『男たちのかいた絵』:1996、日本
鶴丸杉夫は内気で弱気な男だったが、彼の中には松夫という冷酷非道なもう一つの人格があった。彼は自分で人格をコントロールできず、周囲の者を戸惑わせる。杉夫は松夫の行動を知らないが、松夫は杉夫の行動を把握している。
彼は丹義組というヤクザの事務所で働いていた。幹部の渡会は鶴丸の人格を確認してから仕事を頼む。ヤバい仕事は松夫、ラクな仕事は杉夫というように。松夫の人格が行き過ぎた挑発をするために別のヤクザ組織との反目が深まっており、渡会は頭を悩ませている。
日を追うごとに、松夫の人格が現れる回数や時間が増えてきていた。松夫は杉夫の存在を疎ましく思っていた。次第に杉夫の体は松夫に占領されていく。だが、高いずみという歌手と出会い、松夫は彼女を通して杉夫と一つになれるかもしれないと考えるのだが…。監督は伊藤秀裕、原作は筒井康隆、脚本は神代辰巳&本調有香&伊藤秀裕、製作は石山真弓、プロデューサーは川崎隆&桃井かおり、撮影は篠田昇、編集は奥原茂、録音は滝澤修、照明は安河内央之、美術は大坂和美、音楽は秋元直也。
主演は豊川悦司、共演は高橋恵子、内藤剛志、永島暎子、夏生ゆうな、永島暎子、筒井康隆、永島敏行、伊佐山ひろ子、安岡力也、白竜、ダンカン、哀川翔ら。
故・神代辰巳監督が遺作となった『棒の悲しみ』の次に撮ろうとしていたのが、この作品らしい。彼の意志を継いで、伊藤秀裕が映画化した。
女優の桃井かおりが製作に携わっている。
杉夫と松夫を豊川悦司、渡会を内藤剛志が演じている。おそらく、この作品はヤクザ映画にジャンル分けされるのだろう。
だが、これは典型的なヤクザ映画ではない。
主人公がヤクザであるという部分だけが「ヤクザ映画っぽさ」であり、しかし実際にはブンガク的な匂いのある人間ドラマとして作られているのだろう。提示されるエピソードがボンヤリしているのは、別に構わない。
だが、主人公の“心の旅”を描き切れていないのは問題だろう。
杉夫と松夫の微妙な関係が、どうにも描き切れていない。
結局、描こうとするテーマまでがボンヤリしてしまっているのだ。反目から同調への道を、もっとキッチリ描いて欲しかった。
そこの部分が、ひどくボンヤリしているのは納得しかねる。
アイデンティティーが不安定で不確実なものであるということを、もっと深く掘り下げて描くべきではなかったのだろうか。それと、この映画は太りすぎている。
無駄に長すぎる。
この内容ならば、もっとシェイプアップできたはず。
ダラダラと続くので、ものすごく長い中だるみを感じてしまった。