『犬と私の10の約束』:2008、日本

北海道の函館。斉藤あかりはソックスとの10年間を思い出していた。10年前、14歳のあかりは大学病院に勤める父・祐市と母・芙美子の 3人で暮らしていた。同級生の星進と砂浜を歩いていた時、あかりは子犬を見つけた。彼女は抱き上げるが、進は接触を避けた。プロの ギター奏者を目指している進は、母から「指を噛まれるから犬には近付くな」と言われていた。
あかりの誕生日、祐市の帰りが遅かったため、彼女は芙美子と2人でお祝いを始めることにした。ロウソクが無いので、あかりと芙美子は コンビニへ買いに出掛けた。祐市が仕事を終えて帰宅すると、あかりは既に眠っていた。芙美子は「もう少し娘との時間を作って欲しい」 と求めるが、祐市は「医者として今が一番大事な時期なんだよ」と弁明した。
翌日、あかりが学校から戻ると、庭に子犬が紛れ込んでいた。あかりは捕まえようとするが、子犬は逃げ出してしまった。そこへ祐市から 電話が入り、芙美子が家で倒れて病院に運び込まれたことを告げた。しばらにく入院することになるという。祐市は芙美子から病気に ついて聞かれ、心配は無いと返答する。だが、芙美子は自分が重い病気だと察知した。祐市は本当の病状について内緒にしておくつもり だったが、院長の皆川が勝手に告知してしまった。
あかりは、また庭に子犬がいるのを見つけ、今度は捕まえた。祐市は犬が苦手だったが、家で飼うことになった。あかりは子犬を病院に 連れて行き、芙美子に見せた。前足の片方が靴下を履いたようになっているのを見て、芙美子はソックスと名付けた。芙美子はあかりに 「犬を飼うときは10の約束をしなければならない」と告げ、その内容を説明した。
一時退院した芙美子は、あかりに歌を歌い、その内容を説明した。芙美子は祐市の耳掃除をしながら、「あかりをよろくしね」と告げた。 彼女は自分が長くないことを知っていた。祐市は嗚咽し、芙美子に抱き付いた。そんな2人の様子に、あかりは全く気付かず、ソックスと 庭で遊んでいた。芙美子は再び入院し、そして二度と退院することは無かった。
ソックスと共に砂浜へ出掛けたあかりは、コンビニのおじさんと出会った。おじさんは、「お母さんが犬を欲しがっていたので、ウチで 産まれた子犬を引き取ってもらった」と語った。あかりが犬を欲しがっていることを聞いた芙美子が、ソックスを譲り受けていたのだ。 ある朝、あかりは寝違えたせいなのか、首が曲がらなくなった。しかし夜、ソックスと遊んでいる内に治った。
祐市は札幌の大学病院に助教授として転勤することになった。それは昇進だが、家が見つかるまでは寮に住まなければいけない。祐市は あかりに転勤のことを話し、ソックスを連れて行けないことを説明した。家が見つかるまで、あかりはソックスを進に預かってもらうこと にした。ソックスの首輪に新しい電話番号を記し、あかりはソックスと別れた。
あかりと祐市は札幌に引っ越した。祐市は多忙で帰りが遅く、あかりは不機嫌になった。一方、進はソックスを喜ばせようと、ギターを 演奏する。クラシックには全く反応しないソックスだが、ポップスを演奏すると尻尾を揺らした。しかし父の真一は、「基礎が出来るまで はポップスは禁止だ」と注意した。彼は進に、パリの音楽学校から合格通知が届いたことを告げた。
2ヶ月後、あかりの元に、進から「明日、パリに留学する」という連絡が届いた。あかりは祐市に、見送りに行きたいと告げた。祐市は 休みだったので、バイクで空港まで送って行くことにした。しかし空港へ向かう途中、院長から緊急呼び出しを受けたため、病院へ行く ことになった。あかりは一人で空港へ向かうが、既に進を乗せた飛行機は飛び立った後だった。
祐市は病院へ赴くが、頼まれたのは簡単な手術だった。院長が政治家にゴマを掏るため、わざわざ祐市を呼んだのだ。祐市は「簡単なオペ のために家族を傷付けた」と口にして、辞表を提出した。ソックスは星の家族が外出している間に、ロープを外して逃げ出していた。 ソックスは警察署に保護され、首輪に電話番号が書かれていたため、祐市の寮に電話が入った。あかりと祐市は、ソックスを引き取りに 出向いた。祐市とあかりはソックスを隠し、部屋に連れ帰った。
祐市は前の家を買い戻し、改築して病院を開業した。札幌の大学病院で働いていた高橋朋が、看護師として来てくれた。祐市は少しずつ 家事を覚えていった。それから7年後、あかりは大学の獣医学部に通っていた。親友の井上ゆうこも犬を飼っており、あかりは彼女と一緒 に犬を散歩させることも多かった。ソックスは、すっかり大きく成長していた。
ある日、あかりは海外留学から帰国した進が凱旋リサイタルを行うことを知った。あかりはゆうこと共に会場へ行き、楽屋を訪れた。進は 久しぶりの再会を喜んだ。進はリサイタルの最後に、パッヘルベルのカノンを演奏した。それは、あかりが中学校時代に初めて進のギター を聞いた時に演奏していた曲だった。進はあかりを家へ送る途中、手を握ってきた。あかりも握り返した。
卒業式を迎えたあかりは、母の形見の着物を身にまとった。彼女はゆうこに、「星君から東京でのレコーディングに付いて来ないかと 誘われたが、父が学会に出席するから留守番をしなければいけない。犬がいると生活が狭くなる」と愚痴を漏らした。あかりは旭川市の 旭山動物園に就職し、中野を始めとする先輩たちに囲まれて働き始めた。
あかりは進と連絡が取れなくなり、自宅に電話すると久美子から「特別なレッスン中なので連絡しないでほしい」と言われてしまう。週末 に自宅へ戻ったあかりは、祐市から進のことを聞かされる。進は軽い交通事故に遭い、祐市の前の上司が治療したのだという。外科的には 完治しているはずなのに、精神的な問題なのか、進は指の運動機能が回復していないらしい。
あかりは進の元を訪れ、気晴らしに出掛けようと誘う。しかし進は精神的なショックが大きく、部屋から出ようとしなかった。あかりは ソックスに、「もう一度、私を助けて」と話し掛けた。彼女はソックスに手紙をくわえさせ、進の部屋に入らせた。彼女は真一に会い、 ソックスを預かってほしいと持ち掛けた。ソックスを進のセラピードッグにしようというのだ。
真一は歓迎し、ソックスは進に預けられた。進はソックスの前でギターを演奏し、シンディー・ローパーの『タイム・アフター・タイム』 を歌った。進のセラピードッグとしての役目を果たしたソックスだが、老いが体を蝕み始めていた。ソックスは自力で庭から屋内に上がる ことさえ、困難になっていた。あかりが動物病院で手術に立ち会おうとしていた時、祐市から電話が入った。ソックスが動けなくなったと いうのだ。あかりは中野から「今日は帰っていい」と言われ、ソックスの元に駆け付けた…。

監督は本木克英、原作&脚本は澤本嘉光&川口晴、製作は北川淳一、プロデューサーは吉田繁暁、企画は福島大輔、 アソシエイトプロデューサーは中村隆彦、撮影は藤澤順一、編集は川瀬功、録音は鴇田満男&鈴木肇、照明は豊見山明長、美術は 西村貴志、VFXプロデューサーは佐藤高典、ドッグ・トレーナーは宮忠臣、音楽はCho, Sung-Woo、音楽プロデューサーは小野寺重之、 主題歌『be with you.』はBoA。
出演は田中麗奈、加瀬亮、福田麻由子、豊川悦司、高島礼子、岸部一徳、布施明、矢島健一、笹野高史、ピエール瀧、相築あきこ、 池脇千鶴、海老瀬はな、佐藤祥太、藤井美菜、大沢あかね、竹嶋康成、大江麻理子、亀井京子、草野康太、大鷹明良ら。


世界に広く伝わっている作者不詳の英文詩「犬の十戒」(The Ten Commandments of Dog Ownership)というものがある。
犬が飼い主の人間に語り掛ける形式で、10のお願いをするという内容だ。
そこから着想を得て作られたのが、この映画だ。
あかりを田中麗奈、進を加瀬亮、祐市を豊川悦司、芙美子を高島礼子、少女時代のあかりを福田麻由子、少年時代の進を佐藤祥太、ゆうこ を池脇千鶴、皆川を笹野高史、コンビニのおじさんを岸部一徳、坂本を矢島健一が演じている。
監督は『ドラッグストア・ガール』『ゲゲゲの鬼太郎』の本木克英。

澤本嘉光と川口晴が原作としてクレジットされており、映画と同じタイトルの小説を、それぞれが執筆している。
ただし、まず原作小説があって、それを映画化したわけではない。プロデューサーの吉田繁暁が映画化の企画を立ち上げ、澤本嘉光と 川口晴が脚本を担当し、それと連動する形で小説の執筆が開始されることになったという経緯だ。
澤本嘉光は国内外の数々の広告賞を受賞しているCMプランナーで、ソフトバンクの「白戸家」シリーズのCMなどを手掛けた人物。彼の 小説は「サイトウアカリ」という名義で毎日新聞土曜夕刊に連載された。
川口晴は、脚本家の榎祐平や森えいみ、映画プロデューサーの榎望と同一人物だと思われる。こちらの小説は文藝春秋から刊行されている。

あかりは庭に子犬が紛れ込んでいるのを発見するが、それが砂浜で見た犬と同じかどうかは、あかりも言及しないので、確信が持てない。
でも、たぶん同じ犬という設定なんだろう。
で、そこで飼うことになるのかと思ったら、逃げられる。で、先に母の入院という、家族関係における大きな出来事を描き、あかりが ソックスを飼う展開は、先延ばしにされる。
だけど、まずは「犬を飼い始める」という出来事をさっさと描いて、それから人間関係における変化を描いていくべきじゃないのかね。
っていうか、母は倒れて入院するんじゃなくて、もう最初から病気で入院している設定にした方がいいような気もするし。
最初にあかりが「ソックスとの10年間」とナレーションをして回想に入ったんだから、早くソックスを飼おうよ。

再び庭に現れた子犬を捕まえるために、あかりが洗濯物のシャツを投げるシーンの安っぽさと言ったら無い。
で、あかりは捕まえた子犬を病院に連れて行くが、いいのか、そんなことして。病院って、動物を勝手に持ち込んでも大丈夫なのか。
母はあかりに「犬を飼う時には10の約束をしなきゃダメ」と言い、犬の十戒を語り始める。わざわざ母が犬の立場になって喋り、横には 吹き出しと言葉が表示される。そして十戒を一つ言う度に、あかりがいちいち相槌を打つ。
この演出も、陳腐で仕方が無い。
しかも困ったことに、こっぱずかしい演出が邪魔になって、そこで母が語る犬の十戒は、まるで頭に入って来ない。それだけでなく、そこ で示された犬の十戒を、見ている中で思い出すことは全く無い。あかりも、それを思い出すことは、ほとんど無い。終盤、ソックスの死が 迫り、ようやく思い出すだけ。エピソードの一つ一つが、10の約束の一つ一つとリンクしているような仕掛けも無いし。

母は退院した後、砂浜で歌を歌い、その内容について語る。
でも、その歌の意味に、ちょっと犬の十戒と被っている部分があるんだよな。そりゃ余計だよ。
で、母は死ぬのだが、ここでのソックスの関わりの薄いことと言ったら。ただ居合わせただけに過ぎない。
この映画、ずっとそんな感じ。
人間のドラマがメインで、あかりとソックスの関係は中心に位置していない。

母が死んだ後、あかりはコンビニのおじさんと出会い、「お母さんが犬を欲しがっていたから引き取ってもらった」と聞かされる。
でも、ソックスって庭に迷い込んでいたよな。あれって、どういうことなのよ。なぜ引き取った犬が迷い込んでいるのよ。
引き取ったのなら、母は普通に「あかりが欲しがっていた犬」ということで、渡せばいいでしょ。入院しているから自分で渡すことは 不可能だが、そこは誰かに頼めばいいことだ。
っていうか、なぜ引き取る話を父が知らされていないんだよ。どういう設定なんだ、そこは。

母が死んだ後は、「あかりの悲しみやショックをソックスが癒やしてくれる」という展開にするのが鉄則というものだろう。
ところが、なぜか「曲がらなくなった首が、ソックスと遊んでいたら動くようになった」という、何を伝えたいんだかサッパリ分からない シーンに繋げている。
それは何なのかと。
「あかりの首が曲がらなくなったのは、母を失った悲しみの象徴で、それが治ったのは、ソックスによって悲しみが癒やされたという意味 」とでも解釈しろというのか。

あかりは引っ越しをするのでソックスを進に預けることになる。
でも、それまでに、あかりとソックスが絆を深めるドラマなど大して描かれていない。
だから、ソックスのしばしの別れのシーンでも、あかりは泣いているが、こっちは全く心の琴線を揺さぶられない。
「どうせ家が見つかれば引き取るんだから」という感想が出てくるだけで、淡々と過ぎて行く。

あかりが進の見送りに向かう途中、父が病院からの呼び出しを受けるという展開がある。
ここで父が行かないことの意味はゼロと言っていい。
このエピソードで重要なのは、「あかりが進を見送れなかった」ということだ。だから、「何か事情があって遅れる」という箇所に 意味を持たせるべきなのに、それよりも「父が病院のために家族との時間を犠牲にする」ということが強く打ち出されてしまう。それは 避けた方が望ましい。
そこで「父が病院から呼び出される」という部分を排除してしまった場合、「父が院長に辞表を提出する」という展開に移行できないと いう問題は生じる。
だが、それは、また別のシーンで描けばいいことだ。
その流れで「簡単なオペのために家族を傷付けた」と怒って父が辞表を提出するのは、「そんな簡単なことで辞表を出すのか。堪え性が 無さすぎるぞ」と思ってしまうし。

ソックスは星家から逃げ出すが、警察署に保護され、あかりと父に引き渡される。
驚くべきことに、あかりがソックスが逃げたことを知る時には、既に警察署に保護されている。
つまり、「ソックスが逃げ出したことを知り、あかりが心配したり捜しに出掛けたりする」という展開は無いのだ。
っていうか、そもそも引っ越してから、ずっとソックスを気にしているわけでもないし。

人間ドラマが進行していない間に、あかりとソックスの様子が映し出される。だが、それは「ごく普通の日常」として淡々と描かれており 、特にこれといったエピソードがあるわけでもない。
で、ようやく、あかりとソックスの関係がメインで描かれるかと思われた、あかりの引っ越し&ソックスの家出というエピソードでさえ、 あっさりと処理してしまう。
進の指が動かなくなるエピソードで、ようやくソックスがマトモに関与する。
だが、それはソックスをセラピードッグとして使うというものだ。。
何だよ、その無理矢理すぎる展開は。ソックスが人間関係に絡む唯一と言ってもいいエピソードが、そんな強引すぎる形とは、何たるこ とか。もっと自然な形で関わらせることは出来なかったのか。。
しかも進はソックスを預かった途端、ギターを弾き始める。「なぜ?」と思うだけで、まるで説得力が無い。
例えば、「荒れたり沈んだりしていた進が、ソックスと触れ合うことによって次第に意欲を取り戻す」といったドラマは無いのだ。いき なりギターを弾くのだ。
あと、そこで進が『タイム・アフター・タイム』を歌い、彼の母が父に「貴方、あの子、歌ってる」と嬉しそうに言うのは違うだろ。
その前に、ギターを弾いたことに喜ぶべきだろ。
だから、そこは歌が邪魔なんだよ。
なぜ歌わせたのか。

劇中で描かれる大きなエピソードは、母の入院と死にしろ、父の転勤と辞職にしろ、進の留学にしろ、あかりと進の恋愛にしろ、どれも ソックスがほとんど関与していない。
この映画は「あかりの10年間」を描いた内容であり、ソックスは構成する要素の1つとして存在しているに過ぎない。
じゃあソックスを脇に置いた人間ドラマは上手く行っているのかというと、それもイマイチ。
その場だけで、流れが続かないことも、しばしば。

あかりが進と付き合い始めても、他のエピソードに入ると、そこには全く触れなくなる。
進の事故絡みのエピソードの後、ソックスが死を迎えるエピソードに移ると、進は全く絡まない。
進だってソックスには世話になったのだから、そこは少しぐらい関わりを持たせても良さそうなものなのに。
ゆうこも、あかりが大学を卒業すると、ほとんど出て来なくなる。

ラストはあかりと進の結婚式で、参列した父は母とソックスの遺影を抱いている。
だけどソックスの遺影は要らないだろ。あかりと進を結び付けたのはソックスじゃないし。2人の結婚に、ソックスは何の関係も無い。
あかりも風が吹いて「お母さん」と口にはするけど、ソックスのことは思い浮かべないし(そりゃそうだ、結婚式で飼っていた犬のことを 思い浮かべるような女はイヤだ)。
結婚式をラストに持って来るという構成そのものが、間違っているのよ。
動物映画で当たりを見つけるのは、砂漠で落としたコンタクトレンズを見つけるより難しいと私は思っているんだが、この映画も、やはり外れだった。

(観賞日:2009年3月26日)


第2回(2008年度)HIHOはくさい映画賞

・最低主演女優賞:田中麗奈
<*『銀色のシーズン』『築地魚河岸三代目』『山桜』『犬と私の10の約束』の4作での受賞>

 

*ポンコツ映画愛護協会