『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』

小学生の春野ムサシは、義父・勇次郎と母・みち子の3人で暮らしている。ある日、森林公園で天体観測をしていたムサシは、嵐の中で一夜を過ごした。翌朝、彼はバルタン星人との戦いで傷付いたウルトラマンコスモスと遭遇する。
太陽光線を使ってコスモスを回復させたムサシは、青く輝く石を受け取った。コスモスと出会ったことを周囲に語るムサシだが、全く信用してもらえない。しかし、ムサシの担任で民間の科学調査サークル“SRC”の隊員でもあるキョウコは、彼の話に耳を傾ける。
怪獣ドンロンが遺跡公園から出現した。現場に向かったSRCは冷凍ガスを使い、ドンロンを元の遺跡に戻そうとする。そこへエイリアン排除を目的とするシャークスが現れ、ドンロンを攻撃した。すると、ドンロンの中からバルタン星人が姿を現した。
環境破壊で故郷の星を失ったバルタン星人は、地球への移住を人々に要求してきた。ムサシは彼らと共存することを考えるが、シャークスがバルタン星人の方舟を攻撃する。バルタン星人は地球侵略を宣言し、攻撃を開始する…。

監督は飯島敏宏、脚本は千束北男、製作は迫本淳一&柴崎誠&角田良平&児玉守弘&門川博美&天野彊二郎&河井常吉&福田年秀、企画は満田[禾斉]&宮島秀司&東聡&川城和実&原田俊明&安田公一&高田洋一&塩谷雅彦&吉田紀之、チーフ・プロデューサーは鈴木清、プロデューサーは吉田剛&佐藤明宏&河野聡&間瀬泰宏&丸谷嘉彦&水尾芳正&沢辺伸政&桜井靖、製作総指揮は円谷一夫、監修は高野宏一、特技監督は佐川和夫、撮影は大岡新一、編集は松木朗、録音は浦田和治、照明は高野和男、美術は大澤哲三、殺陣は車邦秀、音楽は冬木透、音楽プロデューサーは玉川静。
出演は赤井英和、東海孝之助、川野太郎、風見しんご、舞の海、中山エミリ、松本智代葵、蒲地宏、渡辺いっけい、高橋ひとみ、藤村俊二、宇野あゆみ、田中大輔、上田大樹、千葉智絵、安谷屋なぎさ、安生洋二、府金重哉、渡辺諒、佐川将志、高田奈々子、広沢理々子、中村正人、猫俣博志、荻野英範、村田鉄信、山本諭、寺井大介、北岡久貴ら。


故・円谷英二の生誕100年、ウルトラマン誕生35周年に製作された作品。
TVシリーズの主人公ムサシの少年時代、初めてのコスモスとの出会いが描かれる。そして、ムサシが成長してTVシリーズの第一話に繋がるという形になっている。
勇次郎を赤井英和、ムサシを東海孝之助、みち子を高橋ひとみ、シャークスのシゲムラ参謀を渡辺いっけいが演じている。監督は『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』の飯島敏宏、特技監督を『帰ってきたウルトラマン』の佐川和夫が担当している。
また、『ウルトラマン』の黒部進、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の毒蝮三太夫、『ウルトラマン』の二瓶正也、『ウルトラQ』の西條康彦、『ウルトラQ』『ウルトラマン』の桜井浩子といった面々が、友情出演として顔を見せている。

ウルトラマンコスモスの大きな特徴は、“優しさ”のルナモードと“強さ”のコロナモードという二面性を持ち合わせていることだろう。
少年犯罪や凶悪事件が多発する御時世を考えて、「怪獣に優しく接する」という設定を持ち込んだのかもしれない。
助けてもらったお礼にコスモスがムサシを連れて空を飛ぶという、「それはウルトラマンのすることか?」という妙な優しさは、子供向け映画の許容範囲としておこう。
ムサシに空を飛ばせて時間が経過して、カラータイマーが赤になってしまうので、「ちょうど今、怪獣が現れたらどうするんだ」とか思ってしまうのだが、許すとしよう。

私は今作品を見ていて、何度か気持ち悪くなった。
まずムサシと人々が走りながら手を突き上げ、「ウルトラマン、ウルトラマン」と声を揃えて連呼するシーン。
そもそも連呼する意味が分からないし、宗教がかった人々の様子が気持ち悪い。
もう1つは、人々が声を揃えて子守唄を合唱し、バルタン星人を眠らせるというシーン。
この映画、とにかく声を揃えたいらしいが、なぜか自然発生的に人々が歌い始めるという、やっぱり宗教がかった人々の様子が気持ち悪い。

この作品では、「ウルトラマンは怪獣を退治するだけじゃなくて、愛と優しさも持ち合わせているんですよ」ということを訴えたいらしい。そして、人々とエイリアンの共存の可能性を描きたいらしい。
しかし、この映画の方向性には大きな違和感を抱いてしまった。
嵐の中で家に帰らずに屋外に留まるムサシの態度を「勇気」として描いている時点で、もう違和感を抱いてしまった。
それは勇気ではなくて、無謀なだけだ。
嵐を怖がるのは当然の行動であり、危険を考えれば帰宅する他の子供達の方が正しい。

SRCの行動にも違和感がある。
「怪獣を排除するのではなく、平和的解決を目指す」というのがSRCの方針らしい。
そして彼らはドンロンを退治するのではなく、ガスで冷凍して元の遺跡に戻そうとする。
しかし、それでは「遺跡に怪獣がいる」という状況が続くことになる。
つまり、彼らは何も解決せず、問題を先送りにしているだけなのだ。

地球人とバルタン星人の共存の可能性を描くことに、どうしても納得がいかない。
過去のウルトラマンシリーズでも、怪獣を殺さずに助けて終わったパターンはあった。だから、平和的な解決で終わらせようとすることが絶対的にダメだとは言わない。しかし、それならばバルタン星人を登場させるべきではなかった。
過去のウルトラマンシリーズにおいて、バルタン星人は絶対的に“悪い奴”として登場した。どう考えても、和平交渉が通用する相手ではないはずだ。

バルタン星人というキャラクターの人気だけは利用して、作品の内容に合わせて“共存も可能な相手”にしてしまうのは、思いっきり反則技ではないのだろうか。
大体、歴代のウルトラマンは、バルタン星人を問答無用で退治してきているわけだ。
それなのに今回だけ「バルタン星人と共存することも可能」とされたら、歴代ウルトラマンの行動を「正義ではなかった」と否定することになるのではないだろうか。

コスモスはバルタン星人に「元の星に帰れ」と言うのだが、故郷が環境破壊で滅びたから別の星を目指したわけで、それを元の星に戻れというのはムチャな話だ。
平和的解決を希望するのなら、ちゃんとした打開策を用意しておくべきだろう。
結局、バルタン星人はコスモスの攻撃を受けて、自爆して死ぬ。
ほとんどコスモスに殺されたようなモノだ。
そして残された子供バルタン達は、地球を去っていく。
親を亡くし、他に移住する当ても無い彼らは、いったいどこへ行けばいいのだろうか。

何も解決していないはずなのに、“子供バルタン達の行く末”という影の部分は完全に無視して、強引に感動に持って行く。
で、またも人々の大合唱という、恐ろしく寒い展開。
底が浅くて覚悟の無い優しさだけを描写して、甘ったるい作品は終わる。

 

*ポンコツ映画愛護協会