『女殺油地獄』:1992、日本
大阪本天満町の油問屋「河内屋」で、奉行所の役人たちは何ヶ所も刺されて死んだお吉の検分を行った。時を遡る。油問屋「豊島屋」の妻であるお吉は、河内屋夫婦の徳兵衛とおさわから金を預かった。それは河内屋の次男である与兵衛に渡す金だ。河内屋夫妻は彼女に、長男の太兵衛には内緒にしてほしいと頼む。お吉は河内屋から暖簾を分けてもらった間柄であり、夫妻の頼みを快く引き受けた。彼女が店を出ると、与兵衛の妹であるおかちが声を掛けた。彼女は与兵衛が大事にしている行李を差し出し、渡してほしいと頼んだ。
お吉が豊島屋に戻ると、与兵衛は彼女の幼い息子と妹の遊び相手を務めていた。お吉は与兵衛に、預かった金を渡した。与兵衛は金を受け取る代わりに極道暮らしから足を洗い、家に戻って真面目に働くと約束していた。さらに彼は、性悪女とも手を切ると約束していた。お吉が風呂敷を外して行李を見せると、与兵衛は慌てて奪い取ろうとする。お吉が驚いて抵抗したため、行李の蓋が外れた。中身は複数の女性の書いた起請文であり、お吉に見られた与兵衛は気まずそうな表情を浮かべた。
夜、お吉が家の二階へ行くと、夫の七左衛門が与兵衛を居候させていた部屋を調べていた。七左衛門が行李の中身を見ていたので、お吉は心中箱と呼ぶこと、女郎たちが血で書いた起請文や剥がした生爪が入っていることを教えた。与兵衛は捨ててくれと言い、その箱を置いて出て行ったのだ。七左衛門は嫌な噂を立てられぬよう、与兵衛には早く家に戻ってもらうべきだと話す。お吉は「おむつを替えたこともある」と軽く笑うが、七左衛門は「二十年も経てば一丁前やないか」と声を荒らげた。
元僧侶の浄念と壺田屋内儀・すみが姦通の罪で処刑され、遺体が河原に晒された。与兵衛は小倉屋の娘・小菊や遊び仲間と共に、棒で遺体を突いて大笑いした。お吉は与兵衛が小菊と出会い茶屋にいると知り、「身内の不幸があった」と使用人に嘘をついて座敷へ赴いた。彼女は与兵衛に平手打ちを浴びせ、小菊を連れ出した。小菊は今回の件を内緒にしてほしいと頼み、「与兵衛とは別れたいが殺すと脅された。金は全て自分が支払っている」と説明した。
小倉屋は油屋の元締であり、お吉は二度と与兵衛に会わないという約束で小菊の頼みを承諾した。お吉が座敷へ戻り、拗ねている与兵衛に家業に精を出すよう説く。後日、お吉は七左衛門から、与兵衛と小菊が出会い茶屋にいたこと、番所の手入れで捕まったことを知らされた。小菊の父の市兵衛が手を回して二人は放免され、徳兵衛とおさわは詮議の場に呼び出された。市兵衛は両手を縛られた与兵衛をそろばんで殴り付け、息子の示しを付けられないのなら株仲間から外れてもらうと徳兵衛とおさわに通告した。
帰宅した与兵衛は兄の太兵衛から叱責されても、小菊とは絶対に切れないと反発した。二人が揉み合いになると、駆け付けたお吉が仲裁に入った。与兵衛は納屋に閉じ込められ、徳兵衛は「元番頭である自分の言うことなど全く聞かない」と嘆いた。おさわが勘当するよう主張すると、お吉は自分に話をさせてほしいと持ち掛けた。彼女は納屋へ行くと、小菊に本気で惚れているのかと与兵衛に尋ねた。「本気や」と与兵衛が答えると、お吉は軽く笑って「嘘や」と告げた。
与兵衛は本気だと繰り返し、徳兵衛を口汚く罵った。彼は「言いなりにはならん」と怒鳴り、別れさせるつもりなら心中すると宣言する。与兵衛の懐にある短刀を目にしたお吉は、「あんたらを決して一緒にはさせへんさかいな」と述べた。与兵衛は家で見張られていた小菊を連れ出し、舟で逃亡した。小倉屋手代の嘉平たちは豊島屋に現れ、庇い立てはするなと警告した。与兵衛は小菊に短刀を見せて心中を要求し、先に自分の足の裏を切って逃げられなくするよう促した。しかし小菊が短刀を奪い取ると、取り戻そうとして揉み合いになった。小菊が泣いて悲鳴を上げると、彼は慌てて詫びた。
与兵衛は少年に手紙を託してお吉に渡してもらい、自分たちが隠れている茶屋の場所を教えた。お吉は嘉平たちを伴い、茶屋へ赴く。小菊は甲斐性無しだと与兵衛を責め、店を後にした。お吉は与兵衛に、小菊に良い輿入れの話が来ているので市兵衛も丸く収めるだろうと話す。与兵衛は殺したいぐらい小菊に惚れていると言い、子供扱いするお吉に「もう子供やないわい」と腹を立てた。お吉が「わてかて女やさかい、油断しなはんな」と口にすると、彼は「おばはんは別や」と言う。お吉は「なんで別やの」と自分の胸を触らせ、誘惑するような素振りを見せた。彼女は「おなごは魔物って言うやろ」と述べ、迎えに来た七左衛門と茶屋を去った。
お吉は小菊の祝言の介添え役を頼まれ、支度中の小倉屋を訪れた。与兵衛の遊び仲間が去るのを見た彼女は、何のために来ていたのかと小菊の母・お品に尋ねた。するとお品は、与兵衛が水掛祝いをしたいと申し入れたのだと説明した。花嫁行列の当日、お吉は正体を仮面で隠して短刀を懐に忍ばせている与兵衛に気付いた。彼女は周囲に悟られないよう注意しながら、与兵衛を連れ出した。後日、小菊は与兵衛を呼び出し、短刀を取り出す。与兵衛は短刀を奪い取り、両手を縛って納屋に連れ込んだ。小菊は与兵衛を誘惑し、肌を重ねた。
お吉は駕籠で町に戻って来た小菊を待ち受け、船宿に遊び仲間を連れ込んで昼遊びを繰り返していることを指摘した。その日も与兵衛と一緒にいたことを言われた小菊だが、まるで悪びれる様子を見せなかった。彼女は「幾つにならはった?あほくさ」とお吉を見下して足を踏み付け、立場を振りかざして脅しを掛けた。お吉は小菊の名を使った手紙で、船宿に与兵衛を呼び出した。彼女は小菊が男遊びを重ねていることを教え、「一生のお願い」と頼んで抱いてもらう…。監督は五社英雄、原作は近松門左衛門、脚本は井手雅人、製作は村上光一&奥山和由、企画は堀口壽一&西岡善信、プロデューサーは能村庸一&池田知樹、プロデューサー補は尾崎誠、協力プロデューサーは中川好久、撮影は森田富士郎、美術は西岡善信、照明は中岡源権、録音は生水俊行、編集は市田勇、音楽は佐藤勝。
出演は樋口可南子、藤谷美和子、堤真一、井川比佐志、岸部一徳、長門裕之、石橋蓮司、辰巳琢郎、佐々木すみ江、山口弘美、奈月ひろ子、うじきつよし、絵沢萠子、清水ひとみ、シンデレラエクスプレス、石倉英彦、タンクロー、花岡秀樹、浦野眞彦、小船秋夫、大迫英喜、山口秀志、原一平、守谷紘一、宮田圭子、宮井道子、島村晶子、三井光子、明石英子、末永直美、松嶋尚美、松嶋里華、相園栄美、広藤正治ら。
近松門左衛門による同名の人形浄瑠璃を基にした作品。
監督は『吉原炎上』『肉体の門』の五社英雄で、これが遺作となった。撮影当時、食道癌を患っていた五社は体調が悪化し、病院から現場に通っていた。
脚本は『白い野望』『次郎物語』の井手雅人。こちらも本作品が遺作。井手は1989に死去しており、生前の彼が五社に書き残した脚本が使われている。
お吉を樋口可南子、小菊を藤谷美和子、与兵衛を堤真一、徳兵衛を井川比佐志、七左衛門を岸部一徳、市兵衛を長門裕之、茂助を石橋蓮司、太兵衛を辰巳琢郎、おさわを佐々木すみ江、おかちを山口弘美、お品を奈月ひろ子、嘉平をうじきつよしが演じている。原作は人形浄瑠璃だが、歌舞伎でも上演されている。初演での評判は悪かったが、明治に入ってからの再演で人気に火が付いた演目だ。
歌舞伎には様々な演目があり、勧善懲悪もあれば悲恋の物語もあり、人情劇もある。そして本作品のように、悪役が主人公の演目もある。
私は生で歌舞伎を鑑賞した経験が無く、テレビ中継で何度か見た程度だ。なので正直に言って、歌舞伎の面白さを充分に理解しているわけではない。それでも歌舞伎を原作にした映画は何本も見ており、もちろん面白いと感じることもある。
しかし『女殺油地獄』に関しては、どこにも面白さを見出すことが出来なかった。映画の世界でも悪人が主人公の作品は幾らでもあるし、その全てが理解できないわけではない。主人公が同情できる人物だったり、悪の華としての魅力を放っていたり、物語に犯罪サスペンスとして引き付ける力があったりすれば、そこに面白さを見出すことも出来るだろう。
しかし『女殺油地獄』の与兵衛は、ヘドが出るようなクズ野郎なのだ。
そんな男が自らの欲を満たすために身勝手を繰り返し、周囲の人間に暴力を振るったり殺したりして遊び呆ける。
どこに魅力を見出せばよいのか、まるで分からない。ただし今回の映画版では、与兵衛ではなくお吉を主人公に据えて内容を大幅に改変している。
とは言え、五社英雄は「与兵衛が主人公では観客の共感を得られないだろう」という理由で主人公を置き換えたわけではないだろう。たぶん、自身の得意分野に持ち込むために、女性を主役に据えたのではないかと思われる。
五社英雄と言えば、これまで『鬼龍院花子の生涯』や『陽暉楼』、『極道の妻たち』や『吉原炎上』など、「女性の映画」を数多く手掛けて来た。まだ「女性の映画」を手掛ける前の1960年代と1970年代には、時代劇映画も撮っている。
そういう意味では、これは五社英雄にピッタリの題材と思えたのかもしれない。しかし残念ながら、実際には完全なる大外れに終わっている。
この内容だと五社監督の持ち味が充分に発揮できなかったのか、あるいは体調の悪化で思うような力が出し切れなかったのか、その辺りは良く分からない。
そもそも、1988年の『肉体の門』が興行的に失敗しており、1991年の『陽炎』もダメだったので、「もう枯れていた」ってことなのかもしれない。
ともかく、「樋口可南子が頑張っている」という印象が残るだけで、五社作品としては「最後の炎」を放つことが出来ていない。様々な改変が行われているが、特に大きいのはお吉と与兵衛の関係だろう。
原作だと与兵衛はお吉から金を強請り取ろうと目論み、拒否されると惨殺する。しかし本作品の場合、お吉は与兵衛に惚れており、嫉妬心から肉体関係を迫っている。
彼女は与兵衛に「おばはん」扱いされているから、表面的には「子供としか見ていない」と装っている。しかし実際には最初から好意を寄せていて、本当は女として見てもらいたがっている。
なので小菊に入れ上げて関係を断とうとしない与兵衛に我慢できなくなり、誘惑して抱いてもらう。
全体としては、そういう話になっている。ザックリ言うと、お吉は強がっているが弱くて情けなく、哀れな女だ。しかし今まで五社英雄が多くの映画で描いて来たのは、ドロドロした情念を燃やし、女同士で争う話だ。
この作品でもお吉と小菊の間に「嫉妬の炎を燃やす」という図式はあるが、そこに激しい情念の高まりは無い。五社映画で良く見られる女闘美も無い。
さらに言うと、大勢の女たちが入れ乱れるようなことも無い。男女の関係は、ほぼ「お吉が与兵衛に惚れる」という関係だけに絞られている。
準主役であるはずの小菊ですら、綺麗な三角関係の一端を担っておらず、お吉の引き立て役に留まっている。途中までは出番も多く、扱いもそれなりに大きいが、それに見合う中身は無い。お吉は自分から誘惑して与兵衛に抱かれたくせに、向こうが夢中になって「一緒に逃げよう」と言い出すと激しく動揺する。
そして承諾したように見せ掛け、七左衛門に「与兵衛から手籠めにされそうになった。脅されて殺されそうになった」と嘘を吹き込む。
これは小菊と同じような行動であり、ここで「女は怖い」というテーマに繋げようとしているようだ。
ただ、お吉の場合は「女は怖い」じゃなく、ただ「アホなのか」と呆れるだけだわ。それまで与兵衛を見てきたら、向こうが女に簡単に入れ上げることぐらい簡単に分かるだろ。なのに誘惑しておいて向こうが入れ上げたらアタフタするって、どういうつもりだよ。一度のセックスで向こうが満足して、その後は冷たくしてくれるとでも思ったのかよ。
大幅な改変によって、問答無用のクズ野郎だったはずの与兵衛は同情を誘う男になり、哀れな被害者だったお吉は卑怯なクズ女になっている。それによって、終盤の展開も陳腐で滑稽にしか思えなくなってしまうぞ。
ここまで大幅な改変をしてまで、『女殺油地獄』を映画化する意味があるのか。
物語だけじゃなくて本質的な部分から、全くの別物になってるでしょ。(観賞日:2023年12月19日)