『陰陽師II』:2003、日本

時は平安時代。京では日蝕の日以来、夜な夜な鬼が出没して貴族の体の一部を食らう事件が頻発していた。斎部定行は足の肉を食われ、命を落とした。一方、藤原安麻呂の娘・日美子も日蝕の日以来、夢遊病のように彷徨い歩くようになっていた。
右近衛府中将・源博雅は安麻呂の依頼を受け、陰陽寮の陰陽師・安倍晴明の元を訪れた。鬼の事件に日美子が関わっているのではないかと恐れた安麻呂が、晴明に調査を依頼したからだ。しかし晴明が診たところ、彼女に呪の気配は無かった。
ある夜、博雅は琵琶で奏でられた旋律を聞き、心を奪われた。彼が音のする方向に行ってみると、1人の若者が琵琶を奏でていた。博雅は即興で笛を合わせ、その若者・須佐と親しくなった。須佐によれば、その旋律は生まれ育った村に伝わるものらしい。
晴明は帝からの依頼で、日蝕から夜毎に鳴り響くアメノムラクモの剣について調べることになった。晴明は剣が発する気の波動を受けるが、その正体は解明できない。晴明を快く思わない平為成や三善行憲は、庶民から神のように信奉されている術師・幻角の元を訪れた。彼らは幻角に、晴明より先に鬼を退治するよう告げた。
アメノウズメノミコを祀る神社の巫女・景子が、鬼に左目を食われて絶命した。逃走した鬼は、人気の無い場所で須佐の姿になり、気を失った。事件の調査に当たった晴明は、宮中に現れた幻角に対し、「あれは真の鬼ではない」と告げた。
須佐が目を覚ますと、そこに日美子がいた。彼女は門の外に倒れていた須佐を見つけ、介抱したのだ。安麻呂邸を訪れた博雅は、須佐との合奏を日美子に聞かせる。その旋律に、日美子は「何故か懐かしい」と言って涙を流した。しかし須佐は急に右肩に痛みを覚え、その場から走り去った。直後、日美子も右肩に痛みを覚えた。
安麻呂は晴明に、18年前の出来事を語った。安麻呂らは出雲の村の謀反を恐れ、人々を皆殺しにしていた。その時、安麻呂は幼い日美子と出会い、自分の娘として育てたのだという。そして、その18年前にも、アメノムラクモの剣は鳴り響いた。
やがて晴明は、何者かが天岩戸神話に関わった8人の子孫を襲っていることに気付く。晴明は八卦を使い、鬼を呼び出そうとする。一方、須佐は父の幻角に操られ、抗いながらも鬼に姿を変える。晴明は鬼の正体を知った日美子を連れて、出雲に向かった。晴明は幻角の妻・月黄泉の魂を呼び出し、日美子と須佐が姉弟だと知る…。

監督は滝田洋二郎、原作は夢枕獏、脚本は江良至&夢枕獏&滝田洋二郎、企画は近藤晋、製作は瀬崎巖&近藤邦勝&気賀純夫&江川信也&島谷能成&門川博美、プロデューサーは林哲次&濱名一哉&遠谷信幸、共同プロデューサーは平野隆&田中渉、アソシエイト・プロデューサーは赤井淳司&井口真一、協力プロデューサーは渡井敏久、製作総指揮は植村伴次郎、撮影は浜田毅、編集は冨田伸子、録音は小野寺修、照明は長田達也、美術は部谷京子、キービジュアル・コンセプトデザイン&衣裳デザインは天野喜孝、VFXエグゼクティブは二宮清隆、メイクアップ・イフェクツ・スーパーバイザーは原口智生、アクションコーディネーターは諸鍛冶裕太&石垣広文、VFXスーパーバイザーは石井教雄、特撮監督は尾上克郎、CGIディレクターは長尾健治、CGIプロデューサーは桑田秀行、音楽は梅林茂。
ナレーションは津嘉山正種、
出演は野村萬斎、中井貴一、伊藤英明、深田恭子、古手川祐子、今井絵理子、伊武雅刀、市原隼人、鈴木ヒロミツ、山田辰夫、螢雪次郎、五代高之、城戸裕次、斎藤歩、八巻健弐、大富士、広岡由里子、笹田かりん、横山一敏、小池章之、小柳友貴美、竹嶋康成、佐藤響、宇和川士朗、樋口浩二、宝井誠明、小磯勝弥、林田河童、川井つと、福島翔太、砂川政人、福地亜沙美、西川暎彩ら。


夢枕獏の原作を映画化した『陰陽師』の続編。
安倍晴明の野村萬斎、博雅の伊藤英明、蜜虫の今井絵理子は前作から引き続いての出演。他に、幻角を中井貴一、日美子を深田恭子、月黄泉を古手川祐子、安麻呂を伊武雅刀、須佐を市原隼人が演じている。
くだらないことかもしれないが、どうして『陰陽師』の続編に『陰陽師II』とアラビア数字を付けてしまっんだろう。そこは例えば『続・陰陽師』とか、あるいは『陰陽師・第二巻』とか、どんなタイトルであれ、とにかく和風にしてほしかったなあ、個人的には。

前作の雑感でも書いたが、野村萬斎だけは素晴らしい。そして彼が圧倒的であるがゆえに、伊藤英明や今井絵理子の拙い芝居は「学芸会ですか?」という印象が強くなる。今回は、さらに深田恭子と市原隼人が学芸会グループに加わっている。
続編映画というのは、前作を踏襲しつつも、同時に違いも見せていく必要がある。この映画も、ある部分では前作を踏襲し、ある部分では違いを見せている。重要なのは、どういう部分を踏襲し、どういう部分に変更を加えるかということだ。

まず、幻角のキャラクターは、前作の悪役・道尊を完全に踏襲している。見た目も、術師という設定も、前作の道尊と似た感じである。ただし、道尊とは違って、幻角には悪役としての凄味が足りないという違いがある。最終的には改心してしまうぐらいだ。
前作では蜜虫の今井絵理子というミスキャストを用意していたが、今回は“鬼も恐るる男姫(おのこひめ)”に深田恭子というミスキャストを用意し、これまた前作のパターンを踏襲している。ちなみに深田恭子は劇中、上半身裸になって背中を向けるシーンがあり、これは宣伝でも大きく扱われていたが、完全にボディー・ダブルだ。

CGIがチープなのは、前作を踏襲している。スケールが大きな内容のはずなのに小ぢんまりした印象になるのも、前作と同じ。前作のクライマックスはバトルが盛り上がらず地味に終わったが、今回も全く盛り上がらないままで終わっている。
前作との大きな違いは、出雲神話を取り入れたということだ。無理のありすぎる説を用意して、晴明に「色々と解釈はあるのだ」というカッコ悪い台詞を語らせてまで、あえて神話を題材にしている。そこまで無理をする必要性は感じないが、まあ、そういうことだ。

無理に神話を持ち込むぐらいだから、きっとラストはヤマタノオロチと派手なバトルがあるんだろうと思っていたら、クライマックスは女装した晴明の舞いだ。CGではなく着ぐるみのスサノオが終盤に登場するが、マトモに戦うシーンは見られない。
なんでも、原作者が「たっぷりと野村萬斎の舞う姿が見たい」と希望したらしい。で、よりによってクライマックスに持ってきたわけだ。戦う代わりに舞い踊り、何となく問題は解決してしまう。そのアンチクライマックスっぷりは、前作以上である。

 

*ポンコツ映画愛護協会