『男はつらいよ お帰り 寅さん』:2019、日本

高校生の諏訪満男は浜辺を走り、及川泉と会った。それは中年になった満男が見ていた夢で、彼は高校生である娘のユリに起こされた。その日は満男の亡き妻である瞳の七回忌で、ユリは学校が終わったら部活を休んで柴又へ行くと告げる。満男が「無理しなくていいんだぞ、法事なんか」と言うと、彼女は「行くわよ。お婆ちゃんに会いたいんだもん」と語る。満男「何の夢見てたの?寝言言ったりして」と訊かれ、「初恋の人の夢」と言う。ユリが「いつ頃のこと?」と質問すると、彼は「高校1年。美人だったんだぞ」と語った。
ユリは学校へ行き、満男は部屋を掃除してから出版社へ赴いた。駆け出しの小説家である満男は編集者の高野節子と会い、露天商に関する資料を受け取った。彼は高野にサイン会を提案され、「恥ずかしいよ」と渋る。満男は柴又へ行き、「くるまや」に着いた。「くるまや」は団子屋から喫茶・甘味処になり、三平が店長を務めていた。「くるまや」にはさくらと博の他に、ユリ、朱美、瞳の父の窪田健が来ていた。時間を間違えていた御前様も、源公に連れられて現れた。
七回忌法要が終わると、窪田は良い人がいれば遠慮せずに再婚するよう満男に告げた。満男は「お気持ちはありがたいと思っています」と言いながら、露骨に不快感を示した。窪田が去ってから博に注意された彼は、「ハッキリ言って大きな御世話だよ、俺が誰と一緒になろうがなるまいが」と口を尖らせた。朱美が「女の子には母親が必要なんだよ」と告げると、満男は「今日は瞳の命日なんだよ。デリカシーが無さすぎるよ」と文句を付けた。
さくらはユリのために、自分の古い浴衣を仕立て直した。ユリは浴衣を着せてもらい、満男に見せた。男はさくらと駅まで歩き、朱美から言われた「女の子には母親が必要」という言葉について「そういうもんなのかな」と相談する。さくらは「女同士の話ってあるものよ、そりゃ親子でも」と言い、博と男同士の話はあったのかと尋ねる。満男は笑い飛ばして、「するわけないだろ。俺には伯父さんがいたじゃないか」と告げた。
さくらは駅に着くと、「あの子の名前が出て来ない」と漏らす。高校時代の恋人だと言われた満男は、及川泉だと答える。さくらが「どうしてるかねえ、ヨーロッパにいるんでしょ」と言うと、彼は「そうだよ。向こうの大学を出て、結婚して家族もいて。バリバリ仕事してるらしいよ」と語った。帰宅した満男が仕事をしていると、ユリが「どうして再婚しないの?」と尋ねた。「必要を感じないからだよ」と満男が言うと、彼女は「パパが私に気を遣って再婚しないでいるとしたら、私がパパが幸せになるのを邪魔してるとしたら、そんなの嫌。それを言いたかった」と涙ぐむ。満男が「分かったよ。良く考えてみるよ。でも大丈夫だよ。当分、そんなは現れやしないから」と語ると、ユリは「高野さんって独身でしょ。あんな人なら大丈夫よ」と述べた。
翌日、編集部に出向いた満男は、編集長の飯田からサイン会を開くよう説得された。一方、結婚して「イズミ・ブルーナ」になった泉はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で働いており、副高等弁務官に同行して日本を訪れた。弁務官は多額の寄付をしてくれた企業の会長に感謝状を贈り、日本報日新聞の取材を受けた。その日の仕事を終えた弁務官は、明日は成田に送りに来なくていいので久しぶりの日本を満喫するようイズミに告げた。イズミは3日後のフライトを予約しており、弁務官と別れて日本に留まった。
翌日、書店を訪れたイズミは、満男がサイン会を開いていることを知った。彼女は会場へ赴き、満男は顔を見て驚いた。サイン会を終えた満男は、イズミをタクシーに乗せて神保町のジャズ喫茶へ連れて行く。イズミは満男に名刺を渡して自分の仕事を教え危険な体験もしたが今は本部勤務になったことを話す。子供について問われた彼女は、下は小学生で上は来年に高校だと答えた。「満男さんもいるんでしょ、子供」とイズミが訊くと、満男は「女の子。君の上の子と同じくらいかな」と告げた。「どんな人、貴方の奥さん」という質問に「平凡な、普通の人だよ」と答えた彼は、死別したことを明かさなかった。
そこへやって来たジャズ喫茶のオーナーはリリーで、イズミに気付いて驚いた。再会を喜び合ったイズミは、「どうして寅さんと夫婦にならなかったの?」とリリーに尋ねた。満男が「伯父さんは振られたんだよ」と言うと、リリーは「一緒に暮らしたこともあるのよ」と口にした。彼女はさくらから兄と結婚してほしいと頼まれたこともあるが、寅次郎には誤魔化されてしまったと話す。「人生の大事な局面になると逃げ出すのが伯父さんなんだ」と満男が言うと、リリーは「そのダメな所が好きなのよねえ、困ったことに」と漏らした。
さくらは満男からの電話でイズミを実家へ連れて行くと聞き、博に2階を掃除してもらう。夜、イズミは満男に連れられて来訪し、さくらの作った夕食を御馳走になった。さくらと博が良かったら泊まらないかと勧めると、イズミは喜んで2階の部屋を使うことにした。満男が「明日の予定があるんじゃないか?」と訊くと、イズミは「父親に会いに行かなきゃいけないの」と話す。彼女の故郷は九州だが、父の一男は事情があって神奈川県の施設に入っていた。
一男は病気を患っており、イズミは母の礼子から「今の内に会っておいた方がいい」と言われていた。イズミは確執のある父に会うことに積極的ではなく、満男に「まだ許せないの?」と問われると「許さなきゃいけないという気持ちだけはあるんだけどね」と口にする。満男は「どんなことがあったかは知らないけど、後悔しても遅いんだ」と行くよう促し、車で送ると申し出た。満男が帰宅すると、テストを控えたユリが高野から英語を教わっていた。 満男に以前からお願いされている書き下ろし小説についての返事が欲しいと高野に言われ、「もうちょっと考えさせてくれよ」と告げた。
翌日、満男はイズミを車に乗せて介護老人福祉施設「望洋荘」へ向かった。満男が両親について愚痴をこぼすと、イズミは「私が満男さんの家族をどんなに羨ましく思っているのか、貴方には分からないのよ」と話し、ヨーロッパに行って辛い思いもしたが帰る場所が無かったと述べた。望洋荘の前では礼子が待っており、イズミを連れて一男の病室へ向かった。礼子は離婚しているが、入院した一男の身元引受人がいないから何とかしてほしいと大家に頼まれ、仕方なく金を出して望洋荘に入居させていた。
一男は礼子に対して不快感を露骨に示し、ヘッドホンを装着して無視を決め込んでいた。礼子が煙草を吸うために病室を出ていくと、彼はイズミに「そばにいてくれないか」と頼む。イズミが「仕事を持ってるし、家族がいるの。ここで看病するわけにはいかないの」と話すと、一男は財布から一万円札を取り出して「孫に絵本を買ってやれ」と告げた。イズミが病室を出て行った後、彼は満男に「少し金を置いていってくれないか。香典の前払いだと思って」と言って2万円をせびり取った…。

原作 監督は山田洋次、脚本は山田洋次&朝原雄三、プロデューサーは深澤宏、製作代表は大谷信義、製作総指揮は迫本淳一、撮影は近森眞史、美術監修は出川三男、美術は倉田智子&吉澤祥子、照明は土山正人、編集は石井巌&石島一秀、録音は岸田和美、音楽は山本直純&山本純ノ介、主題歌『男はつらいよ』は桑田佳祐。
出演は渥美清、倍賞千恵子、吉岡秀隆、浅丘ルリ子、後藤久美子、前田吟、美保純、北山雅康、桜田ひより、佐藤蛾次郎、夏木マリ、橋爪功、小林稔侍、笹野高史、池脇千鶴、カンニング竹山、濱田マリ、出川哲朗、松野太紀、林家たま平、立川志らく、スザンネ・シェアマン、田中荘太郎、中澤準、上杉陽一、戎哲史、小野瀬侑子、富田望生、倉島颯良、村石隆浩、長岡忠治、川村那月、福井修一、ムートン伊藤、菊地優志ら。


『男はつらいよ』シリーズ50周年記念作品。『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』以来、22年ぶりとなる第50作。
もちろん監督は山田洋次。脚本は山田洋次と、過去のシリーズで助監督を務めていた朝原雄三による共同。
さくら役の倍賞千恵子、満男役の吉岡秀隆、博役の前田吟、三平役の北山雅康、源公役の佐藤蛾次郎は、シリーズのレギュラー。
イズミ役の後藤久美子、朱美役の美保純、リリー役の浅丘ルリ子、礼子役の夏木マリは復帰組。

三平ちゃんが今も「くるまや」で働いていることも、源公が相変わらず寺男をやっていることも、朱美が復帰したことも、全て素直に歓迎できる。
だが、笹野高史が御前様ってのは無いだろ。もちろん笠智衆は死去しているから続投は不可能だが、だったら御前様なんて登場しない内容にすれば良かったでしょ。
あと、「御馴染みの顔触れ」を揃えておきながら、一男役が橋爪功ってのは絶対にダメだろ。なんで寺尾聰じゃないのよ。
もしもオファーを断られたのなら、一男が登場しない内容にすればいいだけでしょうに。

そもそも第50作という企画の時点で、「それはダメだろ」と言いたくなる。
それはひとまず置いておくとしても、オープニングから「それは無いわ」と言いたくなる。冒頭で流れる主題歌を桑田佳祐が歌っているのだが、ちょっと呆れてしまうわ。
既に死去している渥美清を「主演俳優」という形で表記しているんだから、主題歌も今までと同様に渥美清の歌唱バージョンでいいでしょうに。
そこを変更しなきゃいけない積極的な理由なんて、何一つとして存在しないぞ。

しかも歌唱担当者を変更しているだけでなく、なんと桑田佳祐はオープニングで堂々と姿を見せるのだ。いやいや、それは無いわ。
そんなオファーを快諾しちゃった桑田佳祐にもガッカリだが、何より山田洋次監督のセンスに呆れてしまう。
少なくともシリーズのファンだった観客をノスタルジーに浸らせる目的ぐらいは、果たさなきゃいけないはずでしょ。
それなのに、冒頭から冷めた気持ちにさせるような演出を持ち込んで、何がしたいのかと。

満男の夢から始めているのは、過去シリーズで「寅次郎の夢」パートから入るのが定番になっていたのをを引き継いでいるってことだろう。
だけど満男の夢はギャグパートじゃなくて、シリアスモードで描かれている。なので、「だったら要らない」と言いたくなるぞ。
あと、寅さんを「主人公」というポジションから外していないんだから、そういう意味でも満男の夢から始めるのは違うんじゃないかと思うし。
「じゃあ何から始めれば良かったんだよ」と問われたら、さくらなり満男なりを普通に登場させれば良かったんじゃないの(半ば投げやりな気持ちで答えていることを告白しておく)。

七回忌法要か始まると、満男が「僕のお袋は、親父の初恋の人だ」という語りが入り、第1作のシーンが回想として挿入される。
以降も同じような形で、過去作の回想を何度も挿入する構成になっている。
例えば、満男に文句を言われた朱美が憤慨して去った後には「僕が物心付いた後、この家はいつも賑やかだった」と語りが入り、タコ社長が来ている時の回想シーンが挿入される。
ただ、さくらが博との結婚を決めるシーンに関しては、満男が生まれる前の出来事なのよね。それを「満男が振り返る」という形で挿入するのは、見せ方として少し不恰好にも感じるぞ。

現在のシーンの役割は、「回想パートを繋ぎ合わせるため」ってのが大半だ。ようするに、『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』と、やってることは全く同じだ。
さくらが駅で電車に乗る満男とユリを見送るシーンでは、若き日の彼女が寅次郎を見送った時の回想が入る。ってことは、ここはさくらの回想という形になるわけだ。
それは統一感が無くて中途半端だなあ。
「色んな人が思い出す」という形で回想シーンを挟む形式ならともかく、基本はナレーション担当の満男が振り返る形にしてあるわけでね。

さすがに全く同じことを繰り返すだけではマズいと思ったのか、満男とイズミ(泉)の再会というイベントを用意している。
だが、ここに関しても、結局は「回想シーンを入れやすくするため」という目的があるのだ。シリーズの42作以降は寅次郎が満男の恋路を応援する立場になることが増えたため、その辺りの回想を入れるためにはイズミがいた方が何かと都合がいいってことなのだ。
一応は満男とイズミの間で「焼け木杭に火が付くかも」みたいな雰囲気は出しているが、そんなのは申し訳程度に留まっているし。
なお、そもそも芝居が達者とはお世辞にも言えなかった後藤久美子は、長いブランクのせいでヘチマ役者化が強まっているが、そこは度外視しているようだ。

渥美清は死去しているが、タイトルには「お帰り 寅さん」とある。ってことは、どういう方法を使うのかは分からないが、ともかく柴又に寅次郎が戻って来るシーンが用意されているんだろうと思うのは普通の感覚だろう。
ところが実際には、最後まで寅次郎は戻って来ない。それは詐欺みたいな行為だぞ。
別にね、『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』の時みたいに、CGで寅次郎を登場させる不細工な方法なんて取らなくてもいいのよ。例えば映画の最後で「くるまや」にいる面々が外に目を向けて「おかえり」と挨拶するだけでも、「寅次郎が戻って来た」という表現としては、ちゃんと成立しているのよ。
とにかく、「お帰り 寅さん」なのに寅次郎が戻らないまま終幕させるってのは、どういうセンスなのかと言いたくなるわ。

(観賞日:2022年8月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会