『男たちの大和/YAMATO』:2005、日本

2005年4月6日、内田真貴子は鹿児島県枕崎の漁港を訪れた。彼女は枕崎漁業組合の組合長に会い、北緯30度43分、東経128度4分まで船を 出して欲しいと依頼する。それは、60年前の昭和20年4月7日に戦艦大和が沈んだ場所だ。組合長は断られた真貴子は、港に出て複数の漁師 に依頼するが、全て断られる。一方、老漁師の神尾克己は、明日に控えた大和沈没60周年の慰霊祭に参加するよう組合長に求められるが、 丁重に断った。神尾は、森脇庄八という男の墓参りに赴いた。 真貴子の父親が大和の二等兵曹・内田守だと知った神尾は、彼女の依頼を受けることにした。神尾は若い漁師の前園敦を伴い、真貴子を 乗せて漁船・明日香丸を出航させる。神尾が内田を知っていると聞き、真貴子は古い写真を見せた。そこには内田と森脇庄八、唐木正雄と いう3人の二等兵曹が写っていた。船を走らせながら、神尾は少年時代のことを思い返した。
昭和17年3月、太平洋戦争の真っ只中。神尾は今の前園と同じ15歳だった。彼は母・スエや同級生・野崎妙子の心配をよそに、海軍に志願 した。既に兄は出兵していた。神尾は日本が勝利することを信じて止まなかった。当初は優勢に戦争を進めていた日本だが、ミッドウェー 海戦でアメリカ軍に大敗を喫したことで形勢は逆転した。
昭和19年の春、大竹海兵団の特別年少兵となっていた神尾は、訓練期間を短縮されて戦艦大和に乗り込んだ。伊達俊夫、西哲也、常田澄夫、 児島義晴といった面々も一緒だった。神尾は、甲板で柔道の稽古に励む2人の下士官の姿に目を奪われた。1人は第二十二分隊主計科 烹炊班の森脇二主曹、もう1人は第七分隊四番機銃座第四班の機銃射手・内田二兵曹だった。
特年兵は、それぞれの班に配置された。神尾は内田の班の給弾手、伊達は第十二分隊通信科。西は川添二等兵曹や玉木水兵長のいる 第五分隊二番高角砲第二班、常田は小沢と共に森脇のいる烹炊班、児島は塚口と共に大森班長のいる第二十一分隊医務科に配属された。 西は訓練の最中に弾丸を落としてしまい、川添から罰を受けた。
第七分隊四番機銃座第四班でミスが発生し、町村班長は名乗り出るよう求めた。神尾は仲間の特年兵を庇うため、自らが名乗り出た。町村 は神尾の尻を鉄の棒で殴り、内田にも殴るよう命じた。内田は拒絶し、それでも命じられると力を緩めて殴った。怒った町村は、内田の尻 を殴る。しかし尾てい骨に入ったため、内田は「骨が折れて戦えるのか」と激怒し、町村に殴り掛かった。神尾から助けを求められた森脇 が仲介役を務め、町村には水に流してもらうよう話を付けた。
昭和19年の初夏、乗組員に上陸が許された。神尾は行く当ての無い西を家に誘う。西も神尾と同じく、父を亡くしていた。西は郵便局に 立ち寄り、母のサヨに金と電報を送った。神尾は妙子と再会し、絵の得意な西に彼女を描いてもらった。神尾は西と妙子を自宅に招き、 食事を取る。スエは神尾に、「死んだらいけんよ」と告げた。
大和に戻った神尾は、伊達からサイパンが陥落したと聞かされ、「そんなのは嘘だ」と主張して揉み合いになる。そこへ現われた森脇が、 サイパン陥落は事実だと告げた。森脇から「逃げるか」と問われた神尾と伊達は、どちらも「全力で戦う」と決意を語る。玉木は森脇を 通じて常田を呼び出し、母から預かったお守りを渡す。常田は、養子に出された玉木の実弟だった。玉木は「もしも苛められたら玉木の弟 だと言えばいい」と告げるが、常田は頑なに拒否した。
昭和19年10月、レイテ沖海戦に出撃した大和はアメリカ軍の猛攻を受けた。玉木や坂本二曹ら大勢の者が命を落とし、内田は左目に重傷を 負って呉の海軍病院に入院することとなった。5日間の戦いで、連合艦隊は戦艦3、空母4、巡洋艦9、駆逐艦8、潜水艦6隻を失った。 残った艦も損傷は激しく、連合艦隊は事実上の壊滅状態を迎えた。
伊藤整一中将が、第二艦隊司令長官として大和に着任した。そんな中、特年兵の間では沖縄出撃の噂が広まった。第七分隊露天甲板機銃座 の露天甲板機銃射手・唐木正雄二等兵曹に事実だと確認した特年兵は、「命を投げ出す覚悟は出来ている」と声を揃えた。森脇は常田を 呼び寄せ、家督を継ぐ者や長男は申告すれば下船できると告げる。だが、常田は大和に残ることを選んだ。伊達は臼淵磐大尉から、武士道 と死についての講釈を受け、覚悟を決めることの難しさを教えられた。
昭和20年3月25日、乗組員に上陸が許された。誰もが、最後の上陸になることを覚悟していた。森脇は、常田を実母のツネと引き合わせた。 常田は玉木の髪の毛と爪を渡し、ツネは牡丹餅を差し出した。西は母に、「お忘れください、さようなら」という電報を打った。神尾が 自宅に戻ると、母は亡くなっていた。妙子は、スエが自分を庇って死んだことを泣いて詫びた。死ぬ覚悟を決めたことを語る神尾に、妙子 は愛している気持ちを打ち明けて走り去った。
森脇は内田を見舞い、柔道着を渡した。唐木は妻の伸江と赤ん坊に会う約束をしていたが、切符が取れず行けないという電報が届いた。 内田は病院を抜け出し、恋人の芸者・文子に会いに行く。彼は傷付いた体で沖縄へ行くことを決めていた。森脇は仲間と賭場へ行き、 自分達が無事に戻るのが丁、お陀仏が半で最後の勝負をさせてほしいと胴元に持ち掛けた。川添らが丁に賭ける中、森脇は全額を半に 賭けた。いよいよ出航となった時、唐木は陸に妻子の姿を見つけて叫んだ。
昭和20年4月1日、米軍が沖縄上陸作戦を本格的に開始した。4月5日、草鹿龍之介・連合艦隊参謀長は、大和の沖縄特攻を伊藤に命じた 。森下信衛少将に代わって五代目の大和艦長となった有賀幸作は、沖縄特攻の艦隊命令を全乗務員に通達する。乗組員は臼淵大尉に 促されて各自の「死二方用意」を行い、いよいよ大和以下10隻の艦隊は出航した…。

監督&脚本は佐藤純彌、原作は辺見じゅん、製作は角川春樹、プロデューサーは厨子稔雄&小柳憲子&村上典吏子、製作総指揮は高岩淡& 広瀬道貞、企画は坂上順&早河洋、企画協力は亀山慶二&梅沢道彦、撮影は阪本善尚、編集は米田武朗、録音は松陰信彦、照明は 大久保武志、美術は松宮敏之&近藤成之、セカンドユニット監督は原田徹、特撮監督は佛田洋、CGスーパーバイザーは野口光一、 VFXスーパーバイザーは進威志、テクニカルコーディネーターは根岸誠&篠田学、 音楽プロデューサーは石川光、音楽総合プロデューサーは角川春樹、音楽は久石譲、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団、
主題歌は長渕剛「CLOSE YOUR EYES」「YAMATO」 作詞・作曲・編曲は長渕剛、ストリングスアレンジは瀬尾一三、
サポートソングは般若「オレ達の大和」 作詞・作曲は般若、Produced by SUBZERO、
ナレーションは渡辺宣嗣、
出演は反町隆史、中村獅童、仲代達矢、鈴木京香、渡哲也、松山ケンイチ、蒼井優、渡辺大、山田純大、長嶋一茂、 寺島しのぶ、白石加代子、奥田瑛二、内野謙太、崎本大海、橋爪遼、池松壮亮、井川比佐志、林隆三、本田博太郎、勝野洋、高畑淳子、 余貴美子、高知東生、平山広行、森宮隆、金児憲史、春田純一、高岡健治、野崎海太郎、みれいゆ、中山俊、永倉大輔、康ヨシノリ、坂本雄吾、藤本隆宏、 辻本祐樹、若林宏紀、小谷幸弘(塚口特年兵役)、川口貴弘、高橋光宏、飯泉征貴、菅原卓磨、中村久光、西村泰輔、 村山竜平、中村哲也、羽柴誠、野村宗平、土平ドンペイ、蝦沢康仁、千田孝康ら。


1984年に第3回新田次郎文学賞を受賞した辺見じゅんのノンフィクション『男たちの大和』を基にした作品。
原作としては、そのノンフィクション『決定版 男たちの大和』(ハルキ文庫刊)と共に、映画のノベライズ版に当たる『小説 男たちの大和』 (角川春樹事務所刊) もクレジットされている。製作は原作者の弟である角川春樹。
森脇を反町隆史、内田を中村獅童、年老いた神尾を仲代達矢、真貴子を鈴木京香、伊藤司令長官を渡哲也、特年兵の神尾を松山ケンイチ、 野崎妙子を蒼井優、伊達を渡辺大、唐木を山田純大、臼淵を長嶋一茂、文子を寺島しのぶ、スエを白石加代子、有賀艦長を奥田瑛二、 西を内野謙太、常田を崎本大海、児島を橋爪遼、前園を池松壮亮が演じている。
他に、組合長を井川比佐志、草鹿中将を林隆三、第二水雷戦隊司令官・古村少将を本田博太郎、森下艦長を勝野洋、ツネを高畑淳子、サヨ を余貴美子、川添を高知東生、玉木を平山広行、大森を森宮隆、町村を金児憲史、第二十一駆逐隊司令・小滝大佐を春田純一、大和航海長 ・茂木中佐を高岡健治、大和副長・能村大佐を野崎海太郎、伸江をみれいゆが演じている。

この映画のために、広島県尾道市向島町の造船ドックに戦艦大和の実寸大セットが建設された。大和の全長は263メートルだが、その内の 艦橋から前部を原寸大で再現した190メートルが再現された。広大なセットには約6億円の総工費が注ぎ込まれ、4ヶ月の期間を要して 完成した。映画全体としての製作費は約25億円。日本の映画としては、破格のスケールと言っていい。
長渕剛のエンディング・テーマ曲「CLOSE YOUR EYES」は、全体としては雰囲気も合っているし悪くない。
ただ、タイトルとサビの部分になっている「CLOSE YOUR EYES」は無いだろう。
米軍と戦った日本兵に向けた歌のはずなのに、なぜサビとタイトルが英語なのかと。
まあ、それを言い出すと映画のタイトルに「YAMATO」とあるのも気になるんだけど。

角川春樹はコカイン密輸によって逮捕された後、保釈されて1997年には『時をかける少女』で監督・脚本・製作を務め、2000年にはアニメ 映画『アレクサンダー戦記』を製作している。
だが、それは完全な復活劇というわけではなかった。
その後、彼は最高裁で懲役4年の実刑が確定し、服役した。
そして2004年に仮出所した角川春樹は、この映画で完全復活を遂げた。
映画人としての彼は、まだ死んでいなかったのだということを、この映画が見事に証明した。
まだ角川春樹が角川書店社長を務めていた頃の角川映画における黄金期には、メディアミックス路線でヒットを連発した。
この映画でも、ちゃんと角川春樹事務所から小説を発行している辺り、ハルキイズムは健在だ。
豪華キャスト、莫大な予算、壮大なスケールの映画に莫大な宣伝費を掛けて客を呼ぶ戦略は、1990年の『天と地と』を思い起こさせる。
やはりハルキイズムだ。

前述したように大和の巨大セットが建設されているが、たぶんやろうと思えば、部分的なセットとミニチュア、自衛隊の協力による実際の 艦艇の映像とCGを組み合わせれば、それなりに上手くやれたんじゃないかという気もするのだ。
だが、それでも巨大セットにこだわる辺りが、さすがの角川春樹なのだ。
この人は、ようするに「どうだ、すごいだろう」と力を誇示したいのだ。
とにかく「巨大セットの大和を見せたい」という気持ちで一杯なので、劇中での大和のシーンは局部ばかりで全体を捉えるシーンがほとんど出てこない。
全体を捉えようとすると、CGやミニチュアにしなくちゃいけなくなるからだ。
航行するシーン、つまり大和と海を同時に捉えるシーンも少ない。
セットの位置関係でカメラワークとして難しかったのか、右舷から大和を捉えるシーンも無い。
大和だけで戦っているわけではないのに僚艦が全く出てこないが、「大和さえ見せれば他はどうでもいい」ということなのだ。

一部で中村獅童の芝居が批判を受けているようだが、これがハルキイズムの映画、角川春樹のケレンが込められた映画であることを 考えれば、中村獅童のようなスケールのデカさを感じさせる力一杯の芝居こそがリアリティーよりも必要なのだ。
それは角川春樹の映画におけるリアリティーとなる。
ただし残念ながら『北京原人 Who are you?』で壊れてしまった佐藤純彌監督がハルキイズムを体現できず、 「中村獅童の芝居が浮き上がっている」と一部で感じるような結果となってしまったのだ。

最初に真貴子が大和ミュージアムを見学し、「1985年に大和が発見されて云々」という長いナレーションが入る。
その後も、何度もナレーションによる説明が入るが、これが疎ましくて仕方が無い。
資料映像やテロップも多いが、これも邪魔。年老いた神尾が森脇の墓参りをするシーンで、わざわざ「森脇庄八之墓」とテロップを入れる 無粋なセンスには度肝を抜かれた。
それと真貴子が大和の沈没現場に向かって神尾が回想するという入り方は『タイタニック』をやりたかったのかもしれないが、現在の シーンはもっと短くまとめるべきだ。
最初の真貴子が博物館を見学するシーンなんて、全く必要性が無い。
漁船に前園が乗るのは少年兵と重ね合わせようという意識なのだろうが、こいつも全く要らない。

途中で何度も現在のシーンに戻るが、これも最初と最後だけで充分だ。
真貴子が船酔いするシーンなんて、何の必要があるのか。
大和沈没の後も、少年兵の神尾が西の母親に会いに行ったり、年老いた神尾の様子を描いたりしてダラダラと話を続ける冗長ぶり。
西の母が少年兵の神尾を責めるセリフを、そのシーンの直前で「年老いた神尾が思い出した声」として聞かせるのも演出としては論外。

エピローグが長すぎるのも問題だが、そこで描かれる内容も完全に外している。
神尾と内田が生き残ったことは最初の時点で観客に提示されているのだから、エピローグで帰還後を描くとすれば、それぞれの恋人の関係 はどうなったのかを描くべきだろうに。
それと最後、真貴子の「長生きをさせていただき、ありがとうございました」のセリフは無いわ。
神尾は仲間が死んだのに自分だけが生き延びたことを負い目に感じているのに、その目の前で平然と言うべき言葉ではないよ。思いやりが無さすぎる。

内田の娘が鈴木京香というのは年齢的に無理がある設定で、「かなり年を取ってから生まれたってことか。 あまりにもヒロインが年を取りすぎていると訴求力の部分で苦しいという判断なのかなあ」と思っていた。
すると途中で「実の娘ではなく養女」と言い出すので、「ああ、そういうことで不自然さを回避する手に出たか」と思ったら、 「内田は戦災孤児の面倒を見ていた」と言い出す。
おいおい、戦災孤児だと、ますます年齢的には無理があるぞ。

戦艦大和の話で、しかもタイトルが『男たちの大和』だから女は要らないだろうと見る前は思っていたのだが、その考えは大間違いだった。
むしろ出番の少ない女の方が、男どもよりも存在感を発揮している。蒼井優は一服の清涼剤になっているし、高畑淳子は助走の無い中で 感動の芝居を強いられているにも関わらず個人的には唯一、グッと来るシーンを作ってくれる。
慌ただしく話が進んでいくため、反町隆史や中村獅童はともかく、神尾を除く少年兵のように「誰がどんな名前でどんな顔でどこの配属か」 が良く分からないメンツも多い。例えば玉木なども、顔も良く分からない内に「出て来たかと思ったら死にました」という状態であり、涙 の別れとして盛り上げようとしても全く感情が揺り動かされない。

各人に用意されたエピソード、人間関係は異なっているが、キャラの中身、性格は大して変わらない。
基本的に皆が「抗うこともなく素直に命懸けで戦う覚悟を固める」という筋書き。
1人を主人公に据えるのではなく群像劇にしたかったようだが、ただ散漫になっている、バラバラになっているという印象しか受けない。
また、ストーリーの流れが無くブツ切りで薄味。
政治的、思想的な主張はなるべく排除されており、それは戦略として賢明だと思うが、そこを薄めたからって話そのものも薄めたらイカンだろうに。
大和が発進する高揚感も、沈没の悲哀も描かれていない。
おそらく売りの1つであろう戦闘シーンは、『プライベート・ライアン』風にやりたかったのか、血糊たっぷりで激しい描写にしてあるが 、レイテ沖海戦と沖縄特攻の色の違いが無い。描き分けが出来ていないので、戦闘時間の長短ぐらいしか区別するポイントが無い。

 

*ポンコツ映画愛護協会