『イニシエーション・ラブ』:2015、日本

[Side-A]
1987年7月10日、静岡市。大学生の鈴木は友人である望月からの電話で、コンパに誘われた。相手の女性陣は、望月の恋人・優子の高校時代の同級生だという。鈴木はデブで朴訥とした顔を自覚しており、数合わせで呼ばれたことも分かっていた。男性サイドは彼と望月の他に北原と大石、女性サイドは優子の他に繭子、ナツコ、和美という顔触れだった。繭子の姿を見た途端、鈴木は心を奪われた。歯科助手として働いていることを、彼女は語った。鈴木が富士通に内定していることを知り、女性陣は「凄い」と感心した。
7月17日、鈴木は望月からの電話で、「来月んらコンパのメンバーで海へ行くことになったから、来ないか」と誘われた。8月2日、一行は海へ出掛けるが、弛んだ腹を見せたくない鈴木はTシャツ姿で通した。和美から「似た者同士」と話し掛けられた彼は、無視して海の家へ移動した。そこへ繭子が来て話し掛け、鈴木に電話番号を教えた。8月9日、鈴木は勇気を出して繭子に電話を掛けた。「実は、食事に誘ってもらいたくて」と繭子が言ったので、鈴木は驚いた。
鈴木と繭子は、14日の夜に夕食へ出掛ける約束を交わした。鈴木はスーツに身を包み、待ち合わせの場所へ赴いた。バーで話している途中、繭子は不意に「たっく」と口にした。言葉に詰まった彼女は、咄嗟に「タックって分かりますか」と問い掛けた。繭子は「タックは、とってもオシャレな物もあるんですよ」と言い、オシャレに気を遣うよう鈴木に助言した。別れる際、繭子は来週の金曜日も一緒に食事を取る約束を持ち掛けた。
鈴木は眼鏡をコンタクトに買え、教習所に通い始めた。21日のデートでは、ガラリとイメチェンして繭子の前に現れた。繭子は「あだ名で呼びたい」と言い出し、鈴木の名前である「夕樹」の「夕」がカタカナの「タ」に見えることから「タッくん」という呼び方を決めた。26日、鈴木は繭子からの電話で、体調を崩したので今度の金曜日は無理だと告げられる。9月4日、鈴木との食事に現れた繭子は元気になっており、実は便秘だったと明るく話した。
9月15日、鈴木はコンパのメンバーと共に、テニスに出掛けた。和美と組まされた彼は、北原と親密に話す繭子ばかり気にしていた。帰宅した彼は繭子からの電話を受け、余計な嫉妬をしていたことを知らされる。鈴木が「貴方のことが好きです」と告げると、彼女は「私もタッくんが好きです」と返した。一人暮らしをしているアパートまで来てほしいと言われ、鈴木はスクーターを飛ばして彼女の元へ赴いた。繭子は鈴木と肌を重ね、「初めての相手がタッくんで良かった」と告げた。
鈴木は繭子と正式な恋人同士になり、幸せな日々を過ごす。繭子が放送の始まった『男女7人秋物語』を見たがったため、会うのが金曜日から木曜日に変更された。11月14日、鈴木は免許を取得して中古車を買い、繭子を乗せて初めてドライブした。12月24日、繭子とデートした鈴木は、彼女が大切にしていたルビーの指輪を無くした知って「来年の誕生日に僕が指輪をプレゼントしてあげるよ」と告げた。彼は通りすがりのカップルから「釣り合ってない」と馬鹿にされ、「マユちゃんのために痩せるよ」と宣言した。
[Side-B]
慶徳商事静岡支社ギフト事業部で新入社員として働く鈴木は、渡辺部長から呼び出された。渡辺は鈴木と海藤浩二の同期2人に、来月から東京へ行ってもらうと告げる。鈴木は本社への異動を繭子に明かし、「せっかく静岡に残ったのに」と複雑な気持ちを口にした。繭子が応援する考えを泣きながら示すと、鈴木は「車持ってるから、すぐに飛んで来るよ」と告げた。7月1日、鈴木は東京の社員寮に入った。翌日、海藤は同じ課の梵を鈴木に紹介した。鈴木は3人で買い物へ出掛けるが、すぐに別行動を取った。繭子の誕生日に合わせて静岡へ戻った鈴木は、東京で購入したルビーの指輪をプレゼントした。
7月6日、初めて本社のギフト事業部第二開発課に出勤した鈴木は、新入社員の石丸美弥子と知り合った。美弥子の美しさに鈴木は「これが都会か」と呟き、海藤は彼女に見とれた。7月10日、鈴木は飲み会で酒を強要する桑島課長に腹を立てて反発し、不穏な空気が流れた。美弥子が上手く取り成して「我慢ですよ、我慢」と諭すと、鈴木は「大人なあ」と感じた。7月11日、静岡に戻った鈴木は繭子とデートし、彼女のアパートで「マユと一緒に暮らしたい」と漏らした。いつの間にか鈴木は、彼女のベッドで眠り込んでしまった、繭子は夕食を用意するが、鈴木は「せっかくだけど、食欲が無いからいいや」と断った。
7月13日、データ入力に苦労している美弥子を見た鈴木は、仕事を手伝って一緒に残業した。仕事を終えた鈴木は、美弥子に誘われて飲みに出掛けた。鈴木は海藤から、美弥子と飲みに行く段取りを頼まれる。鈴木から話を聞かされた美弥子は困惑し、大学時代に所属していた劇団「北斗七星」の後輩を連れて行くと告げた。7月15日、鈴木は海藤と梵、美弥子は後輩の松島ジュンコと日比まどかを連れて、飲み会に参加した。ジュンコとまどかは、18日の公演に来てほしいと告げた。その日は繭子と海へ出掛ける約束をしていた鈴木だが、電話して「行けなくなった」と釈明した。
鈴木は海藤&梵と劇団「北斗七星」の夏公演を見に行くが、内容は良く分からなかった。美弥子が男と話している様子を見掛けた鈴木は、相手が劇団の演出家で元カレだと知った。なかなか静岡へ帰る都合が付かなかった鈴木は、8月8日に繭子と久々に会った。そのまま宿泊した鈴木は翌日、しばらく生理が無いことを彼女に打ち明けられて動揺する。8月10日、鈴木は昼食の時、美弥子から不意に告白された。驚いた鈴木は、申し訳なさそうに「ごめん。今、君と付き合いたいとは思ってないんだ」と告げた。しかし繭子との関係がギクシャクするようになり、それに伴って鈴木は美弥子のことを意識するようになる…。

監督は堤幸彦、原作は乾くるみ著『イニシエーション・ラブ』(原書房/文春文庫刊)、脚本は井上テテ、製作は中山良夫&市川南&松井清人&薮下維也&柏木登&長坂信人&高橋誠、ゼネラル・プロデューサーは奥田誠治、エグゼクティブ・プロデューサーは門屋大輔、プロデューサーは飯沼伸之&畠山直人&小林美穂、撮影は唐沢悟、照明は木村匡博、録音は鴇田満男、美術は相馬直樹、VFXスーパーバイザーは定岡雅人、編集は伊藤伸行、美術プロデューサーは福田宣、音楽プロデューサーは茂木英興、音楽はガブリエル・ロベルト。
出演は松田翔太、前田敦子、木村文乃、森田甘路、三浦貴大、前野朋哉、手塚理美、片岡鶴太郎、山西惇、木梨憲武、森岡龍、矢野聖人、藤原季節、吉谷彩子、松浦雅、八重樫琴美、村岡希美、大西礼芳、佐藤玲、夛留見啓助、三浦葵、池上幸平、小松美咲、関本巧文、福島和、長屋和彰、凛カオリ、川島信義、木部遥可、ハタヤテツヤ、後関好宏、池澤龍作、岩見継吾ら。


乾くるみの同名小説を基にした作品。
監督は『トリック劇場版 ラストステージ』『エイトレンジャー2』の堤幸彦。
劇団マカリスターの主宰で、ヒーローショーの演出も手掛ける井上テテが脚本を執筆している。
Side-Bの鈴木を松田翔太、繭子を前田敦子、美弥子を木村文乃、Side-Aの鈴木を森田甘路、海藤を三浦貴大、梵を前野朋哉、詩穂を手塚理美、広輝を片岡鶴太郎、桑島を山西惇、渡辺を木梨憲武、望月を森岡龍、北原を矢野聖人、大石を藤原季節、優子を吉谷彩子、ナツコを松浦雅、和美を八重樫琴美が演じている。

最初に触れておくと、私は原作を読んでいない。なので、これから書くことの幾つかは、映画だけでなく原作小説に対する批評になってしまう可能性もある。その辺りは、御容赦頂きたい。
ただ、「小説ならOKでも、映画にした時は同じじゃマズい」というポイントもあるだろう。
で、そこに問題があるとすれば、映画化の際に改変すればいいわけだ。
「原作にあった要素を映画に持ち込んだだけ」ってのは、何の言い訳にもならない。

さて、この映画が公開された時、「最後の5分全てが覆る。あなたは必ず2回観る。」というキャッチコピーが使われていた。
また、本編が開始される直前には、「本作品には、大きな“秘密”が隠されています。劇場を出ましたら、これから映画をご覧になる人のために、どうか“秘密”を明かさないで下さい」という注意事項が表示される。
つまり「最後の5分に隠されている重大な秘密によって、とんでもなく凄いドンデン返しがありますよ」とアピールしているわけだ。
ものすごく観客の期待を煽っているわけだが、それに応えてくれるだけの秘密が待ち受けているのかというと、答えはノーだ。

コンパの席に繭子が現れるとスローモーション映像になったり、彼女が鈴木に微笑むと周囲に花が咲き乱れたりと、かなり漫画チックと言えるような誇張した表現が持ち込まれている。ちょっと嫌な言い方をすると、古臭くてダサい。
ただ、そういう表現は、さすがに「ごく普通の表現」として持ち込んでいるわけではなく、ダサいことは認識した上で意図的に使っているんだろう。1980年代の話なので、あえて古臭い印象を狙っているんだろう。
で、これが1980年代の作品や流行を茶化すようなコメディーなら、上手く機能したかもしれない。
だが、キャッチコピーや冒頭の注意事項からしても、ミステリーとして作られているはず。で、ミステリーとは何の関係も無い仕掛けなので、「だったら何の意味が?」と言いたくなってしまう。

森川由加里の『SHOW ME』や1986オメガトライブの『君は1000%』、C-C-Bの『Lucky Chanceをもう一度』や寺尾聰の『ルビーの指環』など、1980年代のヒット曲が数多く使用されている。また、人気TVドラマ『男女7人秋物語』が意識されており、出演者だった手塚理美と片岡鶴太郎が起用されている。ニューアレンジスタップリーゼントやシェーキーズなど、当時の流行も色々と盛り込まれている。
いわゆる「ノスタルジーを誘う」ような仕掛けと言ってもいい。
ところが、そういう仕掛けが幾つも盛り込まれているのに、ビックリするぐらいノスタルジーを喚起されない。
それは「実際に1980年代が青春時代だったどうか」ってのは関係が無い。ノスタルジーってのは、その時代を知らなかったとしても、喚起することが出来るモノだ。
ってことは、この映画は無造作に当時のヒット曲や流行したアイテムを散りばめているだけで、ノスタルジーを刺激しようという意識が欠けているんだろう。

そもそも、これは1980年代の青春恋愛ドラマではなく、ミステリー映画のはずだ。
だから、当時の世相や流行ってのは、雑情報でしかない。そっちに観客が気を取られたとしても、それはミスリードとは呼べない。
ただし、当時の流行を盛り込む仕掛けが無かったら、もっとドイヒーなことになっていただろう。
何しろ、終盤に用意されているオチまでは、何の面白味も無い、凡庸極まりない恋愛劇を延々と見せられ続けるだけなのだ。

前述したキャッチコピーや冒頭の注意事項も、実は似たような意味がある。
ミステリーとしては、オチだけで勝負している作品だ。そこまでは、ミステリーとしての醍醐味を味わうことなんて全く出来ない。
他にも「最後のドンデン返し」が売りになるようなミステリー作品ってのは色々とあるだろうが、大抵の場合、そこに至るまでの展開でも、それなりにミステリーを味わうことが出来る。なぜなら、事件が起きたり、主人公が謎解きに奔走したりするからだ。
しかし本作品の場合、表面的には凡庸な恋愛劇が描かれるだけなので、そりゃあミステリーの面白味なんてあろうはずが無いのだ。
だから「最後の5分で凄い秘密が明かされますから」とアピールしておかないと、そこまで観客の興味を引き付けておく力が無いのだ。

しかし、それだけ期待を煽っておきながら、用意されているオチは「まあ、そんなトコだろうね」と思わせる内容でしかない。しかも、当然と言えば当然なのだが、原作と同じオチになっている。
一応は秘密が判明した後に少しだけ続きがあるものの、オチの内容としては全く変わらない。
その原作は、人気テレビ番組で取り上げられたことによってミリオンセラーになったが、皮肉なことに、そのせいで「読んだことは無いけどオチは知ってる」という人も増やした。
で、そんな原作と同じオチ以外に勝負手を持たない映画に、どれほどの訴求力があるんだろうか。

「ミステリーの醍醐味は味わえない」「延々と恋愛劇を見せられるだけ」と前述したが、最初から「これはミステリー」ってことを意識していれば、オチに向けた伏線は幾つか用意されている。
しかし、監督や脚本家の親切心やサービス精神なのかもしれないけど、「ヒントを出し過ぎだろ」と思ってしまう。
なので、やっぱりミステリーの面白味は無い。「最後の5分全てが覆る」というキャッチコピーは、ある意味で正しかった。
「最後の5分以外は何も無い」という意味で、間違っていなかった。

例えば、繭子が「たっく」と言い掛けて止まり、「タックは、とってもオシャレな物もあるんですよ」と話すのは、「ホントは別の言葉を言おうとして、咄嗟に誤魔化しました」ってのがバレバレだ。
次のデートで「あだ名で呼びたい」と言ったた繭子が、「夕樹」の「夕」がカタカナの「タ」に見えることから「タッくん」と呼ぶことに決めるのは、無理がありまくりだ。もう繭子が何か隠しているのがハッキリと分かってしまう。それって、得策とは思えない。
特に「それはダメだろ」と感じるのが、[Side-A]の鈴木は一人称が「僕」なのに、[Side-B]の鈴木は「俺」になっていること。
それって、ほぼネタバレみたいなモンだぞ。

原作のドンデン返しは叙述トリックであり、映像化は不可能だと言われてきた。
その不可能に挑戦した本作品は、どういう手を使ったのかというと、「2人を1人に見せる」という方法だった。
批評に必要なので完全ネタバレを書くが、[Side-A]の鈴木と[Side-B]の鈴木は別人だ。
Side-Aは鈴木夕樹、Side-Bは鈴木辰也である。
表面的には「Side-Aの鈴木が大学を卒業して就職し、物語はSide-Bに移行する」という形を取っているが、実際には同時期の出来事であり、つまり繭子は二股を掛けていたってことだ。

夕樹と辰也を同一人物に見せ掛けるために、「Side-Aの鈴木が肉体改造し、Side-Bの姿になった」という偽装を施している。
だけど、原作のオチを知っている人からすると、「そうやって別人に見せ掛けている」ってのはバレバレなわけで。
そもそも、どう見たって松田翔太と森田甘路は別人であって。
本当に「同一人物が肉体改造した」ってことなら、同じ役者が演じていない時点で不自然なのだ。
小学生から大学生への成長ならともかく、大学生から社会人への成長なんだから。

つまり原作のオチを知らなくても、この映画は別の役者が2人の鈴木を演じている時点で、不自然さが見えてしまう形になる。
ただし、仮に松田翔太の特殊メイクでSide-Aを進めた場合、それはそれでオチを明かした時に問題が生じる。
夕樹と辰也は別人なので、「それを1人の役者が特殊メイクで演じ分けているのは不自然」ってことになるからだ。
血縁関係にあるとか瓜二つという設定ならともかく、そういうことではないんだから。
なので、どう頑張っても、やはり「映像化は不可能」という壁を越えられないんじゃないかと。

(観賞日:2016年9月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会