『大綱引の恋』:2020、日本

薩摩川内の大綱引は西暦千六百年、島津家が関ヶ原の戦いに向け、兵士の士気を上げるために始めたと言われている。今から25年前、平成六年。関ヶ原から数えて三百九十五年祭。左右に大将と押大将を従えて真ん中で太鼓を叩くのが、花形の一番太鼓である。上方の一番太鼓を務めたのは、有馬武志の父である寛志。大将の旗を掲げたのは、中園典子の父である喜明だ。10歳の武志と典子、寛志の妹の敦子は、そんな父たちの姿を見物していた。その時に武志は、いつか一番太鼓を叩くと心に誓った。
令和元年六月。来月に三役の選出が迫る中、鳶職「有馬組」の親方である寛志は、喜明とサチエの夫婦が営む小料理屋「綱ごころ」で酒を飲んでいた。彼は喜明から三役の顔触れを問われるが、審判員なので何も答えなかった。喜明は上方の一番太鼓が有馬組の吉留隆治、下方が福元弦太郎と予想していた。彼は武志が今年の三役に選ばれ、来年辺りに一番太鼓を叩くことを期待していた。娘の典子は自衛隊に入り、川内を離れていた。寛志は武志が一度は川内を出て東京に行っていたことから、認めようとしていなかった。
自宅で土木施工管理学科試験の勉強をしていた武志は、母の文子に頼まれて、酔い潰れた寛志を迎えに出向いた。翌朝、用事で県庁へ行く武志は、3時からの地鎮祭に遅刻しないよう寛志から釘を刺された。川内駅に着いた武志は急に倒れた老人に気付き、病院に連絡するよう周囲の人に呼び掛けた。彼が心臓マッサージを試みていると、通り掛かった韓国人女性のヨ・ジヒョンがAEDを運んで来た。彼女は武志を突き飛ばし、老人の処置に当たった。そこに救急隊員が到着すると、彼女は「私は医者です」と言って同行した。武志は地鎮祭の時間に間に合わず、寛志や鳶職人の吉留隆治に事情を説明した。
その夜、文子は有馬組の事務所に武志たちを集め、「今日で60歳なので有馬組の女将を定年退職します。主婦も引退します」と宣言した。彼女は事務関係を事務員の青崎秀美に任せ、家事は家族3人で任せると告げた。寛志は「そげん勝手な」と抗議するが、「今までさんざん勝手して来たのは誰ですか」と文子に言われると返す言葉が無かった。翌日、文子は朝食を用意せずに「楽しんで来る」と言って外出し、夜遅くになって帰宅した。その日から、武志と敦子と寛志は家事を分担することになった。
七月。寛志は買い物帰りに幼い娘を連れた典子と遭遇し、離婚して川内に戻って来たことを知った。典子が弦太郎を目撃すると、寛志は彼が武志と同じ時期に川内へ戻って来たこと、小さな食堂を開いたことを教えた。武志は高校でクラスメイトだった観光シティーセールス課の竹之内俊郎から電話を受け、韓国の女子大生の視察団が来ることを知らされた。急病になった通訳の代役を頼まれた武志は、空港へ行く。すると竹之内の説明は嘘で、実際に来日した一団は中高年ばかりだった。
空港には川内大綱引保存会の代表として喜明が来ており、もう1人の通訳であるジヒョンを武志に紹介した。来日したのは昌寧郡の交流使節団で、2日間のツアーが組まれている。バスで移動中、喜明は今回の経緯を説明した。陶磁器伝来の技術が韓国から伝来して400年の1998年、14代沈壽官によって薩摩焼400年祭が執り行われた。その時、日本でも韓国でも大綱引が行われていることに縁を感じ、翌年の川内大綱引400年祭に韓国から訪問団を招待した。そこから薩摩川内と昌寧郡との交流が始まり、友好都市が締結されたのだ。
交流使節団の歓迎会がレストランで開かれ、オーナーの古賀圭介が挨拶した。歓迎会のシェフとして弦太郎が呼ばれており、敦子が使節団に紹介した。敦子は武志から弦太郎と親しいのかと問われ、「今回の料理のシェフ。それだけよ」と答えた。フェリーで甑島へ向かう時、ジヒョンは下甑島の診療所で研修医を務めていること、漫画『Dr.コトー診療所』の影響を受けたことを武志に語る。使節団は甑島の旅館に宿泊し、夕食を取った。ジヒョンは武志に、なぜ大綱引では綱を引く人間じゃなく一番太鼓がスターなのかと尋ねた。武志は大きな動きを交えて熱心に説明し、一番太鼓が監督役であること、一生に一度しか選ばれない憧れの仕事であることを教えた。
弦太郎は敦子に片付けを手伝ってもらい、キスをした。武志は下甑島に戻ったジヒョンと手紙やメールをやり取りし、彼女の写真を眺めて微笑を浮かべた。武志は下甑島を訪れ、ジヒョンと会った。診療所の院長を務める林芳郎から彼氏かと問われたジヒョンは、笑顔で「はい、そうです」と答えた。彼女は好きだと告白し、武志が三役のことで気もそぞろだと見抜いて港まで送った。弦太郎は一番太鼓の決定を電話で知らされ、敦子と喜び合った。上方では吉留が一番太鼓に選ばれるが、武志は三役に入らなかった。
弦太郎の店では鹿実野球部のOB会が開かれ、敦子は仕事を手伝った。弦太郎は喧嘩で高校を退学していたが、それはカツアゲされた友人への仕返しが原因だった。彼が仲間に迷惑を掛けないように1人で行動したことを、野球部の面々は知っていた。前監督から預かった卒業証書を仲間が渡すと、弦太郎は感涙した。敦子から妊娠を明かされた彼は、綱を辞退ししようと考える。しかし敦子はお腹の子に一番太鼓を見せてほしいと言い、弦太郎は承諾した。彼は大綱引が終わるまで、2人の関係を内緒にしようと告げた。
敦子は文子が若い男と一緒に歩く姿を目撃し、浮気だと確信してショックを受けた。武志は文子の内服薬を見つけ、気になってジヒョンに話を聞いた。敦子は文子に妊娠を気付かれ、武志と寛志に打ち明けた。文子から「家族に相談するべきだった」と咎められた彼女は反発し、若い男と歩いていたことを指摘する。敦子が母を責めると、武志が平手打ちを浴びせた。寛志は武志に平手打ちを浴びせ、お前が結婚していれば良かったのだと怒鳴り付けた。
武志は寛志を押さえ付け、「自分の女房をしっかり見ろ」と声を荒らげた。彼は父に、文子が抗癌剤を使っていることを教えた。それを聞いた敦子は、文子は町で具合が悪くなり、若い男に体を支えてもらっていたのだと悟る。文子は鹿児島大学病院に入院し、寛志は担当医の池田耕治に頭を下げた。ジヒョンは文子に付くことになり、武志は寛志に紹介した。文子は今年の大綱引が見られるか分からないほどの病状で、寛志は病院通いを優先しようとする。しかし文子は彼に、綱を大切にするよう促した。武志は吉留が右腕を骨折したことを受け、保存会の面々から一番太鼓の代役に指名された…。

監督は佐々部清、脚本は篠原高志、企画・原案は西田聖志郎、プロデューサーは臼井正明、撮影は早坂伸、美術は若松孝市、美術デザインは山下修侍、照明は守利賢一、録音は藤丸和徳、編集は大畑英亮、主題歌は『Story』、音楽は富貴晴美。
出演は三浦貴大、知英、比嘉愛未、石野真子、升毅、恵俊彰、沢村一樹、松本若菜、西田聖志郎、朝加真由美、中村優一、金児憲史、金井勇太、小倉一郎、月影瞳、伊嵜充則、小山悠、安倍萌生、吉満寛人、池田倫太朗、石田ヨウスケ、松元裕樹、西田あい、澁谷麻美、下竹原恵美、春園幸宏、ちゃんサネ、四位笙子、知識周、黒瀬華波、樹麗、今村美沙希、中島りか、有島敏郎、稻留宏、新名真郎、伊藤一正、松本啓、田上幸司、徳田英太郎、宇部駿将、澁谷大地ら。


『八重子のハミング』『この道』の佐々部清が監督を務めた作品。これが遺作となった。
脚本は『旅の贈りもの 明日へ』『うさぎ追いし 山極勝三郎物語』の篠原高志。
武志を三浦貴大、ジヒョンを知英、敦子を比嘉愛未、文子を石野真子、喜明を升毅、典子を松本若菜、寛志を西田聖志郎、サチエを朝加真由美、弦太郎を中村優一、吉留を金児憲史が演じている。
古賀役で恵俊彰、池田役で沢村一樹が友情出演している。

『八重子のハミング』『この道』の佐々部清が監督を務めた作品。これが遺作となった。
脚本は『旅の贈りもの 明日へ』『うさぎ追いし 山極勝三郎物語』の篠原高志。
武志を三浦貴大、ジヒョンを知英、敦子を比嘉愛未、文子を石野真子、喜明を升毅、典子を松本若菜、寛志を西田聖志郎、サチエを朝加真由美、弦太郎を中村優一、吉留を金児憲史が演じている。
古賀役で恵俊彰、池田役で沢村一樹が友情出演している。

企画・原案で寛志役も演じている西田聖志郎は鹿児島市の出身で、薩摩川内市から「川内大綱引を映画に出来ないか」と頼まれて企画を進めたらしい。
彼は佐々部清の監督デビュー作『陽はまた昇る』に出演しており、初プロデュース作品『六月燈の三姉妹』でもタッグを組んでいる。
そんなわけで、とても分かりやすい地域振興映画、ご当地映画である。
その手の映画は世の中に数え切れないほどあるのだが、それが傑作、名作に仕上がる可能性は限りなくゼロに近い。
理由は簡単で、「おらが町を宣伝してくれ」という要求を満たす力が、ほぼ間違いなく「娯楽映画としての面白さ」を打ち消す方向に働くからだ。

オープニングで武志のナレーションを使い、大綱引について詳しく説明している。ただ、そのナレーションに合わせて映し出されるのはモノクロの静止画ばかりで、最後の最後にロングショットで申し訳程度に動画がチョロッとだけ使われている。これだと、武志の一番太鼓に対する憧れの気持ちが全く伝わって来ない。
静止画が大半なのは、この映画のために大綱引シーンを新撮できなかったってことだ。
いや、さすがに武志が一番太鼓を務めるクライマックスの大綱引は撮っているけど、その1回しか無理だったってことだね。
まあ予算など色々な事情があったんだろうけど、冒頭で観客の心を掴めていないのは、大きな欠点と言わざるを得ない。
後から取り戻すことが絶対に無理とは言わないが、ものすごく大変な作業になる。そして本作品では、まるで取り戻せていない。

寛志は小料理屋で三役選出について喜明に問われた時、武志を認めていない発言をする。その理由として彼が挙げているのは、「川内を離れて、東京から逃げ帰って来たから」ってことだ。
でも、それだけで「一番太鼓とは認めない」ってのは、どんだけ心が狭いのかと。実はもっと根深い理由でもあるのかと思ったけど、ホントに何も無いのよね。
若者が一度は故郷を離れるなんて、ザラにあることだ。それに武志は戻って来てから、真面目に働いている。それを全く認めないのは、ただ器が小さいだけだ。
あと、そんなことを最初に言わせるなら「父子の確執」みたいなトコでドラマを進めるのかというと、そうでもないし。

やや不自然な作為を感じるような形で「武志とジヒョンの出会い」を描くので、そこからはタイトルにもあるぐらいだし恋物語を軸にして話を進めていくのかと思った。しかし実際には文子の定年退職宣言があり、「家族が家事にてんやわんや」という様子が描かれる。
説明は不要だろうけど、もちろん武志とジヒョンの恋愛劇には何の関係も無い要素だ。そして、そのまま武志とジヒョンが再会することも無いまま、七月に入ってしまう。
七月に入ると、典子がバツイチで帰郷するという出来事がある。弦太郎の仕事にも触れたりするのだが、そういうのを七月に入ってからやるのは、構成として不細工に感じる。
その後になって、ようやく武志とジヒョンの再会が描かれる。映画開始から30分も経たない内に、見事なぐらい話が散らかっている。

バスで移動中に喜明が語る説明も、そもそも昌寧郡からの使節団が来るという展開も、全てが邪魔でしかない。
実際に薩摩川内と昌寧郡は友好都市であり、川内大綱引を題材にする上では「是非とも持ち込みたい」という情報だったのだろう。ただ、「川内や川内大綱引を広く広報する」という目的においては重要かもしれないけど、娯楽映画としては不必要の塊でしかない。
いや実のところ、「川内や川内大綱引を広く広報する」という目的においても邪魔だよね。それを説明されたところで、多くの観客が川内や川内大綱引に強い興味を抱くとは到底思えないし。
結局、そういうのを盛り込みたいってのは、お役所感覚の寒々しいエゴイズムでしかないんだよね。
甑島の旅館で料理がアップになって食材が説明されるなど、観光的な情報が色々と盛り込まれるけど、これも同様だ。

七月に入ると、典子がバツイチで帰郷するという出来事がある。弦太郎の仕事にも触れたりするのだが、そういうのを七月に入ってからやるのは、構成として不細工に感じる。
その後になって、ようやく武志とジヒョンの再会が描かれる。映画開始から30分も経たない内に、見事なぐらい話が散らかっている。
ようやく武志とジヒョンが再会したのだから、じっくりと丁寧に恋愛劇を紡ぐのかと思いきや、さにあらず。
ツアーで一緒に行動するのは1日だけで、すぐに2人とも「いつもの生活」に戻っている。

その後も粗筋でも書いたように、敦子と弦太郎の関係や妊娠が描かれたり、文子の病気が発覚して入院したりする。色んなことを盛り込み過ぎている一方、肝心な武志とジヒョンの恋愛劇に全くボリュームが無い。
ここの手間と時間は全く足りておらず、だからジヒョンは武志が島へ会いに来ると、すぐに告白して距離を一気に詰めている。
そりゃあ敦子と弦太郎の関係も、文子と寛志の関係も、タイトルにある「大綱引の恋」から完全に外れているわけではないよ。でも、「だからOK」ってわけでもない。
3つの恋人と夫婦の関係が上手く絡み合って相乗効果を生んでいればいいけど、三兎を追って一兎も得られていないからね。

しかも、そういう雑な恋愛劇だけじゃなくて、大綱引を巡る話も描かなきゃいけない。
だから、例えば武志がジヒョンと手紙やメールをやり取りしている様子が描かれた後、すぐに島で会う手順に入るわけではない。
その間には、三役のことで武志が周囲と話したり、神頼みしたりする様子が挟まれる。敦子が若い男と一緒にいる母を目撃した後、武志が内服薬を見つけるまでに、三役に決まった上方と下方の面々が挨拶回りに行く様子が挟まれる。
そんなのは全く必要性を感じないが、「川内や大綱引の宣伝」という目的からすると、関係各所に対する気配りもしなきゃいけなかったんだろう。

弦太郎に関しては、「高校時代に喧嘩で退学した」という悪い噂があり、後で「それは友人のための行為であり、野球部の面々は恨んでいない」みたいなことが描かれる。
だけど、こんな設定は明らかに欲張り過ぎだ。なんでサブキャラである弦太郎に、そんな大きな設定を与えてドラマを作ろうとするかね。
ぶっちゃけ、下方サイドのキャラなんて丸ごと無視して、上方だけで話を作ってもいいぐらいなのに。
しかも、わざわざ弦太郎に大きな要素を与えておきながら、充分に活用できているわけでもないし。
まあ、それを言っちゃうと、敦子の妊娠とか文子の病気も全く要らないんだけどね。

典子は最初に「武志と同い年の幼馴染で、一緒に父親が三役を務めた大綱引を見ていた」という形で登場している。かなり重要なキャラのはずだが、まるで使いこなせていない。
後半に入ると「実は武志に惚れていたので失恋する」という展開があるが、それで取り戻せることなんて何も無いし。
典子の存在意義が、これっぽっちも見当たらないのよ。まあ、だからこそ「武志に惚れていて」という要素を用意しているんだろうけどさ。
でも、それなら素直に武志と典子で恋愛劇を作れば良かったのよ。どうせ日本と韓国との関係なんて、物語に上手く組み込めていないんだし。

武志が一番太鼓の代役を引き受けると、また上方と下方の三役が挨拶回りに行く様子が描かれる。
どんだけ関係各所への愛想を振り撒いて、プロダクト・プレイスメントに貢献すりゃ気が済むのかと。
その後、武志は太鼓を高く掲げて叩く練習を積むが、その構えの大切さにピンと来ない。
そもそも、この映画を見ても、「なぜ一番太鼓が大綱引のスターなのか」ってのはサッパリ分からんのよ。なので「一番太鼓に懸ける情熱」ってのを軸に話を進められても、そこに気持ちが乗らないのよ。

上方にしろ下方にしろ、「絶対に大綱引で勝つ」と意気込んでいる。
だけど、なんでそこまで勝ち負けに固執するのか、まるで分からない。お祭りなんだから、勝ち負けとかどうでも良くないかと思っちゃうのよ。
ここも「なぜ彼らは勝利を求めて熱くなれるのか」というトコを伝えられていないってのは、大きな欠点と言わざるを得ない。
いや勝ち負けが付随する祭りは他にも色々とあるだろうけどさ、それでも「競技じゃなくて祭りだしなあ」という気持ちが拭えないんだよなあ。

あと、クライマックスの大綱引はたっぷりと時間を割いてじっくりと描いているけど、何をどう見て高揚すりゃいいのか分からないのよ。
いや、あれだけ固執しているんだから、もちろん「綱引きでの勝利」がゴールなんだろうよ。
でも、「じゃあ敗者は何も無いのか」って、そんなことは無いわけで。そっちにも、達成感や充実感はあるはずで。
なので、「やっぱり勝ち負けとか、どうでも良くないか」と思ってしまうんだよなあ。
そういうことを言っちゃうと、たぶん川内大綱引の否定に繋がっちゃうんだろうけどさ。

(観賞日:2025年1月3日)

 

*ポンコツ映画愛護協会