『インストール』:2004、日本

母・毬子と2人暮らしの17歳の女子高生・野沢朝子は、平凡すぎる生活に退屈を感じていた。事故死した同級生コウイチと妄想の中で話す 日々を過ごしていた彼女は、内部エラーで心がフリーズしてしまい、部屋の物を全て粗大ゴミに出した。その中には、祖父から貰った パソコンもあった。祖父は自分も同じ物を買ったのだが、使い方が分からぬまま死去してしまった。
朝子はゴミ捨て場の前で寝転び、妄想に浸っていた。すると、そこへ小学生の青木かずよしが現われた。かずよしが「粗大ゴミは申告制 なのに」とつぶやくので、朝子は「フリーマーケットへようこそ」と取り繕う。かずよしが壊れたパソコンを欲しがったので、朝子は “おじいちゃん”と呼んでいたそれを「直せるのなら」ということでプレゼントした。
翌日から、朝子の生活が変わった。朝、制服を着て学校へ行くフリをする。母の毬子が出勤したことを確認してマンションの部屋に戻り、 そこで一日を過ごすのだ。ベランダから外を眺めていた朝子は、かずよしと再会し、彼のマンションへ行く。かずよしの母・かよりは、 デパートの下着売り場で働いているのだという。かずよしは朝子に、パソコンそのものが壊れていたわけではなく、OSをインストール すれば動くようになったことを語る。かずよしはパソコンを親に内緒にしており、押入れに隠していた。
かずよしは朝子が登校拒否で昼間は何もしていないと知り、「僕と組んで働きませんか」と誘う。それはチャットでエッチな会話をすると いうアルバイトだ。かずよしは以前からカナコという偽名を使い、25歳の専業主婦としてネカマをやっていた。携帯サイトで知り合った 風俗嬢のミヤビから、そのバイトを勧められたのだという。ミヤビはコケティッシュ・チャット館というサイトでチャットをしていたが、 子育てが忙しいので代役を欲しがったらしい。
朝子は時給1500円で、そのアルバイトを始めた。仕事の時間は、かずよしが学校へ行って戻ってくるまでの間だ。かずよしが通う学校では 、教師として毬子が働いている。男性経験の全く無い朝子だが、次第にエッチなチャットで相手を喜ばせるコツを掴んでいく。だが、朝子 が来る度にコーラを飲むことで、かよりが侵入者の存在に気付いた…。

監督は片岡K、原作は綿矢りさ、脚本は大森美香、製作は黒井和男、プロデューサーは佐藤直樹&有重陽一、企画コーディネイトは 樋口一成、企画協力は古賀誠一、撮影は池田英孝、編集は大森晋、録音は郡弘道、照明は後藤謙一、美術は磯田典宏、 VFXプロデューサーは大野丈晴、音楽はRita iota、音楽プロデューサーは岩井健郎。
主題歌「記憶のカケラ」はRita iota、作詞・作曲は水野ノブヨシ。
出演は上戸彩、中村七之助、神木隆之介、田中好子、小島聖、菊川怜、花原照子、今福将雄、宇梶剛士、神戸浩、田中要次、森下能幸、 吉田朝、大河内浩、KAORU、脇知弘、矢作公一、村島リョウ、藤谷舞、西原亜希、五十嵐純子、橋本甜歌、船原悠、小見真由美、 ピエール桜井ら。


17歳で第38回文藝賞を受賞した綿矢りさの同名小説を基にした作品。
テレビ演出家の片岡Kが初めて映画のメガホンを執っている。
余談だが、片岡Kは女優の井出薫を「これから」という時期に嫁にして引退させた人物だ。
朝子を上戸彩、コウイチを中村七之助、かずよしを神木隆之介、毬子を田中好子、かよりを小島聖が演じている。
アンクレジットだが、かずよしの父親役は片岡K。

朝子が何かを食べたり飲んだりする口元をアップにするのはエロティックを意識しての演出だろうが、その程度が限界だ。
チャットの内容も軽いし、そもそも単に文字が表示されるだけであり、上戸彩が実際にエロい言葉を言いまくるわけではない。
だから、高校生がエッチなチャットを始める話だが、エロの匂いは全くと言っていいほど漂ってこない。
セリフとしては、せいぜいスカトロとかセックスといった言葉を語る程度。
上戸彩の視覚的なお色気サービスも当然と言えば当然だが全く見られず、せいぜい神木隆之介クンに胸を服の上から触られる程度だ。

退屈が理由でドロップアウトした朝子が、小学生と出会ってエッチなチャットのバイトを始める。
いかにも非現実的な導入で、どんな展開がそこから待ち受けているのだろうかと思ったら、何も待ち受けていない。
朝子がチャットを始めても、そこで何か大きな出来事があるわけでもないし、彼女の中で何か変化や成長があるわけでもない。
映画としては、「なんじゃ、そりゃ」と言いたくなるほど、見事に何のドラマも無い。
これといったことは何も起きないまま、チャットのバイトが終了し、映画も終幕を迎える。
ようするに、朝子は特にこれといったきっかけや理由も無く、何の変化も成長もせずに社会復帰するわけである。
そのことを痛烈に皮肉るわけでもない。
これはきっと、「現実なんてドラマティックなことがホイホイと転がっているわけでも無いし、特に大きな出来事が無く てもコロッと生活が変わることはある」という、現代の少女のリアルを描き出そうとしているのだろう。

この映画には、中身が何も無いと言い切っていい。
朝子はモノローグを多弁に語るが、しかし人間としての中身は何も無い。
これはきっと、現代の少女の空虚さをリアルに描き出そうとしているのだろう。
朝子は、例えばチャットのアルバイトを嫌がる態度を取っていた直後、変化のきっかけが何も無いまま喜んで承諾するという風に、その感情の動きはとりとめが無い。
これはきっと、「この年代の少女はコロコロと変化する理解不能な生き物だ」というリアルを描き出そうとしているのだろう。
この映画は、全く話が進まない。
チャットを始めたところから、まるで話が動かない。
かなり長いスパンの話のはずだが、全く時間経過を感じさせない。
これはきっと、この話に寓話性、ファンタジーとしての味わいを持たせるための作戦なのだろう。

チャットの相手は全く存在感が無いし、チャットをする中で朝子と相手の距離が縮まったり、コミュニケーションが深まったりするようなことは一切無い。
これはきっと、チャットの空虚さをリアルに描き出そうとしているのだろう。 かなりダイアローグに頼る部分が大きい構造になっているが、語る内容、テンポ、繋ぎ方に面白味は無い。
これはきっと、「日常なんて、そんなに面白いことは無い」というリアルを描き出そうとしているのだろう。
セリフの途中でBGMを一時停止して再び始めたり、SEを多用したり、妄想シーンを何度も挿入したり、女性コーラス入りBGMを多用したりという演出は、全て上滑りしている。
これはきっと、朝子のドロップアウトした生き方がお寒いものなのだということを強調するための作戦だろう。

普通にやれば30分もあれば終わってしまうような話を94分にしているんだから、そりゃあ中身がスッカスカになるのも当然だ。
妄想シーンやモノローグの多用で間を埋めたところで、それは時間を引き伸ばしているだけであり、内容を厚くしているけではない。
何の工夫もせず単純に引き伸ばしただけにも見えるが、それもきっと少女の抱える空虚感を強調するための作戦だろう。

とりあえず、これはアイドル映画としてギリギリのところで何とか成立している。
ただし、私はてっきり上戸彩を見るためのアイドル映画だと思っていたし、たぶん製作サイドも(少なくとも片岡K監督は)それを狙っていたんじゃないかというフシがあるが、 実際には、上戸彩を見るためのアイドル映画としては成立していないのである。
そうなのだ、これは神木隆之介クンを見るためのアイドル映画になっているのだ。
淡々とした口調で上戸彩に「ちょっとオッパイ触らせてもらえませんか」と尋ねたり、男性経験を質問したり、スカトロなどのエロ情報に関してクールに説明したり、「日常茶飯事」などの 言葉遣いを間違えてアタフタしたり、そういう神木隆之介クンの一挙手一投足を観賞して「萌え〜」になるための映画だったのだ。
まさか上戸彩が神木隆之介クンの引き立て役になっていようとは、かなり予想外だった。

 

*ポンコツ映画愛護協会