『犬死にせしもの』:1986、日本

1947年、戦地から戻って3ヶ月の重左は、漁師として働いていた。彼は戦友の鬼庄と再会し、事業を手伝わないかと持ち掛けられた。鬼庄は戦艦大和の生き残りである伝次郎を従え、自分の漁船で海賊行為を繰り返していた。手伝うことにした重左は、闇ブローカーの岩テコを鬼庄に紹介された。岩テコは様々な物品を調達しており、鬼庄は彼が手に入れた船のエンジンを欲しがった。しかし鬼庄は愛人にしている女の身請けを持ち掛けられので、困惑の表情を浮かべた。
重左たちが船に侵入すると船室に多くの死体が転がっていた。彼らは別の海賊と鉢合わせし、撃ち合いになった。重左たちは伝次郎が所持した手榴弾を使うが、2つ連続で不発に終わる。仕方なく彼らは海に飛び込んで脱出するが、その直後に手榴弾が甲板で爆発した。別の船を襲った時、重左たちは数頭の牛を発見した。奥へ進んだ彼には、隠し部屋に洋子という若い女と付き添いの男が隠れているのを発見した。3人は中年男を残し、戦利品と共に洋子を連れ去った。
洋子は嫁入りするため大阪へ向かう途中だったが、鬼庄は重左に「金に換える」と告げた。洋子の嫁ぎ先である問屋の番頭は、商売相手である新興ヤクザの花万を訪れた。彼は若頭の猪狩に、洋子の捜索を要請した。猪狩は子分の火つけ柴たちに、仕事を命じた。火つけ柴は兄貴分である自分で顎で使う猪狩に、反感を覚えていた。捜索する女性の写真を見せられた彼は、驚きの表情を浮かべた。重左は洋子を強姦してから売り飛ばそうと考える鬼庄に反対し、争いになった。鬼庄は激怒し、洋子を連れて出て行くよう要求した。
洋子は重左に、サイパンで夫が戦死し、親のことを考えて再婚を決めたのだと語った。重左は彼女に、ビルマでの生き残りだと話す。彼は洋子に、肉体関係を持ったように装い、結婚の挨拶に行く名目で実家まで送り届ける計画を提案した。洋子は再婚相手を写真でしか見たことが無く、大分の実家まで連れて行ってほしいと頼んだ。翌朝、重左は鬼庄に洋子を抱いたと嘘をつき、船で出て行こうとする。そこへ火つけ柴が子分たちを引き連れて現れたので、洋子は船に隠れた。
火つけ柴は鬼庄に、洋子を引き渡すよう要求した。重左が拒否して拳銃で脅すと、最初は腰が引けていた鬼庄も同調した。しかし火つけ柴たちが3日の猶予を通告して立ち去ると、鬼庄は洋子を引き渡そうと言う。重左は改めて拒否し、高松にいる同郷で前科者の阿波政に協力してもらうと告げる。彼が洋子を船に乗せて高松へ向かおうとすると、鬼庄と伝次郎が同行を申し入れた。重左たちは洋子を船に残し、阿波政が映写技師を務める映画館へ赴いた。
重左は花万と向き合うことになったことを阿波政に説明し、油を用意してほしいと頼む。阿波政は花万と敵対することに反対するが、結局は油を手配を引き受ける。ただし条件として、丸亀の倉庫にある進駐軍のキャラコを盗み出すよう要求した。重左が承諾すると、彼は安田という男と合流するよう指示した。重左たちが合流場所に行くと、安田の正体は岩テコだった。4人は丸亀の倉庫に行くが、それは阿波政の罠で警官が待ち受けていた。重左たちは岩テコを詰問し、阿波政が過去に花万と組んでいたことを知った。
重左たちが罠に掛かっている間に、火つけ柴は過去に惚れていた洋子を拉致した。重左たちが家に戻ると、服を脱がされた洋子の写真が残っていた。岩テコは重左たちに、火つけ柴の愛人が笠岡にいることを教えた。火つけ柴は花万の元に戻らず、重左たちが洋子を殺したという偽の電報を猪狩に送った。重左たちは笠岡へ行き、愛人の千佳を連れ去った。3人は千佳の恥ずかしい写真を撮り、人質交換の材料にしようと目論んだ。
千佳が強気な態度で全裸になると、伝次郎が写真を撮った。重左は千佳を不憫に思って早々に撮影を終了させ、鬼庄はカメラを投げ捨てた。千佳は泣き出し、火つけ柴が西枯木島にいることを教えた。たえが女将を務める売春宿に、火つけ柴は来ていた。千佳が案内を申し出ると、重左は1人で宿へ向かおうとする。千佳に惚れた鬼庄は、心配だからと理由を付けて同行した。重左と鬼庄は拳銃と日本刀で火つけ柴を脅し、洋子を引き渡すよう要求した。すると火つけ柴は全く動じず、船で大阪に向かわせたと告げた。
重左は火つけ柴の言葉を信じず、改めて洋子の引き渡しを要求する。火つけ柴は鬼庄の船に火を放ったと言い、逆に脅しを掛けた。重左と鬼庄が急いで船に戻ると、何の問題も起きていなかった。そこへ火つけ柴の子分たちが現れ、舩に火炎瓶を投げ込んで銃を乱射した。その様子を少し離れた場所で猪狩が見ていた。火つけ柴は洋子を大阪へ向かわせず、部屋に監禁していた。猪狩は売春宿を訪れてたえを脅し、監禁部屋に案内させる。すると千佳が売春婦に協力してもらい、火つけ柴の隙を見て洋子を逃がした後だった…。

監督は井筒和幸、原作は西村望『犬死にせしもの』(徳間書店)、脚本は井筒和幸&西岡琢也、製作は山本洋&溝口勝美&宮坂進、企画は細越省吾、プロデューサーは山本勉、撮影は藤井秀男、照明は山下礼二郎、美術は下石坂成典&若瀬豊、録音は神戸孝憲、編集は谷口登司夫、音楽は武川雅寛、音楽プロデューサーは三浦光紀、主題歌『愛の輝き』は桑名晴子&加川良。
出演は真田広之、佐藤浩市、安田成美、西村晃、中村玉緒、平田満、蟹江敬三、今井美樹、風祭ゆき、水木薫、吉行和子、堀弘一、梅津栄、桂べかこ(現・桂南光)、清水宏、木之元亮、重松収、町田米子、ホープ豊、森安建雄、石井洋充、永田登志雄、北村明男、伊波一夫、石川慎二、立原繁人、酒井努、益田哲夫、堤真一、小島祐美、小船秋夫、福中勢至郎、杉山幸晴、伊藤克美、加藤正記、大迫英喜、石崎正二、東田達夫、吉田信夫、岡田和範、武井三二ら。


西村望の小説『犬死にせしものの墓碑銘』(文庫化の際に『犬死にせしもの』へ改題)を基にした作品。
監督は『晴れ、ときどき殺人』『二代目はクリスチャン』の井筒和幸。脚本は井筒監督と『ションベン・ライダー』『人魚伝説』の西岡琢也による共同。
当初は井筒和幸がプロデューサーで、大森一樹が監督を務める予定だったらしい。
重左を真田広之、鬼庄を佐藤浩市、洋子を安田成美、阿波政を西村晃、重左の母を中村玉緒、岩テコを平田満、火つけ柴を蟹江敬三、千佳を今井美樹、たえを吉行和子が演じている。

冒頭、小舟に乗った重左が壺に入ったタコを引き上げ、同乗している母に「その内、ええことがあるよ」と言われるシーンがある。
しかし、これだけでは「戦地から戻った重左が漁師の生活にウンザリしている」ってことを充分に伝えているとは言い難い。
そもそも、漁師の生活の何が不満なのかも分かりにくいし。稼ぎの少なさが不満なのか、それとも刺激が欲しいのか。
自分で漁師の仕事を選んでいるのなら、「じゃあ他の仕事を始めればいいだけだし」と言いたくなるし。

そこからシーンが切り替わると、重左が売春婦と一緒にいて、隣の部屋には鬼庄と愛人がいる。
ここは鬼庄の家なのだが、その時点では良く分からない。売春宿のように見える。
そこが分かりにくいのは別にいいとしても、「どういう経緯で重左が鬼庄と再会したのか」という部分の分かりにくさは説明不足と言わざるを得ない。
例えば前述したタコ漁のシーンをカットして、「重左が鬼庄と再会して家に招待される」というシーンを入れてもいいんじゃないかと。

重左が売春婦と一緒にいるシーンから翌朝に切り替わると、重左視点の映像になる演出がある。彼がハンガーから服を取ったり、部屋を移動したりする様子が、重左の視点映像で描かれる。
でも、この演出に何の意味があるのかサッパリ分からない。
少なくとも、その場面に応じた効果は得られていない。
また、そこから重左が戦地を歩いている時の回想シーンに切り替わったり、漁船で作業中の伝次郎を見た重左が戦地で手榴弾を扱っている様子を連想したりするのも、上手い効果には繋がっていない。

重左が子供たちの遊び相手をしている時も、戦闘を思い出す様子が描写されるが、これも全く効果があるとは思えない。
その後も重左たちが「戦争で生き残った」とか「戦争で助かった命」とか、やたらと帰還兵であることをアピールする台詞を口にするが、だから何なのかと。
ひょっとすると「戦争で生き残った男たちが女のために命を投げ出す」という図式を描きたかったのかもしれないけど、完全に失敗している。
「帰還兵の重左は戦争で心に傷を追っていて」ということを、ドラマとして上手く膨らませることが出来ていないからね。

重左が鬼庄の仕事を手伝うと決めた後、船室で数人の死体を発見する展開がある。そこまでの経緯をバッサリと省略しているため、「船を襲撃した時に船員はいなかったのか」など幾つか気になる点はあるが、そこは置いておくとしよう。
で、船室を出た重左たちは他の海賊と鉢合わせし、争いになる。海に飛び込んだ直後、手榴弾が爆発する。これで、このエピソードは終了する。
そして終了した時、「これって要るのか?」と言いたくなる。
このエピソード、丸ごとカットしてもいいでしょ。単独のエピソードとして面白味があるわけじゃないし、ストーリー展開を考えると全く必要性は無いし。

罠で、倉庫から警官たちが現れる。でも警官は大声で叫ぶだけで、重左たちを捕まえようとする気配は無い。
そして重左たちが慌てて逃亡したり、警官と揉み合いになったりすることも無いまま、次のシーンに切り替わる。すると船に残っていたはずの洋子は、なぜか鬼庄の家で火つけ柴に捕まっている。
その後、火つけ柴は服を脱がされた洋子の写真を残して去っているが、そんな物を残す目的が全く分からない。
あと、千佳の説明によれば、それは睡眠薬を飲ませて撮ったた写真であり、強姦した後ではないらしい。でも、そこは普通に強姦すればいいんじゃないの。それを避ける理由は何も無いし。

阿波政は重左たちを騙し、警察に逮捕させようとする。後で「お前たちのためじゃ」と言っており、花万との正面衝突を避けるための策略だったと説明する。
だけど理由はどうあれ、洋子は拉致されてしまい、重左からすると酷い裏切り行為になっているわけで。
それなのに、重左は阿波政に対して何の報復もせずに済ませているんだよね。
岩テコには怒りをぶつけて酷い目に遭わせているのに、阿波政に対してヌルすぎるだろ。むしろ阿波政の方が酷い目に遭わせるべきじゃないのか。

後で阿波政は洋子を花万から守って命を落とすので、そこでチャラになっている。
だけど、だったら重左たちを罠に落とす手順なんて用意しなくても良かったんじゃないかと。どうせ彼が仕掛けた罠なんて、大した意味を持っていないんだから。
仮に阿波政の依頼した仕事が本物だったとして、「重左たちが仕事をしている間に火つけ柴が洋子を拉致する」ということでも成立しちゃうのよ。
そもそも阿波政は洋子の居場所を知らないので、火つけ柴に密告することも出来ないんだから。

火つけ柴が洋子をモノにするために花万を裏切るため、そこに敵対関係が生じる。重左たちからすると襲って来るグループが2つになるのだが、これは話を散漫にしているだけで、プラスを何も感じない。花万の手下が火つけ柴を始末しちゃうので、消化不良に感じるし。
重左たちにとってみれば、倒すべき直接の敵は花万じゃなくて火つけ柴だからね。なので、いっそのこと「重左たちと火つけ柴の決着が付いて花万は手を引く」みたいな形でもいいぐらいなのだ。
でも実際は重左が花万の手下に撃たれ、鬼庄が船を走らせている状態で唐突な終幕が訪れる。
重左が死んでも花万が許してくれるわけじゃないし、何も解決していないのに。

ちなみに、千佳が重左たちに捕まった時、船のヘリに座って小便をするシーンがある。そこから「隙を見て海に飛び込んで逃亡を図る」という流れになるのだが、別に小便なんかしなくても「隙を見て逃亡を図る」という行動を取らせることは出来る。
だから、そもそも小便をする手順自体の必要性が薄いのだが、なんと井筒監督は今井美樹に実際に小便をするよう命じている。
でも説明不要だろうが、本当に小便をする必要なんて全く無い。
それを強要したことを、後に井筒監督は武勇伝のように得意げに語っている。
その感覚は、かなりイカれていると思う。これは良い意味ではなく、完全に悪い意味だ。

(観賞日:2022年9月1日)

 

*ポンコツ映画愛護協会