは愕然とした。面堂はラムの記憶を取り戻し、その場から逃げ出した。彼が目を覚ますと、夢の世界が凍り付いて現実化していた。面堂はしのぶを車に乗せて、学校へ向かった。その途中、しのぶは眠りに落ちて夢を見た。彼女は大正時代の乙女として、あたると面堂に惹かれていた。面堂がラムと一緒にいる姿を見たしのぶは、目を覚ました。すると彼女の夢の世界も、凍り付いて現実化していた…。

監督は やまざきかずお、原作は高橋留美子(小学館/週刊少年サンデー連載)、脚本は井上敏樹&やまざきかずお、製作は多賀英典、企画は落合茂一、音楽監督は近藤由紀夫、美術監督は新井寅雄、作画監督は土器手司、撮影監督は清水洋一、録音監督は斯波重治、演出は吉永尚之、キャラクターデザインは高田明美、色彩設計は西川裕子&米村貞子、編集は森田清次&坂本雅紀&田代正美、アニメーションプロデューサーは長谷川洋&松下洋子、音楽は板倉文、主題歌『メランコリーの軌跡』は松永夏代子。
声の出演は平野文、古川登志夫、永井一郎、神谷明、杉山佳寿子、島津冴子、千葉繁、野村信次、村山明、二又一成、小宮和枝、西村知道、池水通洋、佐久間なつみ、緒方賢一、島田敏、島本須美、鷲尾真知子、井上遥、鵜飼るみ子、安達忍、塩屋浩三、小野健一、西村智博ら。


高橋留美子の漫画『うる星やつら』を基にしたTVアニメの劇場版第4作。
前作に引き続き、テレビシリーズの2代目チーフディレクターであるやまざきかずおが監督を務めている。
脚本はTVアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』シリーズの井上敏樹と、やまざき監督による共同。
ラム役の平野文、あたる役の古川登志夫、面堂役の神谷明、テン役の杉山佳寿子、しのぶ役の島津冴子、メガネ役の千葉繁、カクガリ役の野村信次、パーマ役の村山明、チビ役の二又一成、ラン役の小宮和枝らは、TVシリーズのレギュラー陣。今回は、映画オリジナルのゲストキャラクターが登場しない。

公開当時、酷評を浴びて興行的にも失敗に終わった。ファンの間でも、劇場版シリーズ6作品の中で最低という意見が多い。
悪評の大多数を集約すると、「ワケが分からない」ということに尽きる。
実際、上述した粗筋を読んでも良く分からないのではないか。
頑張って脳味噌を働かせれば、何となく物語を理解することは可能かもしれない。
ただ、そんなに必死になって理解に努めなきゃいけない時点で、失敗作だと断じてもいいんじゃないかな。

ひょっとすると、やまざきかずお監督は前任の押井守に対する強烈な対抗心があったのではないだろうか。
押井守が手掛けた劇場版第2作『ビューティフル・ドリーマー』がファンの枠を飛び越えて大きな注目を集めたため、「それを超えたい」という意識が強かったのではないだろうか。
そして彼は、自分なりの『ビューティフル・ドリーマー』を作ろうとしたのではないか。
「夢の世界が現実化して」など、内容を見る限りは『ビューティフル・ドリーマー』からの影響を感じずにいられないのだ。

かなり好意的な書き方をするならば、「実験的な映画」ってことになるだろう。
でも結果としては、「不条理で小難しい話にすれば、高尚で芸術的な作品になる」という勘違いが生んだポンコツ映画という印象だ。
前衛的な精神を押し出したせいで、全体を通して暗い雰囲気が漂っているのも痛い。
そもそも劇場版シリーズは明るさや楽しさが弱い印象があるが、その中でも本作品はダントツに陰気なテイストと化している。それだけを取っても、既に大きな大きなマイナスだ。

しのぶは他の面々が耳をすませる中で反発した時、かなり長いモノローグを語る。
一部を抽出すると、「一人一人の歴史が、声にならない無数の思いが、深海に音も無く降りしきるプランクトンの死骸のように町を覆っていく。黒々とそびえ立つビルは、まるで所有者のいない墓石のようだ。ゆらゆらと揺らめく明かりは、あてどなく彷徨う魂の群れだ。ふと気が付けば、私たちは全てが流星と化した風景の中を秒速3300キロで疾走する友引号の乗組員なのだ」って感じだ。
そうやって饒舌にモノローグで語らせるが、特に深い意味は無い。
文学的だったり哲学的だったりするモノローグを意味ありげに語らせて、作り手が気持ち良くなっているだけだ。

あたるたちが作っている映画の内容も、モノローグによって詳しく語られる。
ザックリ言うと、「キャンプに来ていた学生たちが殺人鬼の集団に襲われ、1人だけ生き延びた青年は、村人全員がタヌキとして暮らす隠れ里に辿り着く。長老の家に泊めてもらい、夜中に木々が太郎桜の元に集まって会話を交わす様子を見る。太郎桜を切ると封印が解かれ、長老の病は治る。悪霊たちが一斉に飛び出して村人が祈ると、鬼姫が降臨する。鬼姫の聖なる力で、悪霊は封印される」ってな感じだ。
でも、そんな物語の内容に、意味は無い。
そこを丁寧に描写しているのは、ただの時間稼ぎにしか思えない。

前半、メガネが「些細なことは全てマクガフィンだ」と言い、しのぶが「マクガフィンって?」と訊くとカクガリが「無意味ってこと」と教えるシーンがある。
これは本作品を見事に言い表している会話劇と言ってもいいだろう。意味ありげに見える描写は、その大半が無意味なのだ。
鬼姫伝説については、あたるたちが詳しい内容を知ろうとしたり、白骨化した鬼姫が出現したりという展開もある。
でも、やはり全く意味は無いのである。

面堂はあたるとメガネに「鬼姫伝説の詳細は祖父が知っている」と言い、エレベーターで地下深くへ向かう。そして「祖父が地下の密室で迷走している」と説明し、エレベーターを降りる。
そこまで描くんだから、どう考えたって「3人が祖父に会って話を聞く」という展開に入るのが筋だろう。
ところが次に3人が登場すると、神木の調査に取り掛かっている。どうなっているのかと。
しかも、その時に面堂は「おじい様の言う通り、神木の調査を始める」と言うんだよね。ってことは、祖父には会ったのかよ。
だったら、そこを丸ごとカットしているのは、明らかに間違いだぞ。

面堂が近未来の夢を見ているシーンでは、途中であたるの視点に切り替わる。
夢の中で、それを見ている人間が登場せず、他人の物語が描かれるケースもある。だから、あたる視点のパートが入るのも、有り得ないとは言わない。ただ、映画のシナリオとしては、そこは面堂の視点だけで構成すべきだよ。
あと、「面堂としのぶが眠り、目が覚めると夢で見た世界が凍り付いて現実化」という展開になるけど、他の面々だって就寝したはずなのに現実化しないのは辻褄が合わないよね。
まあ、この映画に整合性を求めても無意味だけど。

終盤、面堂は異常現象について、「友引町に意識が芽生えた。ラムは宇宙から来た強い異分子だ」と説明する。
しかし、なぜ友引町に意識が芽生えたのかはサッパリ分からない。
それと鬼姫伝説の関係性も、全く分からない。
夢が凍り付いて現実化する現象との因果関係も全く分からない。
面堂が町内戦争を始めるのも、理屈が分からない。「代理戦争で凍った夢を破壊し、1人1人が昔の友引町を心から望めば、ラムも戻って来る」ってことらしいが、ちょっと何言ってんのか分からない。

ただ、面堂の指示を受けた仲間たちが全く疑わずに戦争を始めるのも意味不明だが、あたるが走り出すのも同じぐらい意味不明だ。あたるが疲れて倒れ込むまで走り続けることが、ラムの生還に繋がっているわけでもないし。
ラムが湖を出て戻って来るのは、あたるたちの行動と何の関係も無いんだよね。
だから、「あたるは走り続け、他の面々は戦い続ける」という終盤の行動は、ただ不毛なだけなのだ。
なのに感動的なシーンとして描いているので、こっちは虚しさを覚えるだけなのである。

(観賞日:2022年4月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会