『石内尋常高等小学校 花は散れども』:2008、日本

大正12年頃、広島県石内村。5年生の山崎良人や藤川みどり、森山三吉たちは、山間にある石内尋常高等小学校に通っている。担任教師の市川義夫は、授業中に居眠りをした三吉を叱責した。市川は罰として、水の入ったバケツを持って立つよう命じた。市川が「昨夜は何をしとった?」と尋ねると、三吉は朝から一家総出で田んぼの稲刈りをしていたことを話す。夜まで作業をしていたことを知ると、市川は泣き出して「すまん」と詫び、三吉を席に戻らせた。
小学校の運動会が開催され、市川は教師と父兄のリレーに参加する。しかし鈍足なので簡単に追い抜かれて最下位となり、同僚の林道子にバトンを渡して倒れ込んだ。後日、市川は生徒たちに「先生は明日、結婚する。よって明日は自習とする」と告げた。彼は「花嫁さんを紹介する」と告げ、教室に道子を連れて来た。市川が生徒たちの前で頬に口づけすると、道子は腹を立てて出て行った。しかし市川は大笑いし、「ええ嫁さんじゃの」と口にした。
翌日、生徒たちが自習していると、校長が教室にやって来た。級長である良人は、市川が家まで来てくれと言っていることを知らされた。良人が市川家へ行くと、結婚式の最中だった。市川は良人にぜんざいを御馳走し、明日も自習にすると告げた。学校に戻った良人は、仲間たちに市川が髪をオールバックにしてポマードを塗っていたことを話す。みんなが「鬼トンボじゃ」と盛り上がっていると、花嫁姿の道子がやって来た。彼女は生徒たちに、明日の自習を中止して自分が授業を受け持つこと、修学旅行の準備会をやることを告げた。
良人たちは修学旅行で奈良の三笠山へ出掛け、市川と道子が同伴した。市川が短歌の講義をしていると、映画の助監督が「撮影に邪魔やから、さっさと消えんかい」と大声で告げた。市川たちは駆け足で移動し、撮影現場を見物する。市川の帽子が風で飛ばされ、助監督は足で踏み付けた。撮影を邪魔された監督が激昂し、市川は謝罪する。助監督が「この後始末はどないしてくれんのや」と市川に掴み掛かると、道子は「貴方にも落ち度はありますよ」と反論する。「田舎っぺ。とっとと帰れ」と助監督に言われた市川は激怒して殴り掛かり、反撃を食らって倒れ込んだ。
良人が中学の試験の日に学校へ現れたので、市川は声を掛けた。すると良人は、母親から止められたので試験に行かなかったことを話す。山も畑も全て売り払って蔵の中に住んでいる貧乏な家なので、中学に通わせる金が無いというのだ。市川が良人の母と会うと、彼女は息子に対して申し訳なく思っていることを明かす。すると市川は、2年間の高等科へ通わせれば中学に行ったほどの価値があると告げた。良人の母は、「ウチには本当に金が無いんです」と目に涙を浮かべた。
ある日、放課後になっても良人が教室に残っているので、みどりが気になって声を掛けた。そこへ市川が来ると、良人は「お母さんが昨夜、死にました」と述べた。みどりは顔を押さえて泣き出し、市川は良人を真っ直ぐに見つめた。葬儀の行列が村を進む際、みどりは両手を合わせて拝んだ。良人は丘の上へ行き、「お母さん」と叫んだ。彼は川で泣いた後、「お母さん、これからはもう泣かん」と誓った。
高等科も終わりが近くなった頃、良人はみどりを自転車の後ろに乗せた。良人は彼女に、自分が寂しがっていると思った父が古い自転車と交換してきたことを話す。みどりが「元気、回復したんじゃね」と言うと、彼は「お母さんは帰ってこんけえの」と口にした。高等科が終わってからのことを訊かれた良人は、兄が色々と考えてくれていることを話す。もうすぐ離れ離れになることに、みどりは寂しさを示す。後日、みどりが良人の家を訪れるが、彼の父親から「昨日、広島へ行ったんじゃ」と告げられた。
30年後。村役場の収入役をしている三吉は、東京の池袋で安アパートに暮らす良人と連絡を取る。三吉は良人に、市川が定年を迎えたので、祝いを兼ねて同窓会を開くことを話した。三吉は日時と場所を説明し、出席してほしいと告げて電話を切った。謝恩会の当日、会場である海楽亭には市川と道子夫妻、2人の娘夫婦、そして市川の教え子たちが集まった。みどりは結婚し、海楽亭の女将になっていた。大正14年に6年生だった生徒は32名だが、様々な事情もあって16名の出席となった。
尾形芳枝、吉田早苗、藤田芳夫、田中初子、田川里子といった市川の教え子たちが、順番に自己紹介した。誰もが様々な形で戦争の被害を受けており、あまり幸せな生活は送っていなかった。芳夫は被爆し、顔の左半分が大きなケロイドに覆われていた。彼は自虐的に、「米を食うとった人々がパンを食うとる。日本はダメじゃ。ワシも毎日、パンを食うとります。喜劇です」と語った。
里子が2人の夫を立て続けに戦争で亡くしたことを涙ながらに語ると、市川も泣いた。順番が来て「山崎さん、お願いします」と三吉に促された良人は、東京で脚本家になったこと、戦争中は海軍に行ったこと、徴兵検査で丙種合格だったので掃除部隊に回されたことを語る。彼は話しながら嗚咽し、「先生も本当に、お達者で」と口にした。「どがいな脚本を書いとるんか」と市川に問われた彼は、「先生に申し上げるほどの仕事は、まだしておりません」と答える。「いつになったら先生に見せる脚本が書ける?」という問いに、彼は「近い将来です」と答える。妻について訊かれた良人は、かつては結婚していたが今は独身であることを話した。 みどりは6年生の頃から結婚したいと心に決めていた相手がいたことを明かし、「ところが彼氏、村を出て行っちゃったの。それ以来、無しのつぶて。連絡があると思って、15年待ちました」と言う。しかし連絡が無かったので、今の夫に求婚されて妻になったのだと彼女は語った。みどりが待ち続けた相手が自分であることに、良人は気付いていた。市川は教え子たちに、小学校の近くに家を買って終生の住まいにすると決めたことを明かした。全員で校歌を合唱し、謝恩会は終了した。 三吉たちと共に市川を見送った良人は、みどりから「もう夜の9時になるよ。ウチに泊まっていきんさい。部屋はあるよ」と勧められる。三吉は賛同し、「明日、先生の家を見に行こうや」と言う。みどりに「アンタに話したいことがあったんや」と告げられ、良人は海楽亭で泊まることにした。みどりは良人を誘って砂浜へ出掛け、夫が女を作って大阪に暮らしていることを話す。「手紙の1本でもくれたら。ウチ、待っとったんよ」と言われた良人は、「酷い生活じゃったけね。それどころじゃなかったんよ。君を迎えても生活できんからね」と釈明した。みどりは「ウチ、今でもアンタのことが忘れられんの。身も心も振り捨てたい気分なんよ。ウチを抱いて」とせがんだ。彼女は消極的な良人を脱衣場へ連れ込み、関係を持った。
次の日、良人、みどり、三吉は市川夫妻の家を訪ねた。庭に出ると、すぐ目の前にある小学校を眺めることが出来た。市川は元気一杯で、「牛を買って乗りたい」「じゃがいもを庭で育てたい」などと語った。ボリュームの大きさに和子が驚くと、良人たちの来訪が嬉しいのだと市川は述べた。小学生たちの賑やかな声を聴き、市川は「美しき調べに聞こえる」と告げた。市川は今の生活に満足している様子で、「これ以上は望まなりき」と口にした。
その夜、良人はみどりの車で送ってもらうが、「一汽車遅らせなさいよ」と求められて「ほうじゃね」と答える。良人はホテルのロビーで彼女とコーヒーを飲み、それから汽車で東京へ戻った。良人は『日曜劇場』の脚本を担当者に見せるが、「まるで勢いがありませんね」と言われる。良人は「書き直したいんですが」と頼むが、それは無理だと告げられる。担当者は良人に、「疲れてる様子ですね。しばらく休んだら」と述べた。
三吉は良人に電話を掛け、みどりの夫が大阪でヤクザに刺されて死んだことを知らせた。良人はみどりに手紙を書こうとするが、途中で手を止めた。肝心な時に逃げてばかりいることを自覚した彼は、夜行列車で石内村へ向かった。みどりと会った良人は、夫の子供を産んだことを聞かされた。5年ぶりに『日曜劇場』の担当者と会った良人は、軽い喜劇を書いてほしいと依頼される。ずっとアルバイト生活を続けていた良人は、嬉しさに涙した。和子は役場を訪れて三吉と会い、市川が脳卒中で倒れたことを話す。市川は三吉から連絡を受け、石内村へ戻った。三吉は彼に、市川が言語障害で上手く話せないことを教えた…。

監督は新藤兼人、原作・脚本は新藤兼人、製作は新藤次郎&川越和実&石川博&李鳳宇、プロデューサーは新藤次郎、共同プロデューサーは河野聡&伊藤成人&須藤秋美、撮影は林雅彦、照明は山下博、美術は金勝浩一、録音は尾崎聡、編集は渡辺行夫、音楽は林光。
出演は柄本明、豊川悦司、大竹しのぶ、六平直政、川上麻衣子、原田大二郎、田口トモロヲ、角替和枝、りりィ、大杉漣、渡辺督子、根岸季衣、上田耕一、吉村実子、木場勝己、三谷昇、小島範子、井川哲也、山田海遊、下飯坂菊馬、小林きな子、松重豊、加地健太郎、平野稔、大森南朋、麿赤兒、吉久直希、渡辺栄香、大西賢、岩本歩乃佳、上中村祐哉、大上慎輝、大杉南々海、大隈彩加、大塚鉄太、岡野優也、岡部美佑、沖居菜穂、河西梨奈、河野瑞可、斎藤悠美、榮玲美、城口純、三百田将悟、下西広昴、城鼻大輝、多田将夫、多田野真央、田部里実、寺尾祐輝、中井志哉、林聖二、正木千里、増崎彩乃、増崎晴珠、増原瑠華、室山侑己、山田健作ら。


新藤兼人が2003年の『ふくろう』以来、5年ぶりにメガホンを執った作品。
撮影当時、新藤監督は95歳だった。この2年後に手掛けた『一枚のハガキ』が彼の遺作となった。
市川を柄本明、良人を豊川悦司、みどりを大竹しのぶ、三吉を六平直政、道子を川上麻衣子、撮影隊の監督を原田大二郎、撮影隊の助監督を田口トモロヲ、芳枝を角替和枝、早苗をりりィ、芳夫を大杉漣、初子を渡辺督子、里子を根岸季衣、みどりの義父を上田耕一、良人の母を吉村実子、良人の父を木場勝己、校長を三谷昇が演じている。
渡辺督子(渡辺とく子)は1984年まで日活ロマンポルノで活動した後、たぶん新藤監督の作品以外での映画出演は無いんじゃないかな。

この映画はキャスティングの段階で大きなマイナスを背負っている。「年齢的に無理があり過ぎるだろ」と思う配役のオンパレードなのだ。
まず豊川悦司と大竹しのぶが同級生で恋愛関係になるという部分からして、違和感ありまくりだ。豊川は1962年3月生まれで、大竹は1957年7月生まれなので、大竹の方が5歳も年上なのだ。
実年齢よりも「どう見えるか」の方が重要ではあるのだが、見た目で判断しても大竹しのぶが豊川悦司より遥かに年上だと感じるのよ。
大竹しのぶってベテラン感が強すぎるし。

その2人だけに留まらず、他にも年齢的に無理を感じるキャスティングの嵐である。
豊川悦司と六平直政が同級生ってのも違和感がある。六平直政は1954年4月生まれだから実年齢が豊川より8つも上だし、見た目でも遥かに年上だという印象だ。
そりゃあ、実際の同級生でも「Aは若く見えるけど、Bは老けて見えるから、並ぶと同級生に見えない」というケースは幾らだってあると思うよ。だけど映画としては、なるべく同級生に見えるメンツを揃えた方がいいと思うのよ。
実年齢が近ければ、同級生に見えなくても「実年齢は近いのよ」という言い訳が出来るけど、そうじゃないし。
だったら、せめて「同級生に見えない。こっちは若々しい、こっちは老けてる」という指摘を誰かがする形にでもしておいた方がいいんじゃないかと。

他の「同級生」の顔触れを見ると、角替和枝が1954年10月、りりィが1952年2月、大杉漣が1951年9月、渡辺督子が1949年12月、根岸季衣が1954年2月で、この辺りは年齢が近いんだよね。
1962年3月生まれの豊川悦司が1人だけ離れている。なぜ彼を起用したのか、理解に苦しむなあ。前述したように、豊川悦司と大竹しのぶのカップルは全くに似合ってないし。
カップルと言えば、柄本明と川上麻衣子の夫婦も違和感があるんだよなあ。
そりゃあ年の離れた夫婦なんて幾らでもいるけど、「似合ってないなあ」という印象を強く感じる。
なんせ角替和枝が出演しているだけに、「実際の夫婦なんだから、柄本明と彼女の夫婦役でいいじゃねえか」と思っちゃうし。
そんで豊川悦司と川上麻衣子がカップルなら、何となく収まりがいいわ。

主人公である市川の30年間を柄本明が一貫して演じているのも、相当に無理があると感じる。
一応、30年前の市川を演じる時は若作りのメイクを施しているんだけど、それだけじゃ隠し切れないぐらい老けている。
柄本明は1948年11月生まれであり、劇中における「現在の市川」を演じるにも何の問題も無いんだけど、30年前の市川は若い役者に演じさせた方が絶対にいいよ。
一貫して柄本明に演じさせれば、「若い市川と30年後の市川が同じ人物に見えない」ということが起きるリスクは回避できる。だけど、「30年前の市川が若い先生には全く見えない」という問題が生じているので、結果的には大失敗だわ。

そりゃあ、まだ新藤兼人が若かった頃には、役者が実年齢と全く合っていない役を演じている映画なんて山のように存在した。スター俳優は、オッサンになっても若者の役を演じることがザラにあった。
小津安二郎の作品を例に取ると、『晩春』では親子の役だった笠智衆と原節子が『麦秋』では兄妹を演じていた。まあ笠智衆は32歳から老け役をやっていたので例外的な部分はあるが、ともかく昔は役者の年齢と役柄が合致しないことは珍しくなかった。
ただ、時代が違うのだ。
2008年という時代に「昔はこういうのが普通だったから」ってことで同じことをやっても、それを寛容に受け入れてもらうことは難しいんじゃないかと。

役者の年齢だけじゃなくて、芝居の付け方も色々と引っ掛かるんだよなあ。
冒頭、昨夜は一家総出で田んぼの稲刈りをしていたことを三吉が話すと、市川は目に涙を浮かべる。そして顔をクシャクシャにして泣きながら謝罪し、席に戻るよう促す。
その芝居が、ものすごく大仰なのだ。
もちろん、それは柄本明という役者の持ち味ではなくて、そういう演技を新藤監督が付けているわけだ。
たぶん「人情味のある熱血教師」というキャラ設定なんだろう。
だけどねえ、その大げさすぎる芝居に、こっちの気持ちはすっかり冷めちゃうのよ。いきなりエンジンをフル回転させられると、その熱に付いていけないのよ。

っていうか、なんで回想形式にしなかったんだろう。その構成からして解せないんだよな。
この映画、最初に大正12年頃のシーンがあって、まずは30年前の物語を描く。しばらく時間を費やしてから、30年後のシーンに飛ぶのだ。
でも、そんな時間の飛躍があるのなら、どう考えても30年後のシーンから始めた方がいい。そこから回想シーンとして、大正12年頃のエピソードを挟む形にした方がいい。
そっちの方がメリットが多いはずだし、逆にデメリットは思い付かないぞ。

メリットとしては、まず「複数のエピソードを断片的に入れても、断片的には見えない」ということが挙げられる。
この映画だと、三吉の説明に市川が涙するエピソードの次に、運動会のシーンが短く描かれる。カットが切り替わると、市川が生徒たちに結婚することを話している。
でも、道子は運動会のシーンでチラッと出て来ただけなので、次のシーンで結婚になると、拙速だと感じてしまうのだ。何しろ、この2人が惹かれ合う経緯が全く描かれていないのでね。
しかし回想形式なら、「良人たちが市川と道子の結婚について語り合う」→「運動会での出来事を語り合う」→「市川が結婚を明かした時のことを語り合う」という流れにすることで、拙速だという印象を与えずに済むんじゃないかと思うのよ。そういう形にしておけば、回想シーンは良人たちが語る内容の補足という位置付けになるわけだから。
また、前述した「市川の大仰な芝居への違和感」にしても、先に30年後の良人たちが「先生は熱い人だったなあ」とでも語らせておけば、いい前振りになっただろう。

活動写真の撮影現場に遭遇するエピソードでは、監督や殺陣師をカメラが捉えると「映画監督」「殺陣師」というスーパーインポーズが出る。「スタート」という監督の声で画面が白黒に変化し、実際の無声映画のような映像になる。
そこだけ急に凝った映像演出にしてあるわけだが、「浮いている」という印象を受ける。
もっと問題なのは、すんげえ冗長ってことだ。
チャンバラで侍の首が飛ぶと映像がカラーに戻るので、そこで終わりなのかと思っていたら、また白黒映像に戻っちゃうのよね。

そこまで時間を割いて、活動写真の撮影シーンを丁寧に描いている狙いがサッパリ分からないんだよな。
成長した良人は脚本家になるが、その撮影現場を見たことが「映画の道に進みたい」と思うきっかけになったわけではない。
監督が「ええやないか、ああいう女優さんを見つけたいねえ」と道子の威勢の良さに感心するが、それが後の展開に繋がるわけでもない。
そこは一応、「市川が熱くなりやすい性格」ってことを示すエピソードではあるんだけど、ぶっちゃけ、無くても成立しちゃうぐらいなんだし。

良人が母親から止められたので試験に行かなかったことを話すシーンで、彼は山も畑も全て売り払って蔵の中に住んでいることを明かす。そのシーンで初めて、彼の家が貧乏であることが判明する。
それは遅すぎるわ。
その前から貧乏な仮定であることを示しておいて、その上で「母親から中学受験を止められた」という展開にすべきだよ。そうすりゃ「試験を止められたのは貧乏だからだな」ってことを、すぐに観客が悟ることが出来ただろう。
「その日は良人にとって中学の試験日」→「母親に止められた」→「家が貧乏」という情報が全て、その時に初めて明かされるってのは、構成として格好がよろしくないよ。
で、そういうのも実は、回想形式にしておけば解消できるんだよな。先に現在のシーンで「子供の頃、良人の家は貧乏だった」ってことを語らせておいて、そこから回想シーンに入ればいいわけで。

回想形式にした場合、「劇中で現在として描かれるシーンが、実際の現在とは異なる」という状況が発生する。
この映画の公開は2008年だが、劇中の「現在」は昭和30年代だ。
「劇中で過去と語られるシーンだけでなく、現在として語られるシーンも2008年からすると過去」というのは、望ましい形ではない。公開年と劇中の「現在」が合致する方が望ましいことは確かだ。
しかし、本作品のような構成にするぐらいなら、そういう問題があっても、まだ回想形式にした方が遥かにマシだ。

良人の母が死んだ時のエピソードでは、市川の存在意義が弱い。
その死を良人が告げた時、みどりが泣き出し、市川は見つめる。葬儀の行列が進む際、みどりは拝み、市川は自転車で駆け付ける。良人は「もう泣かない」と誓った後、みどりと橋で出会って自転車に乗せる。
その辺り、市川は何もしてないんだよね。
たぶん、良人とみどりの関係描写をしておきたいということだったんだろう。その辺りで消化しておかないと、子供時代の2人の関係を描かないまま終わっちゃうからね。

でも、それは「今まで忘れていたから慌てて処理した」という感じが強いわ。良人と市川の関係、良人のみどりの関係を、もっと上手い配分で消化できなかったものかと。
っていうか、実はそこも、回想形式にすることで解消できる問題だったりするんだよね。
現在のシーンで良人とみどりを再会させたり、もしくは「これから再会する」という手順を入れたりした後、自転車2人乗りで会話を交わした子供時代のエピソードを挿入する流れにすればいい。
そうすれば、「2人の関係描写を慌てて片付けている」という印象は与えずに済むだろう。

あと、自転車2人乗りのシーンでみどりが「高等科が、間もなく終わりじゃね」と言うんだけど、いつの間にか高等科に進んでいたのね。まるで気付かなかったよ。
ってことは、母親の死を告げる時には、もう高等科ってことなのかな。市川が母親と面談したシーンの直後に死んだわけじゃないのね。
面談の帰り道に母親が橋から川を見つめて自殺しそうな雰囲気だったので、その翌日には死んだのかと思っていたんだけど、たぶん違うのね。分かりにくいなあ。
で、もう良人と市川の絡みは無いまま、30年後に移ってしまうのよね。

謝恩会で大正14年に6年生だった生徒たちが集まるけど、市川は長く教師をやっていたんだから、教え子は彼らだけじゃないはずでしょ。
もちろん三吉は「同窓会も兼ねて」と説明しているけど、そこは大いに引っ掛かるんだよな。
良人たちからすれば市川は「小学校の頃の唯一の担任教師」だろうけど、市川からすると「大勢の生徒たちの中の数人」に過ぎないわけで。
いや、「過ぎない」という表現は違うかもしれんけど、他にも市川の定年に対してお疲れ様を言いたい教え子たちは大勢いるはずなのでね。

謝恩会のエピソードに入ると、成長した市川の教え子たちが1人ずつ自己紹介する。
だけど、そいつらは子供時代のシーンは全く存在感を示していなかったのよね。
だから、謝恩会のシーンで尾形芳枝が名前を言って「教室では窓際の三番目の席におりました」と告げ、彼女が小学生だった頃の短いカットが挟まれても、ピンと来ない。「ああ、あの子が成長した姿なのね」という感想は沸かない。
子供時代の映像を挿入しても、「だから何なのか」「誰だか分からんし」という印象だわ。

芳枝は謝恩会で、「私は長女じゃったんで、隣村から婿を取ったんじゃが、戦争へ行って上海のウースンクリークという所で戦死しました。爆弾を抱えて、敵の陣地へ飛び込んだそうで。骨も帰って来ん。子供が2人おったんじゃが、今は広島の方へ出ちょります。田んぼが四反ありました。生活のために半分人手に渡しました」と喋る。早苗は「私の夫はビルマで戦死しました。遺骨の箱は空っぽじゃった」「一人で百姓やるのは辛いです」「死んでしまいたい思う日があります。そんでも私は死にません」と語る。
芳夫は被爆しており、「アメリカの爆撃食ろうてのお。部隊は広島へ戻ったんじゃが、そこであのピカドンが待っとってやられた」と話す。里子は夫が戦死したこと、義父から「家を出てくれるな」と頼まれて夫の弟と再婚したこと、その弟も結婚2年目で召集されて戦死したことを語る。
そんな風に、そこへ来て急に「戦争の悲劇」を全員が訴え始める。それは映画としても「反戦のメッセージ」を声高に主張する形になっている。
ある意味では「いかにも新藤兼人らしい」と言えなくもないが、邪魔か邪魔じゃないかと言うと、完全に邪魔だわな。
そういうの、この映画には不要な要素だわ。

それと、そんな風に他の面々が「戦争で辛い目に遭いました。その後も苦労を重ねました」という旨を語った後、良人が自分のことを語る展開になるんだけど、そこは「必要な手順を踏んでいないと」と感じる。
他の面々の告白を聞いた良人は、「それと比べて自分は」という風に自身の不甲斐ない人生を感じているはずなのだ。
でも、謝恩会のシーンまでに良人の現状を描いていないから、そういうことが全く伝わって来ない。
本来なら、謝恩会の前に「良人は脚本家だけど全く売れておらず、情けない日々を過ごしている」ということを示す描写を入れておくべきなのよ。

30年後に移ると謝恩会のエピソードが最初にあるが、ここで「市川と教え子たちの絆」が描かれるのかというと、そんなことは全く無い。前述したように、教え子たちが辛い人生を告白する部分が大半だ。その後には、再会した良人とみどりの恋愛劇が描かれる。
そうなると、「市川って要りますか?」と言いたくなる。市川が他のことを描くために利用されるだけの道具と化しているように思えるのだ。
その辺りのシーンから市川を除外したとしても、大して支障は無いんだよね。教え子たちだけで集まって同窓会を開き、その後で良人が海楽亭に宿泊する展開に繋げても、何の問題も無い。
市川って、その程度の存在価値になっているのよ。教え子たちが謝恩会のシーンで「市川との楽しかった思い出」を語るわけじゃないしね。

「大事な時に後ずさりする」「肝心な時に逃げてばかりいる」という良人の性格は、台詞では説明されるけど、それを顕著に表すような小学校時代のエピソードは無いのよね。
そして大人になってからも、それを台詞で説明するまでは「大事な時に逃げてばかり」という性格を示すためのエピソードを用意していない。
そももそ登場してすぐに謝恩会へ移るので、そりゃあ良人の逃げ癖を示すためのエピソードなんて描写できるはずもない。
そういうのも、やはり「必要な手順を経ていない」と感じる。

良人が夜行列車で石内村へ戻ってみどりと話した時、「夫の子供を産んだ」という台詞があるので、「いつの間に」と思ってしまう。で、日曜劇場の担当者と会う2度目のシーンで「5年ぶり」という言葉が出て来るので、「いつの間に5年も経過していたのか」と驚かされる。
その次に良人が帰郷するシーンでは、みどりに5歳の娘がいるので、「子供を産んだ」と告白したのは良人と関係を持った5年後ではないってことだよね。でも出産しているから、たぶん1年ぐらいは経過しているはずだよね。
もうねえ、その辺りの時間経過がサッパリ分からないもんだから、後から驚く羽目になるのよ。
そこに限らず、この映画、ホントに時間経過が分かりにくいわ。

謝恩会の後は良人とみどりの関係がメインになっており、市川は完全にカヤの外だ。
前半では基本的に「市川と生徒たち」の関係を軸として内容を構築してあったはずなのに、後半に入って良人とみどりの恋愛劇にメインに据えちゃうと、何を描きたいのかピントがボケているとしか思えない。
もちろん両立できていれば何の問題も無いけど、どっちも互いを邪魔し合っているんだよな。
そして、どっちも中途半端で消化不良になっているんだよな。

その後、市川が脳卒中で倒れる展開を用意して「市川と教え子たちの関係」に再び舵を切るが、その展開自体が蛇足になってるんだよな。良人、みどり、三吉以外の教え子は市川が村を去る時に見送る以外、全く絡まないし。その見送りのシーンで急に村の人々が集結し、感謝を示すのは「作り過ぎ」と感じるし。
和子が「こんなことがあったんよ」と言い、脳卒中で倒れた市川が校庭に入って「授業の邪魔になるから」と追い出された時の回想劇が挿入されるけど、そんなのも邪魔なだけ。
そうじゃなくて、謝恩会を利用して「市川と教え子たちの関係」を描くべきでしょ。
そのためなら、謝恩会のシーンの時間を増やしてもいいだろうし。

(観賞日:2015年5月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会