『伊賀忍法帖』:1982、日本

永禄時代。松永弾正は主君の三好義興と愛妾の右京太夫を城の茶会に招き、天守閣へ案内した。弾正は右京太夫に横恋慕しており、義興の前でも平気で遊び女でも見るような視線を向けた。同席していた柳生新左衛門が「そろそろお茶の支度が整った頃ではござらんか」と声を掛けると、彼は苛立つ様子を見せた。弾正は茶室を作った際に千宗易を脅し、名器である平蜘蛛の茶釜を差し出させていた。義興は城を去った後、弾正の右京太夫に対する態度への憤懣を見せた。
新左衛門は妖術師の果心居士が城に潜んでいることに気付き、刀を向けた。果心居士は弾正に、「お主の願いを叶えるためにやって来た。右京太夫の心を掴む者が天下を掌中にせんと、ワシの卦には出ておる」と告げる。新左衛門が斬ろうとすると、弾正は制止して追い払った。果心居士は弾正に「ワシの力を信じればいい」と述べ、手下の羅刹坊を呼び寄せた。羅刹坊は隠れていた忍者を始末し、果心居士は5人の弟子を預けると弾正に告げた。彼は右京太夫の心を掴むために惚れ薬を使うよう指示し、姿を消した。
伊賀忍者の笛吹城太郎と篝火は、ずっと一緒に修業を積み重ねてきた。2人は惹かれ合う関係だが、伊賀忍者の夫婦は頭が決めるという掟があった。しかし城太郎は掟に背き、篝火との結婚を頭の服部半蔵に申し入れようと決意する。そんな2人の前に羅刹坊と金剛坊、水呪坊の3人が現れた。篝火を引き渡すよう要求された城太郎は、相手が只者ではないと見抜いた。彼は半蔵に知らせるよう篝火に告げ、その場から逃がそうとする。城太郎は水呪坊の攻撃を受け、妖術で動きを封じられた。水呪坊が去った後、通り掛かった新左衛門が城太郎を発見する。彼は妖術を解き、城太郎が死を装って敵を欺いたことを悟った。
羅刹坊たちは篝火を捕まえて昏倒させ、城に連れ帰った。右京太夫と瓜二つの篝火を見て、弾正は興奮する。彼が「ワシが貰うぞ」と言うと、水呪坊は惚れ薬の素を搾り取ってからだと告げる。虚空坊は弾正に、篝火が右京太夫の血筋であり、自分たちに犯される時に出す涙が惚れ薬の素になるのだと説明した。篝火が右京太夫の双子の妹だと聞き、弾正は驚いた。目を覚ました篝火は逃亡に失敗し、首を斬って自害した。すると羅刹坊は、弾正の下女である漁火の首を斬った。弾正は激怒するが、虚空坊は篝火と漁火の首を交換して双方を蘇らせた。つまり篝火の首を持つ漁火と、漁火の首を持つ篝火が誕生したのだ。
篝火の首を持つ漁火は、破軍坊によって鬼火と名付けられた。水呪坊たちは漁火の首を持つ篝火を強姦し、平蜘蛛の茶釜を使って惚れ薬を作った。同じ頃、城太郎は篝火を捜索していた。茶釜を盗んで城から逃げ出した篝火は、城太郎と遭遇する。篝火が名乗ると、下げている十字架を見た城太郎は本物だと信じた。詳細を知らされた彼は、仇討ちを誓った。そこへ羅刹坊たちが現れ、篝火を始末する。篝火は絶命の直前、自分と同じ顔を持つ女は信じないよう城太郎に言い残した。
一味に包囲された城太郎は、仕掛けておいた罠を使って破軍坊を殺害した。しかし茶釜を持って逃げようとした彼は、復活した破軍坊の姿を見て動揺する。煙幕を張って逃走した城太郎は仲間に運ばれ、伊賀の里へ戻った。半蔵は掟を破ったことを叱責し、どうしても戦うなら伊賀を去るよう告げる。半蔵は彼に別れを告げ、伊賀の里を出ることにした。忍者たちが追い掛けようとすると、半蔵は制止した。三日後に東大寺で行われる平安祈願までに惚れ薬を飲ませようと目論んでいた弾正は、城太郎が伊賀の里を出たと知って苛立った。すると鬼火は、城太郎が右京太夫を助けるために必ず東大寺に来ると告げた。虚空坊は弾正に、僧兵を使う目くらましの術を提案した。
三日後、東大寺では平安祈願が行われ、義興は右京太夫を伴って参加した。弾正は義興の近くに座り、様子を窺った。寺に潜入した城太郎が観察していると、虚空坊が僧兵を率いて乗り込んできた。僧兵たちは油を撒いて火を放ち、義興の家臣たちと戦う。寺が火に包まれる中、金剛坊と虚空坊は右京太夫を拉致しようとする。城太郎は右京太夫を連れ出し、大仏の中に身を隠した。火が消えた後、彼は右京太夫に事情を説明した。何者かが大仏に近付いて書状を落とし、敵が来るので逃げるよう警告した。
城太郎と右京太夫は大仏殿から逃げ出すが、金剛坊たちに包囲される。そこへ顔を隠した新左衛門が家来を率いて駆け付け、城太郎たちを助けた。新左衛門は右京太夫と茶釜を預かり、義興の元へ届けることを城太郎に約束した。右京太夫は義興の元へ着いて詳細を説明するが、まるで信じてもらえなかった。義興は弾正が悪人という話も全く受け入れず、彼に茶釜を返すと告げた。一方、城太郎は復讐心を燃やし、まずは立て続けに虚空坊と水呪坊を殺害した…。

監督は斎藤光正、原作は山田風太郎(角川文庫版)、脚本は小川英、製作は角川春樹、プロデューサーは佐藤雅夫&豊島泉、撮影は森田富士郎、美術は井川徳道&園田一佳、照明は増田悦章、編集は市田勇、録音は橋本文雄、アクションアドバイザーは千葉真一、衣裳アドバイザーはコシノジュンコ、擬斗は菅原俊夫、音楽プロデューサーは高桑忠男、音楽は横田年昭、主題歌『愚かしくも愛おしく』は宇崎竜童。 出演は真田広之、渡辺典子(第一回主演)、千葉真一、中尾彬、成田三樹夫、美保純、風祭ゆき、ストロング金剛(改・小林)、佐藤蛾次郎、松橋登、浜田晃、福本清三、かわいのどか、小島三児、田中浩、笹木俊志、峰蘭太郎、中東吉次 、星野美恵子、美松艶子、玉野玲子、疋田泰盛、宮城幸生、小坂和之、森源太郎、大月正太郎、渡辺実ら。


角川春樹事務所と東映が『魔界転生』に続いて山田風太郎の同名小説を基にした作品。
監督は『悪魔が来りて笛を吹く』『戦国自衛隊』の斎藤光正。脚本は『血を吸う薔薇』『エスパイ』の小川英。
角川映画大型新人女優コンテストでグランプリを受賞した渡辺典子が、篝火&鬼火&右京太夫を演じている。
城太郎を真田広之、新左衛門を千葉真一、弾正を中尾彬、果心居士を成田三樹夫、漁火を美保純、羅刹坊を風祭ゆき、金剛坊をストロング 金剛、水呪坊を佐藤蛾次郎、義興を松橋登、破軍坊を浜田晃、虚空坊を福本清三が演じている。
これまでストロング金剛は「ストロング小林」の名前で活動していたが、金剛坊の役名が気に入って改名している。

角川春樹事務所が渡辺典子を売り出すために製作した映画であることは、もちろん言わずもがなである。
助演ではなく最初から主演なのは、何の演技経験も無かった素人としては厳しいデビューではあるが、それでも作品の内容やテイスト次第ではどうにかなる。
しかし本作品は、「本格」は付かないにしても、いきなり時代劇。しかも、「城太郎を愛する女忍者」「その女忍者の顔を持つ悪女」「女忍者の双子の姉で、三好義興の妻だが城太郎を愛するようになる女」の3役を演じなきゃいけないわけで。
それは厳しいでしょ。

弾正は天下を取りたいから右京太夫をモノにしようと目論むのではなく、単純に右京太夫とヤリたいだけだ。
デカい野望を持たないチンケな悪党なので、その背後に「巨悪」として特殊能力を持つ果心居士を配置するってことなら、それに関しては理解できる。
ただ、そもそも弾正に大きな野望を持たせておけば済む話ではあるし、どっちにしろ「果心居士が弾正に手を貸そうとする理由が分からない」という問題は全く解消されないしね。

城太郎は羅刹坊たちに包囲された時、半蔵に知らせるよう篝火に告げて逃がそうとする。でも、すぐに羅刹坊と金剛坊が後を追っており、それを止められていない。
自分は水呪坊と戦うが、あっさりと妖術で気絶させられる。死んだフリで騙しているものの、その間に敵は篝火を拉致している。
なので全体としては、ボンクラにしか見えない。
もちろん相手は3人もいるし強敵なので、どう頑張っても篝火を逃がすことは出来なかったかもしれないが、もう少し上手い見せ方はあったんじゃないかと。

惚れ薬を完成させた羅刹坊たちが小太りの下女を使って試す様子が描かれ、そこからシーンが切り替わると、城太郎が茶釜を持った篝火と遭遇している。
つまり篝火は隙を見て城から逃げ出しているのだが、「用済みになった時点で始末しておけよ」と言いたくなる。
秘密が外に漏れたり、茶釜を持ち出されたりしたらマズいわけで。つまり「済みになった篝火を始末する」ってのは、可及的速やかに遂行すべき仕事でしょうに。
そこで隙を見せているのは、すんげえボンクラに見えるぞ。「篝火が利口だった」という印象は無いし。

虚空坊は弾正に、平安祈願で僧兵を使う目くらましの術を提案する。その当日、虚空坊が僧兵を率いて乗り込むと、それを見た城太郎が「目くらましの術」と呟いている。なので、それが目くらましの術ってことなんだろう。
だけど、普通に襲撃しているだけでしょ。
いや、たぶん「僧兵の襲撃に意識を向けさせて、その間に義興を始末したり右京太夫を拉致したりする」という策略なんだろうとは思うよ。
でも、それって術は術でも「戦術」であって、妖術ではないでしょ。なんでそこだけ虚空坊が妖術を使わない行動を取るんだよ。

義興は右京太夫から弾正の策略を聞かされても、全く信じない。でも、彼は冒頭で弾正が右京太夫に向ける態度に強い嫌悪感を示し、茶釜のことでも怒りを示していたよね。
それなのに、なんで「弾正が自分を裏切って悪事を企んでいる」という話は微塵も受け入れないのか。自分の女である右京太夫の話は全く信じず、「弾正は自分の忠実な家臣だ」と彼の肩を持つのか。
そういう態度を取らせるのなら、冒頭の描写は邪魔だろ。
「弾正の右京太夫に対する無礼な態度にも気付かず、忠臣だと思い込んでいる」というボンクラなキャラクターとして描いておけば良かったじゃねえか。

右京太夫は城太郎に助けられると、すぐに「そなたと一緒にいたい」と言い出す。すっかり惚れているわけだ。
だけど義興の愛妾なのに、それはどうなのよ。そもそも義興に対する愛情なんて、まるで無かったってことなのか。
でも、そんな風には見えなかったぞ。それを示すための描写も皆無だったし。
仮に義興への愛情が最初から全く無かったとしても、城太郎に助けられた途端に「一緒にいたい」と言い出すのは尻軽な女にしか見えないし。

城太郎は右京太夫と別れた後、立て続けに虚空坊と水呪坊を殺害する。すんなりと復讐を遂げているので、そこからは彼の逆襲が描かれる展開に入るのかと思いきや、そうではなかった。
性欲を刺激する羅刹坊の策略に落ち、それは途中で見破ったものの、金剛坊と破軍坊に掴まって拷問を受ける。自力では脱出できず、右京太夫に助けてもらう。
物語も佳境に入っているんだし、今さら主人公の弱さを見せる必要は無いと思うんだよなあ。
ピンチに陥らせるにしても、本人のせいじゃない形にすればいいんだし。

終盤、右京太夫が義興の前から姿を消すと、鬼火は弾正に「自分が右京太夫に成り済まし、義興に心を奪われる芝居をする」と持ち掛ける。
「そうすれば惚れ薬を使わなくても天下取りの足掛かりになる」と彼女が話すと、弾正は賛同する。
「天下取りのためには右京太夫をモノにする必要がある」→「そのためには惚れ薬を使う必要がある」→「そのためには篝火を犯す必要がある」ってな感じで話を進めていたのに、そこに来て「天下取りに惚れ薬なんて不要」と言い出すのだ。
いやいや、今までのことを全て無意味にしちゃうのかよ。それなら最初から、そういう作戦で良かったじゃねえか。

で、鬼火が義興をタラし込むのかと思ったら、なぜか羅刹坊が侍女に扮して義興をタラし込む。ここで完全に義興は術中にハマっているが、本物の右京太夫が現れて狼狽する。
ここで義興は偽者である鬼火じゃなくて右京太夫を殺そうとするが、なぜか羅刹坊が邪魔をする。で、義興は鬼火の方を殺す。
そんで発狂した義興が自害するんだけど、ただ結果オーライなだけだからね。
「全て弾正の作戦通り」とは到底思えないぞ。行き当たりバッタリにしか思えないぞ。

義興が右京太夫をモノにしようと目論んでいると、城太郎が乗り込む。すると、いつの間にか侍女の姿から忍法僧の姿に着替えた羅刹坊が立ちはだかる。
ここまで触れていなかったが、羅刹坊は忍法僧の姿の時、笠を深く被って顔が見えないようにしていた。城太郎と戦う終盤のシーンでも、また笠を深く被って顔が見えないようにしている。
わざわざ侍女の姿から着替えたのは(っていうか着替えた設定ね)、そのためだ。スタント・ダブルを起用するので、顔が見えないようにしてあるわけだ。
つまり、1秒たりとも風祭ゆきにアクションシーンを担当させていないってことだ。

最後は果心居士が異世界みたいな場所に右京太夫を連れ去り、そこへ城太郎が乗り込む。なので城太郎が果心居士を倒して右京太夫を救う結末かと思いきや、さにあらず。
右京太夫が磔にされて周囲が炎に包まれているのだが、城太郎は呪文を唱えて「我らが愛をもて悪魔を打ち砕きたまえ」と口にする。そして城太郎は右京太夫を抱き締めてキスし、2人は炎の中に倒れ込んで姿を消す。果心居士は「馬鹿め」と漏らし、その場を去る。
炎は消えているし、最後は城太郎と右京太夫がキスする姿が映し出されるので生きているのかもしれない。でも悪党を倒さずに終幕って、何も解決してないじゃねえか。
あと、そもそも果心居士が弾正に手を貸そうとする理由が、まるで分からない。
弾正が右京太夫を自分の女にして、それで果心居士に何の得があるのかと。

(観賞日:2021年12月2日)

 

*ポンコツ映画愛護協会