『悼む人』:2015、日本

週刊誌記者の蒔野抗太郎は新人の野平清実を引き連れ、山形県を訪れていた。11歳の少年が親の車を勝手に動かし、6歳の弟をひき殺した事件の取材をするためだ。2人は事件が起きた家を訪れるが、野平がインターホンを鳴らしても応答は無かった。そこで蒔野は飲んでいたビールを道路にこぼし、「この染みを手前にして家を撮れ」と指示した。野平が困惑していると、彼は「やらせじゃねえよ。血の跡だとは一言も書きゃしねえよ」と告げた。
野平から「亡くなった子供に対して何とも思わないんですか」と問われた蒔野は、「何とも思わないね。親がマヌケだと思うだけだ」と冷淡に言い放った。野平が「私には付き合い切れません」と言うと、蒔野は「撮らねえなら、このネタは没だな」と口にして立ち去ろうとした。すると2人と入れ違いで、坂築静人という男が家の前にやって来た。どこかの記者かと思った蒔野が様子を観察していると、静人は奇妙な手振りを見せた。彼が跪いて死者への言葉をブツブツと呟き始めたので、蒔野は「くだらねえ。宗教か」と吐き捨てた。
奈義倖世は夫の朔也を殺害し、裁判に掛けられた。しかし朔也が刺身包丁を手にして脅しを掛け、倖世が車から逃げ出す映像が残っていたため、弁護士は「止むを得ない行動だった」と主張した。ファミレスで勤務する倖世は、店長の山口から延長を頼まれて承諾した。彼女は山口と肉体関係を持ち、朔也に「それで私を遣り込めたつもりか」と告げられる。別の日、フェラチオを拒んだ倖世は山口に荒っぽく髪を掴まれ、「電話番号も無いようなお前を拾ってやったんだぞ」と罵られる。朔也に「私を妬かせたいんなら、他の誰かに殺されてみろよ」と言われた倖世は、山口に「私を殺してくれませんか。生きてても仕方が無い気がするんで」と告げた。
静人は雪が残る山に入って地面を掘り、白骨死体を発見して警察に連絡した。蒔野は警察から情報を入手して静人に接触し、事情を尋ねた。静人は去年の11月に千葉の海浜公園で見知らぬ男から死体が埋まっていると聞いたこと、雪が解けたら悼んでほしいと頼まれたことを彼に説明した。蒔野が「その男が犯人だ」と口にすると、静人は「どうして亡くなったのかに興味はありません。悼むのに必要のないことです」と述べた。
蒔野は静人が人の死んだ場所ばかり探し回っていることを知り、「俺と同じでルポでも書く気か?」と問い掛けた。すると静人は、「いえ、ただ悼ませて頂いているだけです」と答えた。そんなことをする理由を問われた彼は困った様子を見せ、「人にはこう答えるしか無いと思っています。僕は病気なんです」と告げた。末期癌患者の坂築巡子は金髪のカツラと派手な格好に身を包み、入院していた病室へ赴いた。彼女は在宅治療に切り替え、元気な様子で入院仲間に挨拶した。新しく入室した中村から「諦めたってことですか」と問われた彼女は、「別の生き方に踏み出すことにしたんです」と明るく述べた。しかし中村が「私には開き直ってるようにしか見えません。癌と戦うべきだと思うんです」と訴えると、彼女は黙り込んでしまった。
病院を後にした巡子は、夫の鷹彦、娘の美汐と共に訪問看護師の車で家へ戻った。親戚の福埜怜司は彼女の退院祝いとして、シャンパンとオードブルを用意して待っていた。彼は美汐の婚約者である高久保英剛の親友でもあった。鷹彦は巡子たちに、警察から静人の身元確認の電話があったことを教えた。美汐は「お兄ちゃん、また捕まったの」と苛立ちを示し、英剛とは別れたこと、しかしお腹の子は産む気でいることを話した。
蒔野は殺人事件の現場で静人に話し掛け、暴力団員が風俗嬢を奪い合い、中学時代からの不良仲間を撃ち殺したのだと説明した。「世の中には、死んだ方がタメになる人間ってのが実際にいるんだよ。そういう人間を、どうやって悼むんだ?」と彼が挑発的に尋ねると、静人はいつものように跪いて両手を動かし、悼む言葉を唱えた。「中学時代からの仲間だったということなので、長い間に感謝し合ったこともあったでしょうし、女性のことで事件が起きたのなら愛していたでしょう。そのように悼みました」という彼の言葉を聞いた蒔野は、呆れ果てた様子を見せた。
次の日、蒔野は出版社へ赴き、その事件をエグい形で脚色した記事について編集長の海老原に感想を尋ねた。すると海老原は「裏を取ってないでしょ」と指摘し、野平に調査結果を説明させる。加害者は2人の結婚を祝う花火のつもりで発砲し、誤って友人を射殺したのだった。海老原から自分の記事が時代に合わないと言われた蒔野は、皮肉めいた態度で出版社を出て行く。すると尾国理々子という女が来ており、「子供すぎやしませんか。少しだけ顔を見せることも出来ない?」と言う。蒔野は「年取りゃ寛大になるってのは迷信ですよ。大体、あの男は俺の中じゃ、とっくに死んでんだ。お袋はね、あの男に捨てられて、たった一人で死んでったんだ」と冷淡に告げると、もうすぐ死ぬ父が会いたがっているという理々子の訴えに耳を貸さなかった。
倖世が朔也を殺害した現場へ赴くと、静人が悼みに来ていた。静人は倖世が朔也の関係者だと確信し、どういう人間だったか教えてほしいと頼む。倖世は朔也から、「こいつに殺してもらえよ。こいつなら出来るよ」と吹き込まれた。倖世は朔也に同行し、その行動を観察した。高久保大剛が弟の英剛を引き連れて坂築家を訪れ、静人の不可解な行動について巡子に尋ねた。巡子は「どうしてあんなことしてるのか分からない」と答えるが、出来る限り説明しようと試みた。
鷹彦は対人関係を苦手としており、家族以外の人間とは上手く話すことが出来なかった。静人の祖父は8月6日の今治の空襲により、多くの友人知人を亡くしていた。ずっと一緒に暮らしていた祖父は、静人が幼い頃の8月6日、今治で溺死した。静人は大学を出て医療機器メーカーに就職するまで、変わった様子は無かった。会社の方針で入院患者と触れ合うボランティアに参加した静人は、のめり込むようになった。しかし彼は医者をしていた親友の一周忌を忘れてしまい、大きなショックを受けた。
ずっと落胆して仕事も手に付かなくなった静人は、近所で死者のことを尋ねて回るようになった。やがて彼は「やっと自分なりの悼み方が分かるようになった」と言い出し、会社を辞めて全国行脚の旅に出たのだった。巡子が話し終えると、大剛は「静人さんの誠実さ、切実さは伝わってきたように思います」と述べた。しかし県会議員である叔父の秘書をしていること、封建的な家族であることを語り、婚約破棄を通告する。彼が「弟を許さないで結構です。ご自分の幸せを考えて下さい」と言うと、美汐は英剛に「元々いないから、貴方の子」と強がった。大剛と英剛が立ち去ると、怜司は巡子と鷹彦に泣きながら謝罪した。巡子は彼に、「大丈夫よ。美汐は家族が守るから。力を貸して頂戴。おばさんね、もう長くは生きられないの」と告げた。
静人は喧嘩で同級生に殺された17歳の少年を悼むため、現場となった小学校の校舎を倖世と共に訪れた。そこへ少年の母親である沼田響子が現れ、何の用なのかと詰め寄った。悼むために来たことを静人が説明すると、響子は2人を自宅へ案内した。響子は静人に、「貴方が読まれた雑誌の記事はねつ造なんです」と憤る。彼女と夫の雄吉は、息子のナオキが知的障害者だったこと、イジメで殺されたことを説明した。しかし加害者の父と伯父が警察官だったため、喧嘩の最中の事故として隠蔽されたのだと2人は語った。
響子はマスコミに頼ったこと、しかし話した内容を捻じ曲げられてしまったことを話し、「ナオキを悼むのなら、こういうことを訴えて下さい。一緒に恨んで下さい」と泣いて懇願する。しかし静人は「それは出来ません」と断り、「恨めば犯罪や犯人の方が大きくなってしまいます。ナオキさんのことが二の次になってしまいます。それては悼むことにならないと思っています。これほど両親に愛されていたナオキさんのことを、私は胸に刻んでおきます」と語った。すると響子はアルバムを開いて写真を次々に見せ、息子のことを覚えておいてほしいと告げた。
蒔野はホームページで静人の情報を集め、掲示板に書き込む人々は彼のことを「悼む人」と呼ぶようになった。蒔野は書き込みを印刷して巡子の元を訪れ、読んで感想を聞かせてほしいと持ち掛けた。巡子が「読んでも、どうしようもありません」と拒否すると、蒔野は親として無責任でないかと指摘した。すると巡子は「肝心なのは、貴方に静人がどう写ったかではないでしょうか。貴方の目には、静人がどう写りましたか?」と問い掛け、体調を崩して倒れ込んだ。
静人は夫の暴力で亡くなった女性を悼むため、彼女が暮らしていたアパートの前へ赴いた。彼が「一時は愛し合っていたはず」と考えて悼みの言葉を語ろうとすると、倖世が制止して「この人は愛なんて無かった。殺した夫にも愛は無かった。それは断言できる。私が夫を殺したから」と述べた。彼女は静人に、過去を語り始めた。倖世が若い頃、母はDV男ばかりと付き合っていた。母が死んだ後、倖世は人を愛することが出来なかった。付き合った男は彼女に愛が無いと気付き、暴力を振るうようになった。
倖世は母の遺骨を葬るため、菩提寺を訪れた。そこで甲水朔也と出会い、彼女の人生は大きく変わった。朔也は傷を負った倖世の顔や首に触れ、優しく「もう大丈夫ですよ」と告げた。彼は夫の暴力から逃れる女性のためのシェルターへ倖世を連れて行き、入所者に紹介した。朔也は腹違いの弟が継いだ寺の経営を立て直すため、東京から戻っていた。彼はシェルターの女性たちから「仏様」と呼ばれ、誰からも愛されていた。だが、それは見せ掛けの姿に過ぎなかった。
朔也は倖世を離婚させ、彼女と一緒になった。倖世は彼とのセックスで初めての喜びを感じ、彼のためなら何でもしてあげたいと思うようになった。しかし、それは全て朔也の策略だった。彼は倖世に、「私を殺してくれたら愛せるかもしれない。生きてる物に愛なんか無い。私を殺して君だけの物にしてくれないか」と持ち掛けた。朔也は倖世が喜びを与えることを拒絶し、殺してくれなければ今後は別の女に尽くすと言い出した。彼は倖世が数年で刑務所から出られるように、彼女を殺そうとする演技を映像に残した。包丁を渡された倖世は、他の女に取られたくない思いから朔也を刺殺した…。

監督は堤幸彦、原作は天童荒太『悼む人』(文春文庫刊)、脚本は大森寿美男、製作代表は木下直哉、エグゼクティブプロデューサーは武部由実子&長坂信人、プロデューサーは神康幸、協力プロデューサーは菅野和佳奈、ラインプロデューサーは利光佐和子、撮影は相馬大輔、照明は佐藤浩太、録音は渡辺真司、美術は稲垣尚夫、編集は洲崎千恵子、音楽は中島ノブユキ、音楽プロデューサーは茂木英興。
主題歌『旅路』熊谷育美 作詞・作曲:熊谷育美、編曲:中島ノブユキ。
出演は高良健吾、石田ゆり子、大竹しのぶ、椎名桔平、平田満、井浦新、貫地谷しほり、山本裕典、麻生祐未、山崎一、上條恒彦、戸田恵子、秋山菜津子、眞島秀和、大後寿々花、佐戸井けん太、甲本雅裕、堂珍嘉邦、大島蓉子、佐藤直子、長島悠子、渡辺杉枝、萩原利映、楊原京子、生島翔、十貫寺梅軒、葉山レイコ、龍坐、吉田ウーロン太、近童弐吉、今井正徳、斉藤範子、生島勇輝、はやしだみき、岩澤幸子、吉野晶、木元ゆうこ、信川清順、大石敦士、佐藤佑哉、清水葉月、西川喜一、安藤輪子、百瀬朔、松原菜野花、澤畠流星、高橋ふみや、宮林成龍、大西利空、西澤愛菜、多田木亮佑、玉木きよし、三宅ポスト、櫻井則夫、陰陽、小高三良、橋本美紀ら。


直木賞を受賞した天童荒太の同名小説を基にした作品。
監督は『トリック劇場版 ラストステージ』『エイトレンジャー2』の堤幸彦。
脚本は『風が強く吹いている』『悪夢ちゃん The夢ovie』の大森寿美男。
静人を高良健吾、倖世を石田ゆり子、巡子を大竹しのぶ、蒔野を椎名桔平、鷹彦を平田満、朔也を井浦新、美汐を貫地谷しほり、怜司を山本裕典、響子を麻生祐未、雄吉を山崎一、蒔野の父を上條恒彦、女医の比田を戸田恵子、理々子を秋山菜津子が演じている。

冒頭、静人が旅をしている様子が描かれ、「貴方は貴方を慕う幾人もの人々に愛され、そして愛していました。貴方はその方々の中で今もなお、大切に生きています。貴方はそんな貴方がご両親に愛され、確かに生きていたということを〜」といった悼みの言葉が聞こえて来る。
この時点で既にヤバそうな雰囲気は漂っているのだが、そのモノローグが、まさかホントに静人が死者を悼む時に言っている言葉だとは思わなかった。
予想の上を行く、なかなかのヤバさである。

しかも驚いたことに、その言葉を静人は心の中で呟いているわけではなくて、わざわざ声に出してブツブツと呟くのだ。それだけでなく、悼む前には跪き、右手で大きく手を仰ぎ、左手は地面から何かを拾い上げるような動きを見せる。
それが彼なりの儀式ってことなんだろうけど、それによって「心底から悼んでいるわけではなく、パフォーマンスとしてやっている」という印象になってしまう。自己陶酔の世界にしか見えなくなってしまうのだ。
それは共感や賛同を遠ざけるだけでなく、不快感や嫌悪感を抱かせることに繋がる。
「心の中で追悼の言葉を口にする」というだけで表現すれば良かったのに、なぜ妙なパフォーマンスとして描いてしまったのだろうか。

蒔野が山形で静人の悼みを目撃した後、カットが切り替わると倖世が被告人席にいる法廷のシーンが描かれる。
その時点では現在のシーンに思えたのだが、すぐ後に彼女がファミレスで働いている様子が写し出され、「どうやら過去の出来事らしい」と認識する。
そこは無駄に分かりにくくなっている。
殺人罪で捕まったのが過去の出来事であるならば、それは「倖世が回想している」という見せ方にするか、後から挿入するか、どちらかにした方が伝わりやすかったんじゃないか。

倖世が山口とホテルで関係を持ったことを示すシーンが描かれると、「愛なんて無いし相手との力関係で仕方なく承諾しているけど、割り切ってセックスしている」という風に見えた。
ところが、その後にはフェラチオを拒んで髪を掴まれているシーンが描かれるので、どういうことなのか理解できなくなってしまう。
セックスは構わないけど、フェラチオは嫌ってことなのか。
あと、そこを途中で別のカットを挟んで2つのシーンで描く必要性も感じない。1度で片付けてしまえばいいんじゃないかと。

倖世と山口が一緒にいるシーンでは、死んだはずの朔也が出現するので、ますます引っ掛かってしまう。
それが亡霊だってことは簡単に理解できるけど、そこだけ非現実の存在を登場させているため、異分子として浮き上がってしまうのよね。
罪の意識に苛まれている倖世が夫の亡霊に苦しめられ、静人との交流によって救われるという物語を描きたかったのは良く分かるのよ。
ただ、意図は分かるけど、亡霊が違和感たっぷりの存在と化していることは否めないわけで。

しかも、亡霊の朔也は倖世だけに見える存在だったはずなのに、後半に入ると静人が彼と会話を交わすシーンが用意されているんだよね。
なぜ急に静人にも姿が見えるようになったのか、どういう狙いで当該のシーンを設けたのか、その辺りはサッパリ分からない。
ハッキリ言えるのは、それが陳腐な印象にしか繋がっていないってことだ。
大体さ、朔也にも見える存在になってしまうと、「倖世だけに見えていたけど、彼を悼むことで見えなくなる」という展開も、ボンヤリしたモノになってしまうでしょ。

悼みの旅を続けている理由を蒔野に問われた静人は、「僕は病気なんです」と答える。
これが困ったことに、当たらずとも遠からずという感じなのだ。
そこは本来なら、「本人はそう言っているけど、実際は崇高で神聖な行為」ってな印象で伝わらなきゃマズいはずだけど、ホントに厄介な病気としか思えない。
死者に対する悼みの言葉について蒔野が「それは君の勝手な想像じゃないのか」と言い、「君のことを記事にしても、誰も共感しないよ。病気だと思うだけど」と告げるシーンがある。
ホントなら話が進む中で、観客は全面的にその指摘を否定したくなるべきだと思うんだけど、「その通りだよな」と感じてしまう。

静人が死者を訪ね回って悼むのは自慰行為だから、勝手にやっていればいい。
だけど出会ったばかりの遺族に対して、いきなり「どういう人だったのか」と質問するのは完全にアウトでしょ。
それは何の感情も無く、冷淡にエグい記事を書く記者と大して変わらない行為だぞ。
どういう気持ちで死者について質問したとしても、静人が悼みたい思いから尋ねていたとしても、遺族からしてみれば同じように無礼で腹立たしい奴に過ぎないわけで。

巡子の話を聞いた大剛は、「静人さんの誠実さ、切実さは伝わってきたように思います」と言う。
だけど、静人は誠実な奴なんかじゃない。彼は単に思い込みが激しいだけであり、カルト宗教の信者や思想犯と大して変わらないのだ。
それに、死者を悼むってのは表面的な行為であって、実際は自分のためにやっているだけだ。ザックリ言っちゃうと、「そういうパフォーマンスで自分を慰めている」ってことだ。
そのことに本人が気付いていない様子なのが、余計に厄介だ。

沼田響子が「貴方が読んだ雑誌はねつ造なんです」と訴えるシーンで明らかになったのは、静人が悼む対象を雑誌の記事で探しているってことだ。
しかし、そこで明らかにされるように、雑誌に書いてある内容が真実とは限らない。だから静人は、間違った情報で感じたことを言葉にして死者を悼んでいる可能性もあるってことだ。
静人は「憎んでも悼むことにならないと思う」と話しているが、そうであるならば、間違った情報に基づいた言葉を唱えるのも、やはり本当の意味で悼んでいるとは言えないんじゃないのか。
それはやっぱり、単なる静人の自己満足になるんじゃないか。

劇中では都合良く、愛し愛される相手がいた人物ばかりが静人の悼む対象として設定されている。
しかし実際には、ヘドが出るようなクズが死者という可能性も考えられる。
暴力団員の事件にしたって、たまたま「厚い友情物語」だったことが判明するけど、実際に蒔野の言う通りだった場合、どうなのかと。
「世の中には、死んだ方がタメになる人間ってのが実際にいる」と感じさせられるような事件だったとしても、それでも静人の「悼み」は「肯定されるべき行為」として認識されるのかと。

倖世を重要人物として配置していることは言わずもがなだが、ずっと静人に同行するってのは「何がしたいのか」と言いたくなる。
それと、「モノローグ&回想によって倖世の抱える事情を説明する」というパートを中盤で用意することによって、話が不恰好になっている。
しかも、この回想による説明シーンってのが、やたらと長いのだ。
それなら何度かに分けてもいいだろうに、一度に片付けようとするもんだから、そこで物語が停滞してしまう。そんだけ長々と説明するのだから、倖世の訴えに対して静人が何らかの反応を示すのかというと、そのままスルーして次に移っちゃうし。

静人が感情を表に出すことが皆無に等しいので、周囲の人物を使って彼の気持ちを代弁させるのかというと、そういう仕掛けは無い。
静人を狂言回しにして、彼と関わって影響を受ける人々を描くことに主眼が置かれているのかというと、そういう徹底があるわけでもない。
蒔野は静人に興味を持って取材するけど、そんなに深く掘り下げるわけではない。
それに彼が最も影響を受けたのは、間違いなく静人より「父の死」という出来事だし。

静人の両親は息子と関係ないところで夫婦愛のドラマを演じたりするし、美汐の出産も静人とは全く関係が無い。
この映画が何を描こうとしているのか、話が進むにつれて、どんどん不鮮明になっていく。
だからこそ倖世に関しては「静人に影響を受けて変化する」という人物として大きく扱おうとしているのかもしれないが、亡霊の仕掛けが邪魔をする。
あと、終盤に入って静人と倖世がセックスする展開に関しては、「何故に?」と言いたくなるぞ。

(観賞日:2017年8月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会