『イン・ザ・ヒーロー』:2014、日本

下落合ヒーローアクションクラブ(HAC)代表を務める本城渉は、スーツアクターとして25年のキャリアを持つベテランだ。現在、彼はメンバーの大芝美咲、海野吾郎、真鍋満、森田真澄と共に、特撮ヒーロー番組『神龍戦士ドラゴンフォー』のスーツアクターを担当している。本城は主役のドラゴンレッド担当で、身長が低い海野は女性キャラのドラゴンピンク担当だ。キャリアの長い本城は、大物俳優である松方弘樹とも昔馴染みだ。彼らは番組の仕事だけでなく、遊園地のヒーローショーにも出演する。
本城はプロデューサーの内山から、映画版『神龍戦士ドラゴンフォー』では俳優として新キャラのブラックを演じないかと誘われた。彼は離婚した妻の元村凛子に電話を掛け、そのことを嬉しそうに話す。しかし後日、本読みの場に赴いた彼は、レッドとブラックのスーツアクターだけを担当することを知った。素顔のブラック役として出演するのは、新人アイドルの一ノ瀬リョウだった。本城から抗議された内山は、テレビ局の上層部から頼まれて仕方が無かったのだと釈明した。
そこへ本城と旧知の仲であるマネージャーの門脇利雄が現れ、担当しているがハリウッドの映画のオーディションを受けている最中だと話す。スタンリー・チャンの最新作であり、殺陣の指導をしてほしいと門脇は依頼した。本城は承諾するが、顔合わせでガムを噛んでいた一ノ瀬には「人前ではガムを噛むな。ヒーローが口クチャクチャさせてたら子供の夢を奪うだろ」と注意した。しかし一ノ瀬は生意気な態度で、「子供いなきゃ問題ないですよね」と告げた。
本城はメンバーがトレーニングしているスタジオへ行き、一ノ瀬を紹介した。一ノ瀬の所属事務所が大手のスターガーデンだと知った美咲は、「完全にコネやん」と笑った。一ノ瀬が「うっせえんだよ、この筋肉ババア」と罵ったので美咲は激昂するが、本城が「どうせすぐに消えていく奴だよ」と耳打ちしてなだめた。特撮ヒーロー番組を見下している一ノ瀬は本城たちがアクションの練習を始めても全く興味を示さず、またガムを噛んだ。
後日、ハリウッド映画『ラスト・ブレイド』のオーディションを受けた一ノ瀬は、門脇の前で「最終10人には残ったでしょ」と余裕を見せた。一方、本城は娘の歩と久々に会い、一ノ瀬のサインを貰って来てほしいと頼まれた。本城たちが映画版『ドラゴンフォー』の撮影に臨んでいる最中、『ラスト・ブレイド』の準備も進められていた。『ラストブレイド』のラインプロデューサーである石橋隆生は、邦画とは桁違いの潤沢な予算をスタジオへ連れて来た女に自慢した。スタンリーはスタッフに、「主人公の忍者がセットから落下し、敵を次々に斬り、最後は炎に包まれる4分50秒のシーンをノーワイヤー&ノーCG&1ショットで撮りたい」と説明した。
一ノ瀬は本城から殺陣を学ばず、門脇に「あの人、ただのスタントマンでしょ」と言う。一ノ瀬が小道具のブレスレットを乱暴に扱うので、美術監督の徳永は激昂した。一ノ瀬が「作り直せば良いじゃないですか」と軽く言うと、徳永はスタッフの静子が何日も徹夜して作ったことを話す。しかし一ノ瀬は全く悪びれず、「それが貴方たちの仕事ですよね」と言い放った。本城は飲みの席で一ノ瀬から「スーツアクターって、楽しいですか。顔も名前も出ないじゃないですか」と問われて、「男ってのは誰も見ていなくても、命を懸けるんだよ」と話す。しかし酒が回ると、「俺がアクションをやっているって分かってくれるのは、特撮オタクのオッサンだけだ」と漏らした。夢を訊かれた一ノ瀬がアカデミー賞のスピーチだと話すと、本城は「最高の夢持ってんじゃねえか。頑張れよ」と応援した。
後日、撮影現場で本城が台本を読んでいる姿を見た一ノ瀬は、「このシーン、レッドにもブラックにも関係ないですよ」と言う。本城が「全員のキャラクターを掴まないと表現できないだろ」と告げると、彼は「子供映画ですよ。そこまで見てる奴いますかね」と口にする。本城は一ノ瀬にヒーロースーツを着用させ、どれだけ動きにくいかを体験させる。一ノ瀬は苛立ちを示し、「スーツアクターになりたいわけじゃないんで」と吐き捨てた。帰宅した彼は、幼い弟と妹に現場から持ち帰った弁当を渡した。
次の日、本城は出番を終えた一ノ瀬にスタッフの仕事ぶりを見せ、「映画ってのはな、それぞれの部が力を合わせて作るもんだ。だから、スタッフさんを大事にしろ」と諭した。一ノ瀬が「違うんだな。俺はトップになりたいんですよ。だから具体的なアクションのコツが知りたいんです」」と言うと、彼は「お前の気持ちも分かるがな、アクションは1人でやるもんじゃない。チームプレーだ」と説いた。そこへ門脇が来て、『ラスト・ブレイド』の最終選考に残ったこと、石橋が撮影現場へ来ることを一ノ瀬に教えた。
一ノ瀬は自分を売り込むため、自らスタントをやらせてほしいと監督に頼む。しかし他のメンバーと息が合わずに散々な出来栄えとなり、見物していた石橋は「ハリウッドじゃ通用しないよ」と呆れたように言う。すると本城が「ウチの役者に何言ってんだ。ここは俺たちの現場だ。礼儀のなってない人間は、お引き取り願おう」と告げ、石橋を追い払った。自宅に戻った一ノ瀬は弟と妹に苛立ちをぶつけ、すぐに謝罪した。一ノ瀬の母親は弟と妹を映画館へ置き去りにして手紙を残し、アメリカへ行ってしまったのだった。
翌朝、一ノ瀬は本城のトレーニングに同行し、『ラスト・ブレイド』のオーディションに懸ける思いを訴えた。本城は門脇から、一ノ瀬が幼い弟と妹の面倒を見ていることを聞かされていた。一ノ瀬は彼に、アカデミー賞のスピーチで母親にメッセージを伝えたいのだと打ち明けた。「俺にアクション教えて下さい」と彼が頭を下げると、本城はメンバーに事情を説明して協力を要請した。海野と静子の結婚式に出席した一ノ瀬は、余興にも参加した。
三次会に誘われた一ノ瀬が「弟と妹が待っているんで」と言うと、本城や美咲たちは彼のマンションへ押し掛けた。美咲が夕食を作っていると門脇が現れ、『ラスト・ブレイド』の出演が決まったことを一ノ瀬に知らせた。本城たちは彼を祝福し、大いに盛り上がった。翌朝、本城は森田から、辞めさせてほしいと言われる。本城が困惑すると、彼は「リョウ君と会って分かったんです。成功する人間と、そうじゃない人間は違うんだって」と語った。本城は翻意させようとするが、森田の気持ちは変わらなかった。「続けても叶わない夢はあるんじゃないですか」と告げて、彼は立ち去った。
『ラスト・ブレイド』の撮影県場では、主人公の相棒の白忍者を演じるフェン・ロンが危険なアクションを嫌がって降板すると言い出した。スタンリーは映画会社から、ワイヤーとスタントを使うよう要求された。スタンリーはキレてしまい、撮影現場を放棄した。石橋は本城の元へ行き、フェン・ロンが降板したのでクライマックスのシーンを代わりに演じてもらいたいとスタンリーが言っていることを話した。本城は熟考した末、危険なアクションの仕事を引き受けることにした…。

監督は武正晴、脚本は水野敬也&李鳳宇、製作は密山根成&遠藤茂行&木下直哉&藤門浩之&星野晃志&山本周嗣、企画・エグゼクティブプロデューサーは李鳳宇、プロデューサーは中村千賀子&三宅はるえ、撮影は木村信也、照明は尾下英治、美術は中澤克巳、録音は松本昇和、編集は細野優理子、アクション監督は柴原孝典、VFXスーパーバイザーは美濃一彦、マスクスーツ製作統括は江川悦子、マスクデザイン&造型チーフは神田文裕、音楽は李東峻[イ・ドンジュン]。
『神麗戦士ドラゴンフォー』テーマソング『誰も知らないヒーロー』歌:串田アキラ、作詞:水野敬也/早乙女光一、作曲:井手次郎/Tasuku Maeda、編曲:Tasuku Maeda。
主題歌『Dream On』吉川晃司 作詞:吉川晃司&jam、作曲:吉川晃司、編曲:菅原弘明。
出演は唐沢寿明、福士蒼汰、黒谷友香、寺島進、草野イニ、日向丈、小出恵介、及川光博、杉咲花、イ・ジュニク、加藤雅也、松方弘樹、和久井映見、片山景介、ヨアン・フェルシング、シンシア・チェストン、木下ほうか、小宮孝泰、角替和枝、本城丸裕、佐藤貢三、荒木秀行、安部智凛、山口大地、白洲迅、小宮有紗、本多遼、村上和成、吉元哲郎、大津尋葵、羽田真、ささき三枝、関幸治、アフロ後藤、木田毅祐、木村紗貴、椿弓里奈、松坂龍馬、大野未来、Leo Powell、Mina Pujol、清水伸、徐頼子、森レイ子、司直子、真凛、森本のぶ、中原和宏、赤間麻里子、松本雅子、吉田真理、猿渡ゆか、有希九美、古賀亘、齋賀正和、今泉恵美子、荻原淳貴ら。


『EDEN』『モンゴル野球青春記』の武正晴が監督を務めた作品。
『夢をかなえるゾウ』『LOVE理論』などの作家である水野敬也と、エグゼクティブプロデューサーの李鳳宇が共同で脚本を務めている。水野敬也は初脚本、李鳳宇は『EDEN』に続いて2度目。
本城を唐沢寿明、一ノ瀬を福士蒼汰、美咲を黒谷友香、海野を寺島進、真鍋を草野イニ、森田を日向丈、門脇を小出恵介、凛子の見合い相手の西尾を及川光博、歩を杉咲花、スタンリーをイ・ジュニク、石橋を加藤雅也、凛子を和久井映見が演じており、松方弘樹が本人役で出演している。
小宮有紗が素顔のドラゴンピンク役で出演しているのは、そっち系のファンへのサービスかな。

かつて実際にスーツアクターをやっていた時期がある唐沢寿明を主演に迎えていることもあって、この映画には大きな期待感を持っていた。
しかし残念ながら、その期待に応えてくれる出来栄えでは無かった。
むしろ「期待していたからこそ」という部分での反動もあるのだが、単に駄作というだけでなく、強烈な不快感さえ抱いてしまうほどの仕上がりになっていた。
この映画には、スーツアクターに対する愛やリスペクトが全く感じられないのだ。

日本には東映版『スパイダーマン』のスタントで原作者のスタン・リーにも認められた古賀弘文氏、数多くの「スーパー戦隊」シリーズや「仮面ライダー」シリーズで主役ヒーローを担当してきた高岩成二氏など、素晴らしいスーツアクターが大勢いる。
劇中で本城が漏らすように、確かにスーツアクターの仕事ってのは、一部のマニアにしか正当に評価してもらえないことは確かだ。しかし、それでも全力で取り組む姿を見せてこそ、観客に感動や興奮を与えられると思うのよ。
ようするに本城は、「特撮ヒーロー番組のスーツアクターという仕事に、遣り甲斐や喜びを感じている」という人物に造形すべきなのだ。
「子供たちに楽しんでもらうため、危険な仕事にも全力で取り組む」という形にしておくべきなのだ。「人気者になるのは素顔で演じている役者だけど、それでも充実感はあるし、日陰者としての屈折した感情は持っていない」という形にしておくべきなのだ。
「もちろん顔出しの仕事やデカい仕事が来れば喜んで引き受けるけど、そのための踏み台としてスーツアクターの仕事を考えているわけではない」という形にしておくべきなのだ。

スーツアクターを主人公に据えた映画を作るのであれば、最終的には「主人公はスーツアクターの仕事に誇りを持ち、縁の下の力持ちであっても全力で頑張る」というトコに着地して、そういう姿を観客が「カッコイイ」と感じるようにすべきだ。
それは「個人的な意見」ということではなく、この映画では順守すべき必須条件だと断言してもいい。
それなのに、この映画では「あくまでもスーツアクターはステップアップするための通過点に過ぎず、最終的には顔を出して芝居をするようになった奴が偉い」という形になっているのだ。
いやいや、どこまでアホなのかと。そしてクソなのかと。
こんな酷い脚本を書いた水野敬也と李鳳宇は、人見早苗さんに蹴られて飛んで行ってしまえと言いたくなるわ。

この映画は序盤から違和感たっぷりな描写が続くのだが、まず一ノ瀬のキャラクター造形に引っ掛かる。
彼は生意気な態度を取り、特撮ヒーローを演じることに全く乗り気ではない。
しかし、昔と違って今の特撮ヒーロー番組ってのは、若手俳優が人気者になる登竜門と言ってもいい。なので、むしろ抜擢されたら喜ぶのが普通だと思うのだ。
出演の決まった俳優が「子供向けの特撮番組なんてカッコ悪い」という感覚になるのは、かなり古い時代の感覚だとしか思えない。
つまり、この映画は、そういう古い感覚でしか特撮ヒーロー番組やスーツアクターを捕らえることが出来ていない連中が作っているってことだ。

そもそも、幾ら大手事務所に所属する期待の若手であっても、あそこまで生意気な態度ばかり取っている役者ってのは不自然だよ。
事務所のスタッフだって、挨拶や礼儀については厳しく教え込むはずだし。
そりゃあ、あえて誇張してキャラ造形している部分はあるのかもしれない。
しかし、それがコメディー方面でもドラマとしても上手く機能しているわけじゃないので、そういうことも含めて「古い感覚」としか感じないのよね。

一ノ瀬には幼い弟と妹がいるのに、子供向け映画を馬鹿にする態度ばかり取っているのも不可解だ。
「両親のいない一ノ瀬が幼い弟と妹の面倒を見ている」という要素で彼の好感度を上げようと目論んだのだろうが、むしろ不自然さを助長することに繋がっている。
そんな彼は途中で態度を変化させるが、「最初はスタントマンや裏方を馬鹿にしていた一ノ瀬が態度を変化させ、本城に頭を下げてアクションを教わるようになる」という心境の移り変わりが上手く表現されていない。
だったら最初から「新人でアクションが苦手だった奴が、本城のコーチで上達する」という単純な筋書きにしておけばいいんじゃないかと思ってしまう。

スタンリー・チャンのキャラやハリウッド映画『ラスト・ブレイド』の設定も、これまた感覚が古臭い。
っていうかスタンリー・チャンに関しては、無駄に存在をデカくしている。登場シーンで「軟水はダメ、硬水にしてくれ。水が分からない奴は映画が分からない」と言い出すけど、そんなことを言わせて無駄にクセの強さをアピールする意味がどこにあるのかと。
主演俳優のフェン・ロンが危険なアクションを嫌がって降板を言い出すのも、まるで理解できない。
ハリウッドの大作映画なんだから、普通はスタント・ダブルが起用されるはずでしょ。だから主演俳優が「アクションが危険だから」という理由で嫌がるってのは有り得ない。

最終的にスタンリーは「映画は監督の物だ」と言うけど、これはスーツアクターを主人公とする映画のはずなのに、無駄に監督の存在感をデカデカとアピールしちゃってるのよね。
ぶっちゃけ、監督なんて何の個性も無い存在でもいいぐらいなのよ。
あるいは、本物の映画監督を起用することで意味を付けるとか、そういうアプローチの方が絶対にいいはずだしね。
少なくとも、スタンリー・チャンの見せ方が間違っていることは断言できる。

スタンリーは「俳優がノーワイヤー&ノーCGでセットから落下し、敵を次々に斬り、最後は炎に包まれる4分50秒のシーンを1カットで撮りたい」と言うけど、それってハリウッド映画では普通じゃないことだからね。
むしろハリウッド映画なんて、日本よりも遥かにリスク・マネージメントを重視する現場だからね。
監督がそういうことを要望したとしても、製作会社の上層部が絶対に止めるから。
そして、それに監督が逆らって執拗に要求したら、別の監督を起用するぐらいのことは平気でやるからね。

ハリウッド映画のオーディションが日本で開かれるのは分かるけど、撮影まで日本でやっているのは有り得ない。
これが屋外ロケーションなら分からなくもないけど、スタジオのセットでの撮影なのよ。それを日本でやるってのは、「絶対に無い」と断言してもいい。
これが「ハリウッド映画とは名ばかりで、日本の資本が参加しており、実質的には日本映画」ってことなら理解できなくもないけど、ちゃんとしたハリウッド映画という設定なんでしょ。
それなのに、色んなトコで安っぽさが出まくっている。

「ハリウッドの大作映画」をキッチリと表現できないのなら、最初から無理に持ち込むべきではなかったのよ。
大体さ、途中で「6千万ドルを無駄にしないで下さい」という台詞があるけど、製作費が6千万ドルの映画って、ハリウッドだとビッグ・バジェットの大作とは言い難いぞ。
ちょっと調べてみたら、あのウーヴェ・ボル大先生の『デス・リベンジ』が製作費6千万ドルだった。
つまり『ラスト・ブレイド』ってのは、それと同じレベルの映画ってことになっちゃうのよ。
それじゃダメだろ。

そもそも、それ以前の理由として、ハリウッド映画なんて持ち込むべきではないのよ。
「主人公がハリウッド映画で危険なスタントを担当する」という展開を用意しちゃうような勘違い丸出しの人間は、この映画に携わるべきではなかったのだ。
それまで本城が何度も「特撮ヒーロー物の仕事に誇りを持っている」ってことをアピールするような言葉を口にしているのに、そんな展開を用意しちゃったら全てが台無しになっちゃうでしょ。
「大物監督によるハリウッド映画が云々」という要素を持ち込むにしても、例えば「特撮ヒーロー物の仕事とハリウッド映画のオファーがバッティングするけど前者を選ぶ」とか、そういう形にでもするなら納得できるけどさ。

後半に入ると、本城が「いつか自分の名前と顔を大スクリーンに写したい」という夢を実現させるために『ラスト・ブレイド』の仕事を受けたことが明らかになって、ガッカリさせられる。
ってことは結局、スーツアクターとしての仕事に誇りなんて持っちゃいなかったということになるからだ。
この映画って、主人公を「スーツアクター」の範疇に留めず、「スタントマン」に広げてしまい、さらには「アクションスター」を目指す存在にしちゃってるけど、それって間違いなのよ。

終盤、本城は「ブルース・リーに憧れて、この世界に入った。でも、なれねえんだよな。日本でアクション目指す奴は、みんなスーツアクターになってく。ブルースにはなれねえ。ブルースが俺のヒーローだったように、俺も誰かのヒーローになりたい。俺がやらなきゃ、みんな信じなくなるぜ。アクションには夢があるってことを」と熱く語っている。
だけど、それは熱さを訴える方向を間違えているとしか思えないのよね。
本城の言いたいこと、っていうか彼の口を通じて監督や脚本家が言いたいことは、何となく分かるのよ。ようするに「日本のアクション業界は恵まれていない。スーツアクターぐらいしか仕事が無くて、アクションが出来る人材が正当に評価されていない。だからハリウッド映画に出ることで認めさせたい」ってことなんだろう。
でもね、この映画で描くべきは、そういうことじゃないんだよ。そういう台詞を本城に言わせることは、スーツアクターを貶めることにしか繋がらないのよ。

劇中では「一ノ瀬が最初は裏方やスーツアクターを見下す態度を取るものの、途中で態度を改める」という展開があるが、脚本としては最後までスーツアクターを見下している。
そもそも「スーツアクター」というのは日本独自の用語であり、海外では使われていない表現なのだ。
そういう意味でも、「スーツアクター」の映画で最終的に「ハリウッドを目指す」ってのは間違いだと言えよう。
劇中歌の歌手に串田アキラを起用したりしても、製作サイドの大間違いは全く誤魔化せていない。

クライマックスとして用意されているのは、本城が『ラスト・ブレイド』の危険なアクションに挑むシーンだ。スタンリーが「4分50秒のシーンをノーワイヤー&ノーCG&1ショットで撮る」と主張していたシーンだ。
実際には難しいと思うが、映画会社から変更を命じられ、俳優が降板してまでも固執したぐらいなので、もちろん「4分50秒のシーンをノーワイヤー&ノーCG&1ショットで撮る」ってのを実際に見せてくれるんだろうと期待した。
ところが、いよいよクライマックスシーンの撮影が始まると、「ノーワイヤー&ノーCG&1ショット」の真逆になっているのである。ワイヤーは平気で使うし、本城が包まれる炎をCGで表現しているし、カットなんて細かく割りまくっているのである。
いやいや、底抜けのバカなのかと。
実際に表現できないのなら、それどころか完全に逆の表現しか出来ないのなら、最初から「ノーワイヤー&ノーCG&1ショット」なんてことを声高にアピールすんじゃねえよ。

(観賞日:2016年5月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会