『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』:2017、日本
8月1日は夏休みだが、登校日だった。中学1年生の典道が学校へ行こうとすると、母は午後からいないことを告げる。釣具店を営む父は、祭りでフリマを出すのだとウンザリした様子で典道に教えた。自転車で家を出た典道は、親友の純一、和弘、稔たちと合流する。海辺で佇むクラスメイトのなずなに気付いた典道は、彼女と目が合った。なずなは手紙を手にして、海を眺めていた。彼女は不思議なガラス玉を発見し、海中から拾い上げた。
学校に着いた典道が教室で密かになずなを眺めていると、親友の祐介が「なずな、可愛いよな。コクりてえんだけど」と言う。しかし典道が「コクれよ」と告げると、彼は「断られたらどうすんだよ」と口にする。担任教師の三浦は同僚の光石と交際しているが、生徒たちには内緒にしていた。なずなは職員室へ行き、三浦に「お母さんが渡すようにって」と手紙を差し出した。なずなは母が再婚したため、夏休みの間に引っ越すことが決まっていた。
典道と祐介が掃除当番でプールへ行くと、水着姿のなずながプールサイドに寝転んでいた。祐介は「なずな見たらウンコしたくなった」とトイレへ行き、典道は先に掃除を始めた。「部活?泳ぐの?」という彼の問い掛けに、なずなは「泳がない」と答えた。典道がガラス玉に気付くと、なずなは海で拾ったことを教えた。トイレから戻った祐介は、典道に50メートルの勝負を持ち掛けた。彼は「何か賭けよう。俺が勝ったらなずなにコクれ」と言い、プールに飛び込んだ。典道は「ズルいぞ」と抗議すると、祐介は「冗談だよ。なずな、取られたくねえだろ」と告げた。
なずなは2人が泳ごうとしているのに気付き、自分も参加すると言い出した。彼女は2人が何か賭けていると知り、「私が勝ったら何でも言うこと聞いて」と告げる。典道はターンの時に思い切り足を壁にぶつけてしまい、そのはずみで水中へ落下したガラス玉を披露。なずなは1位となり、続いてゴールした祐介に「今日の花火、付き合って。2人で行こうよ」と告げる。「なんで?」と尋ねた祐介は、なずなの「好きだからよ」という言葉に激しく動揺した。典道は何も知らずにゴールし、なずなはガラス玉を返してもらった。
典道と祐介が教室に戻ると、純一たちが「打ち上げ花火は丸いか、平べったいか」と意見をぶつけ合っていた。灯台に行けば横から花火が見えるというので、祐介は全員で行くことを積極的な態度で決めた。5時に神社で会うことを約束し、典道たちは下校した。典道が帰宅すると、祐介は勝手に部屋へ上がり込んでTVゲームをしていた。彼は「花火は丸いに決まってるじゃん」と言い、典道に「なんでさっき言わなかったの?」と訊かれると「あいつらに付き合ってやっただけじゃん」と答えた。
時間が来たので神社へ向かおうとした祐介は、典道の足の怪我に気付いた。彼は医者である父に診察してもらうよう促し、「ウチになずながいたら、行けなくなったって言っといて」と告げる。花火大会に誘われたことを祐介が明かすと、典道は「行けばいいじゃん。好きなんだろ」と言う。祐介は「冗談だよ。あんなブス、好きになるわけねえじゃん」と告げ、神社へ向かった。祐介の父が営む個人病院へ典道が行くと、なずながロビーで待っていた。典道は治療を受けた後、祐介が来ないことをなずなに伝えた。
なずなが病院を後にすると、典道は後を追った。なずなは「もし島田君を誘ったら、どうしてた?やっぱり逃げた?」と言い、「クロールで勝った方を誘おうと思ってた。島田君が勝つと思ってた」と口にする。なずなが大きな鞄を持っていたので、「なんだよ、それ?」と典道は尋ねる。なずなは「家出してきたの」と言うが、典道に追及されると笑ってはぐらかした。彼女は「なんで島田君が勝つと思ったか、分かる?」と問い掛けるが、返事を待たずに歩き出した。
なずなは捜索していた母に見つかり、慌てて逃げ出そうとする。母に捕まった彼女は「行きたくない」と泣き、典道に「助けて」と叫ぶ。しかし典道は何も出来ず、なずなが母に連れ去られるのを見送るだけだった。そこへ祐介と友人たちが、何も知らずにやって来た。呑気に笑う祐介を見た典道は、カッとなって殴り付けた。彼はなずなが落とした鞄から散らばっていたガラス玉を拾い上げると、怒りに任せて思い切り投げ付けた。すると時間が逆戻りし、プールでの競争した時に戻った。
典道は足をぶつけることなく祐介に勝ち、なずなから花火大会に誘われた。祐介は教室で友人たちと話し、灯台から花火を見ようと決めた。典道が帰宅すると、祐介が遊びに来た。典道はトイレに入り、なずなに電話を掛けて花火大会の誘いを断ろうと考える。祐介は典道に、「神社行くの、やめねえ?浜辺で普通に見ようぜ」と持ち掛ける。窓の外を見た典道は、鞄を持ったなずなが来るのを目撃した。慌てた彼は、祐介に「飲み物を買って来る」と嘘をついて外へ出た。
典道は自転車を用意し、なずなを後ろに乗せて出発した。その様子を目にした祐介は、典道の行動に激怒した。典道は列車の駅に到着し、なずなに「お前、家出して来たんだろ」と言う。するとなずなは「違うわ。駆け落ち」と告げ、海で拾ったと言ってガラス玉を見せる。彼女は「これを見つけた時、出て行こうって決めたの」と語るが、すぐに「違うの。そう、典道くんがクロールで勝ったら出て行こうって決めたんだ。だから責任取ってよ」と述べた。
なずなの母と再婚相手が駅に来て、なずなを連れ戻そうとする。なずなから助けを求められた典道は、両耳を塞いだ。フラッシュバックが脳裏をよぎり、典道は再婚相手に掴み掛かるが、殴り倒された。なずなは車で連れ去られ、典道は駅を出た。彼は友人たちと遭遇し、一緒に灯台へ向かう。祐介は典道を睨み付け、「2学期が始まったら、なずなに好きって言うから」と宣言した。灯台に着いた一行が花火を見ると、平べったい形だった。和弘が「こんなこと有り得ない」と落胆すると、典道の脳内に過去の映像が飛び込んで来た。
典道は和弘に「お前の言う通りだ」と告げ、ガラス玉を握り締めた。彼は「もしも俺となずなが電車に乗ったら」と念じながら、ガラス玉を投げた。すると時間が戻り、典道はなずなの母の再婚相手に掴み掛かる。再婚相手が殴ろうとすると、典道はパンチをかわした。彼はなずなの手を取って駆け出し、電車に飛び乗った。走り出した車内で「どうするんだよ、これから」と典道が問い掛けると、なずなは「東京へ行って、一緒に暮らそうよ」と口にした。
典道は動揺するが、なずなは余裕の態度で「水商売がダメなら、芸能界とか入ろうか」と語る。「アイドルにでもなんのかよ」と典道が言うと、彼女は「結構行けると思うんだけどな」と告げる。彼女は母が好きだという松田聖子の『瑠璃色の地球』を、マイクを握ったフリで歌った。典道が窓の外に目をやると、踏切に祐介たちがいた。典道は慌てて隠れようとするが、祐介は気付いて後を追う。なずなの母と再婚相手も、車で追って来た。典道は次の駅で電車を降り、なずなの手を取って灯台へと走った…。総監督は新房昭之、監督・絵コンテは武内宣之、原作は岩井俊二、脚本は大根仁、製作は市川南&大田圭二&岩上敦宏&久保田光俊、企画・プロデュースは川村元気、エグゼクティブプロデューサーは古澤佳寛、プロデューサーは伊藤隼之介&淀明子、演出は鈴木利正&宮本幸裕&塚田拓郎&城所聖明、総作画監督・サブキャラクターデザインは山村洋貴、キャラクターデザインは渡辺明夫、キーレイアウトは武内宣之&古川尚哉、美術設定は武内宣之、美術原案は秋山健太郎、美術デザインは田中直哉、美術監督は飯島寿治&宮越歩&船隠雄貴、色彩設計は日比野仁&滝沢いづみ、CGプロデューサーは西川和宏、撮影監督は江上怜&会津孝幸&大図佑、音響監督は鶴岡陽太、録音は名倉靖、音楽は神前暁、音楽プロデューサーは三上政高&小林健樹、編集は瀬山編集室&松原理恵、制作プロデューサーは宗宮一輝。
主題歌「打上花火」DAOKO×米津玄師 作詞・作曲:米津玄師。
声の出演は広瀬すず、菅田将暉、松たか子、宮野真守、浅沼晋太郎、豊永利行、梶裕貴、三木眞一郎、花澤香菜、櫻井孝宏、根谷美智子、飛田展男、宮本充、立木文彦、斎藤千和、嶋村侑、新垣樽助、種崎敦美、井之上潤、小原好美、廣田悠美、内田修一ら。
フジテレビ系の連続ドラマ『ifもしも』の一篇として1993年に放送された岩井俊二の出世作を基にした長編アニメーション映画。
総監督はTVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』や「物語」シリーズを手掛けた新房昭之。
脚本は『モテキ』『バクマン。』の大根仁が担当している。
なずなの声を広瀬すず、典道を菅田将暉、なずなの母を松たか子、祐介を宮野真守、純一を浅沼晋太郎、和弘を豊永利行、稔を梶裕貴、なずなの母の再婚相手を三木眞一郎、三浦を花澤香菜、光石を櫻井孝宏が担当している。オリジナル版はTVドラマにも関わらず日本映画監督協会新人賞を受賞し、後に再編集版が劇場公開されるほど高い評価を受けた作品だ。
しかし、決してドラマとして優れていたとは思わない。
まだ岩井俊二は無名の若手だったので、独特な映像表現を見るのが初めてという人が大半だった。そのファースト・インパクトに引き付けられたってのが、かなり大きい。
私もオリジナル版を見ているが、粗さはあるしストーリーテリングも上手いとは言えないが、魔法に掛けられた魅力があった。
そして岩井監督の作り出した雰囲気や映像美だけでなく、ヒロインを務めた奥菜恵の透明感に満ちた可愛さってのも、ものすごく大きなポイントだった。そんなTVドラマをリメイクするとなった時、決してシナリオが良く出来ていたわけではないのだから、大幅に改変する必要がある。
だが、前半の内容は、ほぼTVドラマ版をなぞっている。後半に入ると異なる展開に突入するが、それはそれで完全に失敗と言わざるを得ない改変となっている。
そもそも、なぜアニメでリメイクしようと思ったのか。リメイク企画自体に賛同しかねるが、せめて実写にしておくべきだろう。それなら、魅力的な子役女優を起用して、そこの力で何とか引き付けられる可能性はあるはずで。アニメにした時点で、役者の魅力という要素を使えなくなってしまう。
声優として広瀬すずや菅田将暉を起用しても、屁の突っ張りにもなりゃしないよ。っていうか、そこに松たか子を加えたメンツを揃えたのなら、それで何か実写映画を撮った方が遥かにいいでしょ。なずなたちはTVドラマ版だと小学6年生だったが、この映画版では中学1年生の設定になっている。
たった1学年の違いだが、小学生か中学生かってのは、ものすごく印象が変わってくる。
しかも中学1年生どころか、高校生でもおかしくないようなキャラクターデザインになっている。そのくせ、典道たちの言動は小学生っぽさが強いので、そこにズレが生じてしまう。「年齢より幼稚な連中」という風に、好意的に受け取ることは難しい。
あと、やたらと下ネタが多いんだけど、これもマイナスでしかない。ガキっぽい下ネタが大半だけど、まるでサラッとしていないのよね。
それと、祐介が「なずな見てたらウンコしたくなった」と言ってトイレへ行くのは、「勃起したからだろ」とか「オナニーでもするつもりか」とも受け取れちゃうし。『ifもしも』は、「もしも主人公が別の選択肢を選んでいたら、どうなったのか」ってのを描く企画で、前半と後半で別のルートを選んだ2通りのドラマが描かれる構成になっていた。
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の場合は岩井俊二がルール違反を犯しているのだが、それでも「前半は典道が祐介に負けた場合の話、後半は勝った場合の話」という構成は取っていた。
そういう企画だと最初から分かっているので、後半に入って「途中の選択肢から分岐する別のストーリー」が始まっても全く問題は無い。しかし映画版の場合は、同じことが出来ない。『ifもしも』という企画の枠組みで作られたわけではなく、単独で公開される映画だからだ。
だからと言って、分岐を無くして片方のストーリーだけ描いたり、強引に2つの内容を1つのストーリーにまとめたりしたら、リメイクする意味が無くなってしまう。
さて、どうやって解決するのかと思ったら、序盤から不自然に存在をアピールしていたガラス玉を使っている。
願いを込めてガラス玉を投げると、タイムリープが起きるのだ。だけど、それって何も解決できていないんだよね。
なぜガラス玉に願いを込めて投げようと思ったのか、その心理がサッパリ分からない。そして、なぜガラス玉にタイムリープの力が備わっているのかも、サッパリ分からない。
それは「科学的な根拠が必要」ってことじゃなく、デタラメな理由で構わないのよ。でも、何の作業も無いまま、いきなりタイムリープしちゃってるからね。
そんなガラス玉を使うのは、例えるなら「窓ガラスが割れた時に紙を貼り付けて穴を塞ぐ」みたいなモンだよ。そこに穴があるのはバレバレなのよ。最初のパート(Aパートとしておこう)で、なずなの母は娘を連れ去る時に、落とした鞄を放置したままにする。なずなが落とした鞄は蓋が開き、中の荷物が散らばる。
だから後で典道がガラス玉を拾うことが出来るわけだが、不自然さを隠し切れていない。
典道がガラス玉に八つ当たりして投げ付けるのも、かなり強引な展開だ。彼がクロールで負けたのは、ガラス玉のせいじゃないからね。
で、ガラス玉を投げ付けることで最初のタイムリープが発生するのだが、どうやらBパートに入った典道はAパートの出来事を覚えていない設定のようだ。
ただ、そこの表現がボンヤリしていて、ちょっと分かりにくいんだよね。Aパートの時、なずなは典道のことを「島田くん」と苗字で呼んでいた。しかしBパートに入ると、「典道くん」と下の名前で呼んでいる。
これは「Bパートは典道の妄想」としでも解釈しない限り、筋が通らない。
幾らタイムリープで別の選択肢を選んだとしても、なずなの典道に対する呼び方が変化するってのは有り得ないでしょ。
だけど、典道の妄想ではないのよね。
呼称の変化はミスじゃなくて意図的にやっているんだと思うが、狙いが不明だし、どうであれ失敗でしかない。駅でなずなの母と再婚相手がなずなを連れ去ろうとした時、助けを求められた典道は両耳を塞ぐ。するとAパートの映像の断片が短く挿入される。
「Aパートでなずなから助けを求められた時のことを思い出し、典道は彼女を救うために行動を起こすことにした」という流れになっているんだろう。そして、ここで「ガラス玉を投げればタイムリープできる」ってことも認識したんだろう。
ただ、「タイムリープした」ってことの確信がフワッとしているし、「ガラス玉がタイムリープ装置」と確信するのは少し拙速じゃないかと。
「もしかすると」程度の認識なら分かるんだけどさ。駅を出た典道は「なずなと電車に乗っていたら」と思いながらガラス玉を投げようとするが、祐介たちが来たので中止する。
そこから灯台に到着するまで、再びタイムリープしようという意識は完全に消えている。
そして灯台で「花火が平らなんて有り得ない」と和弘が嘆く姿を見た時にAパートの映像が脳内をよぎり、「タイムリープでやり直そう」と決める流れだ。
そうなると、典道が駅を出た直後にガラス玉を投げようとする行動って、まるで要らなくなっちゃうのよね。っていうかさ、そもそも「なずなと電車に乗っていたら」ってことを後悔してタイムリープするってのは、不可解に思えるのよね。
だって、なずなが連れ去られたのは、典道が彼女と一緒に電車に乗らなかったからではないのよ。
電車がその前になずなの母と再婚相手が来て、なずなを捕まえてしまうのよ。
「もしも電車に乗っていたら」という選択肢を選ぶためにタイムリープする流れにするのなら、Bパートは「なずなから電車に乗ろうと誘われたのに、典道が怖じ気付いて断った」という状況にしておくべきでしょ。TVドラマ版ではAパートとBパートしか無かったが、この映画ではガラス玉を使えば何度でもタイムリープできる設定なので、Dパートまで存在している。
そうなると、もはやTVドラマ版とは根幹の部分が変わってきちゃうでしょ。
そりゃあリメイクがオリジナル版を全て踏襲しなきゃいけないってわけじゃなくて、むしろ何かしらの改変を用意しないと意味が無い。
ただ、この映画のように「何度でも時間を巻き戻せる」ってことにすると、もはや『オール・ユー・ニード・イズ・キル』みたいな話になっちゃうでしょ。典道が灯台でガラス玉を投げると、Cパートに突入する。
なずなは電車に乗り込むと「芸能界にでも入ろうかな」と言い出し、アイドルに成り切って『瑠璃色の地球』を歌い出す。
ここは軽く口ずさむという程度ではなく、ちゃんと伴奏が入ってミュージカル的なシーンになる。しかも、途中で背景が切り替わり、「なずなは西洋のお姫様姿で空飛ぶ馬車に乗り、典道と共に城へ向かう」という幻想的な映像に変化する。
だけど、「ガラス玉を投げるとタイムリープする」という仕掛けの世界観自体がファンタジーなのに、その中で「ヒロインの妄想」としてのファンタジーを盛り込むと、雰囲気が壊れるし、散らかっちゃうのよ。なずなを灯台へ連れて行った典道は、「もし祐介たちにも、なずなの母親にも追い掛けられなかったら」ってことでガラス玉を投げる。すると電車に乗っっているシーンへタイムリープし、なずながアイドルになったつもりで松田聖子の歌を歌う様子が再び描かれる。
だけど、そこは2度も使うようなシーンじゃないでしょ。
そんで「誰にも見つからない世界」の中、電車は海の上を進む。なずなは電車を降りて、一緒に泳ごうと誘う。
オリジナル版からの改変を受け、彼女の泳ぐ場所が学校のプールから海になっているのだが、これだと全く意味が無いのよね。
そこは学校の施設であるプールで、しかも「本来は立ち入り禁止」という部分に重要性があったわけで。終盤に入ると、なずなや典道たちのいる場所は異空間であることが強調され、奇妙な風景が広がっている。そして酔っ払った花火師が砂浜でガラス玉を拾い、それを花火の筒に入れて打ち上げるという不自然さ満開の行動を取ると、上空で不思議な現象が起きる。
そうやってファンタジー色を強めれば強めるほど、青春ファンタジー物としての味わいが薄れるという皮肉な結果に繋がっている。
そんな異空間では歌に合わせて色んなシーンを短く連ねる時間帯を設けているが、ただ尺を稼ぐための引き延ばし工作にしか思えない。
そして映画は「典道が学校に来ていない」ってことを示して終幕を迎えるが、「どういうこと?」とハテナだけが残るのである。(観賞日:2019年8月31日)