『大奥』:2010、日本

江戸時代、男子にのみ感染する赤面疱瘡が日本中に広まった。これにより、男子の人口は女子の約4分の1に減少する。そんな事態を受け、女子が労働力を担うようになった。そして貧しい家に生まれた男子は、子種を作るために金品と引き換えに貸し出されるようになった。正徳5年(1715年)、剣術道場の師範代を務める19歳の水野祐之進は、子種を求める女たちに求められると、一切断らずに体を貸していた。しかし彼は金品を決して受け取らず、慈善行為として肉体関係を持っていた。
貧乏旗本の息子である水野は、母から縁談話を何度も持ち込まれ、その度に断っていた。その日も彼は縁談について持ち掛けられ、適当に言い繕って逃げ出した。水野は幼馴染である薬種問屋の跡取り娘・お信と町へ出掛ける。2人は互いに惹かれ合っていたが、身分違いの恋だということも理解していた。水野は両親に、大奥へ奉公に上がることを申し入れた。それにより、家が助かるだろうというのだ。水野はお信に大奥へ上がることを話し、別れを告げた。
大奥に上がった水野は、御中臈の松島から詳しい説明を受ける。大奥には800名の男子がおり、将軍と会える「御目見え以上」と会えない「御目見え以下」に分類されている。水野は御目見え以下の中で「御三の間」と呼ばれる役職に就いた。御三の間の部屋を訪れた水野は、先輩の副島たちから馬鹿にされる。腹を立てた水野は威勢のいい啖呵を切り、彼らを挑発する。古参の杉下が場を取り無し、水野に仕事のやり方や礼儀作法を教えた。
水野は副島から、松島の部屋に御膳を運ぶよう指示された。水野が赴くと、松島は寵愛する青年・鶴岡と逢瀬の最中だった。松島は水野に、既に御膳が届いていることを告げる。松島と鶴岡の関係について、杉下は水野に「大奥では当たり前のことだ」と言う。高い位にある者と寝ることで出世を狙うのは、大奥では珍しいことではなかった。副島たちの嫌がらせは繰り返されたが、水野は怯まなかった。
ある日、庭掃除をしていた水野は、道場で鶴岡たちが剣術の稽古をしている様子を覗き見た。水野が箒を竹刀代わりに振っていると、そこに通り掛かった大奥総取締・藤波が声を掛けた。藤波は水野を連れて剣道場へ行き、松島に「最も腕の立つ相手と試合をさせよ」と促す。松島の指名により、鶴岡が水野の相手に立った。水野は鶴岡を破るが、相手に敬意を払って持ち上げる言葉を口にする。しかし鶴岡は水野の手を振り払い、「いい気になるな。この大奥で大切なのは、美しい顔と処世術だ」と言い放った。
その夜、鶴岡は松島に慰めてもらおうとするが、「見苦しい」と拒絶された。その様子を水野は目撃する。彼は杉下から、「お主にとって大奥は、ただ病んで汚れた場所にしか見えんのかもしれんが、ここでしか生きていけない者たちもいる」と告げられる。貧しい家の生まれである杉下は、かつて金で多くの女の相手をさせられた。やがて彼は婿入りしたが、子供が出来なかったせいで離縁された。行く場所の無くなった杉下は、大奥でしか生きていけない者だった。
鶴岡との立会いが評判となり、垣添を始めとする複数の少年たちが、水野に憧れを抱くようになった。一方、鶴岡は水野に強い恨みを抱くようになる。ある日の深夜、水野が道場へ行くと、鶴岡の姿があった。鶴岡は水野に、真剣を使っての勝負を要求する。水野がなだめても、鶴岡は聞く耳を貸さずに斬り掛かった。水野は体勢を崩しながらも鶴岡の首筋に刀を突き付け、「武士として、共に上様をお守り申し上げましょう」と説いた。鶴岡は刀を鞘に収め、庭に出て腹を斬った。水野は介錯をしてやった。
冬が訪れ、幼かった七代将軍の家継が病で亡くなった。次の将軍は、紀伊の吉宗と決まった。将軍が変われば、大奥は一新されるのが習わしとなっている。しかし吉宗は勿体無いとの理由で、大奥の人員を入れ替えなかった。幕府の財政難を考慮した吉宗は、相変わらず贅を尽くそうとする側用人・間部詮房を解雇する。吉宗の側近・加納久通は藤波と面会し、吉宗がしばらくは大奥の総触れを行わないことを通達する。藤波から抗議された加納は穏やかな表情を浮かべ、吉宗が国の行く末を考えていることを告げる。
吉宗は庶民の暮らしぶりを見るため、変装して江戸の町へ出た。吉宗は公儀お庭番・三郎左を引き連れ、調査活動を行う。城へ戻った吉宗の元を普請奉行の大岡忠相が訪れ、大奥へ行くよう諭す。吉宗は渋い顔をするが、大岡に「総触れも政です」と説得される。水野は藤波により、御中臈に抜擢された。杉下は御広座敷に昇格し、水野の身の回りの世話をすることになる。水野が呉服の間へ行くと、彼の裃を仕立てる役として垣添が待っていた。水野は黒色を所望し、垣添は流水紋が入った着物を仕立てた。
水野は藤波から、「総触れの際、上様に名前を呼ばれたら、それが合図じゃ」と聞かされる。吉宗が大奥へ来たため、水野や松島たちは廊下に並んで出迎えた。吉宗は着物の裾を踏んで躓き、笑い声が上がる。吉宗が「今笑うたのは誰じゃ」と鋭く尋ねるが、返事は無い。水野は笑った仲間を助けるため、「それがしでございます」と声を発する。吉宗は水野に近付き、顔を上げさせる。吉宗は「その方、名は何と申す」と水野に問い掛けた。それは即ち、水野を夜の相手に選んだということだった。
大奥から戻った吉宗の機嫌が良さそうなので、加納は「総触れでなんぞ良いことでもございましたか」と尋ねる。吉宗が「まあ私も女だということだ」と答えたので、加納は見初めた男がいたことを知った。頬を緩ませる吉宗だが、加納から「ご内証の方」の決まりについて知らされる。未婚の将軍の初めての相手をする男は「ご内証の方」と呼ばれ、死なねばならないのだ。将軍を破瓜して傷付けた大罪人ということで、打ち首になるのだ。
水野は藤波から、ご内証の方の決まりについて知らされる。動揺する水野は、自分の死がどのように扱われるのか尋ねた。藤波は、病死として処分されることを教える。「大罪人として、実家には類が及ぶようなことはございますまいな」と水野が尋ねると、藤波は「無い。充分な見舞金が届けられることになろう」と告げる。それを聞いて、水野は「この御役目、謹んでお受けする所存」と答えた。そもそも水野が御中臈に抜擢されたのは、藤波によって仕組まれたことだった。藤波は松島を世継ぎの父親にしようと目論んでいたのだ…。

監督は金子文紀、原作は よしながふみ(白泉社刊)、脚本は高橋ナツコ、製作は村田太一&渡辺香&藤島ジュリーK.&野田助嗣&辰巳隆一&内山晴人&服部洋&林尚樹&松田英紀&喜多埜裕明、エグゼクティブ・プロデューサーは豊島雅郎&濱名一哉、プロデューサーは荒木美也子&磯山晶、撮影は喜久村徳章、照明は長田達也、録音は山方浩、美術は花谷秀文、編集は松尾茂樹、VFXスーパーバイザーは小坂一順、ラインプロデューサーは鈴木嘉弘、アソシエートプロデューサーは寺嶋博礼&金田宏昭&渡辺敬介、音楽は村松崇継。
主題歌は「Dear Snow」嵐 作詞:IORI/ISHU、作曲:Kohsuke Ohshima、編曲:宮野幸子/吉岡たく。
出演は二宮和也、柴咲コウ、堀北真希、玉木宏、佐々木蔵之介、阿部サダヲ、大倉忠義、中村蒼、和久井映見、竹脇無我、倍賞美津子、菊川怜、板谷由夏、浅野和之、細田よしひこ、竹財輝之助、松島庄汰、ムロツヨシ、崎本大海、三上真史、金子ノブアキ、白羽ゆり、田上晃吉、宍戸美和公、山村嵯都子、大野裕之、川村広輝、福本清三、都若丸、中岡優介、浜村淳、井尻篤志、猪塚健太、伊藤直人、上田堪大、上田裕之、臼杵寛、大村学、岡田純一、小栗裕樹、加藤陽平、上鶴徹、川上祐、木戸聡彦、木原勝利、工藤義人、神山健、小杉勇人、小堀正博、桜田航成、澤田誠、篠崎恒平、陣内将、鈴木雄貴、高屋雄斗ら。


よしながふみによる同名漫画を基にした作品。原作の第1巻の3分の2程度をベースにした内容となっている。
ソフト化される際、『大奥 <男女逆転>』へ改題された。
監督は「木更津キャッツアイ」シリーズの金子文紀。
水野を二宮和也、吉宗を柴咲コウ、お信を堀北真希、松島を玉木宏、藤波を佐々木蔵之介、杉下を阿部サダヲ、鶴岡を大倉忠義、垣添を中村蒼、加納を和久井映見、水野の父を竹脇無我、水野の母を倍賞美津子、間部を菊川怜、大岡を板谷由夏、副島をムロツヨシ、三郎左を金子ノブアキが演じている。

水野が大奥へ上がることを決意する大きなきっかけが見当たらず、軽いノリに感じられてしまう。
ただ、その割には大奥へ上がる直前、水野がお信と話すシーンでは、ゆったりと時間を使っている。
だから「お信と一緒になるのが無理だから、思いを断ち切るために大奥へ」ということなんだろうけど、そういうことが見えないのよね。
水野はお信にキスして名残惜しそうに別れを告げているけど、それにしては、大奥へ上がることを家族に言う時の態度は、なんか軽いのよ。

後半、打ち首を知った水野がお信のことを思い出すシーンがあるけど、それも取って付けたような印象しか受けない。大奥へ上がる時に、「お信への未練を残しながらも、本意ではないけど奉公を決めた」という感じが薄かったのでね。
それに、大奥へ上がってから、水野がお信のことを思い出すことなんて一度も無かったじゃないか。
あと、別れのシーンにしても、再会のシーンにしても、やたらと音楽が盛り上がりすぎて、うるさい。
大した感動も無いのに、感動を押し付けようとしても無理だよ。

「大奥にいるのが全て男で、吉宗や大岡忠相や間部詮房が全て女」という時点で、かなり荒唐無稽なファンタジーだ。
で、「ある意味ではデタラメとしか言いようのない設定に対して、どこまで寛容になれるか」ってのが、この映画を観賞する上でのハードルになる。
ただ、おバカなコメディーではなく、ものすごくシリアスにやっているので、寛容な気持ちになるのは、そう簡単ではないかもしれない。

まず引っ掛かったのは、幾ら男の数が極端に減ったからって、江戸の町にいる人間が全て女性ってことだ。
男も少なからずいるわけで、そいつらが労働することは全く無いのか。
水野が師範代を務める道場には門弟の男たちがいるけど、「剣術の稽古をする暇があったら、力仕事をやってくれ」ってことにはならないのか。
あと、女が男の仕事を担当するようになったからって、格好や着物の色使いまで男っぽいのも違和感が否めない。

吉原には女じゃなくて男たちが暮らしているのだが、その格好や化粧が女っぽいのも不可解だし、男なのに花魁の格好で花魁道中をするというのも不可解。
男なんだから、男としてのカッコ良さをアピールするような衣装や振る舞いをすべきではないのかと。なんで女っぽくなって、それを女性たちがキャーキャー騒ぎ立てるのか。
男女逆転が起きなかった実際の江戸では歌舞伎役者がモテモテだったわけで(そりゃ女形もいたけど)、「女っぽい姿の男たちに女が群がる」ってのは解せない。
男女が逆転すると、オカマっぽい男とオナベっぽい女が増えるってことなのか。

女たちが総じて勇ましくなるのも、その中でお信だけは娘っぽさが強く残っているのも、やはり違和感が否めない。
もう身も蓋も無いことを言ってしまうと、男の数が極端に減ったからって、女が男の名前を使うってのも変だしね。
一方で、男は男の名前をそのまま使っているわけだから、そこは逆転していないし。
その辺りは、原作の「有功・家光編」で解き明かされる流れになっているらしいけど。

大奥に上がった男たちが、ホモセクシャルに走るってのも不可解だ。
出世のために男と寝るのは分かるんだけど、垣添を始めとする水野の取り巻きはそうじゃなくて、明らかに憧れの目で見ているもんな。
そりゃあ800人もいれば、中には同性愛に走る奴がいても不思議ではない。
ただし、大半の男は女好きなんじゃないかと思うし、むしろ隙を見て大奥の外にいる女と寝ようとするんじゃないかと。

結局、これって「ボーイズ・ラブ物」的なモノにするために、「男だらけの大奥」ってのをやりたかっただけなのかなあと邪推してしまう(映画がそういうモノってことではなく、原作がそういうモノなのかなと)。
男女を逆転させているところで、思考がストップしている印象を受けてしまうんだよね。
時代考証はキッチリとやっているようだけど、「もしも人口比率が極端に変化して男子が女子の約4分の1に減少した場合、どういうことになるのか」というところのディティールが、ちょっと粗いんじゃないかと。

(観賞日:2012年10月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会