『IZO』:2004、日本
岡田以蔵は磔にされ、刑吏2名が彼の体を何度も執拗に槍で貫いた。以蔵は腹から血を垂れ流し、苦悶の声を発して死んだはずだった。だが、彼の魂は死ななかった。魂は時空を超え、現代の都会で暮らすホームレスの体に宿った。ホームレスはIZOへと変貌し、刀を携えて走り始めた。すぐに殿下は、不条理の権化であるIZOが来ることを察知した。領袖のハンペイタも、IZOが来ると知って微笑した。
走り続けたIZOの前に、壱番の男が現れた。怨霊である男は、かつて以蔵に斬られた侍だった。男は刀を抜いて構えるが、IZOは容赦なく斬り捨てる。竹林を走ったIZOは、腹に弾丸を受けた。場所が瞬時に別の空間へ移動し、弐番の男が立っていた。「いってえ、おめえ何者なんだい」と問われたIZOは、「抜きがたき怨念なり」と返答する。「何をそんなに恨んでるんだい」と訊かれて「存在の全てよ」と答え、「で、どこへ行こうとしてるんだよ」と問われて「統治する者どもの、そのぬくぬくたる牙城へ」と告げた。IZOは弐番の男に「行って、どうする」と尋ねられ、「天誅!」と言い放った。
弐番の男は「俺は、そやつらに飼われてる。だからお前をそこに行かせるわけにはいかねえ」と言い、IZOに発砲する。弾丸を浴びてもIZOは死なず、男を斬って退散させる。さらに走ると、しだれ柳の下に参番の女が現れる。怨霊である彼女は、過去にIZOが捨てた相手だった。参番の女が「あたいの恨み切なさ、お前はどうやって償うのさ」と言うと、IZOは「お前のホトは入れ心地が良かった、されど臭いんだ」と冷たく言う。女は「人でなし」と漏らし、股間に隠していた刃物で襲い掛かる。IZOは女を受け止め、沼に投げ飛ばす。「呪い続けてやる」と女が言うと、IZOは「お前の恨みはお前の魂の証。地獄の底まで抱えて行け」と大きな石を投げ付けて殺害した。
沖田総司と土方歳三がIZOに声をかけ、「もうやめませんか、未練がましくあがき苦しむのは」と刀を抜く。どれだけ斬られてもIZOは死なず、その2人を始末した。場所は変わって門番たちが立ち塞がるが、IZOは斬り捨てる。続いて寺から僧兵たちが現れるが、全て抹殺した。IZOは重鎮の老人たちの元へ乗り込む。重鎮の老人が「神仏の前に額づけ、罪業深き者。されば汝の悪逆の魂とて、いかばかりかの憐みの恩恵に浴すること無きにしも非ず」と諭すと、IZOは「ペテン師どもめ。うぬらが何を司り、何を紡ぎ出す?」と睨み付けた。神仏をここへ出すよう要求して拒否された彼は、「神仏もし非ずんば、うぬらこそ稀代の詐欺師と知れ」と老人たちを斬った。
さらに奥へ進んだIZOを、大僧正が待ち受けていた。IZOは彼の腹を突き刺して抹殺し、床にあった隠し穴を下りる。彼が洞窟を歩いていると、ゴッドマザーが股間をまさぐった。彼女は「我が骨肉を受け継ぎし者よ」と嬉しそうな表情を浮かべ、「我は汝らを生み出せし原初の母なり」とIZOを情事に誘う。IZOは彼女を抱いた。殿下を宰相が訪れ、大僧正が果てたことを報告した。支配階級たちが集まって会議を開き、財界のドンは、IZOの覚醒を危惧する。官僚の長は余裕の態度で「ご安心の程を。下賤なる者は我らの手になる法律と慣例によって緻密に去勢され、順々に飼い慣らされておりますれば」と言い、支配階級の面々は固い結束を確認した。
IZOの前にスーツ姿のセールスマン2人が現れるが、それは鬼が化けた姿だった。鬼たちは包丁で突き刺して来るが、IZOは死なない。彼は刀で鬼たちを抹殺し、地上に出た。すると、そこには母の姿があった。「どこに行きよる?」と引き留める母を、IZOは真っ二つに斬り捨てる。行き着いた裁判所では、判事たちが「存在自体が罪」とIZOの分身に判決を下している。IZOは「ありもせぬものをあるが如きにほざくうぬらが大罪!」と怒鳴り、判事を斬り捨てた。
IZOが目を覚ますと、湖のほとりに寝転んでいた。「ここはどこだ?俺は誰だ?」と呟いた彼は、武市半平太から呼び出された。新しき時代を作るために人を斬りまくることを命じられたIZOは、「はい、外道になります」と喜んで承知した。湖の中に沈んだIZOは、結婚式場に辿り着いた。IZOは新郎を斬り捨て、小学校の教室へ迷い込んだ。「斬れ」という半平太の声が頭の中で響くが、IZOは逃げるように廊下へ出る。すると生徒の母親たちが唸り声を上げ、廊下の両側から距離を詰めて来た。IZOは母親たちを斬り捨て、狼狽しながら女教師に一礼して走り去った。
荒野を歩くIZOの前に剣豪が現れ、彼を斬って「生きるも地獄、死ぬるも地獄」と言いながら去った。草むらで浪人と対峙したIZOは相討ちとなるが、すぐに立ち上がった。少年から「このおじさん、なんで泣いているの?」と訊かれた地蔵菩薩は、「あまりにも多くの魂を殺めすぎたからだよ」と述べる。「魂を殺しすぎて、なんで泣くの?自分は殺されてもいないし、死んでもいないのに」と訊かれ、「命ある者の、肉や骨を斬れば、斬った者の心の奥からも血が流れ出るんだよ」と彼は答えた。
地蔵菩薩は子供から「それって苦しいものなの?」と問われ、「そうだよ、斬られた者と同じぐらい辛いことなんだよ」と言う。「このおじさん、どこへ、何しに行くの?」と問われ、「意味の無い場所へ、意味を探しに行くんだよ」と告げる。「このおじさん、可哀想」と口にした子供に、彼は「魂たちはみんな、可哀想なんだよ」と述べる。氷の洞窟を歩くIZOは穴に落ち、江戸の長屋通りに出没する。そこへSATが現れてマシンガンを乱射し、長屋の住人は巻き添えを受けて死んだ。IZOは何発の弾丸を浴びても死なず、SATを全滅させる。走り出したIZOが夜の飲み屋街に現れると、御用提灯を持った奉行所の捕手たちが追い掛けて来た。
IZOが捕手たちを皆殺しにして走り出すと江戸時代になり、橋の向こうから股旅やくざの貸元と子分衆がやって来た。IZOは腹を斬られても死なず、全員を始末した。また時空を移動した彼を、ヤンキーの一団が待ち受けていた。IZOは彼らを全滅させた瞬間、背後から抱き付く女・サヤの気配を感じる。だが、振り向いても誰もいなかった。幾つもの時代を足早に駆け巡ったIZOは、それぞれの時代で自分とサヤが夫婦生活を送る姿を目にした。竹林で絶叫して倒れ込んだ彼は、サヤに「お前は何だ。なんで俺に付きまとうんだ」と問い掛ける。するとサヤは、「私はお前の魂の片割れ。お前と出会うべき定めの」と口にした。
サヤが「男の魂と女子の魂は、二つで一つのつがい」と言うと、IZOは「俺はいつもは、ただの一人」と漏らす。サヤは「我らはついに出会えなかった。出会うべく魂なのに。運命に導かれたつがいだったのに。でも、もういい。私たちは、今ここで」と述べた。ハンペイタは執事から、「只今、物見の者からの注進ありまして。あの者がメタモルフォーゼを起こしつつあるということで」と報告を受ける。彼が「変身しよると?IZOめが」と言うと、執事は「まさに悪鬼羅刹の如く姿だとか」と語る。「そは一体、何者でありましょうか」という執事の質問に、ハンペイタは「怨念とは、すなわち鬼の相。鬼相こそがきゃつにふさわしい」と答える。すると執事は「かく申す、我らとて」と微笑し、その場を去った。
IZOが都会のオフィスへ赴くと、サヤも付いて来る。するとサラリーマンの集団が現れ、「IZO様、何とぞ怒りをお鎮め下さい、私らにお情けを」と頭を下げて懇願する。だが、IZOは何のためらいもなく、次々にサラリーマンを斬り捨てた。平凡に暮らす人々から「何が望みなんですか」と問い掛けられたIZOは、「理由なぞ無い」と答える。人々はIZOを非難し、幼い娘が彼の刀を素手で掴んで殺戮を制止しようとする。しかしIZOは躊躇せず、そこにいる面々を皆殺しにした…。監督は三池崇史、脚本は武知鎮典、企画・原案は武知鎮典、製作は高野秀夫&波多野保弘&伊藤秀裕、企画は服巻泰三&松島富士雄、企画プロデュースは前田茂司、プロデューサーは向井達矢、スーパーバイザーは奥山和由、撮影は深沢伸行、照明は杉本崇、録音は小原善哉&鶴巻仁、美術は松宮敏之、編集は島村泰司、CGIプロデューサーは坂美佐子、擬斗は清家三彦&中村健人、特殊造形は松井祐一、音楽は遠藤浩二、唄は友川かずき。
出演は中山一也、桃井かおり、松田龍平、美木良介、石橋蓮司、高野八誠、ミッキー・カーチス、秋野太作、遠藤憲一、寺島進、高瀬春奈、中山麻理、山本太郎、大橋吾郎、原田大二郎、原田龍二、菅田俊、松田優、本宮泰風、宮本大誠、石山雄大、TEAH、村上竜司、中島宏海、夏山千景、内田裕也、及川光博、緒形拳、岡田眞澄、大滝秀治、片岡鶴太郎、勝野洋、樹木希林、篠田三郎、ジョー山中、曽根晴美、友川かずき、長門裕之、夏樹陽子、原田芳雄、ビートたけし、ボブ・サップ、魔裟斗、松方弘樹、力也、伊藤秀裕、中村一議、長谷川誠、シーザー武志ら。
『荒ぶる魂たち』『許されざる者』の監督&脚本コンビによる作品。
以蔵を中山一也、サヤを桃井かおり、殿下を松田龍平、半平太を美木良介、壱番の男を石橋蓮司、男蝶を高野八誠、重鎮の老人をミッキー・カーチスや石山雄大、地蔵菩薩を秋野太作、刑吏を遠藤憲一&寺島進、ラッキーマザーを高瀬春奈、参番の女を中山麻理、鬼を山本太郎&大橋吾郎、殺される判事を原田大二郎、ヤンキーのアタマを原田龍二、僧兵を菅田俊&TEAH&村上竜司、SAT隊長を松田優、門番を本宮泰風&山口仁、女蝶を夏山千景が演じている。
他に、弐番の男を内田裕也、沖田総司を及川光博、剣豪を緒形拳、官僚の長を岡田眞澄、茶室の老人客を大滝秀治、軍閥の将軍を片岡鶴太郎、土方歳三を勝野洋、以蔵の母親を樹木希林、学界のドンを篠田三郎、半平太の執事をジョー山中、財界のドンを曽根晴美、大僧正を長門裕之、小学校の女教師を夏樹陽子、茶室の老主人を原田芳雄、宰相をビートたけし、軍閥の将軍の屋敷を守る怪物をボブ・サップ、浪人を魔裟斗、現代のヤクザのボスを松方弘樹、江戸時代のヤクザの貸元を力也が演じている。
ザッと出演者の顔触れを並べただけでも、随分と豪華な印象を受けるだろう。
ただし製作したのは大手メジャーじゃないので(ケイエスエスとオフィスハタノとエクセレントフィルム)、たぶん、それほど高額なギャラは支払われていないと思う。上述したように豪華な顔触れの中で、主演を務めた中山一也の知名度は、かなり低いと言っていい。
ぶっちゃけ、まるで知らないという人も少なくないはずだ。
「企画・原案・脚本の武知鎮典やスーパーバイザーの奥山和由が見出した期待の新人」というわけでもない。
彼は1956年生まれだし、この映画に出演した時点で既に20年を越えるキャリアを持っていた役者だ。
しかし、新人ではないものの、この映画に「彼を売り出したい、その存在を世に知らしめたい」という製作サイドの強い意向があったことは、ほぼ間違いないだろう。そんな中山一也を語る上では、俳優活動よりも、トラブルメーカーとしての方が重要な要素となっている。
これまで彼の名前が大きく取り上げられたのは、全て事件を起こした時だ。
1983年には主演映画を途中降板させられたことに恨みを抱き、原作と監督を務めていた高橋三千綱を果物ナイフで刺して傷害と銃刀法違反の現行犯で逮捕された。
1987年には、全く面識の無かった脚本家・倉本聡の自宅前で割腹自殺を図った。
1988年には、松竹本社ビルの映画館に車で突入し、器物損壊で逮捕された。そんな風に幾つも事件を起こしているのだが、それでも全く一般的な知名度は高まっていない。
まあ、そんなことで知名度や人気が高まるようなことがあったら、それこそ日本の映画界・ドラマ界は終わりだと思うので、それは良いことだ。
ちなみに、映画館突入に関しては、本人が「自分のような有望な俳優を使わない日本の駄目な映画界に一石を投じるための行動」と語っているが、そんな事件を起こしたら、ますます使ってもらえなくなるよな。
実際、この作品には主演したが、それ以前も、この映画以降も、彼の経歴はパッとしない。ただし、それは「ヤバいことばかり起こす奴だから」ということだけが原因じゃないように思える。
この映画を見れば、たぶん大半の人は気付くと思うんだけど、ぶっちゃけ、中山一也って芝居が下手なんだよね。
世の中には「芝居は上手くないけど、なんか魅力がある」とか、「芝居は不器用さを感じるけど、独特の味がある」と感じさせる俳優も存在する。
でも中山一也って、そういうことじゃなくて、ただ「演技が稚拙」としか感じないのね。中山一也に関するコメントはこの辺りにして、映画自体の批評に移るとしよう。
この映画、友川かずきが本人役で登場し、ギター片手に歌うシーンが何度もある。
例えば、IZOが壱番の男を斬ると、その後ろに友川かずきが腰掛けており、ギターを弾いて歌い出す。そして、その歌が流れる中で、IZOが走り去る。
そんな風に、何かに付けて友川かずきが出現して歌う。
友川かずきが何度も歌うってトコで気付くべきなのかもしれないが、たぶんアングラ映画をやろうとしているんだろう。たぶん武知鎮典は「以蔵」と「位相」の言葉遊びを着想した時に、「これはイケる」と思ったんじゃないかと推測する。
アングラ映画なんだから、前衛的とか、実験的とか、そういう風に感じるのは、たぶん狙い通りなんだろう。
ただし、私はそのようには感じなかったんだけどね。
どんな風に感じたのかというと、「つまんない映画」という一言で済ませたい映画だと感じた。
これがショートフィルムなら耐えられたかもしれんが、長いわ。
しかも、ただ長編ってだけでなく、2時間8分もあるんだぜ。
そりゃキツいわ。「IZOが次々に現れる敵を片っ端から斬っていく」というシンプルな構成なのだが、それなのに「ワケの分からない映画」と感じさせるんだから、どんだけデタラメなのかってことだ。
ただし、デタラメなパワーに圧倒されるとか、メチャクチャな筋書きだけど突き抜けているから面白いとか、そういうことはない。
「つまらない」という印象だけが強い。
チャンバラの面白さも味わえない。
マトモなチャンバラをやっておらず、力任せに殴り付ける感じで、すぐに敵を斬って次へ行く。チャンバラに関しては、中山が下手ってわけじゃなくて、見せるための殺陣を全く付けていないだけ。序盤、IZOは都会の街を走っていたはずなのに、シーンが切り替わると、どこかの神社の石段になる。
発砲されると竹林から一瞬にして別の時代の別の場所にいるし、新撰組が現代に現れたり、SATが江戸時代に現れたりする。
IZOは時空をどんどん移動していき、支配階級は彼を始末するために時空を超えて様々な連中を差し向ける。
その時代の刺客を差し向ければいいと思うんだが、わざわざ新撰組を現代に出現させたり、SATを江戸時代に出現させたりする理由は不明だ。壱番の男は斬られると「なんじ、何ゆえに、かくも非道なりしや」と問い掛け、IZOは「かって人でありしがゆえに」と答える。
「人は、かくも残虐なりしか」と壱番の男が漏らすと、IZOは「非情こそは命の習い」と言う。
そこに限らず、それ以降も登場人物の会話は、その大半が禅問答のような内容になっている。
特に支配階級の連中は、やたらと大仰で堅苦しい口調を使って喋る。
そこの「わざとらしさ」が、ものすごく陳腐に感じられる。登場人物は総じて、何か小難しくて意味ありげなセリフを口にするが、それが心に響いてくることは無い。
何しろ、そこには全く魂が込められていないのだ。
何かドラマなり、キャラの内面描写なり、そういうのがあって、そこに付随する形でセリフがあれば、そこに意味やメッセージを感じ取ろうという気持ちになったかもしれない。
しかし、シーンが切り替わって出てきた奴が、どんな奴か良く分からない内に、「いかにも用意されたセリフを喋ってます」という感じで言葉を発しても、響かないどころか、まるで頭に入って来ない。
重々しいはずのセリフが、浅薄に通り過ぎていく。IZOが転生してから急に走り出して、来る奴を斬るのだが、その行動目的はサッパリ分からない。
で、セリフによって「天誅」という目的を説明するんだけど、やっぱり口だけなので全く響かない。
彼の中にあるマグマのような怨念、憎しみ、怒り、そういったモノが、こっちに伝わって来ないのだ。
そりゃあそうだわな、何もドラマは描かれておらず、いきなり「存在の全てに対する怨念がある」ってことをアピールされても、ただの困った奴でしかないよな。大枠としては「復讐劇」ってことになるのかもしれんけど、カタルシスは微塵も無い。
まずIZOというキャラクターがまるで掴めないし、彼のモチベーションも良く分からない。
感情移入を完全に排除しているので、IZOが次々に敵を斬ろうが、そこには目の前に描かれた「現象」しか無いのだ。
こっちの感情を動かすためのモノは何も無い。
それに、とにかく敵キャラは出て来たらすぐに退場していくので、「悪党が斬られるのを見てスカッとする」ということも無い。IZOが自分を陥れたりバカにしたりした連中を斬って、そこから全ての権威に対して刃を向けるのかというと、その前に自分が斬ったり捨てたりした相手を容赦なく始末しているんだよね。
しかも、女を侮蔑するようなことを冷酷に言い放っている。
浪人やヤンキーなんて、権威とは全くの無縁に思えるが、そいつらも斬っている。
さらには、結婚式場の新郎とか、まだ幼い娘まで容赦なく殺しているけど、もう何なのかと。
「全ての人間は何かしらの権威に関与している」ってことなんだろうか。(観賞日:2012年9月30日)