『おかえり、はやぶさ』:2012、日本
ソ連のユーリ・ガガーリンが人類で初めて宇宙飛行をする6年前、1955年、糸川英夫によって日本の宇宙開発は始まった。アポロ11号が人類初の月面着陸を成功させた次の年、日本初の人工衛星“おおすみ”が打ち上げられた。それからも、アメリカやソ連の背中を追うばかりではなく、日本のロケットと衛星は独自の進化を遂げた。1985年、ハレー彗星に向けて打ち上げられた惑星探査機“さきがけ”と“すいせい”が、日本で初めて地球重力からの脱出に成功した。
しかし、それから約20年間、日本の宇宙への夢は相次ぐ事故と失敗によって踏みにじられ続けた。宇宙開発に掛ける予算と人数はアメリカの10分の1。国家からの支援は治癒動くやインドにも劣る中で、日本の星屑はそれでも挑戦を続けた。“はやぶさ”のプロジェクトが始まった2年後の1998年、満を持して一機の探査機“のぞみ”が、火星に向けて飛び立った。それから5年が経過した2003年12月9日。“のぞみ”プロジェクトチームの面々は、一様に暗い顔を浮かべていた。
2003年12月15日、“のぞみ”プロジェクトマネージャーの大橋伊佐夫とJAXA対外協力室長・増沢公孝は記者会見を開き、5年半に渡って運用を続けてきた“のぞみ”が燃料供給系のトラブル、電源の故障により、火星まで1000キロの地点で周回軌道を離脱したこと、これによってプロジェクトが終了したことを発表した。もっと早い時期にプロジェクトを断念すれば良かったのではないかと記者に問われた伊佐夫は、「諦め切れなかったというのが率直な気持ちです」と答えた。
伊佐夫は180億円を遥かに超えた予算を掛けての失敗について責任を問われ、「国民の皆様の期待に応えることが出来ず、申し訳なく存じております」と頭を下げた。この失敗を受け、“はやぶさ”プロジェクトマネージャーの江本智彦はチームの面々に「成功するしか無い。この国では成功しか評価されないんだ。今回は結果を出すんだ。これが我々のラストチャンスだ」と厳しい表情で告げた。2003年5月9日。小惑星探査機“はやぶさ”が打ち上げられ、運用が開始された。
2005年7月。淵野辺東小学校では子供たちがペットボトルロケットを飛ばし、続いて子供宇宙教室が開かれる。新人理学博士の野村奈緒子やJAXAの職員である岩松大吾が、“はやぶさ”について説明する。大吾の息子・風也はマイクを借り、自ら説明を始める。“はやぶさ”に積み込まれたイオン・エンジンの開発者は山田幸一で、助手の大橋健人たちが科学衛星組立室(クリーンルーム)で開発に取り組んだ。その燃料はキセノンガスだ。
2003年6月25日、エンジン4基の内の1基が故障したが、これは想定内だった。地球との交信は、臼田宇宙空間観測所のアンテナを経由2004年5月19日、“はやぶさ”は地球のコースを微調整しながら加速し、地球スイングバイを行った。風也が「現在、イトカワへついにあと少し。数か月には到着するという報告がありました」と語ると、一人の子供が「だから?はやぶさが宇宙に行って、地球の何かが分かるから、だから何なんですか」と冷たく言う。「関係ないし、興味ないし、それより国家予算を福祉や教育に回すべきだと思いますけど」と語る彼に、風也は「生意気な子供だなあ」と告げた。
2005年8月、“はやぶさ”のエラーカウンターが増加した。山田も江本も学会で不在だった。健人は「このままだとイオン・エンジン、自動停止しますよ。もう一回、リミット増やした方が」と意見を述べるが、反対される。あと1回でエンジン停止という状況になった時、健人は「エラーリミット変更で。責任は俺が持ちます」と告げた。勝手な指示だったが、結果的に彼の判断でエンジンは回復した。
奈緒子は健人のやり方に批判的な態度を示し、「構想20年、総予算127億円の小惑星探査機を、まるでオモチャみたいに。もっと敬意を払いなさいよ。想像してみなさいよ。この2年、はやぶさは誰もいない暗黒空間を必死で飛んでるの」と語った。健人は呆れて「実証できなきゃ意味ないの。イオン・エンジンでイトカワ行って帰ってこられりゃウチの研究室は将来安泰。分かった?」と言う。
健人は相模原総合病院で大吾と話し、「それじゃあ誰だって怒るよ。特に理学系はロマンチストが多いんだから」と言われる。病院には大吾の妻・多美が入院している。「“はやぶさ”には必ず帰って来てほしいなあ」と多美が漏らすと、風也は「“はやぶさ”の運命は、お母さんの運命だもんね」と口にした。2005年8月28日、“はやぶさ”は予定通りイオン・エンジンを停止し、以後は自立誘導航法でイトカワへ向かう。ここからはイトカワと同じ速度になるように微調整し、ランデブーに入る。
2005年9月12日。“はやぶさ”はベースキャンプとなるゲートポジションに到着し、初めてイトカワの姿を捉えた。同年11月20日、プロジェクトチームは“はやぶさ”をイトカワに降下させる。ターゲットマーカーの着地に成功し、続いてタッチダウンに挑むが、姿勢を崩して不時着してしまう。チームは“はやぶさ”をイトカワから浮上させる。5日後、障害物センサーの過剰反応がトラブルの原因と判明した。再チャレンジの方針を知った健人は、「サンプルは採れてるかもしれないんだろ。これ以上の危険を冒して、もし戻れなかったら意味無いだろ」と苛立った。
2005年11月26日未明、プロジェクトチームは2回目のタッチダウンに挑み、無事に成功させる。健人は江本から「伝えといてくれるかな、大橋先生に。たまにはJAXAに顔を見せて下さいって」と告げられる。健人は久々に実家へ戻り、父の伊佐夫と会う。伊佐夫は退官して以来、外部との接触を避けるようにして生活していた。健人が江本からのメッセージを伝えると、伊佐夫は何の感情も込めずに「俺が役に立てることなんて何も無いよ」と述べた。
タッチダウンから4時間後、“はやぶさ”に燃料漏れが発生し、機体の維持が難しくなる。11月29日には化学エンジンが全滅し、どんどん“はやぶさ”の姿勢が崩れる。このままでは“のぞみ”と同じ通信途絶になる。江本は山田に「生きてるのはイオン・エンジン。何とかしてくれ」と要求した。しかし山田は「駄目ですよ。トラブルが起きて状態が分からないのに、いきなりイオン・エンジンの軌道は無茶です」と反対する。健人は「生ガスを吹くって、ありますかね。中和器から」と意見を述べた。
12月4日、健人の意見を取り入れた作戦が実行され、“はやぶさ”の機体姿勢は戻った。健人は父を絡めて嫌味を言うスタッフにカッとなって掴み掛かり、大吾たちが制止に入った。健人は奈緒子の前で「いつまでも“のぞみ”のことを引きずって立ち止まったまま。あんな風にはなりたくない。俺はならない」と父のことを語る。12月7日、江本は記者会見を開いた。彼は記者たちに、イトカワ着陸時の詳細データを確認した結果、サンプル採取されていない可能性があることを明かした。
健人は風也から、「お母さん、具合が悪くなって。肝臓の手術、もう無理だって。だからドナーを捜さないと。“はやぶさ”、帰って来るよね?絶対、一緒に見る。“はやぶさ”帰って来るの、お母さんと。見られよね?」と告げられ、「大丈夫だって」と返す。12月9日、“はやぶさ”の姿勢が崩れ、チームは何とか立て直そうとする。江本が不在の中、健人はキセノンを吹くべきだと主張した。出張していた江本が戻り、アンテナの切り替えを指示した。しかし“はやぶさ”のバランスは戻らず、電波が落ちて通信途絶になってしまう。
“はやぶさ”が見つかるまで、チームはひたすら待つ以外に無い。“はやぶさ”の帰還予定は3年延期された。増沢は「復旧の見込みはある」と文部科学省職員に説明し、予算だけは確保できた。江本は囲碁教室で伊佐夫を待ち伏せ、実際にはわずかな可能性しか無いことを明かす。「正直、焦っています。どうすればいいのか」と相談する江本に、伊佐夫は壁に貼ってある「着眼大局 着手小局」の紙を指差す。「目の前の一手に最善を尽くせ、ということですか」と尋ねる江本に、彼は「構造屋もいれば、電気屋もいる。みんながいなければ、ロケットも探査機も飛ばせなかった。ようはプロジェクトみんなの士気を保つこと、かな」とアドバイスした。
健人は“はやぶさ”プロジェクトを離れ、世界初の宇宙ヨット“イカロス”の開発チームで仕事に取り組んでいた。彼はJAXAを訪れた風也に、「ごめんな、“はやぶさ”、もうダメかもしんない。それならそれで次があるよ。前向きに考えなきゃ。次に行かないとな」と話す。すると風也は「すぐ乗り換えちゃうんだね。もうダメかもしんない、肝臓移植」と寂しそうに言う。適合者が見つからないのだという。「ダメなら次がある。そう上手くは行かないんだよ。だからアメリカへ行く。お父さん、JAXA辞めるって。諦めきれないから。健人は?もう諦めるの?」と、彼は健人に問い掛けた。
健人は奈緒子から、「“はやぶさ”がこんな時だから、大橋先生に宇宙教室で講演を頼みたい」と言われる。伊佐夫に伝えると、「断ってくれ」という返事だった。健人が「いつまで背負ってんだよ、“のぞみ”のこと。親父だけのせいじゃないだろう」と言うと、伊佐夫は「どうでもいい。“はやぶさ”が成功しようがしまいが、どうでもいい。むしろ失敗したらホッとするかもしれない」と語る。
伊佐夫は健人に、“のぞみ”プロジェクトチームの集合写真を見せる。その中には、プロジェクトの最中に亡くなった赤外線天文学の専門家・庄司の姿もあった。伊佐夫は「世界の先端を行く論文を書いていた男を、大学の研究室から俺が呼んだんだ。身を粉にして働いてくれた。彼の遺影をアルミ板に焼き付けて“のぞみ”に乗せた。無念なのは俺だけじゃないが、失敗の責任は俺にある」と語った。
伊佐夫は健人に、「誰もが言ってくれる。この失敗は次に活かされると。だが、ゴミとまで言われた失敗に人生を費やしたとしたら?」と問い掛けた。健人がJAXAの運用室へ行くと、奈緒子の姿があった。彼女に「逃げたと思ってた。どっちが恥ずかしい?“のぞみ”みたいに挑戦して失敗するのと、失敗しそうだからって逃げるのと」と挑発された健人は、“はやぶさ”プロジェクトの仕事に復帰する。そして通信途絶から46日が経過した2006年1月23日、臼田観測所職員の天野克也たちは、“はやぶさ”の電波をキャッチする…。監督は本木克英、脚本は金子ありさ、製作総指揮は迫本淳一、製作は大角正&井澤昌平&油谷f&泊三夫&大橋善光、プロデューサーは田村健一&野地千秋&三好英明、ラインプロデューサーは小松次郎、撮影は藤澤順一、照明は金沢正夫、美術は西村貴志、録音は鈴木肇、編集は川瀬功、VFXスーパーバイザーは村上優悦、音楽は冨田勲、音楽プロデューサーは小野寺重之。
出演は藤原竜也、杏、三浦友和、大杉漣、森口瑤子、田中直樹(ココリコ)、前田旺志郎、中村梅雀、宮崎美子、豊原功補、カンニング竹山、岸本加世子、升毅、木下ほうか、林泰文、山田純大、鶴田忍、金田明夫、岡田圭右(ますだおかだ)、村井美樹、石丸謙二郎、大島さと子、村杉蝉之介、趙a和、大地泰仁、本田大輔、中林大樹、西山宏幸、佐々木崇雄、内浦純一、北山雅康、大家仁志、松永博史、下総源太朗、青山勝、小久保丈二、矢柴俊博、中岡由佳、上路雪江、田中慎二、臼井志保、伊東順二、玉木健嗣、倉田亜味、田口可奈子、山崎竜太郎、末岡拓人、小柴亮太、大出菜々子、丸山歩夢、藤井奈々香ら。
小惑星探査機“はやぶさ”のプロジェクトを題材とした3D映画。
20世紀フォックス、東映、松竹の3社が競作した“はやぶさ”映画のラストを飾った作品。
脚本は『ラフ ROUGH』『陰日向に咲く』の金子ありさ、監督は『犬と私の10の約束』『鴨川ホルモー』の本木克英。
健人を藤原竜也、奈緒子を杏、伊佐夫を三浦友和、江本を大杉漣、多美を森口瑤子、大吾を田中直樹(ココリコ)、風也を前田旺志郎、増沢を中村梅雀、健人の母・小夜子を宮崎美子、山田を豊原功補、天野をカンニング竹山が演じている。冒頭「46億年前」というテロップの後、映像ではビッグバンらしきモノなどが描かれているが、それに関する説明は何も無い。
しばらくすると宇宙から見た地球の姿が画面に現れ、藤原竜也の「ソ連のユーリ・ガガーリンが人類で初めて宇宙飛行をする6年前〜」というナレーションが入る。
で、その冒頭の宇宙シーンは、何の意味があるのかね。
そこから映画を始めた意味や効果を感じない。
それと、そのナレーションで、これまでの日本の宇宙開発の道のりを紹介したいっていう気持ちは分からないではないけど、いかにも「お勉強ドキュメンタリー」的な印象になってしまっている。あと、製作サイドは「子供にも分かりやすく」っていうことを考えたらしいんだけど、その「子供」の具体的な年齢は、「何歳以上」ということなんだろうか。
もしも小学生低学年にも分かってもらいたいという気持ちがあったのなら、「46億年前」にはルビが必要だし。
ただ、そこにルビを振ったところで、その後のナレーションで語られる内容が難しくて、たぶん付いて来られないと思うけど。冒頭のナレーションによって、色々と説明しているように思えるかもしれない。
しかし実は、「“はやぶさ”プロジェクトとは何ぞや」という部分については全く説明が無い。
それと、「“はやぶさ”のプロジェクトが始まった2年後の1998年、満を持して一機の探査機“のぞみ”が、火星に向けて飛び立った」と語られるが、その説明だと、“のぞみ”打ち上げが“はやぶさ”プロジェクトの一環なのか、そうじゃないのか、その辺りが分かりにくい。江本が“はやぶさ”プロジェクトチームの面々に対して「絶対に成功成功するしか無い」語った次のシーンでは、“はやぶさ”の打ち上げが描かれている。
一瞬、「おいおい、打ち上げまでの経緯を描けよ」と思ったんだけど、テロップの年月日を確認すると、江本が語るより前に、打ち上げは終わっているんだよね。
この映画の構成だと、時系列をシャッフルしているので、“はやぶさ”打ち上げ後に“のぞみ”プロジェクトが終了していることが、ちょっと分かりにくいんだよな。これまでの宇宙開発の経緯については、ナレーションと参考映像によって丁寧に時間を掛けて説明している。その後、“のぞみ”のプロジェクト終了を受けて、「絶対に成功させねば」という背水の陣という状況も描かれている。
しかし肝心の“はやぶさ”プロジェクトについては、その描写が淡白だ。
何より問題なのは、チームの面々が「誰が誰なのかサッパリ」という状態で、個性なんて皆無ってこと。
チームのメンバーについては、何も紹介が無い。打ち上げシーンの段階で、まだ健人でさえナレーション以外は何も喋っていない。彼の名前さえ分からない状態で、もう打ち上げが終わってしまう。
いきなり宇宙空間に来たロケットが写るので、どこから打ち上げられたのかさえ分からない。“はやぶさ”の打ち上げに際して、プロジェクトチームの「何としても成功させねば」というプレッシャー、打ち上げに向けての行動、緊張、不安、そういったモノは全く描かれない。
“はやぶさ”の運用が開始されて、ひとまず安堵するとか、「大事なのはこれからだ」と気を引き締めるとか、そういう打ち上げの際のチームの人々は全く写らない。
で、「“はやぶさ”運用開始」のテロップが出てシーンが切り替わると、もう2005年7月にワープしている。小学校のシーンでは、まず子供たちがペットボトルロケットを飛ばすシーンがある。
で、ここで誰か主要キャラの登場でもあるのかと思ったら、すぐに場面が切り替わり、室内で奈緒子が講義している様子になる。
だったらロケット発射シーンは邪魔でしょ。いきなり講義から入ればいい。
で、そこで奈緒子の説明に全く子供たちが食い付かず、間違って彼女のカラオケ熱唱がスクリーンに写し出されると一気に盛り上がるので、そこは「子供たちは“はやぶさ”に関心が無い」ということを描きたいのかと思ったら、続いて大吾が“はやぶさ”の目指している星について質問すると、みんな元気よく手を挙げて、一人がハキハキと答える。
ってことは、みんな興味があるんでしょ。
なんで奈緒子の時は、つまんなそうにしているんだよ。宇宙教室のシーンでは、風也が“はやぶさ”のプロジェクトについて詳しく説明する。
「子供にも分かりやすい映画を」ということから、子供に説明役を委ねたのかもしれんが、声がキンキンしていて耳障り。
それに、子供の声だから、子供に伝わりやすくなるってわけじゃないからね。
あと、そのナレーションは、いかにも「宇宙科学館か何かでの映像説明」みたいな感じになっていて、娯楽映画に付けるようなナレーションじゃないんだよな。大体さ、
「“はやぶさ”本体の重さは510キログラム。これに、たった66キログラムのキセノンガスを積んで、地球から3億キロメートルも離れたイトカワを目指します」
と言われても、まるでピンと来ないでしょ。
66キロってのが重いのか軽いのか、3億キロがどれぐらいの距離なのか、それがまるで伝わらない。
「ミッションは他にもあって、自分で考えて行動する自立航法、サンプラーホーンを使った新しいサンプル採取法、リアーエンジンを使った地球スイングバイ、世界初の交錯地球帰還術。これだけの最先端テクノロジーを詰め込んで飛び立ったのです」
と言われても、何のこっちゃだし。宇宙教室のシーンでは、一人のガキが「だから?はやぶさが宇宙に行って、地球の何かが分かるから、だから何なんですか。関係ないし、興味ないし、それより国家予算を福祉や教育に回すべきだと思いますけど」と質問する。
こういう痛いトコを突いて来る質問に対して、大吾たちが顔を曇らせるとか、真摯な態度で答えようとするとか、あるいは「確かにそうかも」と悩むとか、そういう反応や展開に繋げていくのかと思ったら、そうではない。
風也が「大体君は、どうしてここにいるんだ。生意気な子供だなあ」と言い、大吾が「いや、お前も子供だから」とツッコミを入れて、終わらせてしまう。
そこを軽く済ませるなら、そんな重みのある問題提起をするなよ。多美の肝臓手術と“はやぶさ”プロジェクトを重ね合わせるというのは、ものすごく陳腐だし、なんか腹立たしささえ覚えるほどだった。そこを一緒にするのかと。
健人はただ諦めたんじゃなくて、頭を切り替えて、次の計画へ前向きに進んだだけだろうに。
肝臓手術でドナーを捜すのと、宇宙開発に取り組むのとは、全く別の考え方をすべきことなのに、そこを重ね合わせるってのは無茶だよ。全体を通して、まるで再現ドラマのようにになっている。とにかく「こういう出来事がありました」というのを描くことばかりに気を取られており、それに携わった人々の心情や行動、そこに付随しているドラマってモノがペラペラ。
チームの中で、なんと健人の名前でさえ、なかなか分からないという作りになっているのだ。
チームの中で名前が分かるのは、数名に限られている。
他は、ぶっちゃけ顔の判別さえ難しいぐらいだ。“はやぶさ”プロジェクトにかけている大人たちの苦悩、苦労、葛藤、努力、挫折、奮闘、そういった人間ドラマは全く見えて来ない。
構成も下手だから、シーンが切り替わるごとにブツブツと流れが切られている感じになってしまう。
それぞれのミッションを遂行する際、まるでチームの様子が写らないわけではない。例えばタッチダウンの時などは、それに関わるチームの様子は写る。
だが、とにかく描写が薄っぺらいので、2度目で何とか成功しても、そこには何の高揚感も感動も無い。「予定調和の出来事が粛々と処理されました」という感じ。
何かトラブルが発生しても、あまり深刻な印象を受けない。軽いのだ。
そのトラブル脱出や危機回避への経緯も、回避ミッションの様子も、やはり軽い。
やっぱり、盛り込む分量が多すぎるから、どれも薄くなってしまうってことなんだろう。製作サイドには「宇宙を飛ぶ“はやぶさ”の姿を描きたい」という意識が強くあったらしいが、それはそれで構わない。
ただ、その一方で、「プロジェクトに関わった人々を描く」という意識が、あまりにも薄弱すぎる。
“はやぶさ”だけを見せたいのなら、宇宙科学館で流す解説映像や、テレビの科学ドキュメンタリー番組、そういうモノとして作ればいいんだよ。
商業映画、娯楽映画として作っている以上、ちゃんとストーリーや人間ドラマを描こうよ。
そこがオマケ程度の扱いになっちゃダメでしょ。(観賞日:2012年10月18日)