『オケ老人!』:2016、日本

小山千鶴は梅が岡音楽堂で開かれたクラシックのコンサートを聴いて感動し、マンションへ戻った。学生時代にオーケストラで演奏していた彼女はヴァイオリンを取り出し、軽く弾いてみた。就職してから音楽とは距離を置いていたが、また彼女の中で意欲が復活した。千鶴はパソコンで梅が岡交響楽団のホームページを見つけ、団員募集の文字に気付いた。彼女が電話を掛けて入団希望を伝えると、応対した野々村秀太郎は戸惑いを示しつつも「こちらからもお願いします」と告げた。
次の日、千鶴は指定された中央公民館へ赴くが、利用時間に現れたのは老人ばかりだった。困惑する千鶴は野々村に声を掛けられ、指揮者をやっていると告げられる。コンサートで演奏していた団員が見当たらないので千鶴が質問すると、野々村は「梅フィルの定演があったそうですな」と口にした。千鶴が見たのは梅が岡フィルハーモニーで、ようやく彼女は勘違いに気付いた。野々村は梅フィルを嫌っているようで、露骨に不快感を示した。しかし彼は、千鶴が間違えて入団を希望したとは気付いていなかった。
梅響のメンバーは野々村の他、クラリネットのクラさん、チェロのトミーとオーボエのマーサ夫妻、ティンパニの棟梁、フルートの真弓センセイ、ヴァイオリンのしま子、トランペットのラバウルさんといった顔触れだ。千鶴は真実を言い出せないまま、仕方なく梅響の練習に参加する。エルガーの『威風堂々』から練習が始まり、千鶴は梅響のレベルが意外に高いかも知れないと期待する。しかし老人たちは誰も指揮者を見ようとせず、演奏の質も酷かった。
それでも野々村たちは大喜びし、「ここまで来られたのは初めてだ」と笑顔を見せた。すっかり満足した様子の老人たちを見て、あまりの意識の低さに千鶴は呆れ果てた。しかし歓迎会が予定されていると聞いた千鶴は断り切れず、参加する羽目になった。寿司屋で歓迎会が始まり、正直な感想を問われた千鶴は「改善の余地はありますね」といった無難なコメントで済ませる。基礎の必要性を説いた彼女は質問を受け、そのためには練習あるのみだと述べた。結局、最後まで千鶴は本音を言えず、次の練習も参加する流れになった。
翌日、千鶴は赴任した梅が岡高校へ出勤し、同僚の坂下くんに挨拶する。千鶴は彼に好意を寄せているが、積極的になれないままだ。彼女は数学を担当しており、生徒たちに教える。和音という女子生徒が授業を終えた千鶴に声を掛け、野々村の孫だと話す。次の練習にも千鶴は参加するが、そこで声を掛けられた老人が数日後に死去した。第一ヴァイオリンを任された千鶴は辞めようと考えるが、コンマスに指名されてしまう。やりたい気持ちは全く無かったが、千鶴は「精一杯頑張りたいと思います」と口にした。
梅響では練習が終わる度、運営会議という名目で必ず飲み会がセッティングされていた。野々村は千鶴に、4年前にコンマスの大沢義郎が裏切ったこと、オケのメンバーを引き連れて梅フィルを結成したことを語る。彼は大沢を恨んでおり、強い怒りを示した。しかし野々村が大沢を恨む理由は、他にもあった。彼は「野々村ラヂオ商会」という小さな電器店を営んでいるのだが、その近くに大沢は家電量販店の「オーサワデンキ」を出店し、客を奪っていたのだ。
千鶴は梅フィルに入団するため、梅響に退団届を出した。それを知った和音から千鶴は非難され、野々村が話をするために時間を貰いたいと言っていると告げられる。仕方なく了承した千鶴だが、それは野々村たちが仕掛けた罠だった。彼らは千鶴をラブホテルへ誘い込み、クラさんと一緒にいる姿を撮影して脅そうと企んだのだ。しかしデジカメで撮影していた野々村が心臓発作で倒れ、病院に運ばれる。検査入院した野々村の話に同情してしまった千鶴は、復帰するまで梅響の練習を見ると申し出てしまった。
千鶴は梅響の練習を始めるが、やはり老人たちの演奏は酷い状態だった。野々村が全く悪びれずに再度の脅迫作戦を目論んでいたことを聞いた彼女は腹を立て、今度こそ退団してやろうと決意する。そんな中、彼女は和音が大沢の息子であるコーイチと交際しているのを知る。コーイチは千鶴と和音の会話を聞き、初めて父と野々村の確執を知った。コーイチは千鶴に、梅フィルの12月定期演奏会で世界的指揮者のフィリップ・ロンバールが振ることを語った。和音とコーイチはロンバールを知らなかったが、千鶴は興奮を隠せなかった。
千鶴は梅フィルがヴァイオリン団員を募集していると知り、オーディションに向けて練習を開始した。彼女は防音室まで購入して猛練習を重ね、オーディションに合格した。彼女は和音から、大沢はラヂオ商会の土地を買いたがっていること、両親は儲からないから売却を希望していること、それに野々村は憤慨していることを聞かされた。梅フィルでの練習が始まり、千鶴は必死で付いていく。それと並行して、千鶴は梅響の指揮も続けた。老人たちは全く言うことを聞かず、用事を理由に途中退出することもあった。
ロンバールが梅フィルの練習に来ると聞いた千鶴は喜ぶが、梅響の練習日と重なっていた。梅響には掛け持ちを内緒にしているため、千鶴は対処に困った。すると和音は、ピアノが弾けるコーイチを紹介した。コーイチに指揮の経験は無かったが、千鶴は「適当に振っていれば大丈夫」と軽く告げる。彼女は妹の結婚式だと梅響に嘘をつき、コーイチに代役を頼んだ。梅フィルの練習後に大沢と話した千鶴は、全員が奏会に出られるわけではないことを知った。
焦った千鶴は家での練習量を増やして頑張るが、そのせいで寝坊して視察日の練習に遅刻してしまう。慌てて会場へ向かった千鶴だが、楽団マネージャーから帰るよう指示された。集まったマスコミに突き飛ばされた千鶴は転倒し、通訳のアリノを伴ったロンバールが近くを通り過ぎた。後日、落胆した気持ちのまま梅響の練習に参加した彼女は、団員がちゃんと指揮者を見ていると気付く。彼女はコーイチが何をしたのか尋ね、指揮の前に全ての楽器を演奏してくれたのだと聞かされた。
千鶴は無理がたたって高熱を出し、練習の途中で倒れてしまう。千鶴が自宅で静養していると、和音が坂下を連れて見舞いにやって来た。坂下は家事が大好きで、千鶴に料理を作って手作りのプリンも用意した。和音は千鶴の気持ちを知っており、2人の様子を見てからかった。少し体調が回復した千鶴は野々村の店へ行き、梅響を退団して梅フィルも辞めることを告げる。もう音楽は諦めると千鶴が言うと、彼は「先生は出来るのにやらんと言う。今やらんかったら、後でしもうたと思いますぞ」と説いた。
そこへロンバールがアリノを伴って来店し、故障したラジカセの修理を依頼した。すぐに野々村はコンデンサーだと見抜き、部品を交換して動くようにした。ロンバールは大喜びし、父親が初めて買ってくれた大切なラジカセなのだとアリノを通じて説明した。その前に彼は大沢の店を訪れ、「こんな古い機械を直す必要は無い」と言われて最新のプレーヤーを差し出されていた。千鶴が誰か指揮者を紹介してもらえないかと告げると、ロンバールは自分が振ろうと申し出た。千鶴は興奮するが、野々村は断った。
野々村は千鶴が梅響の指揮者だと告げ、退団は認めないと言い出した。千鶴は激しく抗議するが、ロンバールは梅響で指揮するよう促す。それどころか彼は、梅フィルの指揮を降りるとまで宣言した。動揺する千鶴に、彼は「私は広告塔ではない。ただ音楽がやりたいだけなんです」と告げた。千鶴は梅フィルを退団し、梅響の指揮に専念することを決めた。コーイチにも協力してもらって練習を重ねた結果、ついに楽譜の最後まで到達することが出来た。トミーがポスターを製作して新団員を募集し、コーイチは梅響に入団する。1年が経過し、団員も大幅に増えた梅響はコンサートを開くことになった…。

脚本・監督は細川徹、原作は荒木源『オケ老人!』(小学館文庫刊)、製作は小西啓介&竹内力&浅井賢二&市村友一&前田浩子&久保雅一&樋上幸久&牧和男&樋泉実&笹栗哲朗&宮前泰志、エグゼクティブプロデューサーは小西啓介&佐藤正樹、企画・プロデュースは前田浩子、プロデューサーは永井拓郎、ラインプロデューサーは森太郎、撮影は芦澤明子、照明は永田英則、録音は岡本立洋、美術は新田隆之、編集は木村悦子、音楽プロデューサーは緑川徹、音楽は渡邊崇。
出演は杏、黒島結菜、坂口健太郎、笹野高史、光石研、左とん平、小松政夫、藤田弓子、石倉三郎、茅島成美、喜多道枝、森下能幸、フィリップ・エマール、萩原利久、松田真知子、若尾義昭、市原清彦、飛永翼(ラバーガール)、宍戸美和公、小村裕次郎、松嶋亮太、寺十吾、木内友三、古川慎、野村信次、美谷和枝、中澤敦子、岸本光正、泉美樹里、水間ロン、謝花弘規、城明男、大水洋介(ラバーガール)、池田たかひろ、中村祐志、藤沢有希恵、有永えり、木部耕輔ら。


荒木源の同名小説を基にした作品。
脚本&監督は『ぱいかじ南海作戦』の細川徹。
千鶴を杏、和音を黒島結菜、坂下くんを坂口健太郎、野々村を笹野高史、大沢を光石研、クラさんを左とん平、トミーを小松政夫、マーサを藤田弓子、棟梁を石倉三郎、真弓センセイを茅島成美、しま子を喜多道枝、ラバウルさんを森下能幸が演じている。
杏は2015年のアニメ映画『百日紅〜Miss HOKUSAI〜』で主人公の声を務めているが、実写映画の主演は今回が初めてだ。

前半の内に、大沢が多くの団員を引き連れて梅響を退団し、梅フィルを結成したことが回想シーンを使いつつ説明される。
その回想シーンでは、練習の最中に大沢が立ち上がり、団員を引き連れて部屋から出て行く様子が描かれる。
「裏切り」を分かりやすく表現するための演出なのは分かるが、実際には考え難い行動だし、そこはフィクションであっても嘘の付き方が下手だ。
それと、残った梅響の演奏を聴く限り明らかに下手だし、それどころか全く演奏していない奴までいる始末だ。

世界的指揮者を呼べるぐらい実力のある面々が揃う梅フィルのメンバーからすれば、そりゃあ「遊び感覚で適当にやっているオケ」から抜けようとするのは当然だろう。
それを野々村は裏切り行為だと怒っているけど、全く同情できない。
やり方に問題があったことは事実だが、離脱して別のオケを結成した大沢の行動に関しては、何ら批判されるようなことは無いと思うぞ。
むしろ、大沢たちみたいなメンツが残っていたとしたら、間違いなく亀裂が生じていたはずだし、たぶん野々村たちは追い出される羽目になっただろうし。

千鶴が高校教師をしているという設定は、大きな問題を含んでいる。
そもそも「高校教師をやりながら2つのオケの掛け持ちなんて、絶対に無理だろ」とは思うが、それはひとまず置いておくとしよう。問題は、2つのオケを掛け持ちをすることによって明らかに仕事への影響が出るってことだ。
劇中では、「授業中に悪夢を見て慌てて起きる」というシーン程度に留めているが、どう考えても大きな支障が出る。梅フィルのための猛練習が重なれば、疲れが出て教師の仕事が疎かになることは確実だ。
これが学生なら、勉強に影響が出ても自分だけの責任だから構わない。しかし教師は教え子がいるので、そこに迷惑が掛かることになるわけで。
それはマズいでしょ。そのことに対して罪悪感を抱いたり反省したりする展開が用意されていれば構わないが、まるで気にしちゃいないし。

世界的な指揮者であるロンバールが梅響で振ると言い出すのは、「いや無理だから」とツッコミを入れたくなる展開である。前述したように「まるで漫画のような展開」として、そういう無茶を甘受できるケースもゼロとは言い切れない。
しかし、そこまで無茶な手を使うなら、それに見合った何かしらの作業が必要になる。この映画には、そこを受け入れさせるための工夫が何も無い。強引に突破するための勢いやパワーも無い。
「大切なラジカセを修理してもらったから」というだけでは、説得力が全く足りていない。
あと、ロンバールに関して言えば、「フランス語しか話せない」ってのは不自然だぞ。世界的な指揮者なら、英語ぐらい話せるはずだろ。

そんなロンバールは、なぜか梅響に入れ込んで、わざわざツアー先から練習を見るためだけに来日する。それどころか、クラさんが大根でクラリネットを作ると感動し、それをフィーチャーした曲まで作る。
まず、その展開自体が唐突で唖然とさせられる。
また、「ロンバールは指揮者だけじゃなくて作曲家でもある」という設定が初めて登場するので、そこに不恰好なモノを感じる。そんなに簡単に曲が書けるとは思えないので、コンサートまでに完成して練習も積んでいるという設定には不自然さを感じる。
色々と厄介な点が多いのだが、そこで無理をしてまで「ロンバールの作った大根クラリネット用の曲」を用意した効果は全く感じない。

現実的には有り得ない出来事が描かれる作品に対して、「まるで漫画のような」と表現することがある。
なんでもかんでもリアリティーが必要不可欠というわけではないので、そういう映画があってもいい。エンターテインメント作品なら、荒唐無稽が面白さに繋がることは良くある。
この映画も、まるで漫画のような話と言えなくもない。
しかし本作品の場合、「もしも漫画だったら編集者がダメ出しをするだろう」という内容になっている。
つまり、失敗しているってことだ。

この映画を大雑把に言うと、「ダメな集団がメキメキと上達して一流のプロも認めるぐらい成長する」という話である。
それ自体は良くある話だし、それこそ漫画でも使われることがあるフォーマットだ。スポ根物なんかでは使いたくなるパターンだし、ベタっちゃあベタな話である。
しかしベタではあるが、多くの人々に刺さりやすいパターンだからこそ何度も使われているという見方も出来る。上手く作れば、傑作になる可能性も秘めている。
しかし本作品は、漫画のような内容を成立させるための条件が全く整っていない。

前述した「ダメな集団がメキメキと上達して〜」という話を成立させるための方法として、「初心者集団」にしておく方法が考えられる。
何も知らない素人であれば、少し教えただけでもスポンジのように吸収するし、何しろスタート位置が低いので上達も早い。
それと、こういうパターンを使う時は、若者にしておくのが基本だ。まだ経験の浅い若い人なら、多くの伸びしろが期待できるからだ。
また、扱う題材によって条件は異なるが、運動能力やスタミナなど肉体的な部分でも、若者の方が望ましい。

その点で、この映画は大きなハンデを背負っていると言える。何しろ、梅響のメンバーは老人ばかりだからだ。
しかも、もう何年も演奏しているので、経験もある。にも関わらず演奏が下手なのだから、そこから大きく成長するというのは考えにくい。
それでも「今までは全くやる気が無かった」という設定なら、モチベーションが上がるような状況を整えることによって、「今までとはガラリと変化する」という展開にすることも出来る。
しかし梅響のメンバーは、最初からやる気満々なのだ。

「ダメな集団がメキメキと上達して〜」という話を成立させるための方法としては、「一流の指導者が来て、驚きの練習によってメンバーを導いていく」という方法も考えられる。
しかし本作品の場合、千鶴は「過去にヴァイオリンをやっていた数学教師」であり、指揮者としては何の経験も無い。
「数学の知識を使って飛躍的に成長する意外な指導法を編み出す」という方法を使うことも出来るが、そういう道も辿らない。
「素人の指揮者」と「老人の楽団」による化学反応からは、「メキメキと上達して一流のプロも認めるぐらい成長する」という話が生まれる可能性が全く見えないのだ。

そもそも、この映画は基本的な作業さえ忘れている。
この手の話で必要不可欠なのは、「練習を積むことによって少しずつ成長する」という過程を描くことだ。それによって観客は「メンバーの演奏が着実に上手くなっている」と認識できるし、最終的に「プロもうなるほど成長した」というゴールに到達した時の説得力にも結び付くのだ。
しかし本作品の場合、後半に入って千鶴が指揮に専念すると決めた後、季節の変遷をサラッと触れる程度で、あっという間に驚異的な成長を遂げるのだ。
何がどうなって、そこまで飛躍的に進歩したのか全く分からない。
確実に言えることは、説得力はゼロってことだ。

千鶴とオケの関係を描くトコだけでも全く成功していないので、坂下との恋愛劇なんぞは邪魔でしかない。
女性が主人公だし、恋愛要素を持ち込みたいってのは分かる。それを全面的に否定する気はないが、結果として「ヒロインが勘違いばかりする恋愛劇」が本筋の方と全く連動していないため、要らない要素になっている。
どうしても恋愛劇を持ち込みたいのなら、もっと坂下とオケの距離を近くしておいた方が得策だったんじゃないか。
千鶴が梅響や梅フィルと向かい合う上で、坂下の存在って全くの無関係でしょ。

コーイチの存在も上手く使い切れているとは言い難い。
千鶴はコーイチが各種楽器を演奏したことを受け、梅響のメンバーが指揮者を見るようになったことを知る。これを受け、「そういう教え方なら良い音楽を教えられる」と感じる。
だが、それ以降のコーイチは、「千鶴に協力する」ってのがダイジェスト処理の中でサラッと描かれる程度で、後は「梅響の団員」として集団に紛れてしまう。千鶴が梅響を指導する上では、特に意味の無い存在になってしまう。
和音との恋愛劇はあるが、これは別に無くてもいいような要素だし。

和音とコーイチの恋愛劇は、野々村と大沢の対立を解消するための要素として使うことが出来る。しかし、そういう使い方はしておらず、大沢は最後まで悪役を貫き通す。
野々村や梅響に感情移入させるために、分かりやすい敵として大沢&梅フィルを配置するのは理解できる。ただ、それを最後まで引っ張る必要性を感じない。クライマックスとなるコンサートまでに、子供たちの恋愛を利用しつつ、和解に持ち込めばいい。
「コンサートで感動した大沢が野々村と和解する」という展開にしたかったのかもしれないが、そこまでの展開で憎まれ役を崩さなかったような奴が、たかがコンサートぐらいで一気に変化するとは思えないぞ。
そのコンサートには、「皆が感動して悪人までもが心を洗われる」という結末としての説得力も無いし。

(観賞日:2018年4月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会