『犬と歩けば チロリとタムラ』:2004、日本

ある女性が、赤い車で草原へやって来た。彼女は飼っている犬を連れ、車から出た。そして首輪を外し、犬を草原へと放した。彼女は 済まなそうな表情を浮かべ、車に戻った。犬は女性の元へ戻ろうとするが、車は走り去ってしまった。犬は走り続け、街へとやって来た。 しつけの行き届いた犬は、赤信号で停止し、青信号で横断歩道を渡った。
夜のコンビニで買い物を済ませた岡村靖幸は、店の前で捨て犬と出会った。靖幸は犬にパンを与え、アパートへ戻った。とは言っても彼の 部屋ではなく、無職の彼は雑誌編集者の恋人・古川美和の部屋に住まわせてもらっているのだ。その美和は末期ガンの母・美子の面倒を 見るため、故郷の山口県へ戻ると決めた。そのため、靖幸は部屋を出ることになっており、荷造りをするよう美和から言われていた。 しかし全く荷造りを進めていなかったため、戻った美和から叱られる。
翌日、靖幸はアパートの前で昨晩の犬を見つけた。またエサをやろうとするが、美和に注意される。バスで去る美和を見送った靖幸は、妹 の涼子と夫・田島剛のアパートを訪れる。そこに泊めてもらうだった靖幸だが、切り出す前に「ウチはダメ」と涼子に言われてアテが 外れた。涼子の部屋を後にした靖幸は、雨が降り出したために夜の公園で雨宿りする。
靖幸は美和の部屋の合鍵を持っていることを思い出し、彼女に電話して今晩だけ泊まらせてほしいと頼む。美和は「絶対にダメ」と言うが 、構わず靖幸はアパートへ向かう。すると部屋の前には、あの犬が佇んでいた。靖幸は鍵を開け、犬を入れて夜を明かした。翌朝、大家が 新婚カップルを連れて部屋にやって来たため、靖幸は犬を伴って慌てて立ち去った。
公園にやって来た靖幸は、犬が小学生の友人・田村に似ていることから「タムラ」と名付けた。靖幸は別れを告げて去ろうとするが、 タムラはファミレスまで追い掛けてくる。タムラを連れて公園に戻ると、警察官が現われた。「君の犬か」と尋ねられて「そうです」と 返答した靖幸だが、住所を尋ねられて困り、逃げ出そうとするが捕まってしまう。
涼子が身柄の引き取りに訪れ、靖幸は解放された。タムラが保健所に連行されたと確信した靖幸は、連れ戻しに出掛ける。だが、保健所に タムラの姿は無かった。しかし公園に戻ると、タムラが現われる。再会を喜んだ靖幸は、それを伝えようと美和に電話を掛ける。しかし 病院にいる母や祖母・富、引き篭もりの妹・美紀のことで神経をすり減らしている美和からは、「私のことなんて何も考えていない。二度 と電話して来ないで」と告げられてしまう。
靖幸は剛に連れられ、彼の馴染みの飲み屋へ出掛ける。靖幸が眠り込んでいる間、剛はマスターや常連客4名と共にタムラのことを語る。、 1人がセラピー・ドッグという存在について口にした時、ちょうどテレビではチロリというセラピー・ドッグの特集が放送されていた。剛 はインターネットで検索し、セラピー・ドッグの訓練所を調べた。
翌日、靖幸はセラピー・ドッグの訓練所を訪れ、所長に面会してタムラを紹介する。所長はタムラが賢くて素質のある犬だと認めたが、 今は手一杯だと言われる。諦めて去ろうとした靖幸は、これからどうするのかと所長に尋ねられ、「考えます」と答えた。すると所長は、 「考えがまとまるまで、ここに寝泊まりしてタムラの面倒を見てはどうか」と提案した。
靖幸は訓練所に寝泊まりしながら、セラピー・ドッグのトレーナーとしてタムラの訓練を開始した。靖幸はトレーナーの若林華子らと共に 、タムラを指示通りに動くよう教え込んでいく。ある時には実地訓練のため、靖幸は療養施設を訪れた。施設の老人の1人・伊藤清太郎が、 タムラと触れ合った。セラピー・ドッグを広く知らしめるため、小学校も訪れた。
そんなある日、清太郎の娘が訓練所を訪れ、清太郎が逝去したことを告げる。彼女は靖幸に感謝の言葉を述べ、清太郎がタムラと会うのを 楽しみにしていたと語った。靖幸は、タムラが美和の役に立つのではないかと考える。そこで彼は剛に車を運転してもらい、美和の元を 訪れた。美和から自分本位な行動だと非難された靖幸だが、タムラを受け取ってほしいと彼女に申し入れる…。

監督は篠崎誠、原作&脚本は七里圭、プロデューサーは岡田裕、企画協力は久世恭子、撮影監督は萩田憲治、撮影は米田実、編集は 樋口泰人、録音は岩丸恒、照明は松井博、美術は山崎輝、音楽は長嶌寛幸、音楽プロデューサーは大木トオル、 主題歌『スウィート・リトル・ダーリン』詞・曲・唄は大木トオル。
出演は田中直樹、りょう、吉村由美(Puffy)、片桐仁(ラーメンズ)、唯野未歩子、大木トオル(特別出演)、藤田陽子、天光眞弓、 桜むつ子、青木富夫、芹川藍、葛西佐紀、嶋田久作、眞島秀和、矢沢心、渡辺哲、洞口依子、ガダルカナル・タカ、寺島進、はなわ、 スネオヘアー、青木和代、坂本宗一郎、倉持薫、清田正浩、榮亮一、大沢紗衣、高橋和久、神山勝、桂小かん、沢美鶴、滝沢宗茂、 渡邊悠、TAKERU、藤原美穂、伊吹洸一、伊東みどり、馬場美智代、三宅理恵子、坂本裕代、倉地留美子、井上紀子、藤沼香織、石川圭介ら。


動物介在療法(アニマルアシステッドセラピー)に使われる犬を題材にした作品。
劇中に登場するタムラ(本当の名はピース)とチロリは、実際にセラピードッグとして活動している犬だ。
国際セラピードッグ協会が「セラピードッグ監修」として表記されるが、その会長はブルース・シンガーの大木トオル。劇中の所長を演じ、主題歌も担当している。
靖幸をココリコの田中直樹、美和をりょう、涼子をPuffyの吉村由美、剛をラーメンズの片桐仁、華子を唯野未歩子、美紀を藤田陽子、 美子を天光眞弓、富を桜むつ子、清太郎を青木富夫(突貫小僧)、警官を嶋田久作&眞島秀和、タムラの元の飼い主を矢沢心、飲み屋の マスターを渡辺哲、飲み屋の客を洞口依子&ガダルカナル・タカ&寺島進&はなわ、田村をスネオヘアーが演じている。
なお、青木富夫は本作品が遺作となった。

タイトルロールの後、靖幸がタムラに「おお、どうした」と声を掛けるシーンに、違和感を覚えた。
そもそも野良犬なんて大して珍しくも無いだろうから、すぐ声を掛けること自体に引っ掛かりはあるが、それよりもコンビニを出た靖幸が 真っ直ぐタムラに向かう動きが不自然に思える。
声を掛けて即座にパンを与えるのも、間が開くのが怖いのかと思ってしまう。
で、パンを与えたら、すぐに立ち去るんだよな。
だったら、「犬に気付くけど通り過ぎて、付いて来るのでパンを与える」という形でいいじゃん。
いや、コンビニ前でパンを与える形でも構わないよ。
でも、それなら例えば「店を出て視線が向く」「そこに犬がいる」「犬に歩み寄る」という手順をカットを割って見せた方がいいんじゃないかなあ。
っていうかさ、そこで性急な感じで「犬に声を掛けてパンを与える」という動きを見せるのは、靖幸の優しさライセンスをアピールした かったのかもしれないけど、タムラと会う前に彼の性格をアピールしておいた方が良かったんじゃないのかな。
その次にアパートで美和から引越し準備のことで注意されるシーンがあるけど、それなら、まずアパートのシーンで靖幸の性格を描写し、それからコンビニへ 出掛けた彼がタムラと出会ってエサを与えるという順番にしてもいいと思う。

靖幸は小学生時代のことを思い出し、犬にタムラと名付けるが、何がどう同級生の田村と似ているのかサッパリ分からない。
小便をするシーンは重ね合わせているけど、それ以前から靖幸は「犬が誰かに似ている」と感じているわけだし。
もっと変なのは、タムラと名付けた直後に「じゃあ俺は行くから」と立ち去ることだ。
お前、飼う意思も無いのに名付けたのかと。
で、飼う意思など無かったはずの靖幸は、警察官に尋問された時にタムラを「自分の犬です」と言うのだが、不可解に感じてしまう。
それは「保健所の職員が見えたので、タムラが捕まると可哀想だと思った」ということではない。
保健所の職員を確認する前に、靖幸は自分の犬だと言っているんだよな。それって変じゃないか。
ついでに言うと、警察官から逃げ出そうとする行動も不自然に感じるなあ。

靖幸とタムラの物語と並行して、故郷での美和と家族の話も綴られる。
これの必要性が分からない。
ダメ男とセラピー・ドッグの触れ合いを描く物語が真ん中にあるわけで、別れた女が故郷で何をやっていようと、映画としてはどうでもいいんだよ。
これは靖幸と美和の恋人関係を描くドラマじゃないんだから。
帰郷した後の美和は、1シーン程度の出番でもいいぐらいだ。

飲み屋のシーンでは、「犬が大きくなって面倒を見切れなくなったら保健所へ連れて行く飼い主もいる」「野犬はほとんどいない。大概は 飼い犬か捨て犬」「そういう人に犬を飼うしかは無い」「命を救うなら最後まで」などと、やたら説教臭いセリフを登場人物が並べ立てる。
セラピードッグのことを口にしたり、たまたまチロリがテレビで取り上げられていたりという展開も不自然極まりない。
そんな飲み屋のシーンを受けて、靖幸はタムラをセラピードッグにしようと考えるのだが、なぜなのかワケが分からない。
靖幸はタムラに情が沸いて一緒にいたいと思うようになったようだが、それと「タムラをセラピードッグにしたい」というのとは全く別だ。
「タムラだけでも居場所が見つかれば」ということなら、飲み屋の客を頼りに預かってくれる人を探せばいい。
なぜ宿や職、あるいは預かってくれる人を探さず、いきなり「タムラをセラピードッグにしよう」という考えになるんだよ。

靖幸はセラピードッグに関心があったわけではないのだが、最初から素直にトレーニングに入っている。
そこには、「当初は関心ゼロだったが、次第にセラピードッグに情熱を抱くようになっていく」という流れは無い。
最後まで見ても、靖幸がどこかでセラピードッグに生き甲斐、やりがいを感じたという風な様子は伺えなかった。ただ何となく流れているだけに見えた。
結局、靖幸ってタムラと出会っても、大して変わってないように思えるし。

訓練所の所長が「考えがまとまるまで寝泊まりしてタムラの面倒を見ればどうか」と言い出すのも、ムチャクチャな話だ。
セラピードッグのトレーナーって、そんなに簡単になれるもんなのか。
その辺りに、「セラピードッグ啓蒙映画」としての強引さが顕著に表れているということだろう。
そう、この映画、完全にセラピードッグ協会のプロパガンダ映画になっているのだ。

しかし、映画を見ても、セラピードッグが何なのか、どういうものなのかはサッパリ分からない。
車椅子に合わせて指示しているシーンが出てくるので、単に「しつけが行き届いた犬」とは違うんだろう。
でも基本的には、「しつけが行き届いた犬」であれば、セラピードッグになれるように見えちゃうぞ。
セラピードッグ協会をアピールしたいのであれば、大木トオルが所長を演じたのは明らかにマイナスだよなあ。
この人の英語混じりのセリフ回しは、いかにも「胡散臭いオッサン」なのよ。
特別出演させるにしても、もっとチョイ役にしておくべきだった。所長役は、もっと芝居の達者な人に任せるべきだった。
そこは芝居としての重みや説得力が何より重要な位置なんだから。

セラピードッグ啓蒙映画としての「縛り」が生じたことで、滑り出しは「ダメ男が捨て犬と触れ合うことで人間的に変化し、成長していく ドラマ」だったのに、訓練所に行くところからは急にセラピードッグの話になる。
ここの繋ぎ目はガッタガタ。
ていうか繋がってない。
で、そのセラピードッグにシフトする後半の展開のために、美和の話も並行して描かれているんだが、ここもギクシャク感たっぷり。
そもそも、なぜ靖幸がタムラを連れて行こうと考えたのかもイマイチ分からないし。

さんざん引きずっていた問題が、タムラが来たことで簡単に(ホントに簡単なのだ)解決してしまう展開も、アホらしいとしか言いようが無い。
そもそも、美和ファミリーのドラマの厚みなんて要らないのよ。
大切なのは靖幸とタムラの話でしょうが。
タムラを美和に渡してしまったら、「ずっと女のことを考えていた、そのためならタムラと簡単に離れられる」ってことになっちゃう。
「タムラやアニマルセラピーは二の次で何よりも美和」じゃマズいでしょ。

大体さ、美和の抱える問題が解決するのは、たまたま過去に飼っていた犬タローとタムラが似ていたという要因があるのよね。
それって、セラピードッグとしての素質とは無関係じゃん。
妹に関しては、なぜ犬を見ただけで簡単に問題が解決するのかは良く分からん。
たぶん無類の犬好きだったんだろう。
あと、そこをクライマックスにしちゃうもんだから(というほど盛り上がらないが)、主人公が介在しないクライマックスということになってしまう。
変な構成だよなあ。

あと、チロリってほとんど出てこないし、物語に全く必要性が無いでしょ。
「捨て犬だったチロリを大木トオルが拾って半年の特訓でセラピードッグになった」という、「そっちを映画化すればいいんじゃないか」 と言いたくなってしまうような事実は、この映画に何の影響も及ぼしてないし。
セラピードッグ協会のゴリ押しで、どうしても登場させなきゃいけなかったのか。
それにしても、「チロリとタムラ」というサブタイトルはおかしいぞ。

 

*ポンコツ映画愛護協会