『宇宙人東京に現わる』:1956、日本

東京城北天文台長の小村芳雄は駅で新聞記者の秀野に声を掛けられ、馴染みの飲み屋『宇宙軒』へ2人で赴いた。秀野は刷り上がったばかりの新聞を見せ、「また円盤が出ましたよ」と言う。新聞には、空飛ぶ円盤が東京にも出現したこと、目撃者が増加していることを報じる記事が載っている。秀野は円盤の正体について知りたがるが、小村は「分かっていれば教えてあげたいんだがね」と告げた。
幼稚園の先生をしている小村の娘・多恵子は松田英輔に誘われ、彼の家で夕食を御馳走になっていた。松田は小村の従弟で、物理学者をしている。松田の妻・清子は多恵子に縁談を勧めようとするが、どうやら好きな相手がいる様子だった。小村の助手を務める磯辺徹が天文台で天体望遠鏡を覗いていると、ある一点からあちこちに複数の流星に似た物体が飛んで行くのが見えた。彼は急いで出掛ける準備を整え、小村に連絡を入れるよう所員に指示した。
帰宅した小村の元を徹が訪れ、円盤の正体はどこかの国が打ち上げた人工衛星ではないかという推理を語る。しかし小村は懐疑的な態度を示し、「そうだとすれば、前もって忠告があるはずだろう」と告げた。窓の外に流星に似た物体が見えたので、「私が望遠鏡で見たのと同じです。流星じゃありませんね」と徹は告げた。小村は「隕石の類でないことは確かだ。円盤でないということは否定できなくなった」と重々しく述べた。
大勢の目撃者が現れ、新聞は円盤の出現を大きく書き立てるが、天文台は沈黙を守った。メキシコやインドでも、同一の光体が目撃されていた。小村から「円盤の正体を知りたい」と相談を受けた松田は、「ロケットを上昇させて写真を撮るしかなかろう」と告げた。ちょうど勤務する大学のロケット隊が気象観測の最中だったため、松田は顧問の高島博士に連絡を取ることにした。河口湖で釣りをしていた男たち、埠頭で貨物を運んでいた船員たち、琵琶湖のほとりにある料亭で宴会を開いていた面々は、それぞれ別の場所で未知の生物を目撃した。同じ夜、天文台の依頼を受けた高島はロケットを打ち上げた。
翌朝、徹の父で生物学者の磯辺直太郎は、埠頭で怪物が目撃されたという情報を受けた警察の依頼を受け、現場検証に赴いていた。岸壁には、その怪物が這い上がったと見られる痕跡が残っていた。一方、天文台ではロケットの撮影した写真が現像される。そこには人工衛星では有り得ない強力な光体が写っていたが、その正体は判別できなかった。その夜、多恵子は自宅で障子の向こうにヒトデ形の怪物を発見し、悲鳴を上げた。
世界会議は人工衛星の上昇を中止するよう各国に要求し、それ以降、正体不明の光体は出現しなくなった。帝都劇場で人気スターである青空ひかりのショーが開かれている最中、ヒトデ形の怪物が出現した。出演者と観客は、慌てて逃げ出した。徹は再び光体が現れたのを望遠鏡で確認し、小村に報告した。ヒトデ形の怪物は、宇宙から来たパイラ人であった。地球に来ていたパイラ人は円盤に乗り込み、仲間がいる宇宙ステーションへと戻った。
帰還した使者は、隊長から視察の報告を求められる。「訪問の意図を伝えたか」と訊かれた使者は、「伝えるどころか、地球人は私どもを一目見るなり激しい恐怖を示すのです。それは、まるで醜悪極まりないものを見た様な目です」と語る。驚く隊長に、使者は地球人の「理想の美人」である青空ひかりの写真を見せた。パイラ人にとっては醜悪な顔だったが、「このまま地球の危機を見捨てては宇宙道徳に背くというものだ」という意見が出た。「地球人の姿に変身して地球に潜り込む」という作戦が提案され、言い出した1号が変身機によって青空ひかりの姿に化けた。
磯辺の一家、松田夫妻、小村親子は、みんなで中禅寺湖へピクニックに来ていた。ボートを漕いでいた徹と多恵子は、ひかりに化けたパイラ人1号が浮かんで気絶しているのを見つけて救助した。何を訊いても身許さえ分からないので、清子は自分たちで引き取ろうと松田に持ち掛けた。徹たちは相談し、彼女を天野銀子と呼ぶことにした。徹とテニスをしている銀子が驚異的な身体能力を発揮したので、それを目撃した多恵子は驚いた。
銀子の元に、やはり人間に化けた2号が接触してきた。彼は1号に、任務遂行を援助するために3号と4号も地球へ来ていることを教えた。磯部は銀子に不審を抱き、彼女のラケットと帽子を持って来るよう徹に指示した。銀子は松田の部屋に入り、彼のノートに書かれた方程式を見て顔を引きつらせた。彼女はノートを破り、「どうしてこんな恐ろしい物を研究するんです。ウリュウム元素101でしょう。地球なんかこれっぽちで吹っ飛ぶぐらいの爆発物です」と非難した。高度な方程式を瞬時に理解した銀子に、松田は驚いた。
銀子が「それでなくても地球は水爆を作って脅しっこをしてるのに、それ以上の物を考えるなんて恐ろしいことです」と言うと、松田は「爆発物としては考えていない」と弁明した。松田が磯部に呼ばれて天文台へ行くと、徹、小村、多恵子も来ていた。磯部は彼らに、銀子のラケットと帽子には指紋が付着していないことを教える。彼は「彼女は宇宙人だよ」と言い、他の証拠も提示した。そこへ銀子が現れ、パイラ人であることを打ち明けた。
地球に来た目的について、銀子は「地球に好意を持っているからです。宇宙の中で地球は、パイラ星と同じ条件を持っているたった一つの星です。その地球が、今や原水爆の誤った使い方で、壊滅に瀕しようとしています。パイラでは、数世紀前に原水爆の危機に瀕した時代がありましたが、平和利用に切り替えたからこそ、高度の文明が発達したんです」と述べた。小村が「それじゃあなぜ、その危険な爆発物を持っている国に行かなかったんです?」と尋ねると、彼女は「持っている国は結局、目が覚めにくいものです。原水爆の恐ろしさを本当に知る者は、その被害を味わった唯一の国、日本だと思ったからです」と答えた。
小村が「しかし、日本が原水爆の廃止を叫んだところで、どうなるもんですか」と諦めたように言うと、銀子は「どうにもならないことも知っています。しかし地球上にある原水爆を全部使ってでも対抗しなければ、地球が壊滅する事実が、数刻前、宇宙に起こったんです」と言う。松田が「なんです、それは」と問い掛けると、銀子は「他の太陽系から飛んできた新天体アールという星が、地球と衝突する軌道を走っているんです」と語った。
松田と磯辺と小村は世界会議に連名の書簡を送り、90日後に起きる新天体アールと地球の衝突を免れるために全ての原水爆を拠出するよう求めた。しかし彼らの言葉は相手にされず、世界会議は原水爆の拠出を拒否した。磯部たちは記者会見を開き、15日後にはアールが地球から見えることを予告した。予告した日の前日、小村は記者たちの質問を受け、原水爆以上の威力を持つ爆発物を松田が発見したことを話してしまった。
松田はジョージ斎藤と名乗る男から、ウリュウム101の権利を売ってくれと頼まれる。「大金になりますよ」と持ち掛けられた松田は、激怒して拒絶した。アールが地球から観測され、日本では国民に退避命令が出されてパニックが起きた。ジョージ斎藤は手下を使って松田を拉致し、ウリュウム101の方程式を書くよう脅した。そんな中、世界会議は原水爆をアールに向けて発射することを決定した…。

監督は島耕二、原案は中島源太郎、脚本は小國英雄、製作は永田雅一、企画は中代富士男、撮影は渡辺公夫、録音は西井憲一、照明は久保田行一、美術は間野重雄、色彩指導は岡本太郎、色彩技術は渡辺徹、特殊技術は的場徹、メークアップは牧野正雄、編集は鈴木東陽、音楽は大森盛太郎。
出演は川崎敬三、刈田とよみ(新人)、八木沢敏、山形勲、南部彰三、見明凡太朗、永井ミエ子、平井岐代子、岡村文子、小原利之、斎藤紫香、フランク・熊谷、河原侃二、夏木章、津田駿二、原田[言玄]、渡辺鉄彌、杉田康、早川雄二、谷謙二、狩野新、志保京助、島照彦、泉静治、細川啓一、飛田喜佐夫、高田宗彦、目黒幸子、花村泰子、樋口峰子、奥田宗広と楽団ブルー・スカイら。


日本初のカラー特撮映画。
特撮映画と言えば東宝が先駆者なのだが、この作品は大映の製作である。
監督は『金色夜叉』『風立ちぬ』の島耕二、脚本は『七人の侍』『生きものの記録』の小國英雄。
徹を川崎敬三、ひかり&銀子を新人の刈田とよみ、パイラ人第2号を八木沢敏、松田を山形勲、磯辺を南部彰三、小村を見明凡太朗、多恵子を永井ミエ子、清子を平井岐代子、松田家の女中・お花を岡村文子、斎藤を斎藤紫香、磯部の妻・徳子を目黒幸子が演じている。

監督が文芸映画を多く手掛けている島耕二で、脚本が黒沢映画に携わっていた小國英雄という組み合わせは、およそ特撮映画らしくない。
ただ、何しろ当時の大映で特撮映画が作られるってのは珍しいことで、そのノウハウが無かった。
だから本作品も、『地球の静止する日』と『地球最後の日』をミックスさせたような内容になっている。
また、特撮映画やSF映画としての雰囲気作りも、それほど上手く行っているようには感じられない。

例えば、話の規模がデカくなっているのに、政府関係者が登場して対策会議を開くシーンが無いんだけど、そりゃ明らかに手落ちでしょ。
あと、終盤には「世界各地から原水爆がアールに向かって発射される」という展開があるんだが、それはラジオのニュースで発表されるだけで、実際に発射するシーンは描かれず、小村が天体望遠鏡で観測しているアールの様子が写るだけなんだよな。
それだと全く話が盛り上がらんし、小村が「原水爆もアールには効果が無い」と言ってもピンと来ないわ。

冒頭、蛇の目傘がアップになり、それを差している女性が列車を待つ雨の駅が写る。改札口が写ると小村と秀野が登場し、彼らが飲み屋で話すシーンへと写る。
とてもSF映画、特撮映画とは思えない物語の幕開けである。東宝の特撮映画では、なかなかお目に掛かれない導入シーンでは なかろうか。その当時の東宝特撮映画では、最初から「これは特撮映画ですよ」というアピールをすることが多かった。
ただ、そのミスマッチは意外に悪くないんじゃないかと思う。その飲み屋の名前がなぜか『宇宙軒』で、微妙に特撮っぽさ、SFっぽさをアピールしていたりするんだけど、そのマヌケな感じも悪くない。
だから、最後まで「下町のホームドラマのフォーマットで宇宙人との遭遇を描く、スケールの狭い軽妙なSF映画」として構築してくれたら面白くなるんじゃないかという期待もあったのだが、残念ながら、そういう意図は無かったようだ。
銀子が青空ひかりに間違えられるとか、そういうのを膨らませれば面白くなりそうだけどね。

天体望遠鏡を覗いていた徹は、ある一ヶ所から流星っぽい物があちこちへ飛んで行く様子を目にする。彼は小村の所へ電話するよう部下に指示し、出掛ける準備をする。
小村が三河屋の前を通り掛かった直後、その三河屋の三吉が天文台からの電話を受ける。
多恵子が宇宙軒に来ると、三吉が駆け込み、徹が急用で来ることを話す。
多恵子が嬉しそうに急いで帰宅すると、もう徹が来ており、小村と話している。
天文台と宇宙軒と小村邸の位置関係が良く分からんけど、徹が到着するのが早すぎやしないかい。

松田が「高島博士に連絡を取る」と言った後、各地でパイラ人が目撃される出来事を挟んでから、ロケット打ち上げのシーンになる。
でも、そこは他のシーンを挟まず、「連絡を取って、ロケットを打ち上げてもらう」という手順にした方がスムーズだ。パイラ人を人々が目撃する様子が描かれると、もはやロケットを打ち上げて円盤の正体を探るという行為が無意味に思えてしまうからだ。
しかも、いざロケットを打ち上げても、すぐに翌朝へ移ってしまい、結果が出るまでに時間が掛かるんだよな。
まあ即座に答えが出ないのは当然ではあるんだけど、ちょっと話の流れとしては上手くないので、何とかならんかったのかと。
例えば、「ロケット打ち上げ」→「各地で未知の生物が目撃される」→「写真の現像が終わる」という順番にすれば、もうちょっとスムーズだったんじゃないか。

各地で「未知の生物が目撃される」というシーンは、見せないなら見せない、見せるなら見せるでハッキリすればいいのに、中途半端な形でボンヤリとパイラ人を写している。
で、多恵子がハッキリとヒトデ形のパイラ人を目撃しちゃう。
そんなにあっさりと姿をさらすぐらいなら、もう最初の時点で見せちゃってもいいなあ。
そんなパイラ人のキャラクター・デザインを担当しているのは、「色彩指導」として表記される岡本太郎。
このパイラ人によって、一部の映画マニアからは良く知られる作品となっている。

本作品の翌年に東宝が製作した『地球防衛軍』のように、当時の特撮映画における宇宙人は、人間がコスプレして演じているケースが多かった。
つまり見た目は人間と大差が無いってことだ。
しかし岡本太郎のデザインしたパイラ人は、まんま「ヒトデの怪物」だ。
斬新っちゃあ斬新だが、ハッキリ言っちゃうとマヌケな外見である。キグルミ丸出しで、今で言う「ゆるキャラ」(しかも不人気な)にしか見えない。
これが喜劇なら有りなんだが、そうじゃないだけに、その造形のマヌケさは、どうにも困ったことになっている。

「円盤の正体は何なのか」という筋と、「謎の生物の正体は何なのか」という筋が、上手く絡み合っていない。
で、そこが地球人の調査で結び付かない内に、パイラ人側を動かして「実はパイラ人がメッセージを伝えるために円盤で地球に来ていたのでした」ということを明らかにする。
「詳しく調査して云々」という展開に行かないのなら、地球人が目撃するのは円盤か怪物のいずれか一方で充分だ。

しかも、地球人とパイラ人との接触や交流のドラマがメインなのかと思ったら、後半は「アールが地球に衝突する」という展開になり、パイラ人の存在意義が著しく減退してしまう(実際、銀子がアールのことを教えた後は、しばらく消えている)。
で、「アールとの衝突を避けるために地球が一丸となって行動する」というところに集中すりゃいいものを、そこは薄味にしておいて、「斎藤一味が松田を拉致する」という展開を盛り込んだりする。
松田が言うように、アールが衝突したらウリュウム101の方程式を手に入れても意味なんて無いんだから、そこでサスペンスを作っても、「そんなことしてる場合じゃないだろ」と言いたくなる。
その後も、「原水爆では効果が無く、アールが接近する中で気温がどんどん上昇して人々が苦しむ」という様子を描いてダラダラしちゃうし。

東宝は『ゴジラ』を始めとする複数の特撮映画で原水爆反対のメッセージを盛り込んでいたが、同じ時代に大映が製作した本作品でも、やはり反核の訴えが含まれている。
まだ戦争の爪痕が深く残されている時代であり、さらにビキニ環礁での核実験と第五福竜丸の被爆事件が起きていたので、当時の人々は核兵器に対する意識が相当に強かったのだろう。
ただ、困ったことに、そういうメッセージがあるにも関わらず、そんな展開や結末でいいのか、と思ってしまう内容になっている。

銀子は磯部たちに、「地球は原水爆の誤った使い方で壊滅に瀕しようとしている。パイラでは平和利用に切り替えたからこそ高度の文明が発達した」と話す。だから原水爆の開発や使用を停止するよう進言に来たのかと思いきや、直後に「地球上にある原水爆を全部使ってでも対抗しなければ、地球が壊滅する事実が、宇宙に起こったんです」と語る。
つまり、新天体アールと衝突を避けるために、全ての原水爆を発射して対抗せよというのだ。
でも、それって「原水爆を核兵器として開発していたからこそ可能なことであり、そこで「原水爆を使え」と言うってことは、「そういう万が一の時に備えて、核兵器は必要」と言ってるのと同じでしょ。しかも、その後には銀子が「水爆より恐ろしい爆発物」と言っていたウリュウム101を使った爆弾まで開発し、それをアールに使っちゃうし。
訴えたいメッセージと話の中身が、完全に矛盾してるぞ。

(観賞日:2014年1月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会