『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』:2018、日本

大人気ロックシンガーのシンは、所属事務所の社長から電話で「中止だ。つまんねえことで破滅する奴が大勢いるんだ。嫌な予感がする」と言われる。しかしシンは喉に注射を打ち、警告を無視した。「君のいる風景」という4人組アマチュアバンドは、路上で演奏していた。しかしボーカルを務める明日葉ふうかは声が小さく、集まった人々から嘲笑を浴びた。シンはレコード会社「ステレオタイプレコード」の担当者である坂口から「社長は貴方の喉を心配してるんですよ」と制止されるが、待っている観客に応えるのが自分の義務だと告げる。ステージに立った彼はバンドを従えて歌い、観客を熱狂させる。しかし途中で大量の血を吐き、意識を失って倒れ込んだ。
ふうかはバンドのリーダーである渋谷から、「なんで大きな声で歌わないの?下手だと思われたくないから?」と質問される。渋谷は彼女に「もっと大きな声で歌ってほしかった」と言い、もう一緒にバンドを続けて行くことは出来ないと告げた。シンは坂口によって会場から連れ出され、宅配ピザのバイクを奪って逃亡した。しかし工事現場の水道管が破裂し、バイクが転倒してしまう。大量の水を浴びてメイクが落ちたシンに、通り掛かったふうかが歩み寄った。シンはふうかの顔面に大量の血を吐き、小さな病院に運ばれた。
翌日、ふうかは下宿している親戚のザッパおじさん&デビルおばさんの家でバイト先からの電話を受け、クビを通告された。病院へ赴いた彼女は女医から、シンが姿を消したことを知らされた。女医はふうかに、シンの声帯の筋肉が異常に発達していること、そのせいで喉の筋肉が耐え切れずに大量出血したことを説明した。社長は坂口に、シンは手術と薬による声帯ドーピングを受けていると打ち明けた。そう遠くない未来にシンは声を失うことになるためそれを防ぐには韓国の技術が必要だと彼は語った。
ふうかが一人でギターを弾きながら路上ライブをしていると、シンがやって来た。他の見物客が立ち去った後も居残った彼は、どこからかパンクバンドの演奏音が聞こえると「うるせえなあ」と走り出した。パンクバンド「ダエマオハギツ」が路上ライブをしている現場へ乗り込んだ彼は、「うるせえ」と怒鳴る。彼はボーカルの自滅に頭突きを食らわせ、ふうかを連れて逃げ出した。「音楽関係の仕事?」と質問されたシンは、プロデューサーだと嘘をついた。
ふうかが自分の歌について感想を求めると彼は酷評し、「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」と罵倒した。ふうかが「自分の気持ちとか大事にしたいんです」と細い声で告げると、シンは「お前の気持なんかどうでもいいよ。結局、自分がカッコ悪くならないように歌ってるだけ」と指摘する。ふうかが「自分は本当の声、いつか見つけたいと思ってる」と言うと、彼は「それってさ、やらない理由を見つけるだけだろ」と批判した。
ふうかが「説教臭い」と反発してタクシーに乗り込むと、シンは「逃げんじゃねえよ」と呼び止める。ふうかがタクシーを諦めて去ろうとすると、ギターケースがトラックにぶつかって投げ出された。ギターは車にひかれて粉々になり、シンは大笑いする。母に買ってもらった大事なギターを失ったため、ふうかはショックで部屋に閉じ篭もった。するとシンは窓を割って部屋に突入し、「弁償だよ」と彼女に新品のギターをプレゼントした。
その日はバンドで参加する予定だったオーディションが開催されていたが、ふうかは行く気が失せていた。シンは彼女を強引に部屋から連れ出し、オーディション会場へ赴いた。すると老女2人や人間的に問題のありそうな奴が参加しており、ふうかは歌わずに会場を去った。シンはふうかの薄い感情表現に激怒して罵るが、咳き込んで声が出なくなった。彼は近くのトイレに駆け込み、薬を注射した。ふうかは女医から、シンが使っているのは副作用が強すぎて禁止になっている筋肉増強剤だと御知らされた。
その夜、シンの口パク疑惑がリークされ、チケットの売り上げは落ちてキャンセルが続出した。シンが倒れた後、坂口が口パク用の音声を会場に流していたのだ。シンは坂口に、自分が歌うと宣言した。社長は坂口に「なんでシンは、そこまでして歌うんでしょうね」と訊かれ、「妹じゃねえか。心の病でさ、声が出ない妹がさ」と話す。音楽ライターの伊能聖子にシンの口パクをリークした犯人は坂口で、目的は単なる破壊衝動だった。シンは最新作のジャケットで、片側だけ素顔を晒した。
ふうかはデビルおばさんとよろこびソバを食べに行き、その美味しさに泣き出した。「アンタの歌も同じことなんじゃないの」と言われた彼女は、「もう1回、色々とやってみます」と宣言した。シンは声帯ドーピング疑惑も報じられるが、ライブのチケットは一気に高騰した。ドーピング疑惑をリークしたのは社長で、見世物としての価値を高めることが目的だった。彼は聖子と接触し、坂口のリークについて聞き出していた。
ふうかは路上ライブで今までより遥かに大きな歌声を披露し、集まった人々から拍手を貰った。シンの新作ジャケットを見た彼女は、自分が助けた男の正体に初めて気付いた。シンが会場に来なかったため、埼玉スーパーアリーナの公演は中止になった。彼はザッパおじさんとデビルおばさんのアイスクリーム屋に現れ、失踪騒ぎになっていることを知らされた。坂口が大勢の男たちを引き連れて店に来たので、シンとふうかは逃亡した。社長は融資してもらっている木之本に頭を下げ、必ず資金は回収すると約束した。
シンはふうかにギターを借り、ボーイ・ソプラノで『アヴェ・マリア』を歌う。幼少期の彼は、妹とヘッドホンを装着して浴室で『アヴェ・マリア』を歌っていた。父のせいで借金取りが押し掛けて騒ぎ立てるため、居留守を使って隠れる必要があったのだ。ロックバンドの練習を見た彼は歌ってみるよう促され、『アヴェ・マリア』を披露した。ボーカルの女性は声が小さいと指摘し、「デカい声で歌わないと聞こえないじゃん」と稽古させた。シンの母は父を殺害し、「もう大きい声出してもいいよ」と何度も繰り返した。
ふうかはイジメを受けて大きな声が出せなくなったことを明かし、「このまま終わりじゃ勿体無い」と韓国で手術を受けるよう勧めた。彼女はシンを連れて船に乗り、韓国の釜山へ向かう。かつて彼女は父の仕事の都合で、釜山の爆竹工場で暮らしていたことがあったのだ。ふうかの父は優秀な職人だったため、彼女は工員たちに大歓迎された。社長はザッパおじさんとデビルおばさんを捕まえ、シンの居場所を聞き出そうとする。ザッパおじさんとデビルおばさんは社長を見て、バンド時代の知り合いだと気付いた。坂口はカレンダーに「プサン」の文字を見つけ、社長に教えた。
ふうかはシンに、「勢いで来ちゃったけど、後悔しない?手術したら爆音の歌声を無くしちゃうのよ。元には戻れないし」と告げる。シンはギターを弾いて新曲を披露し、「お前が俺の声になれ」と代わりに歌うよう頼んだ。ふうかは「この歌はシンが爆音声で歌わないと良くないと思う」と断るが、シンは「俺は手術したら、今みたいな声で歌えない。だからお前が俺みたいな声で歌え。絶叫してみろ」と説く。社長の差し向けた男たちが工場に乗り込んで来たため、シンとふうかは逃亡を図る…。

監督・脚本は三木聡、製作は佐野真之&田中祐介&大村英治&三宅容介&牧田英之&渡辺章仁、エグゼクティブプロデューサーは豊島雅郎&青木竹彦&柳村努、プロデューサーは山野晃&若林雄介、アソシエイトプロデューサーは上野剛太郎&森谷朋子、撮影は相馬大輔、照明は佐藤浩太、録音は久連石由文、美術は磯見俊裕&露木恵美子、編集は高良真秀、音楽は上野耕路、主題歌「人類滅亡の歓び」はSIN+EX MACHiNA、「体の芯からまだ燃えているんだ」はふうか。
出演は阿部サダヲ、吉岡里帆、千葉雄大、松尾スズキ、田中哲司、ふせえり、麻生久美子、小峠英二(バイきんぐ)、片山友希、中村優子、池津祥子、森下能幸、岩松了、吉田祐希、篠田諒、手塚真生、小貫剛、岩崎愛、安藤輸子、木村知貴、護あさな、MYU、伊藤麻希、森田晃太郎、横内亜弓、持田加奈子、上田紘子、塚本シゲ子、村上航、松嵜翔平、後藤ユウミ、小橋川建、朝見心、日向丈、江藤修平、柄沢晃弘(WOWOW)、兼松若人、彫政統、琥道隆也、河本龍明、田中飄、下田旬、保榮茂愛ら。


『インスタント沼』『俺俺』の三木聡が監督&脚本を務めた作品。
シンを阿部サダヲ、ふうかを吉岡里帆、坂口を千葉雄大、ザッパおじさんを松尾スズキ、社長を田中哲司、デビルおばさんをふせえり、女医を麻生久美子、自滅を小峠英二、伊能を片山友希、木之本を中村優子、シンの母親を池津祥子が演じている。
阿部サダヲは『人類滅亡の歓び』、吉岡里帆は『体の芯からまだ燃えているんだ』と、どちらも主題歌の歌唱を担当している。

シンをロックシンガーと書いたが、もっと細かく分類するとヘビーメタルだ。濃いメイクを顔に施しているし、その衣装や雰囲気も明らかにヘビーメタルの方向で演出している。
それはホントのヘビーメタルと言うよりも、「良く知らない人が誤解していそうなヘビーメタル」になっている。
何しろ最初にシンがいるのは、なぜか薄暗い地下室みたいな謎の場所だし。
もちろん、それは何も知らないわけじゃなくて、意図的な演出だ。

で、「ヘビーメタルというジャンルをやっている歌手が、今の日本で果たして大人気の歌手になれるのか」と考えた時、それは非現実的だろう。
とは言え、最初から「リアリティーは皆無」ってのがハッキリと分かっているので、それは別に構わない。荒唐無稽を徹底して、思い切り突き抜けてくれれば、それはそれでOKだ。
ところが、中途半端に現実的なトコを序盤から露呈しちゃってるんだよね。
それはシンとバンドがライブをやっている場所。
どう見てもライブハウスなので、観客がそこまで多くない。
そこはホールとかドームとか、それぐらいの大きな箱じゃないとダメでしょ。それぐらいの大ボラを吹かなきゃダメでしょ。

そりゃあ会場は満員で全員が熱狂しているけど、ライブハウスだと「一部の熱狂的なファンがいるけど一般的な知名度は低いバンド」というレベルにしか見えないのよ。
もちろん、大きな会場を借りて、そこを満たすエキストラを雇おうと思ったら、それなりの予算が必要になってくる。
だけど、そこで大ボラを吹けなかったら、この映画そのものが安っぽくなってしまうのよ。それぐらい、映画の鍵を握る重要な要素なのよ。
そこでシンを「せいぜいライブハウスが精一杯のレベル」にしてしまったことで、この映画は成功への道を見失ったと言ってもいい。

「声帯ドーピングを受けたロックシンガーのシン」「声が小さくて聞こえないアマチュア歌手のふうか」という2人のキャラだけでもクセが強いが、その程度で三木聡監督は満足できる人じゃない。その周囲にも、クセの強いキャラクターを配置する。
例えばザッパおじさんとデビルおばさんなんて、そこにクドい親戚など必要ではない。ごく普通の親戚でも構わないのだが、コテコテに飾り付ける。
眼帯の女医も、そんな変なキャラなんて全く必要性が無い。そいつらが話に上手く絡んで来るわけではなく、ただクドいキャラを持ち込んでいるだけだ。そこで思考は半ば停止している。
クドいキャラを考えて、そいつの出番を用意したら、ほぼ仕事は終わっている。

女医に関しては、そもそも「なぜ、ふうかはそんなヘンな病院へシンを運んだのか」という疑問が湧く。救急車を呼んで運んだとしても、そんな場所へ搬送されるのは不可解だし。
しかし、そういう細かいトコは、完全に無視されている。
この映画、「なぜ?」「どうして?」と真面目な意識で立ち向かったら、疑問は尽きない。だから「デタラメが仕様」と割り切って観賞するしかない。
そういうのを勢いで突破できれば良かったのかもしれないが、そこまでのパワーは無い。

坂口がシンの味方ではなく口パク疑惑をリークしていることが、中盤で明らかにされる。でも、そんな展開が話を面白くする要素になっていない。
坂口の行動理由は何なのかと思ったら単なる破壊衝動だし、バカバカしいだけ。こいつが裏切り者じゃなくても、何の支障も無い。
こいつを「可愛い顔して実は」というキャラにするのなら、そこを使ってドラマを動かしていくべきじゃないかと。そこを外しても何の問題も無く成立してしまうぐらいなら、最初から要らないわ。
シンの味方だと思っていた社長がドーピング疑惑をリークする展開も同様で、まるで要らないわ。こいつを悪玉にするなら、最初からそういう描き方にしておけばいいのよ。

ふうかは自分の声が小さいことを認識しているのだが、それでも歌い続けようとする理由は何なのか。
まずは相手に届く声量が無いと何も始まらないことぐらい、彼女だって理解しているはず。だから、大きな声を出せないのなら、まだ路上ライブなんて始めちゃダメだよね。
シンは彼女の声の小ささを罵るけど、そういう問題は全く指摘していないんだよね。だから、その疑問は解決されないままだ。ふうかが声が小さくても路上ライブを始めたことを、観客に納得させる理由は無い。
イジメが理由で大きな声が出せなくなったことは語るけど、それと同じぐらい「それでも歌う理由」の説明は必要なはずだぞ。

あまり真正面から中身を批評するのもバカバカしく思えるような作品なんだけど、カッコ悪いと自覚した上で、あえて真面目に「ドラマとしての問題点」を指摘しておく。
それは、「シンがふうかの力になろうとする」という動機が弱すぎることだ。
本来なら、そこは「シンがふうかの歌声に大いなる可能性を感じ、勿体無いと感じたから何とかしてやろうとする」という流れであるべきだと思うのだ。しかしシンはふうかと初めて会った時、彼女の歌を聞いていない。ふうかの路上ライブに来た時も、その声に魅力を感じたような反応は見せていない。
なので、なぜ彼がふうかのために行動するのか、その理由が全く分からないのだ。
「倒れた時に病院へ運んでくれたから、そのお礼に」ということでもないだろうに。

40分ぐらい経った辺りで、「シンには心の病で声が出ない妹がいる」という設定が明らかにされる。なので、シンがふうかを妹に重ねているという可能性もある。
ただ、そうだとしたら、ふうかが歌うのを見た時にシンが妹を連想するシーンを入れるとか、何かしらの演出は必須だろう。でも、そういうのは何も無い。そして何のヒントも出さないまま、40分ぐらい経って初めて「声の出ない妹がいる」ってのが明かされるんだから、その要素を上手く活用しているとは言い難い。
さらに言うと、それが明らかにされた後も、まるで使われずに放り出されているのだ。
ちゃんと使う気が無いのなら、意味ありげに持ち込むなよ。

この映画、様々な形で映像表現に細工を施している。それが例えば、ライブのシーンに迫力を出すとか、アクションシーンを盛り上げるとか、そういう目的で持ち込まれているなら理解できる。だけど、何の意味も感じないような箇所で、変に凝ったことをやっているのだ。
例えば、ふうかがデビルおばさんに誘われて外食するシーン。なぜかカメラが回転し、上下を一時的に逆転させる。そばを注文した直後、今度は高速でグルグルとカメラが回転する。
そんな風に加工して、尖らせるべきシーンじゃないでしょ。それどころか、「よろこびソバを2人で食べる」というシーン自体が、ただの不要な道草でしかないんだから。
ふうかがソバを食べて泣き出し、「また歌を頑張ってみる」と宣言するけど、感動させるなら邪魔な要素が多すぎるし、笑わせるにしても中途半端だし。
そこに限らす、変なカメラワークを採用している全ての箇所は、ただ目に不親切な映像になっているだけだ。

あとさ、よろこびソバで涙を流したふうかが「頑張る」と宣言した直後、路上ライブで普通に歌っているんだよね。そして観客の拍手も貰っている。
そうなると、彼女の問題は完全に解決されたと言ってもいい。そして問題を解決したのは、よろこびソバとデビルおばさんだ。
つまり、シンとの出会いは何の影響も与えていないのだ。それは絶対にダメだろ。「ふうかが変わるのはシンのおかげ」という形にしておくことは、この映画が満たすべき必須条件の1つだろ。
しかも、そこで普通に歌えるようになるから、ふうかがロックを歌う必要性も消えるし。
最終的にふうかはシンの頼みに応じて絶叫するように歌っているけど、それはシンに押し付けられた仕事をこなしているだけだ。ふうかは自分の声で自分の歌を熱唱するのではなく、偽りの声で歌う形になっちゃってるのよね。

っていうかさ、シンの主張だと、やくしまるえつことかカヒミ・カリィなんかの歌い方は、完全に全否定されちゃってるのね。
結果的には「彼のふうかに対する助言や指摘は正解だった」ってことになっているけど、ふうかは絶叫系のロックが歌いたかったわけではないのよね。
もしも彼女が「遅れて来た渋谷系」みたいな楽曲が好きだったとしたら、パワフルにデカい声で歌うことが正解とは言えないのよね。
実際、路上ライブで彼女が歌っていたのは、決してパワフル系のロックじゃないし。

もちろん、最初の頃の彼女は蚊の鳴くような声しか出ていなかったので、それだとカヒミ・カリィのバッタモンにもなれないよ。
ただし、話し掛けるような歌い方とか、優しくて穏やかな歌い方ってのも世の中にはあるわけで。そしてソバを食べた後の彼女は、ソフトな歌声を出しているわけで。
シンの主張だと、そういうのも全否定するような感じになっちゃってるんだよね。
「荒唐無稽な喜劇なんだから、そこをマジに分析しても」と言われたら、その通りなんだろう。
ただ、そういうのがマジで気になってしまうぐらい、喜劇としての仕上がりが酷かったってことなのよ。

シンが熱い言葉を口にしたり、心に響くメッセージを伝えようとしたりしている箇所もある。
しかしアクの強い脇役どもが無駄に存在感をアピールしたり、周囲に余計な飾りが多すぎたりしてゴチャゴチャしてしまい、「ロック魂のある熱いドラマ」はストレートに伝わってこない。
それにロックや音楽を愛しているように見せ掛けているけど、実は全く愛が無いんだよね。
監督は「そんなことない」と否定するかもしれないけど、だとしたら「全く伝わらない」と言い換えておこう。

この映画、1つだけ絶賛したいことがある。
それは、「あいみょんが作詞&作曲を担当した主題歌『体の芯からまだ燃えているんだ』が素晴らしい」ってことだ。
映画の公開に合わせて「シン&ふうか」名義で発表された『体の芯からまだ燃えているんだ』は、ミュージック・ビデオも含めて素晴らしい。
でも残念ながら、映画のラストで流れるのは吉岡里帆だけのバージョンだ。私が2018年のお気に入りソングの1つに入れたシン&ふうかバージョンは、劇中では流れないのであった。

(観賞日:2020年4月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会