『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』:2018、日本

加賀美じゅんは結婚に関する「3年目の壁」というフレーズについて、当たっていると感じる。彼は前妻と3年目でダメになり、2番目の妻・ちえと再婚する時に1つの約束を交わした。それは、3年が経った時に、今後も結婚生活を続けるがどうか互いの意志を確認し合うということだ。3回目の結婚記念日が近付く中、じゅんがマンションに帰宅するとインターホンを押しても妻は出て来なかった。そこで彼は鍵を使って玄関のドアを開け、中に入った。
ちえはリビングで口から血を流して倒れており、全く動かなかった。じゅんが慌てて救急車を呼ぼうとすると、ちえは目を開けて彼の足を掴んだ。じゅんが腰を抜かしていると、ちえは「驚きました?」と言って笑った。夕食を用意したちえが「面白かったですか?」と訊くと、じゅんは黙り込む。「心配しましたか」と立て続けに質問されると、彼は「どうかな」と言う。ちえはじゅんの狼狽した態度を再現し、楽しそうな様子を見せた。
翌朝、じゅんが出勤しようとすると、ちえはキスをせがんだ。じゅんが「やめましょうよ。新婚でもあるまいし」と困惑すると、彼女は「これが今生の別れになるかもしれませんよ」と告げて抱き付いた。「絶対に生きて帰ってきてくださいね」と出社したじゅんは後輩社員の佐野壮馬に、昨晩の出来事を話す。佐野は大笑いし、「愚痴のフリしたノロケでしょ。ウチのもなあ、そういう面白いことしてくれたらいいんだけど、あいつ真面目だからなあ」と語る。
じゅんは結婚に関する3年目の契約更新について話し、「やっぱり何か試してんのかな」と相談する。壮馬は「考え過ぎですって。ただのイタズラですよ」と言うが、じゅんは疑問を拭えなかった。その夜、彼が帰宅すると、ちえは巨大なワニの置物に頭を食われた形で倒れていた。じゅんが呆れて声を掛けても、彼女は動こうとしない。仕方なくじゅんが引っ張り出すと、ちえは「もう少しで消化されるところでした。貴方は命の恩人です」と抱き付いた。
それからも、ちえの死んだフリは続いた。ある時は抗争に巻き込まれ、ある時は名誉の戦死を遂げ、ある時は矢に頭を貫かれて死んでいた。じゅんは佐野に「やっぱり何か不満あるのかな」と相談し、「ちょっとヤバい感じありますね」と言われる。佐野はちえの実家が静岡県三島だと聞き、「微妙な距離ですね」と口にする。彼はじゅんに、どうやってちえと知り合ったのか尋ねた。じゅんは三島へ出張した際、バスに乗り遅れた。必死でバスを追い掛けた彼は、ちえの実家である寿司屋の前を通り掛かった。ちえはバスが1時間ほど無いことを彼に教え、2人は笑い合った。
じゅんは寿司屋に入り、ちえの父である進一の握った寿司を食べた。ちえが5歳の時に母は亡くなり、それからは進一と2人で暮らしていた。じゅんが東京から来たことを知ったちえは、自由が丘の『モンサンクレール』という店を知っているか尋ねた。話を聞いた佐野は、じゅんに「結婚して東京へ出て来て、寂しいんですかね。構ってほしいだけだと思います」と軽く告げた。その夜、じゅんが帰宅すると、ちえは落武者の姿で死んだフリをしていた。じゅんはちえを「御館様」と呼び、「名誉の討死じゃ」などと芝居をする。
その後もじゅんは全力で死んだフリに付き合ってみるが、身が持たないと感じる。じゅんから「家に帰るのが怖くなった」と吐露された佐野は、お互いの夫婦で夕食に出掛けないかと持ち掛けた。じゅん、ちえ、佐野、彼の妻の由美子は、レストランで夕食を取った。ちえは佐野から結婚の理由を問われ、「しいて言えば、半分こ出来るからです」と答えた。ちえは初めて東京へ来た時、『モンサンクレール』で買ったタルトを美味しそうに食べた。案内したじゅんが「ホントに来るとは思わなかった」と言うと、彼女は「そんなの、会いたかったからに決まってるじゃないですか」と告げた。
じゅんが少し目を離した隙に、ちえは姿を消した。じゅんが慌てて捜し回ると、ちえは公園にいた。ちえはアイス最中を買うが、食べようとすると割れていた。ちえが大きい方を差し出すと、じゅんは「ちえさんが、たくさん食べる方が好きだから」と言う。ちえは佐野夫婦に、「完璧な半分こって難しいんですよね。でも、ちょうどいい半分こなら、頑張れば出来るんじゃないかって」と話す。由美子はちえを気に入り、「良かったら今度、ランチしない?」と誘った。
翌日、じゅんと佐野は昼食を取った時、上司の蒲原から妻の愚痴を聞かされた。蒲原の夫婦関係は完全に冷え切っているが離婚する気は無く、「何度も結婚する奴の気が知れないね」という彼の言葉にじゅんは苦笑した。帰宅途中で自宅にメールを入れたじゅんは、ちえからレプリカのチェーンソーを買ってきてほしいと頼まれた。クリーニング店のパート募集のチラシを見つけた彼は、それを自宅に持ち帰った。その日、ちえはスフィンクスの姿で棺に収まっていた。じゅんは彼女に、気分転換にパートを始めてはどうかと提案した。最初は消極的だったちえだが、じゅんが勧めると「やってみます」と告げた。
ちえは横山クリーニング店へ行き、近所に住む茂木の妻と出会う。店主の横山は老齢で体の調子も悪く、自分が店番をすることも多いのだと彼女は話した。その夜、じゅんはちえに、「死んだフリは、もう飽きたよ」と告げた。就寝時、じゅんはちえの「月が綺麗ですね」という言葉を聞いて「変な寝言」と呟くが、彼女は起きていた。次の日、ちえは由美子に誘われてバッティングセンターへ出掛け、不妊治療に通っていることを聞かされた。
じゅんがパート初日のお祝いに花束とケーキを買って帰宅すると、ちえは幽霊の姿で作り物の墓まで用意して待っていた。「死んだフリじゃないです」と彼女は言い、じゅんは「確かに。もう死んでる」と呆れたように告げた。休日、ちえがウルトラマンの格好で現れたので、じゅんは「ついに大気圏を突破したか」と頭を抱えた。彼がマスクを剥がすと、ちえは「まだ3分経ってないのに」と口を尖らせた。郵便物を確認したじゅんは、元妻から「引っ越しました」という葉書が届いているのを見つけた。
じゅんは佐野に、「イタズラに付き合ってもダメ。友達が出来ても、パートで外に出してもダメ。何が言いたいのか分かんないよ」と疲弊した様子で漏らす。すると佐野は、「そんなもんですよね、結婚って」と口にした。パートを終えたちえは由美子と出掛ける約束をしていたが、気分が優れないというメールが届いたので公園で時間を潰した。じゅんが帰宅すると、ちえは猫のキグルミ姿で待ち受けていた。じゅんは少し苛立った様子で、 「なんでこんなことするの?言いたいことあるなら言ってよ」と尋ねる。すると、ちえは「じゅんさんに1つ、お願いがあるの」と言い、佐野夫妻を自宅へ招くよう頼んだ。
昼食の後、佐野はちえに、じゅんが疲れていることを話す。「何も考えずに、家の中ではグターッとしたいと思うんだよね。そういう男の気持ち、分かってよ」と彼が言うと、由美子は「貴方が疲れてるから、私は面倒なこと言うなってこと?」と責めるように告げる。佐野は「俺の話なんかしてないよ」と否定するが、彼女は「私たちだってね、考えることがたくさんあるの」とヒステリックに喚く。ちえは彼女に、「そんなに頑張らなくていいんですよ。夫婦は毎日一緒にいるから、そんなに頑張れないんです」と微笑んだ。
次の日、じゅんは佐野から、「何が大丈夫なのか、だいぶ前から分からなくなっていた」と言われる。蒲原はじゅんに、「分かんなきゃ、訊けばいいんだよ。それで駄目なら別れちゃえばいいんだよ」と告げる。彼はじゅんから離婚を考えたことがあるのかと問われ、「何度もあるよ。けど離婚はしないと思う」と語り、理由を問われて「愛してるから。それしか無いでしょ」と答えた。ちえは妻を亡くしている横山から、「旦那さんといる時間を大切にしなさい」と助言された。
夜、じゅんが帰宅すると、ちえは未来から来た自分という設定で待ち受けていた。じゅんは「俺はちえが好きだよ。言いたいことがあるなら、こんな子供っぽいことするより、ハッキリ言えばいい」と語り、「こうやって責められるの、辛いよ。俺、何が足りない?」と言う。ちえが「足りなくなんかないです」と否定すると、彼は「じゃあ何?」と問い掛ける。ちえは何も答えず、今から自分たちが暮らせる時間について計算を始めた。計算を終えた彼女は、「瞬きしている間にも、この時間はどんどん減ってしまうんですねえ」とため息をつく。じゅんが「ちえは俺のこと、どう思ってる?」と尋ねると、彼女は窓の外を見て「月が綺麗ですねえ」とだけ口にした…。

監督は李闘士男、原作は「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」作:K.Kajunsky&漫画:ichida、脚本は坪田文、製作は宮前泰志&松井智&坂井田弥希&清水卓智&丸山俊&市毛るみ子、企画・プロデュースは宮前泰志、アソシエイト・プロデューサーは宇野航、ラインプロデューサーは大崎裕伸、ラインプロデュース協力は大塚泰之、美術統括は北島和久、美術プロデューサーは小田嶋俊行、撮影は松本ヨシユキ&島秀樹、照明は三重野聖一郎、録音は小松崎永行、美術・装飾は山田好男、編集は岩切裕一、音楽は安達練。
主題歌「I Laugh You」チャットモンチー 作詞:橋本絵莉子、作曲:橋本絵莉子、編曲:チャットモンチー。
出演は榮倉奈々、安田顕、大谷亮平、野々すみ花、螢雪次朗、浅野和之、品川徹、半海一晃、峯村リエ、横山芽生、久ヶ沢徹、星野園美、松澤匠、ぼくもとさきこ、荒木誠、太田美恵、朝日昇、新島勝夫ら。


Yahoo!知恵袋に投稿された質問から発展したコミックエッセイを基にした作品。
監督は『幕末高校生』『神様はバリにいる』の李闘士男。
脚本は『映画 プリキュアドリームスターズ!』の坪田文。
ちえを榮倉奈々、じゅんを安田顕、佐野を大谷亮平、由美子を野々すみ花、進一を螢雪次朗、蒲原を浅野和之、横山を品川徹、茂木を半海一晃、茂木の妻を峯村リエ、ちえの幼少期を横山芽生が演じている。 壮馬役で出演していた小出恵介が不祥事を起こして芸能活動を休止したため、代役に大谷亮平を起用して再撮影と再編集が行われた。

冒頭、じゅんの淡々としたモノローグが入り、そのまま「家に変えると、妻が死んでいました」と語る。そして、ちえの死体を見た彼が、彼女とデートした時や結婚式の日の出来事を回想する短いシーンが挿入される。
でも、この回想シーンって、まるで意味が無いよね。
そこまでマジなトーンで進行し、「実は死んだフリ」というトコでの落差を付けようとするのは理解できるのよ。
ただ、その効果を考慮しても、回想シーンの必要性は全く分からない。っていうか邪魔。
そこをカットした方が、落差の笑いとしても絶対に効果的。

回想の中で、ちえが「1つだけ、お願い聞いてくれますか。絶対に私より先に死なないでください」と真面目に言っている。最初の死んだフリをした翌朝のシーンで、彼女は「これが今生の別れになるかもしれませんよ」「絶対に生きて帰ってきてくださいね」と言っている。
やたらと「死ぬ」ってことを意識させるような言葉を口にしているわけだ。
だったら、それは何かの伏線になるんだろうと思っても不思議は無いだろう。しかし実際には、何の意味も無いのである。
伏線として機能しているわけでもなく、何らかのミスリードになっているわけでもない。ただ意味が無いだけなのだ。
そういう変な匂わせ方をした意図が、私には全く分からない。

じゅんが佐野からちえとの馴れ初めについて問われた時、「こういう出会いだった」という回想が入る。レストランの会食シーンでは、結婚に至る回想が入る。
ここも前述の回想シーンと同様で、全く必要性を感じない。
夫婦が結婚するまでの経緯なんだから、2人の関係性や愛情の深さをアピールする上では重要だと思うかもしれない。
でも、この映画においては、そんなのは何の意味も持っていない。
そこを丸ごとバッサリと削っても、これっぽっちも影響は無いのである。

「そこで描かれたちえと父親の関係や、母を幼少期に亡くしていることが、きっと彼女の死んだフリに関係しているんだろう」と読む人もいるだろうけど、それは思考能力の無駄遣いだ。
「ちょうどいい半分こ」という言葉にしても、伏線っぽい匂いはあるが、まるで後の展開には繋がっていない。
ちえの「私は探せば、必ず見つかりますから」という台詞は、現在のシーンでも使われているが、屁の突っ張りにもならない。
そんな回想シーンを挿入している意味は1つだけあって、それは「現在のシーンだけでは長編映画として尺が足りないので時間稼ぎ」ってことだ。それ以上でも、それ以下でもない。
仮に何か別の意図があったとしても、結果的には単なる時間稼ぎでしかないので、同じことだ。

じゅんが最初にちえの死んだフリを見るシーンでは、そこを盛り上げるためのBGMが流れる。ここは、まだ「ホントに死んだ」と観客に思わせる意図もあるので、音楽で盛り上げるのは理解できる。
ただ、2度目の時、1度目よりさらに大げさに盛り上げる音楽を使うのは、演出として間違っていると断言してしまおう。
そこは「ドーン」的なSEだけで充分であり、BGMによる盛り上げは逆効果。
っていうか、SEさえ無くても構わないぐらいだ。そっちの方が、死んだフリのバカバカしさは際立つだろう。
そこはバカバカしさをアピールしてこそ意味があるのに、なんでロックギターをギュンギュンとかき鳴らすのか。

ちえが死んだフリで待っていた時点で、じゅんは「変なことをしている」と感じたはずだ。ところが彼は、何も尋ねようとしない。その後、ちえが死んだフリを続けても、やはり彼は「そんなことを続ける理由は何?」と質問しない。
でも彼は、それに疑問を抱いているし、疲れも感じているんでしょ。だったら、なぜ素直に理由を尋ねようとしないのか。
佐野に相談する前に、まずは妻に理由を訊くべきでしょ。それが出来ないような夫婦関係でもないんだからさ。
彼がちえに事情を訊こうとしない理由が、まるで分からんよ。

じゅんは後半に入り、ようやく「なんでこんなことするの?」と質問する。かなりタイミングとしては遅いが、ようやく真っ当な行動に出たわけだ。
ところが、ちえはそれに対して何も答えず、話題を変えてしまう。こうなると、今度はちえの方に責任がある。
そこで理由を明かさないのは、ひょっとすると「説明しなくても感じ取ってほしい」ってことなのかもしれない。だけど、女性が愛の言葉を口にしない男性を「言ってくれなきゃ伝わらない」と批判するのと同じで、そこも言わなきゃ伝わらないのよ。
説明せずに誤魔化すのは「バカかよ」と呆れてしまうし、すんげえイライラするわ。

ちえにどんな意図があろうとも、そのせいでじゅんは会社から戻ることが嫌になってしまう。死んだフリを見る度に、ドッと疲れてしまう。
なので、それは夫に迷惑を掛けていることになるのだが、ちえは全く気にする様子が無い。じゅんが真剣に「死んだフリは飽きた」と言っても、今度は別のコスプレや芝居を始めてしまう。
それは、まるで反省が無いし、何も分かっちゃいないとしか思えない。
じゅんに理由を言わずに「私の気持ちを分かってよ」光線を放つ前に、まずは旦那の気持ちを汲み取る気遣いを見せろと言いたくなる。

ちえは「夫婦は頑張らなくていい」と言うけど、自分は色んな手間と時間を掛けて死んだフリをしているんだから、頑張っているでしょ。そして、それに付き合わなきゃいけないじゅんは、頑張らざるを得ない状況に追い込まれている。
つまり、ちえの発言と行動は、完全に矛盾しているのだ。
ちえが以前から風変わりな妻であれば、死んだフリを始めても受け入れられるかもしれない。しかし、じゅんは佐野に「自分の嫁が突然、別人のようになったと想定してみろ。耐えられないよ」と話している。
つまり、ちえは今まで特に変なトコも無い女性だったのに、唐突に死んだフリを始めたってことだ。それも、色んな道具を用意して、ものすごく手間と時間を掛けている。

「こうやって責められるの、辛いよ。俺、何が足りない?」と、そんなことを言うぐらい、じゅんは精神的に追い込まれている。それでも、ちえは自分が変な芝居を続ける理由について何も説明しようとしない。
なぜなのか、ホントに全く分からない。
旦那を愛しているからこそ、そういう行動をしているんでしょ。それが結果として旦那を苦しめていることは、さすがに理解できるはず。
だったら、芝居を中止するか、その理由を説明するか、どっちかの行動を取るべきでしょ。
どっちの選択肢も選ばず、ずっと変な芝居を続けるのは、もはや陰湿な嫌がらせでしかないぞ。

これが最後までユルいコメディーとして徹底しているなら、そういうキテレツな夫婦関係でも別に構わないと思うのよ。ただ、「夫婦愛を描く感動的なドラマ」として見せようとしているので、「だったら無理だわ」と少し強めの口調で言いたくなるぞ。
笑いと感動の両方を取ろうと欲張って、どっちも完全に失っている。
しかも恐ろしいことに、ちえが死んだフリを続けていた理由は、最後まで明かされない。じゅんが推理を語るシーンはあるが、観客には声が聞こえない。
Yahoo!知恵袋の投稿者は妻に答えを尋ねておらず、だから映画でも「観客の想像に委ねる」という方法を取ったようだが、ただ逃げているだけにしか思えない。
結局、ちえの不可解極まりない行動は全て、「理由を設定していなかったから支離滅裂になった」ってことになるし。

(観賞日:2019年9月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会