『大奥』:2006、日本

正徳三年(1713年)、七代将軍・家継の時代。江戸の町では歌舞伎を始めとする町民文化が花開いていた。その頃、江戸城本丸の政を行う 中奥で、幕府の中枢にいたのが先代将軍・家宣からの側用人である間部詮房である。能役者上がりの間部は、大奥にも権勢を振るっていた。 そんな彼の疎ましく思う老中筆頭・秋元但馬守は、いつか追い落とそうと狙っていた。
一方、大奥でも対立関係があった。先代将軍の側室であり生母である月光院を、子が無いために不遇を囲っている先代将軍の正室・天英院 が憎んでいたのだ。そして月光院の片腕である大奥総取締・絵島にも、幾多の敵が待ち構えていた。天英院の側に付いている連浄院付 上臈御年寄・滝川、先代御側室・蓮浄院、連浄院付先代御側室・法心院といった面々である。
月光院は密かに、間部と男女の関係を持っていた。だが、彼女は間部の気持ちが良く分からないと悩み、絵島に相談する。月光院は絵島に、 増上寺代参の帰りにでも四谷の縁結びの寺へ行ってほしいと頼んだ。絵島は部屋方・藤川や中臈・小萩らと共に、寺へ赴いた。札を木に 結び付けようとした時、手から落ちてしまった。1人の男が、それを拾って木に結び付けてくれた。男は名も言わず、一緒にいた女と共 に立ち去った。その男が歌舞伎役者・生島新五郎だということを、絵島は知らなかった。
月光院と間部に禁断の関係があるとの噂を耳にした天英院は、憎き敵を追い落とす格好の材料になるとほくそ笑み、中臈・宮路に指示を 出した。宮路は生島を呼び出し、「300両で仕事を請け負ってもらう、仕事が終われば歌舞伎役者からは足を洗って西国へ行ってもらう」 と告げた。仕事とは、絵島を落とすことだ。刺客を放った天英院は、密かに歌舞伎役者の金子長十郎と関係を持っていた。
上野の寛永寺参拝は、大奥の女たちが外に出られる数少ない折である。そのため、帰りに歌舞伎見物などに興じるのが常となっていた。 山村座へ歌舞伎見物に赴いた絵島は、宮路の手引きで座元・山村長太夫と呉服問屋・奈良屋善右衛門の挨拶を受けた。長太夫の紹介で、 看板役者の三浦屋、つまり生島がやって来た。他の3名が去り、絵島は生島と2人きりになった。
生島は寺で一緒にいた女のことを言われ、「あの人には買われただけです。歌舞伎役者は舞台の外では女に買われる」と説明した。動揺 する絵島に、生島は「お望みなら、貴方だけのものになって差し上げましょうか」と持ち掛けた。生島の振る舞いに慌てた絵島は、盃を 飛ばしてしまった。頭に盃を受けた浪人・谷口新八が騒ぎ出すと、生島が舞台に上がって事を収めた。
毎月、病弱な家継の健康を祈る護摩の行がある。絵島は月光院の名代として将軍家御息災の札を受け取り、大奥に戻るのだ。だが、その月 は、いつもと少し違っていた。鎌倉橋へ向かう小舟の船頭に、生島が化けていたのだ。「何をしようというのですか」と尋ねる絵島に、 生島は「こうしているだけでいいじゃないですか。この舟にいる間は囲いを取ってください」と告げた。
天英院は絵島が生島に落とされた後で詮議に掛け、月光院を裏切らせようと企んでいた。但馬守は「絵島が男に肌を許すだろうか」と懸念 を口にするが、月光院は「そんなことはどちらでもいい。男を先に詮議に掛け、絵島を落としたと言わせればいい」と答えた。但馬守は 「絵島が月光院を売るかな」と疑問を呈するが、月光院は「女子は女子を裏切るもの」と自信を見せた。
月光院や但馬守が罠を構えている気配に気付いた間部は、しばらく会わぬことを月光院に伝えるよう絵島に頼んだ。伝言を聞いた月光院は 募る思いに耐え切れず、夜中に制止を振り切って中奥へと向かう。人の目がある中で月光院に抱き付かれた間部は、咄嗟に「乱心だ」と 告げて離れた。月光院は寝込んでしまい、うわ言で間部の名を呼んだ。間部は絵島から月光院と会うようを求められるが、首を縦に振る ことは無かった。そこへ母を心配した家継が現われ、月光院との面会を指示した。
間部の見舞いを受け、月光院の病状は回復した。月光院から間部への強い気持ちを聞かされた絵島は、生島のことを思い浮かべた。船着場 近くで生島を見掛けた絵島は、彼を密かに呼び出した。絵島は生島に、「そなたとは住む世界が違う。大奥には、命に代えても守りたい ものがある」と語った。そして「一時でも夢を見させてもらいました。これきりに致しましょう」と告げた。
生島は宮路を呼び出し、「絵島が落ちそうに無い」と告げ、詳しい事情説明を求めた。宮路は生島に、天英院の策略を語った。宮路は、 彼が絵島に惹かれていることに気付いた。天英院は小萩を呼び出し、兄の出世をエサにして寝返りを持ち掛けた。今度の増上寺からの帰り 、山村座で生島が絵島の桟敷に来たら席を外して見張り、そこで起きたことを報告せよというのだ。小萩が断ると、天英院は毒蛇を放った。 毒蛇に噛まれた小萩は恐怖に怯え、大奥を去ることになった。
山村座での歌舞伎見物の日、絵島は二度と会わないと決めていた生島と顔を合わせることになった。2人の様子を見張っていた宮路は嫉妬 にかられ、生島の楽屋に忍び込んで火を放った。絵島は生島に、「誰かに命じられ、自分を罠にはめるために来たのではないか」と問い 掛けた。だが、答えを聞く前に、火事の発生で小屋が大騒ぎになった。燃え盛る炎の中から脱出した絵島は、生島から「あんたはただの女 だ。他の女と少しも変わらない」と言われ、屋形船で彼と関係を持った…。

監督は林徹、脚本は浅野妙子、製作は亀山千広&坂上順、企画は大多亮&清水賢治&中曽根千治、プロデューサーは小川泰&松崎薫& 小柳憲子、プロデュースは保原賢一郎&手塚治、撮影は江原祥二&浜名彰、編集は落合英之、録音は日比和久、照明 は沢田敏夫、美術は吉田孝、音楽は石田勝範、主題歌『運命』は倖田來未、ナレーションは梶芽衣子。
主演は仲間由紀恵、共演は高島礼子、岸谷五朗(友情出演)、藤田まこと(特別出演)、柳葉敏郎(特別出演)、西島秀俊、井川遥、 及川光博、杉田かおる、浅野ゆう子(友情出演)、松下由樹(友情出演)、麻生祐未、中山忍、木村多江、鷲尾真知子、山口香緒里、 久保田磨希、江波杏子(友情出演)、北村一輝、谷原章介、竹中直人、平泉成、鈴木砂羽、徳井優、佐藤仁美、木下ほうか、紅萬子、 山田夏海(子役)、園英子、小谷浩三、志賀山扇右、本田博太郎、火野正平、原田龍二、田口浩正、小倉久寛、星野真里、山田明郷、 かとうあつき、小松みゆき、岩倉沙織、澁谷武尊(子役)、井之上淳、木谷邦臣ら。


フジテレビが2003年から3年連続で放送したTVシリーズの劇場版。
歌舞伎や小説などで有名な江島生島事件を題材にしている。
TV版と話の繋がりは無いし、登場する人物も時代設定も異なっている(そもそも3つのTVシリーズも別々の話だった)。
ようするに、「大奥」という作品がブランド化したので、それを利用して映画でも稼ごうってことだ。
監督と脚本は、TVシリーズの林徹と浅野妙子が引き続き担当。

絵島を仲間由紀恵、天英院を高島礼子、但馬守を岸谷五朗、奈良屋を藤田まこと、大目付・仙石丹波守を柳葉敏郎、生島を西島秀俊、 月光院を井川遥、間部を及川光博、宮路を杉田かおる、滝川を浅野ゆう子、蓮浄院を松下由樹、小萩を麻生祐未、藤川を中山忍、法心院を 木村多江が演じている。また、フジテレビ系列27局の女子アナも出演している。
シリーズの集大成ということで、TV版の出演者が何人も登場する。
2003年版からは浅野ゆう子、木村多江、金子役の北村一輝、風車売りの少女の母親役の鈴木砂羽、新井白石役の本田博太郎などが、2004年 版からは高島礼子、藤田まこと、西島秀俊、松下由樹などが、2005年版からは中山忍、浮世絵師役の谷原章介などが登場する。
当然のことながら、TV版と演じる役柄は異なっている。

もはや「TVドラマでヒットしたから劇場版」として作られる類の映画は、日本映画界において重要な一角を占めていると言ってもいい。
特にフジテレビは、「TVドラマの映画化」ということに対する意識が他の局と比べても強いように見受けられる。
TVドラマの劇場版が全てダメだとは言わないが、しかしまあ大抵は芳しくない仕上がりになってしまう。
内容がTVスケールだったり、安易に映画化していたりと、TVドラマの劇場版が駄作になる原因は様々だ。
まあ根本的なことを言ってしまえば、それまではTVでやっていたんだから、2時間枠のスペシャルとしてTVでやればいいじゃないか、 映画にする必要は無いんじゃないかと思ったりもする。
実際、大抵の劇場版は「TVの2時間ドラマで充分」という出来映えだし。

TVシリーズのレギュラー陣が何人も登場するが、しかしオールスター映画としての作りではない。
ほとんどは、あくまでもゲスト扱いとして脇で顔を出すという形だ。
サービス精神なのだろうが、そういうゲストが多すぎることが、まとまりの悪さというマイナスに繋がっている観もある。
総決算的な作品なので今までのレギュラー陣をたくさん出そうということなのだろうし、その考えが分からないではないよ。ただ、 「とりあえず出しとけ、整理整頓は二の次だ」みたいな感じになっちゃってるのよね。
同じ役で登場するわけでもないんだし、もう少しゲストは絞り込んでも良かった。いや、そうすべきだった。

オープニング、風車売りの少女が登場し、間部と出会う。いかにも意味ありげに登場するので重要な役割を果たすのかと思いきや、何の 意味も無いと言ってもいいようなポジションで終わる。
また途中で少女が出てくるが、「事件の目撃者」として、彼女の目を通して描いていくわけでもないし。
そもそも大奥や芝居小屋に入れる立場じゃないから、目撃者になるのは無理だしね。
っていうか、そんな少女を、なぜ意味ありげに出したのかと。

冒頭からナレーションによる説明が入る。
間部と但馬守が廊下ですれ違って短い会話を交わすシーンでも、天英院と月光院における同様のケースでも、それぞれ対立関係にあること が説明される。
でもね、そこは両名の会話や態度だけで、その関係性を描写すべきだ。そして実際、ナレーションが無くても、但馬守や天英院が相手を 憎んでいることは芝居だけで充分に伝わってくる。
しかも、導入部分で余計なナレーションを入れまくって「欲望と嫉妬と憎悪が渦巻くドロドロの人間ドラマ」が繰り広げられることを過剰 に煽っているくせに、ドロドロ劇ではなく悲恋物語として話をまとめようとしている。
「絵島生島事件を題材にした以上、ヒロインが幸せな結末を迎えることは無い、だから悲恋物語として描こう」ということなのかも しれないけど。

主要キャストは、残念なことになっている面々が多い。
まず仲間由紀恵は、扇の要、敏腕を振るう大奥総取締としては貫禄が無さすぎる。
そしてミスキャストの上に、仲間由紀恵には時代劇で悲恋を演じられるほどの演技力が無いという力不足も手伝ってダブルパンチ。
初めて生島と出会うシーンで顔がアップになった時の表情の無さ、船頭に化けた生島に気付いた時の表情の薄さなどに、演技力の不足が 顕著に表れている。
この人、繊細な芝居は、あまり得意ではないようだ。

西島秀俊は、「見た目はいいが中身はダメ人間」というキャラクターに馴染んでおり、うらぶれたヤサ男ぶりが良く出ている。
しかし、どこで、どんな風にヒロインに惹かれるようになったのか、その辺りが良く分からない。
ただし、それは彼の責任と言うよりも、演出の問題だろう。
前述した仲間由紀恵の「心情の見えにくさ」に関しても、やはり演出にも問題はある。

井川遥と及川光博は役者不足もあるのだが、それ以上に、悪玉サイドとの噛み合わせの悪さが気になる。2人のサラッとした芝居が、悪玉 サイドのクドくて粘り気のある芝居と噛み合わず、スウィングしないのだ。
それは1つ間違えばコントになるが、この映画に関しては、昔の大映ドラマのようなクドい芝居がフィットする。
ただ、クドい芝居はいいが、高島礼子と松下由樹の変な台詞回しは何の悪ふざけだろうか。どうやら関西弁(京都弁だろうか)のつもり らしいが、その必要性はゼロ。おかしな表現でマヌケになるぐらいなら、普通に標準語で喋らせた方がいいに決まっている。
鷲尾真知子、山口香緒里、久保田磨希の奥女中トリオはTVシリーズからの続投だが、しかし邪魔な人々になっている。
というのも、この映画にコメディー・リリーフは要らないからだ。完全に浮いている。

そんな中、ズバ抜けて素晴らしいのが杉田かおるだ。
出番もセリフもそれほど多いわけではないのだが、圧倒的な存在感を発揮している。正直、大奥の女たちの中で、1人だけ次元が違う感じだ。
無言であっても、その表情だけで伝える演技力があるし。生島と会う場面は少ししか無いのに、「惚れているが気持ちを隠す→嫉妬で 悶えて火を放つ」というところに説得力を持たせている。
絵島なんかより、宮路の方に遥かに惹き付けるものを感じる。
こっちをメインにしてほしいと思っちゃうぐらいだよ。

キャラクターとして、月光院が別の意味で悲惨なことになっている。
絵島が全身全霊を懸けて仕えるには値しないような、ただの阿呆にしか見えないのだ。
何しろ、中奥へ勝手に赴き、間部に抱き付くんだから。
そんなことをしたら、自分だけじゃなく間部の身も危険にさらすのに。
それを「募る思いに耐え切れなかった哀れな女」として同情的、好意的に見ることは無理だ。

その愚かな行動の後で、月光院を心配する家継の姿を見せるので、ますます阿呆という印象が強まる。
息子に対する意識を全く見せず、間部の名前を呟き続けるし。
母としての自覚ゼロの独善的な女にしか思えん。幼い息子に気を遣わせてどうするのかと。
ところが、このバカ女の恋が、この映画に存在する唯一と言ってもいいサブストーリーなんだよな。
そこには何の魅力も無いよ。

300両は大金だろうが、それでも生島が「歌舞伎役者を引退して西国へ行ってもらう」という条件で簡単に仕事を引き受けるのが、どうも 解せない。
何しろ、彼は一座で看板を張っている人気の役者なのだ。
「芝居への意欲が全く無い」とか、「他の役者に人気が移って既に落ち目になりつつある」とか、そういう描写でもあれば納得できたの だろうが、そういうモノは見当たらない。

幾ら男を知らない設定であっても、最初に生島から誘惑された時の絵島の慌てぶりは、あまりにも隙がありすぎる。
序盤のナレーションで「才長けた女、敏腕を振るう女」と説明されていたのに、そう見えない。
そこは冷静に対処した方がいいんじゃないのか。
そして、最初は強い警戒心から心に鍵を掛けていたが、次第にガードがほぐれていくからこそ、悲恋のドラマが締まるんじゃないのか。
例えば、冷淡に振舞ったが、自分を庇って浪人の前に飛び出してくれたので、少しだけ好感を持つとかさ。
最初からユルユルじゃん。

絵島は最初から、男に対するガードが甘すぎる。もう簡単に落とせそうな雰囲気を出しすぎだ。
生島は「落ちそうにない」とか言ってるが、それは彼が思っているだけで、こっちからすると「ほとんど落ちている」と見える。
それに絵島からは女としての感情と、自分の役職への使命感・責任感の間での葛藤、揺らぎというものが、全く伝わってこない。
っていうか、無いよな、そんなモノ。

回復した月光院の言葉を受けた絵島が生島のことを思い浮かべる際、彼女の心に残った言葉、心を揺さぶった言葉がリフレインされる。
ただ、そこで出て来る言葉からすると、絵島に芽生えた気持ちって愛じゃなく情欲に思えてしまうんだよな。
ものすごく下卑た表現を使うとすれば、体が疼いただけじゃねえのか、性欲で辛抱たまらんようになっただけじゃねえのかと。

 

*ポンコツ映画愛護協会