『俺ら東京さ行ぐだ』:1985、日本

青森の五所川原から上京した野々宮元は、半年前から原宿シティスタジオでカメラマン助手を務めている。スタジオで吉幾三の映像を撮影している時には、彼にシャンパンを投げる仕事を任された。カメラマンを目指して頑張っている元だが、ミスが多くてカメラマンやチーフから叱られることが多い。そんな彼の所に、リンゴ農園を営む父の耕造から手紙が届いた。陳情で東京へ行くこと、都会を見たがっている妻のあやを同伴することが、手紙には書かれていた。
耕造が帰宅すると、元の妹である雪絵は母の調子が良くないことを話す。耕造の弟で酒屋の健三は、酒を届けに来た。耕造の上京には、元にリンゴ農園を継いでもらうため帰って来るよう告げる目的があった。健三は耕造たちに、カメラマンになるのは難しいと語った。耕造は組合長からあやの電車の切符を買ってもらっていたが、無理はしなくてもいいと告げる。しかし雪絵が行って来るよう勧め、あやはトイレが近いことを気にしながらも東京行きを決めた。
元は仕事が多忙で迎えに行けないことを伝えるため、実家に電話した。しかし既に両親は出発した後で、雪絵はアーバンプラザホテルに泊まることを教えた。次の朝、元は改めて仕事が終わるまでの外出禁止を言い渡された。スタッフの田中が逃げたため、スタジオの人手は不足していた。元は恋人でスタイリスト助手の里中伸子から、両親を迎えに行くよう促された。「そんなことしたらクビだ」と元が言うと、伸子は「カメラマンに向いてないんだから、トラバーユするチャンスよ」と冗談めかして笑った。
耕造はあやを連れて上野駅に到着し、電話で確認して元が迎えに来られないことを知った。あやが妹の絹代を訪ねるよう促すと、耕造は少し面倒そうな様子を見せながらも承諾した。2人はホテルに着くが、チェックインの14時まで時間があったので荷物だけ預かってもらう。耕造とあやは絹代の団地へ向かい、迎えに来た彼女と会った。酒が飲めなかったはずの絹代がコップのビールを一気飲みしたので、あやは驚いた。絹代の夫は一流企業に勤務しているが、単身赴任なので1ヶ月に1度ぐらいしか家に戻らなかった。
あやは明後日の夜行で青森に帰ること、今日も夕方にはホテルへ戻ることを妹に語った。絹代は夫が「カメラマン志望は大勢いるし、派手な世界なので田舎者の元には難しいのではないか」と言っていたことを、耕造とあやに伝えた。絹代の息子が帰宅するが、すぐにバンドの練習へ向かった。元はホテルへ出向いて両親に会うが、すぐに仕事でスタジオへ戻ると告げる。あやが明日の予定を訊くと、夕方になっているが仕事が入るかもしれないと述べた。あやがアパートへ行きたがると、彼は難色を示した。耕造が怒って説教すると、元は仕方なく桜荘の住所を教えて仕事に戻った。
翌日、耕造とあやは桜荘へ赴き、元の部屋に入った。あやは部屋を掃除し、耕造は大家の元へ挨拶に赴いた。元は衣装を壊して泣いている伸子の元へ行き、優しい言葉で慰めた。彼は仕事を外された伸子を元気付けるため、ラーメンに誘った。耕造とあやは元の帰りが遅いため、アパートで一泊することにした。元は両親が自分を連れ戻しに来たと分かっており、だから会いたくないのだと伸子に語った。すると伸子は、小学生の頃に両親を亡くしたこと、叔母に引き取られたが折り合いが悪くて飛び出したことを話した。
元が夜遅くに帰宅すると、あやは用意しておいた夕食を出した。元の月給が10万で休みは月に1日だと聞き、あやは心配する。耕造が実家へ戻って来るよう促すと、元は拒否した。耕造は健三がコンビニを作ることを話し、店長になるよう持ち掛けた。元はカメラマンになることしか考えていないと反発し、リンゴ農園について「同じことの繰り返しで、若い者の仕事じゃない。このままじゃ農業に未来は無いと、みんなが言ってる」と告げた。
耕造は激高し、元に掴み掛かった。あやが慌てて制止していると、司法試験を目指すアパートの浪人生が「うるさい」と怒鳴り込んだ。翌朝、元がスタジオへの土産を忘れてアパートを出たので、耕造とあやは届けに赴いた。2人はチーフに挨拶し、元には来訪を内緒にするよう頼んだ。耕造とあやがスタジオを去ろうとすると伸子が声を掛け、元の仕事を内緒で見学しないかと持ち掛けた。スタジオでは毛皮を来たモデルの撮影が行われており、一生懸命に手伝う元の仕事ぶりを見た耕造とあやは頬を緩ませた…。

監督は栗山富夫、脚本は関根俊夫&高橋正圀、製作は近藤良英、撮影は安田浩助、美術は成沢守、録音は高橋和久、調音は小尾幸魚、照明は宮原敬、編集は鶴田益一、音楽は京建輔&上柴はじめ、音楽プロデューサーは和田宏。
出演は新藤栄作、柏原芳恵、植木等、林美智子、吉幾三、森次晃嗣、藤田美保子(藤田三保子)、中村竹弥、中村嘉葎雄、小倉一郎、アパッチけん(現・中本賢)、光石研、松居直美、露原千草、茅島成美、細川俊夫、三谷昇、桜井センリ、レオナルド熊、山谷初男、大須賀昭人、竹村晴彦、秋本学、高森まり子、松川信、佐久間哲、表美光、加藤ゆかり、吉田春子、水谷いずみ他。


吉幾三の同名楽曲をモチーフにした作品。同時上映は『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾』。
監督は『いとしのラハイナ』の栗山富夫。脚本は、これがデビュー作の関根俊夫と、『港町紳士録』『いとしのラハイナ』の高橋正圀による共同。
元を演じるのは1984年のNHK連続テレビ小説『心はいつもラムネ色』で主役に抜擢されてデビューした新藤栄作で、これが映画初主演。
伸子を柏原芳恵、耕造を植木等、あやを林美智子、チーフをアパッチけん、雪絵を松居直美、健三を桜井センリが演じている。
吉幾三は冒頭シーンの本人役の他に、タクシー運転手でも出演している。

元はカメラマン助手という設定で、冒頭シーンではスタジオのステージ上で吉幾三が『俺ら東京さ行ぐだ』を歌う映像が撮影されている。その手伝いを元がしているので、彼が目指すカメラマンは映像の方かと思いきや、次のシーンでは写真撮影の手伝いをしている。
その後の描写を見る限り、写真の方のカメラマンを目指している設定のようだ。だったら、冒頭シーンは違うだろ。オープニングで吉幾三が歌う様子を見せたかったんだろうけど、そこを強引にねじ込んだせいで整合性が取れなくなってるぞ。
あと、そもそも写真スタジオで吉幾三が歌う映像を撮影するって、その段階で変だろ。しかも、どういう意図で撮影している映像なのかも不明だし。
ミュージック・ビデオと解釈すべきなのかもしれないけど、だとするとステージ下で拍手しているスーツ姿の連中やソファーにいる女性たちは何なのか。

あやは出発の直前、体の調子が悪いと言い出す。それを受けて耕造は無理せずに残るよう告げるが、雪絵は行くべきだと勧める。
だけど、体の調子が悪いと言っているのに、無理して東京へ行くよう勧める感覚が良く分からない。
心配しつつも「元と会いたがっていたので行くべきだ」というぐらいのスタンスなら分からんでもないけど、体の調子なんて完全に無視している能天気っぷりなのよね。
ただ、わざわざ調子が悪いと序盤で言わせているんだから何かあるのかと思ったら、特に何も無いんだよね。あと、トイレが近いという設定も、そんなに活きているとは思えないし。

耕造はあやから絹代の元を訪ねるよう言われると、明らかに面倒そうな様子を見せる。なので折り合いが悪いのか、あるいは一方的に嫌悪しているのかと思ったら、いざ絹代と会うと笑顔で接している。それは決して「本人の前では本心を隠している」ってことじゃなくて、ホントに仲良くしている。
だったら、あの反応は何だったのか。
さらに問題なのは、絹代の息子がバンド活動に出掛けるシーンがあるが、ここだけで出番が終了すること。
どう考えても後に何か繋がりそうな要素なのに、その投げっ放しは雑すぎるだろ。

元が半年前に青森から上京して働いている設定なんだけど、この段階で「タイトルになっている歌と内容がズレてないか」と言いたくなる。
『俺ら東京さ行ぐだ』のタイトルで映画を作るなら、主人公は「東京へ行きたがっている田舎の青年」の方が良くないか。都会から話を始めるのは、なんか違う気がするぞ。
歌謡映画でモチーフの歌と作品の内容が大きく乖離するってのは良くあることだけど、それにしてもドイヒーだな。
分かりやすくヒット曲に便乗しただけの、低品質丸出しのプログラム・ピクチャーだ。

耕造とあやが上京すると、こちらの動きがメインになる。耕造は都会に不慣れだし、あやに至っては初めての東京だ。
なので、あやは何かに付けて驚いたり戸惑ったりするし、耕造は田舎者扱いされたくないけど隠し切れていない。
そんな「都会に慣れない田舎者」の様子をメインに描くのは、コメディーとしては分からんでもない。
ただ、それって『俺ら東京さ行ぐだ』というタイトルには全く合わないでしょ。耕造とあやは、田舎が嫌で都会に出て来たわけじゃないんだから。

田舎暮らしが嫌で東京に出て来たのは元なんだし、そもそも彼が主人公のはずなんだから、そっちが脇に追いやられているのは、どう考えてもバランスが悪い。
基本設定からして間違えているとしか思えないぞ。
耕造がアパートでオカマと遭遇してニヤニヤするとか(劇中で「オカマ」と呼んでいるのだ)、余計に買ってしまった鍋の処分について「オカマに鍋を渡すのか」と笑うとか、そんなトコに時間を割いている場合じゃないだろ。

ただし、元の物語を描くにしても、既に都会へ出てから何年も経過している設定なのは上手くないんだよね。もはや「こんな村、嫌だ」という段階じゃないからね。
それどころか、都会の暮らしに疲弊しているからね。安アパート暮らしで、「冷蔵庫も無い、扇風機も無い」という状態だからね。
もう一つ言っちゃうと、「なんで人情ドラマにしたのかねえ」ってことだね。田舎暮らしの悲喜こもごもを軽妙に描く、スラップスティックな喜劇にすりゃ良かったのに。
まあ『俺ら東京さ行ぐだ』がモチーフでも人情ドラマにしたがるのは、いかにも松竹らしいとは言えるけどさ。

耕造とあやがスタジオを出ると、伸子が銀座のデパートへの案内を買って出る。3人がタクシーに乗ると、その運転手を演じているのが吉幾三。
ここは1シーンだけの出演かと思いきや、そこからベラベラと喋り続ける。トータル7分ぐらいは、ほぼ吉幾三のお喋りを描くためのパートになっている。
そんなトコに長く時間を割くほどの余裕は無いだろうに。話の中身がスッカスカなのに、今に余計な道草を食ってどうすんのよ。
まあ逆に中身がスッカスカだから、そこで尺を埋めた可能性もあるけどさ。

「元がカメラマン助手として苦労する話」「耕造とあやが息子を故郷へ連れ戻そうとして元が反発する話」「元と伸子の恋愛劇」と、何の捻りも無いけど、ちゃんと1本の映画を構成できるだけの要素は揃っている。
そこのドラマを膨らませようとせず、なぜか終盤には「耕造が懐かしのバーへ伸子&あやと電気ブランを飲みに行き、思い出話を語る」という展開を用意する。それが物語の結末に繋がるわけでもなく、ただ点として浮いているだけのエピソードだ。
人情ドラマを持ち込んだのなら、ちゃんと収めなさいよ。
親子の関係を中途半端で投げ出し、「元と伸子が寿司を食べに行く」というシーンで「終」マークってのは、投げっ放しにしか思えんぞ。

(観賞日:2024年3月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会