『沖田総司』:1974、日本
沖田総司は土方歳三が天然理心流を憎む連中に川で襲われる様子を目撃し、加勢して一緒に戦った。一味を退散させた土方は、出稽古の度に喧嘩になることへの苛立ちを漏らした。彼はケリを付けると宣言し、一味が待ち伏せしている計画を沖田に教えた。夜、彼らは橋で待ち伏せている一味を、隠れて観察した。土方が飛び出して一味を急襲し、沖田も後に続いた。初めて人を斬った彼は、蛍を見つけて大事に拾い上げた。彼は背後から斬り掛かろうとする敵に気付いており、振り向くこともなく始末した。
試衛館の門弟である井上源三郎、藤堂平助、原田左之助、永倉新八たちは他流試合も満足に出来ず、貧乏生活に苦しんでいた。沖田には仕官の口が来ていたが、彼は「試衛館が好きだから」という理由で断っていた。沖田が近藤勇の赤子をあやしていると、山南敬助が慌てた様子で駆け込んで来た。彼は浪士隊募集の檄文を手に入れており、近藤たちに見せた。他の道場には檄文が配られたが、貧乏道場の試衛館には届いていなかった。
その檄文には、攘夷の朝命を受けた将軍が京へ上ること、警護を担当する浪士隊を募集していること、功労によっては旗本になれることが記されていた。試衛館の面々は貧乏生活から抜け出すため、浪士隊に志願した。京へ向かう途中、清河八郎に同行する村上俊五郎は試衛館を嘲笑した。すると土方は、村上に侮辱の言葉を返して挑発した。村上が激高すると、彼は「試合を申し込むなら相手になる」と告げた。村上が刀を抜いたので土方は戦おうとするが、雨が降り出したので屋根がある場所に避難した。
村上は縁側に兜を置いて刀で割ろうとするが、弾き返されて転倒したので見ていた試衛館の面々は大笑いした。続いて芹沢鴨が挑むと、兜は真っ二つに割れた。土方は沖田に、「ひょっとすると、刀一本にてめえの生き甲斐を託せる来たんじゃねえのか」と口にした。ある宿場で近藤は失態を犯して芹沢の怒りを買い、土下座で詫びを入れた。沖田は土方と共に京の町を歩き回り、石段でおちさという女が落とした草履を拾ってやった。
土方と別れて散策を続けた沖田は、草地で茶を楽しんでいる公卿と遭遇した。彼は公卿から遊んでいくよう誘われ、茶を御馳走になった。公卿は「清河が浪士隊を率いて京へ来た名目は将軍警護だが、本当の目的は幕府を出し抜いて朝廷と結び、攘夷の旗を掲げることだった」「幕府は浪士隊を呼び戻して清河を暗殺した」「京に残った新選組は町の鼻つまみ者で、大将の芹沢は悪行三昧」などと語った。彼は沖田が新選組と知り、慌てて逃げ出した。沖田は公卿が雇った刺客に襲われるが、全員を片付けた。
会津屋敷での話し合いから戻った近藤は沖田と土方を河原へ連れ出し、「芹沢の行動が目に余る」と苦言を呈されたことを話した。土方は芹沢を斬ろうと言い出し、天然理心流だけでの実行を決めた。沖田は自分たち三人に加えて、原田にも手伝ってもらおうと提案した。彼は河原で友禅を干すおちさと遭遇し、会釈を交わした。土方と近藤は、おちさが沖田の姉に似ていると感じた。沖田たちは愛妾と一緒にいた芹沢を暗殺し、長州の仕業に見せ掛けた。翌日、沖田は河原へ出向いておちさと会い、笑顔で会話を交わした。
沖田は髪結いの床伝を訪ね、休ませてもらって咳き込んだ。沖田は「夏風邪が抜け切れねえ」と言い、土方と近藤には内緒にするよう指示した。床伝は彼に、四条寺町の枡屋の名前が長州屋敷で良く出ていること、枡屋の主人は何年か前に養子に入ったが商売には力を入れずに遊び呆けていることを知らせた。新選組は枡屋の主人を捕縛し、土方は情報を吐かせるために厳しい折檻を繰り返した。山南たちは土方を非難し、その場を離れた。沖田だけが留まると、土方は拷問を執拗に続けた。
土方は枡屋の主人を自白に追い込み、「京の町に灯を放って天皇を長州へ連行する」という計画を聞き出した。新選組は池田屋を襲撃し、集まっていた攘夷派の浪士たちを次々に斬った。沖田も戦うが、途中で吐血した。彼は医者の元へ行き、「わしの言うことを守っとらん。今のままでは、あと二年は持たん。養生する気が無いなら、もううちへ来る必要は無い」と厳しい言葉を告げられた。医者の元を去ろうと沖田が障子を開けると、おちさが全てを聞いていた。
新選組の隊士たちに稽古を付けた沖田は、外へ出て血を吐いた。そこへ恋人の明星を伴った山南が来たので、彼は慌てて誤魔化した。沖田は江戸から伊東甲子太郎が来て、山南に笑顔が戻ったと指摘した。すると明星は、自分も気を揉んでいたと打ち明けた。山南は伊東が来て新選組に新しい風が入ったと喜んでおり、「これで新選組も変わる」と沖田に告げる。しかし土方は近藤が伊東に傾倒していることを快く思わず、「伊東は新選組を乗っ取ろうとしている」と沖田に語った。
沖田は土方から、山南が新選組を脱走して江戸へ向かったことを知らされた。山南を追った沖田は体調が悪化し、馬から落ちて気絶した。通り掛かった山南は、沖田を旅籠に運んで介抱した。意識を取り戻した沖田が江戸で何をしたいのかと尋ねると、山南は「特にしたいことは無いが、新選組と縁を切りたかった」と答えた。伊東が来て喜んでいたことを沖田が語ると、彼は「尊王攘夷の理想が果たせると思ったが、伊東が持ち込んだのは政治と駆け引きだった。俺の居場所は、新選組には無い」と漏らした。
山南は沖田の回復を待って新選組へ戻り、切腹を命じられた。介錯を担当した沖田は、土方に「伊東を始め、新選組を腐らせるような奴らを片っ端から叩き潰す」と協力を求められて快諾した。おちさは渡し舟に乗っている時、新選組の規律が厳しくなって些細なことで切腹を命じられる隊士が増えていること、伊東が家来十五人を連れて東大寺に入ったことを知った。沖田は渡し舟を岸で待ち伏せており、逃亡を図った隊士を斬った。おちさは沖田を亡き母の実家へ連れて行き、一緒に町を歩き回って楽しく過ごした。彼が屯所へ戻ると、近藤が公家のような白塗りで写真を撮っていた。沖田は「土方から遊び歩いている」と批判され、「浮かれちゃいません。ただ生きてるってことは、いいなあと思ってるだけですよ」と述べた…。監督は出目昌伸、脚本は大野靖子、製作は田中収&馬場和夫、企画は井上英之、撮影は原一民、美術は阿久根巌、録音は矢野口文雄、照明は石井長四郎、殺陣は宇仁貫三、編集は黒岩義民、音楽は真鍋理一郎。
出演は草刈正雄、真野響子、池波志乃、高橋幸治、米倉斉加年、神山繁、殿山泰司、小松方正、荒木一郎、河原崎次郎、西田敏行、大木正司、辻萬長、朝比奈尚行、伊藤敏孝、二見忠男、大滝秀治、遠藤征慈、市村昌治、影山丈二、澁谷健三、内田勝正、右京ちあき、黒田郷子、吉川雅恵、早崎文司、北見唯一、須永克彦、頭師孝雄、鈴木治夫、池田生二、森大河、堀江信介、広瀬正一ら。
新選組の一番隊組長を務めた沖田総司の短い半生を描いた作品。
監督は『その人は炎のように』『神田川』の出目昌伸。
脚本は『華麗なる闘い』『影の爪』の大野靖子。
沖田を草刈正雄、おちさを真野響子、明星を池波志乃、土方を高橋幸治、近藤を米倉斉加年、清河を神山繁、床伝を殿山泰司、芹沢を小松方正、村上を荒木一郎、山南を河原崎次郎、永倉を西田敏行、原田を大木正司、藤堂を辻萬長、井上を朝比奈尚行、公卿を二見忠男、医者を大滝秀治が演じている。沖田たちが試衛館で飯を食っているシーンでは、井上、藤堂、原田、永倉の名前が表示される。山南が駆け込むと、その名前も表示される 。
しかし、冒頭で登場した土方も、赤ん坊を背負って道場に来る近藤も、名前は表記されない。どちらも台詞で名前を言っているから、文字化する必要は無いってことなんだろう。
同様に、京へ向かうシーンで清河と村上の名前は表示されるが、兜を割るシーンで登場する芹沢は表示されない。こちらも、「芹沢の名前は台詞で語っているから」ってことなんだろう。
でも基準は分かるけど、それで納得できるわけではないぞ。名前を表示するのなら、主要キャストは全て出すように統一した方がいいよ。
逆に、全くスーパーインボーズ無しで処理しても、それはそれで別に構わないし。雨宿りのシーンからカットが切り替わると、どこかの宿場町で芹沢が激怒して近藤が土下座している。芹沢が家来に命じて大きな焚火をしているが、どういう状況なのかサッパリ分からない。
「芹沢さんの部屋割りを忘れた近藤さんに非がある」という台詞はあるけど、これでは説明として全く足りていない。
新選組や幕末の歴史に詳しい人なら、それが「先番宿割りの役目を引き受けた近藤が芹沢の部屋を取り忘れ、芹沢が外で寝ようと言い出し、寒いからという理由で焚火を始めた」という状況なのは分かるだろう。
だけど、それを脳内補完して鑑賞できる人がどれぐらいいるのかと考えた時、それは観客に委ねる仕事量が多くないか。しかも、わざわざ分かりにくい形で中途半端なエピソードを挟んでいるので後の展開に繋がるのかというと、それは全く無いんだよね。
「芹沢が悪行を繰り返すので沖田たちが暗殺する」という手順はあるけど、焚火のシーンとの結び付きは全く感じないし。
むしろ京に到着した後で、芹沢の非道で乱暴な振る舞いを描いた方がいいでしょ。
そっちを何も描かず、近藤の土下座シーンだけ描くって、どういう取捨選択のセンスなのかと。そこを丸ごとカットしても、何の支障も無いぞ。むしろ、芹沢の京での悪行三昧もそうだけど、他の部分での省略が過ぎるんだよね。
新選組にまつわる一部始終を描けとは言わないけど、カットしちゃマズいような重要なポイントを、ことごとく排除しているんだよね。
例えば沖田が公卿と話すシーンでは、「清河の目的は幕府を出し抜いて朝廷と結び、攘夷の旗を掲げることだった」「幕府は浪士隊を呼び戻して清河を暗殺した」「京に残った新選組は鼻つまみ者で芹沢は悪行三昧」などと語られる。
だけど、それを後から台詞だけで説明するって、なんちゅう雑な片付け方だよ。清河の離反も、新選組の結成も、芹沢の振る舞いで悪評が高まる経緯も全てを省略するってのは、ショートカットが酷すぎるだろ。
その辺りを全てカットするぐらいなら、むしろ沖田たちが京に来るまでの経緯を省略した方がいいでしょ。どうせ清河や村上なんて、何の意味も無い存在に終わっているんだから。沖田が故郷にいる頃の描写にしても、後の展開に上手く繋がっている部分なんて皆無に等しいんだし。
あと沖田が公卿と話すシーンも、ただ状況説明のためだけのパートになっているので不細工だよなあ。
刺客との戦いで沖田の強さを示す狙いがあるのかと思ったけど、そのアクションシーンに見せ場のような力は無いし。沖田、土方、近藤が河原で芹沢の暗殺について話すシーンがある。この時、沖田は寝転がって「懐かしいな。多摩の河原で喧嘩の相談をしているようだ」と呟く。
でも、そんなシーンは無かった。土方と河原で話すシーンはあったが、近藤は同席していなかったし。
そもそも、これって本来なら「沖田の土方&近藤との絆」を大事に物語を動かしていくべきだろうに、そこが薄いんだよね。
まだ土方との関係には多くの時間を割いているけど、近藤との関係性は薄っぺらい。沖田が床伝から枡屋の情報を知らされ、ここからカットが切り替わると土方が拷問している様子が映し出される。
前述した焚火のシーンと同じく、新選組や幕末の歴史に詳しい人なら、それが「古高俊太郎を捕まえて拷問し、情報を吐かせて池田屋事件に繋がる」ってことは知っているだろう。
でも、この映画を見ただけでは、あまりにも情報不足だ。沖田たちが乗り込んだ店が池田屋であることも分からない。
ちなみに、ここでは山崎丞が大きな役割を担ったはずだけど、床伝の台詞で出て来るだけに留まっている。池田屋のシーンでは沖田の戦いをメインに描いているが、薄暗いので良く見えない。
沖田って新選組では上位に属する剣術の達人だったはずなんだけど、そういう凄みや強さは、この映画からは感じ取れなかった。
で、池田屋では沖田が吐血して休憩に入ると、「近藤さん、やってるな」などとモノローグを呟く。
でも、それなら他のシーンでもモノローグを入れた方がいい。
このシーンしかモノローグを使っていないので、浮いてしまっている。沖田が医者から説教されるシーンでは「わしの言うことを全然聞いとらん」と言われているが、ってことは何度も通っていたわけだ。でも、そこが医者の初登場シーン。
で、沖田が出て行こうとすると、おちさが縁側にいる。そこは彼女の家なのか。それを知った上で、沖田は医者の元へ通っていたのか。それとも、おちさは偶然にも医者を訪ねていただけなのか。その辺りはサッパリ分からない。
細かいことかもしれないけど、そういうのも雑な描写だと感じる。
そもそも、沖田が床伝の家で急に元気が無くなっている辺りから、病状が悪化していく経緯の描写も雑だ。
ただ、それ以上に、おちさとの関係描写が雑だ。その後、稽古を付けた沖田が山南と話すシーンで明星が初登場するが、なので「山南の恋人」ってことは見てりゃ分かるけど、詳細は不明。
ここでは沖田が「この頃、山南が隊で一人ぼっちにしてた」と言うけど、そんな描写は全く無かった。
さらに沖田は「江戸から伊東さんが来て、山南さんに笑顔が戻った」と話すが、いつの間にか伊東甲子太郎が来ているわけだ。
その後に画面上で伊東が初登場して名前が表示されるが、この辺りの処理も下手だと感じる。その後、脱走を図った山南が新選組に戻って切腹する展開がある。
ただ、この映画の内容だと、わざわざ山南が新選組に戻って腹を斬る意味を感じないんだよね。気絶した沖田を旅籠に運んで介抱した後、さっさと江戸へ逃げれば良かったんじゃないかと思ってしまう。
山南の介錯を務めたことで沖田の腹が決まるという流れはあるけど、それによって「沖田の行動が残虐にエスカレートしていく」という部分に説得力が生まれているとは微塵も感じないし。
山南の切腹を描いた効果が、この映画からは何も感じられない。
重要なターニングポイントのはずだけど、そもそも沖田と山南の関係性が弱いし、山南個人の掘り下げも弱いし。沖田が逃亡を図った隊士を斬っておちさと再会した後、場所が砂地に切り替わる。そして歩いていた沖田が狐面の子供たちに取り囲まれ、先へ進むと首吊り死体を発見する。
縄を斬ると、その死体が白塗りの沖田に変貌して動き出す。沖田は白塗りの自分に追われ、慌てて逃げ出す。
シュールで幻想的な映像が飛び込んでくるのだが、それは全て、おちさの母の家で転寝していた沖田が見た夢の内容だ。
でも、ただ唐突なだけで完全に外している。
そういうのをやりたかったら、幾つか同じようなシュールな夢を挟んだ方がいいよ。青春ドラマにアメリカン・ニューシネマのエッセンスを混ぜながら、今までとは違う沖田総司像を描こうとする狙いがあったのではないかと推測される。
ネタバレになるが、終盤には「おちさを攘夷派浪士の連中に殺された沖田が復讐を遂げるが力尽きて倒れる」というシーンがあって、ここの沖田が倒れる様子なんかはニューシネマっぽさが強い。
ただ、そこで沖田が死ぬと歴史が改変されちゃうので病死まで引っ張らざるを得ないし、あまり上手く行っているとは思えない。
あと、そもそも沖田が何を考えているか良く分からないし。
で、そこの徹底ができなかったせいなのか、「土方が主役の方が良かったんじゃないの」と感じさせる結果になっている。(観賞日:2024年2月21日)