『弟切草』:2001、日本
ゲームソフト会社でアルバイトをしている菊島奈美が、久しぶりに会社を訪れた。その会社は松平公平が社長を務めており、浮田真一や小関透子が社員として働いている。奈美は公平と付き合っていたが、最近になって別れていた。
奈美が会社に来たのには、ある理由があった。亡くなった実父が残した屋敷へ向かうのに、公平に同行してもらおうと考えたのだ。奈美は実の父親の存在を最近まで知らなかったが、弁護士から遺産を継いでほしいと言われたのだ。
奈美は公平と共に、父の残した屋敷を訪れた。それは、弟切草が咲く山奥に建てられた洋館だ。そこで2人は、奈美の父が残酷絵画で世界的に有名な画家・階沢蒼一であったこと、奈美には直美という双子の妹がいたことを知る。
奈美と公平は、直美だと思われる少女の死体を発見した。屋敷から去ろうとする2人だが、急な嵐のために泊まらざるを得なくなってしまう。2人は、蒼一が6人の子供を殺してモデルにしていたことを知る。やがて奈美と公平の前に、直美が姿を現した…。監督は下山天、原作は長坂秀佳、脚本は中島吾郎&仙頭武則、脚本協力は柴尾英令、企画は森下和清、プロデューサーは小川真司&仙頭武則、エクゼクティブプロデューサーは原正人、プロダクションスーパーバイザーは金森保、撮影は小倉和彦、編集は平澤政吾、録音は堀内戦治、照明は小山田智、美術は磯貝俊裕、音楽は吉田朝子、音楽プロデューサーは浅沼一郎&安井輝。
出演は奥菜恵、斎藤陽一郎、大倉孝二、松尾れい子、minoru他。
長坂秀佳の原作を基にした映画というより、人気ゲームソフトを映画化した作品と言った方がふさわしいだろう。奈美&直美を奥菜恵、公平を斉藤陽一郎、真一を大倉孝二、透子を松尾れい子、蒼一をminoruが演じている。
この映画、フィルムではなくデジタルビデオで撮影されている。映像には広がりや奥行きが無い。だから、画面の隅や、あるいは画面の外に「何かがあるのでは?」「誰かがいるのでは?」という恐怖を得ることが難しくなっている。
また、洋館が映し出された時に、それがあまりにチープで何の怖さも無いというのも痛い。屋敷の中に入っても、それが本物の洋館ではなくセットのようにしか見えない。ようするに、隅から隅まで、あらゆる所に作り物の感覚があるのだ。手持ちカメラの映像を使ったり、監視カメラによる固定された映像を使ったり、早送りや巻き戻しをしてみたり、色々と凝っているようだ。
しかし、そういうものは、たまに挿入されれば効果もあるだろうが、そればかりだと映像が人工的になりすぎて、臨場感が無くなる。観客が登場人物に同化して、そこにある恐怖を感じることが出来なくなるのだ。
始まって30分ほどが経過した頃、ようやく手持ちカメラの映像からは解放される。しかし、相変わらず映像のタッチは、それが絵空事であることを強調する。だから奈美も公平も、まるでゲームの映像の中で実写のキャラクターが動いているように見える。おそらく、ゲーム的な映像というのは、ある程度は意識しているのだろう。しかし、ゲームであれば、人物がどこにいるのかは分かりやすいはず。この映画ではマップまで登場するのに、奈美と公平が今どこにいて、どう動いているのかが分かりにくい。今そこで何が起きているのかさえ、良く分からない場面まである始末だ。
奈美と公平は外部と連絡が取るのだが、それによって謎解きを始める意味が分からない。得体の知れないモノが持つ恐怖を、得体の知れるモノにして消してどうするのか。それに、外部と連絡が取れない方が閉じ込められた恐怖もあるはずだし。さらにはショッカー描写まで和らげ、残酷描写を薄めているのだから、どこにも怖さは無い。ドンデン返しってのは決まればかっこいいが、外すと目も当てられなくなってしまう場合がある。この映画は、ドンデン返しっぽい展開を幾つも用意しているのだが、それが全て不発に終わっている。数が多いだけに、悲惨な状態に陥っている。
例えば、「直美が実は男でした」というのは、“意外な展開”になるんだろう。しかし、「だからどうした?」という感想しか浮かばない。彼女が男だったことで、どこにどのような影響が出るのか、何が怖いのか、それがサッパリ分からない。
例えば、直美が男だったという事実が明らかになった時に、「男だからアノ時のアレはあのようになっていたのか」という衝撃に繋がらない。そこで明らかになるのは、あくまでも「彼女は男だった」という事実だけであり、恐怖が広がらないのだ。つまり、意外な展開の全ては、その場だけのコケ脅し。
というか、コケ脅しとしても成立していない。
その時点でさえも、「はあっ?」と思ってしまうからねえ。
最後の2通りのエンディングは、ゲームにあったマルチエンディングを持ち込んだつもりなのだろうが、チープな夢オチを2回続けて見せられたような印象しか受けない。この映画、結局はゲームの中で終わっているという構成になっているのだが、これは大きな失敗だった。ドンデン返しまでもが、ゲームの中の出来事なのだ。
1度目のオチは、それでいい。しかし、2度目のオチは、「ゲームの中の出来事だったはずが、現実の世界に侵食してきた」という衝撃にならないと、恐怖に繋がらない。
終盤、奈美がゲーム画面を見ながら「アタシのエンディングは」と言った時点で、そこから描かれる物語がゲームの出来事だということが分かる。ゲームの中で何が起きようとも、既に臨場感を放棄しているので、恐怖を味わうことは無理だ。この映画は最後、「ゲームの中で異変が起きました」という所で終わっている。
しかし、それは大きな恐怖ではない。小さな不安だ。
「こんなの作ってない」と奈美が怯えて言葉を発し、そこから現実の恐怖劇は始まるはずなのだ。
つまり、これから本格的なホラー映画が始まるという、きっかけの段階で映画は終わっているわけだ。