『俺俺』:2013、日本

永野均は団地暮らしで暮らす母のマサエから、父のことで相談を受ける。「お金で解決するなら、それでいいのかなって」と言われ、彼は「頭悪すぎだろ。もう他人なんだし」と呆れたように告げる。永野が「お袋」と呼ぶと、母は「マサエって呼ぶ約束でしょ」と注意する。「40歳の時に君のお袋からマサエになったのよ」と彼女は言うが、永野が「知らねえって」と冷たく言う。「君は私のこと見えてる?」と永野は問い掛けられるが、まるで意味が分からなかった。
家電量販店で働く永野は、先輩店員のタジマから「俺の話聞いてる?いつまでも契約感覚で仕事しているなら、契約に戻ってカメラマンになる夢を死ぬまで追ってろよ」と睨まれる。おとなしく聞くフリをしていた永野だが、タジマに詰め寄ろうとする。しかしベテラン店員の南さんに背後から蹴りを入れられ、永野もタジマも転倒してしまった。その夜、永野は南さん、ヤソキチ、安西の同僚4人で居酒屋へ飲みに行く。南さんのせいで、永野は全員に御馳走する羽目になった。
後日、永野がハンバーガーショップで昼食を取っていると、他にも席が空いているにも関わらず、隣に大樹という若者が座って来た。大樹は後輩の村山を呼び寄せ、大きな声で「誰にも言うなよ。会社を辞めようと思ってんだ。そろそろ大きいことやろうと思ってんだ」と話し出す。永野が疎ましさを感じていると、大樹は携帯電話で話した後、それを誤って永野のトレイに置いた。永野は教えようとするが、大樹が全く気付かないので、そのままトレイを持って別の席に移動した。
永野が携帯電話を盗んで店を出ると、大樹の母親から着信が入った。無視した永野は留守電のメッセージを確認した後、大樹の声色を練習する。再び母親から電話が入ると、永野は大樹の声色に成り済ました。母親が大樹と思い込んだまま話し続けるので、永野は借金があると告げる。すると大樹の母親は、何も疑わずに「何とかする」と約束した。夜、永野はATMへ行き、自分の口座に大樹の母親が振り込んだ90万円を引き出した。
次の日、永野は大樹の携帯電話を川に捨て、仕事に向かう。客のサヤカがカメラを万引きしようとするのを見つけ、声を掛ける。サヤカが「バッグに入るかなあ、なんて」と誤魔化すので、永野は話を合わせてやった。ヤソキチはサヤカに、永野が元プロカメラマンだと教える。サヤカは永野から名刺を貰い、「カメラのことで相談に乗ってもらえる?」と告げる。ヤソキチは永野に、「薬指に指輪。人妻ですよ」と教える。そこにサヤカの夫が現れ、彼女の腕を掴んで店を去った。
永野がアパートに戻ると、玄関の鍵が開いていた。彼が中に入ると、大樹の母親が待ち受けていた。彼女は永野を「大樹」と呼び、母親として振る舞った。彼女は永野に、「大樹」が急に携帯を変えたので心配して出て来たことを話す。彼女は息子のために、夕食も用意していた。永野は自分が大樹を装って金を振り込ませたのだと白状し、謝罪して金を返そうとする。しかし大樹の母は、本気で永野を息子だと信じている様子だった。永野は困惑するが、彼女をアパートに泊める羽目になった。
翌朝、永野はアパートを去った大樹の母を尾行する。大樹の母が帰宅したのは、「檜山」という表札の出ている家だった。永野は彼女に気付かれたため、適当な嘘で取り繕った。家に招き入れられた永野は、大樹の姉・かすみのことを聞かされる。家には大樹が撮ったという家族の写真が飾られており、「やっぱりカメラマン志望。才能あるのに、なんで諦めたのよ?」と大樹の母は永野に尋ねた。自分と大樹の母のツーショット写真があるのを見て、永野は驚いた。
永野は実家のマンションへ戻り、インターホンを鳴らす。母のマサエに「俺、均」と呼び掛けるが、「また貴方ですか、いいかげんにして下さい。帰らないと警察呼びますよ」と言われる。永野が苛立っているとドアが開き、瓜二つの男が出て来て「帰れ、迷惑だ」と告げた。永野は強引に家へ入ろうとするが、その男に捻じ伏せられる。「名刺ぐらい持ってるだろ。渡せば警察には通報しないでやる」と言われ、仕方なく永野は名刺を渡して立ち去った。
永野は瓜二つの男から連絡を受け、2人で会った。男は「昨日と一昨日、お前みたいな奴が来て、休みだから帰って来たと言い張った」と説明した。「そいつは俺じゃない」と永野が言うと、男は「分かってる」と述べた。永野が母親を「マサエさん」と呼んだことで信じる気になったのだと、男は話す。「近い内に連絡する」と男は告げ、2人は別れた。翌日、永野が働いていると、サヤカが彼を指名して「貴方に相談に乗ってほしくて」と言う。ずっとタジマが見つめているのに気付いたサヤカが気持ち悪いと言い出したので、永野は彼女を連れてバックヤードへ移動した。サヤカは「プロに復帰しない?この住所に一軒家が建ってるから、写真を撮ってきて。玄関側からと勝手口側からと1枚ずつよ」と言い、永野にメモを渡した。
永野は実家の“俺”から連絡を受け、大学生の“俺”を含めた3人で会う。便宜上、実家の“俺”は「ダイキ」、学生の“俺”は「ナオ」と称することになった。3人はナオのアパートへ行き、夕食を取る。ダイキは永野に、母親と喧嘩してナオのアパートへ避難していることを告げた。ビールを飲み干したナオが「俺の純度、高いっすねえ」と言うと、永野とダイキは「俺も同じこと考えてた」と言う。永野は「人といて、こんなに気楽な気分、初めてだよ」と口にした。
まだ出会ったばかりなのに、3人はすっかり打ち解けた。永野は「もっと早くこうなってくれたら楽だったのに。ここが俺山になればいいのになあ」と口にする。永野はナオと一緒にロックセンターへ行き、店長の穴川にアパートの合鍵を作ってもらった。永野はサヤカから依頼された仕事を済ませ、指定された建物で彼女と会った。サヤカは謝礼を渡し、「多すぎますよ」と困惑する永野に「この写真には、それ以上の価値があるのよ」と告げた。
サヤカは永野に、家電量販店を辞めて自分と一緒に仕事をやらないかと持ち掛けた。永野は少し考えさせてほしいと告げてから、「なんで俺なんですか?」と訊く。サヤカは「根拠レスだけど、勘かなあ。理由があって好きになるわけじゃないでしょ」と答えた。永野が建物を出ると、サヤカの夫が手下2人を連れて現れた。夫は手下に永野を殴らせ、その場を立ち去った。ナオは俺山で永野を手当てし、報復を提案する。しかしダイキは「リスクがある」と告げ、その考えに反対した。サヤカから永野の携帯に、夫のことで謝罪メールが届いた。「一度電話くれると嬉しいな」という文面を、永野は凝視した。
永野は家電量販店に来た若い女性客に気付き、積極的に対応する。永野は彼女を口説き、仕事の後で一緒に出掛けた。それは本物の永野ではなく、彼に成り済ましたナオだった。永野はナオから「家電量販店の仕事、最高っすよ」と言われ、「また近々、身代わりしてもらうから」と告げた。ボウリング場でダイキも合流した後、ナオは大学で別の自分と会ったことを話す。それは溝ノ口という男で、ナオは「かなり地味ですけど、間違いなく俺」と永野たちに語った。ダイキは「増えてるってことだな」と呟いた。
3人がボウリング場を出ると、サヤカの夫が手下たちを引き連れて待ち受けていた。手下は2人から4人に増えていた。ダイキの合図で、3人は一味に襲い掛かった。ダイキはサヤカの夫と手下2人を軽く叩きのめし、苦戦する永野たちを手伝った。永野が「お前らと出会えてラッキーだったよ。今までは外に関わるの面倒だと思ってた。でも今は違う」と言うと、ダイキは「周りを認めないと、自分も認めてもらえない。そういうことかもしれない」と告げた。
翌日、永野は今までと違う高いテンションで仕事をする。ヤソキチは彼に、「永野さんは、このまま居るつもりですか。タジマみたいになりますよ。永野さん、タジマに似てるところあるから。2人とも純度が高いから、他人に裏切られるんです」と言う。彼は税理士になるための学校へ通っていることを明かし、「人生、リセットできる。そう思いません?ゼロになる勇気ですよ」と告げた。永野は大樹の母から騙し取った金を封筒に入れ、彼女の家へ赴いた。すると、かすみが来ており、やはり永野を大樹として扱った。金を返すつもりだった永野だが、大樹の母に言いそびれてしまった。
永野はナオから、「報われない人より、俺帝国を目指しましょうよ」と持ち掛けられる。「そんな国作ってどうすんだよ」と永野が言うと、彼は「だって、これから俺がどんどん増えてくんですよ。そん時に、俺同士が敵対しないように」と話す。永野が「敵対しないと思うよ。俺なんだし」と楽観的な意見を述べると、ナオは「でも、俺の意見には反対なんですよね」と指摘した。永野がナオと共に俺山へ行くと、溝ノ口だけでなく他にも5人の“俺”が集まっていた。ナオは興奮するが、そこへ来たダイキは彼を呼び出して「全員を帰らせろ」と指示する。永野も同じ考えだった。納得できないナオに、永野は「自分の中に、許せる自分と許せない自分がいる」と言う。ダイキはナオに、「劣化コピーは排除しないとな」と告げた…。

脚本・監督は三木聡、原作は星野智幸『俺俺』(新潮文庫刊)、エグゼクティブプロデューサーは藤島ジュリーK.、プロデューサーは長松谷太郎&若林雄介、撮影は小松高志、照明は蒔苗友一郎、美術は磯見俊裕&露木恵美子、装飾は布部雅人、録音は岩丸恒、編集は相良直一郎、VFXプロデューサーは篠田学、VFXスパーバイザーは大萩真司、特殊造形はJIRO&こまつよしお、アクションコーディネーターは吉田浩之、スーパーバイザーは中村浩子&原藤一輝、音楽は上野耕路、音楽プロデューサーは安井輝。
主題歌「FACE to Face」KAT-TUN 作詞:AGKY、作曲:Andress Johansson/Laika Leon。
出演は亀梨和也、内田有紀、加瀬亮、高橋惠子、キムラ緑子、ふせえり、渋川清彦、少路勇介、岩松了、森下能幸、松重豊、松尾スズキ、田マリー、中谷竜、小林きな子、岡野真也、佐津川愛美、播田美保、成瀬労、荒川真、高橋洋、田畑龍之左、山名秀人、三浦健、小野敦子、杉本安生、柴田康平、デイヴィッド リッジズ、山田知明、北村貴広、田丸大輔、白土仁、加藤大昌、江原浩太、江原悠月、緑川静香、鈴村正樹、福嶌徹、MOTOKI、相多愛、天川ひとみ、浦坂佳右ら。


第5回大江健三郎賞を受賞星野智幸の同名小説を基にした作品。
監督&脚本は『転々』『インスタント沼』の三木聡。
永野を含む全ての“俺”を演じているのは、KAT-TUNの亀梨和也。
サヤカを内田有紀、タジマを加瀬亮、大樹の母を高橋惠子、マサエをキムラ緑子、南さんをふせえり、サヤカの夫を渋川清彦、犬塚&隣の男を少路勇介、刑事の村野を岩松了、穴川を森下能幸、刑事の阿久根を松重豊、白バイ警官を松尾スズキ、かすみを町田マリー、ヤソキチを中谷竜、安西を小林きな子が演じている。

「KAT-TUNの亀梨和也が33人の“俺”を演じました」ってのが、公開された時の一番のセールス・ポイントだった。
それは主演が亀梨和也であることを考えると、いかにもアイドル映画的なセールス・ポイントではある。
ただし、これが例えば役所広司や佐藤浩市の主演だろうと、やはり「その俳優が33人の“俺”を演じた」って部分が宣伝のために使われるだろう。
だからアイドル映画的なセールス・ポイントとは言えないが、そこに娯楽性や喜劇性を期待させることは間違いない。

「1人の役者が大勢の役柄を演じる」ってことで、『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合』を連想した。
あの映画の場合、「エディー・マーフィーの芸」と「特殊メイク」というのが大きな売りであり、映画の面白さに繋がっていた。
しかし本作品の場合、その手の要素は無い。亀梨和也は衣装や髪型で複数の役を演じ分けているだけであって、特殊メイクで違いを出しているわけではない。
また、当然っちゃあ当然だが、色んな役を演じ分ける亀梨和也の芝居に面白味があるわけでもない。それは亀梨和也の演技力が乏しいということではなく、そういう方向性で味付けされた映画じゃないってことだ。

「“俺”がどんどん増殖を続けていく」と書くと、何となく面白そうに感じる人が多いのかもしれない。私も観賞する前は、それなりに期待していた。
しかし実際は、ちっとも面白くないのだ。
そう、この映画の欠点は、「とにかく面白くない」ってことに尽きる。
何が問題なのかっていうと、前述した「“俺”がどんどん増殖を続けていく」という作品の肝となる部分に、まるで面白味が無いってことだ。

冒頭で描かれる永野とマサエの会話から、嫌な予感が漂っている。そこにはシュールな面白さなど無く、単純に「ワケの分からなさ」だけが伝わってくる。
そこで感じた予想は残念なことに的中しており、これはナンセンスなコメディーではなく、娯楽性の低い不条理劇だった。
原作が大江健三郎賞を受賞していることを考えれば、娯楽性を求めることが間違いなのかもしれない。
しかし、「亀梨和也×三木聡」の組み合わせで、商業ベースで公開された映画なのに、娯楽性が低いってのは、いかがなものかと思うぞ。

家電量販店のシーンでも、やはりワケの分からなさが強い。
やたらイライラしているタジマが怒鳴り散らし、おとなしく「そうですね」と聞いていた永野が体をダラリとさせ、下げた頭をタジマの胸に密着させる。仕事に戻れと言われた永野の上げた頭が、タジマのアゴを直撃する。
タジマが鼻血を出し、南さんが絶叫し、永野はタジマに「あのさあ」と怒りの形相で詰め寄る。南さんが後ろから蹴りを入れたので永野はバランスを崩し、タジマに抱き付く。そのまま2人は倒れ込み、永野がタジマにキスをする形になる。
そういうシーンを見せられて、「えっと、どこに何を感じ取ればいいんですか?ひょっとして、これって笑うポイントが入ってますか?だとしたら、何がどう機能して、どこで笑えばいいんですか?」と困惑してしまう。

永野はハンバーガーショップで大樹の携帯電話を盗み、オレオレ詐欺を働く。
まず、空いている店なのに、わざわざ大樹が体が密着するぐらいの近さで隣に座っている時点で違和感が強い。
その違和感をひとまず置いておくとして、永野が若者に疎ましさを感じるのは理解できるが、だからって携帯電話を盗むのは少々の違和感がある。
そこは少々の違和感だから、ひとまず置いておくとして、大樹の声色で彼の母親と喋ってオレオレ詐欺を働くのは「なぜ?」と首をかしげたくなる。
そこまで来ると、合わせ技で違和感が完全に許容量を超過する(いや、ホントはそれ以前に超過してるんだけど)。

永野が帰宅したら大樹の母親が待ち受けているシーンは、明らかに見せ方を間違えている。ドアの覗き窓から中を見た永野が「うわわわ」と驚き、なぜか左右を確認する様子を描いてから、ドアを開けるシーンに移るのだ。
だが、それは永野の驚きが先走っている形になる。
そりゃあ、ドアの鍵が開いている時点で、何か異変があることは観客にも伝わる。しかし、中を覗いた永野が驚愕すると、「目に見える異変が中で起きている」ってことを、それを観客が目撃する前に分かってしまう。それは得策とは思えない。
なぜ観客に驚くための準備を整えさせようとするのか。

ナオのアパートで3人の“俺”が夕食を取るシーンで、永野は「人といて、こんなに気楽な気分、初めてだよ」と言う。
だが、そういう彼の心情が、納得できる形で伝わって来ない。そこまでの様子を見ているか限りでは、「永野たちが気楽さを感じている」ってことが全く描写されていないからだ。
そのセリフが無かったら、そんなこと全く分からんよ。
っていうか、そもそも、そういうことを言うタイミングが早すぎると感じるし。

それと、細かいことだが、「冷やし中華を食べる3人の箸の動き」ってのが気になる。
そこは映像としては、「3人の箸の動きが一致している」という風に見せようとしている。しかし実際には、微妙に箸の角度や動くタイミングが違うのだ。
難しいだろうけど、ここは鏡に映したかのように、完全に一致しているべきなのだ。
これが「3人が別の役者」ということなら、わずかなズレなんか気にならない。むしろ、そこは「動きが一緒」というところを強く感じるだろう。
しかし亀梨和也が3人を演じていることで、逆に少しのズレが「違い」として気になってしまうのだ。

冒頭でマサエが口にする「君は私のこと見えてる?」という台詞、居酒屋ではヤソキチが言う「人生のリセットボタン、押しましょうよ」という台詞、永野とダイキの「今までは外に関わるの面倒だと思ってた。でも今は違う」「周りを認めないと、自分も認めてもらえない。そういうことかもしれない」という会話、サヤカの「貴方は私が見えてるの?私がここにいるって認めなさい。自分を認めてくれる人を。そうすれば、自分がここにいるって分かるから。貴方は貴方よ」という台詞など、何かしらのテーマを提示することを目的としているんじゃないかと感じさせる言葉は幾つも散りばめられている。
だが、じゃあ本作品が具体的に何を描こうとしているのかと考えると、その答えはサッパリ分からない。
大きな問題は、「台詞に頼り過ぎてテーマを表現できていない」「話が難解すぎて分かりやすく噛み砕くことが出来ていない」ってことだろう。
例えば永野が「今までは外に関わるの面倒だと思ってた」と語った時に、そんな風に彼が思っていたことが初めて分かる。そこまでの物語では、そんなことは全く伝わらなかった。
そして、その台詞が語られた時に、そこまでの永野の言動を振り返って「なるほど、あの時の態度、あの時の表情は、そういうことが関係していたのね」と腑に落ちるわけでもない。

“俺”の増殖は3人でしばらくストップし、かなり経ってから他の“俺”たちが登場する。そして他の“俺”たちが登場すると、すぐに削除が開始される。
「大勢の“俺”がいる」「どんどん“俺”が増殖していく」というところの面白さを膨らませようという意識は無い。
“俺”の削除が開始されると、すっかりコメディー色は消えてサスペンス一辺倒になるが、だからと言ってサスペンスとしての面白さが一気に高まるわけではない。
最初から薄かったコメディー色が完全に無くなる上、サスペンスの面白味も薄いんだから、もはや何を見ればいいのやら、って感じである。

(観賞日:2014年12月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会