『偉大なる、しゅららぼん』:2014、日本

本家当主の淡八郎を始めとする日出一族が竹生島に集まり、日出洋介の男児に能力があるかどうか確かめるための儀式が行われた。能力を持つことが確認されると、洋介は涼介と命名したことを明かす。同じ年には淡八郎の息子である淡九郎にも能力を持つ男児が誕生しており、これで2人目ということになる。儀式を終えて帰ろうとする淡九郎や洋介たちの前に、棗家の当主である棗永海が現れた。彼は広海という男児が誕生したことを明かし、その場を去る。淡九郎は不愉快そうに、「奴らにも世継ぎが出来たか。生意気な」と漏らした。
15年後、石走(いわばしり)駅に降り立った涼介は、街中に日出の名が付いた企業や店がある光景を目にした。本家の住まいが城だと知って、彼は驚いた。琵琶湖から授かった特別な力を操り、天平の昔から栄華を誇り続ける湖の民が日出家と棗家だ。両家の覇権争いは熾烈を極め、今も石走の町で続いている。本家の船頭を務める源治郎の小舟に乗り、涼介は城へ赴いた。城内には淡八郎の死後に当主となった淡九郎の姪、藤宮濤子が待っていた。濤子は城を案内し、涼介を淡九郎の元へ連れて行く。淡九郎は涼介に、3年間の修行で力を開花させ、立派な男になれと告げた。
濤子は涼介に、淡九郎の息子である淡十郎を紹介した。絵を描いていた淡十郎は、尊大な態度を取った。涼介は濤子から、彼が生きる伝説だと聞かされる。涼介も誕生の時に行った儀式では、額に置いたかわらけの御神水を跳ねさせると、能力がある証拠とされる。そんな儀式で淡十郎は、かわらけごと割ったのだ。日出家1500年の歴史でも、そんなことが出来たのは彼一人だった。しかし淡十郎は、全く修業を積もうとしていなかった。
涼介は淡十郎とお揃いの赤い制服を着せられ、石走高校へ通うことになった。淡十郎は涼介を付き人のように扱い、弁当の毒見をさせた。教頭の向井を始めとする教師たちは、淡九郎に対してペコペコと頭を下げた。そんな様子を見ていた校長の速水義治は、日出家のお迎えだと部下から説明を受けた。不良学生の葛西に絡まれた淡九郎は、見下した態度を取った。腹を立てた葛西は、淡十郎に小柄を投げ付ける。それはクラスメイトの速水沙月に命中しそうになるが、広海が来て彼女を助けた。その際、涼介の脳内に激しい音が鳴り響き、彼は両耳を押さえた。淡十郎は広海から「こういう時こそ力を使え」と言われるが、「余計なお世話だ」と告げた。
その夜、涼介は淡九郎から、「日出一族が相手の精神を操るのに対して、棗一族は肉体を操る。そして琵琶湖を離れると我々は、その力を使えなくなる」ということを改めて説明される。「それは棗も同じだ。だから琵琶湖から奴らを追い出せばいいんだが、残念ながら力を持つ者同士は、その力が通じない。それでこんなに長引いてる」と淡九郎が話すと、濤子が「しかも、棗一族が力を出す時に騒音を出す。その音は、日出一族の力を持ってる人間にしか聞こえない。それと同じように、私たちが力を使ったら、棗一族の力を持ってる人間にしか聞こえない」と補足した。淡九郎は「棗の息子は私が何とかするとして、奴とは関わるなよ」と涼介に釘を刺した。
翌朝、涼介が登校すると、葛西が体を縛り上げられ、頭髪をチョンマゲにされてバスケットゴールに乗せられていた。それは淡十郎の仕業であり、彼は高笑いを浮かべた。葛西が落下して地面に叩き付けられそうになると、広海が能力を使って彼を助けた。来る日も来る日も、涼介は淡十郎と広海の争いに巻き込まれた。その度に涼介は騒音に耳を押さえて苦悶するので、周囲からは変態扱いされてしまった。
涼介は濤子に、「修業に来たので、そろそろ師匠を紹介してもらいたいんですけど」と告げる。すると濤子は、自分が日出家六代目師範であることを明かした。彼女は金だらいに水を入れ、「この水を人の精神だと思って」と掌をかざして操る稽古を始めさせた。涼介は沙月から、速水家が昔は日出家の城に住んでいたことを聞かされた。淡十郎は涼介に、「彼女は美しい」と言う。淡十郎と涼介は本物の使い手になるため、竹生島へ渡って御神水を飲んだ。
淡十郎は涼介から「修業しないの?」と問われ、「美しくないからだ」と答える。「ちゃんと修業したら凄いことになると思うよ」と涼介が言うと、彼は「僕は今でも凄い。故に修業など無意味だ」と述べた。淡十郎は「清子と話したのか?」と、姉の名前を口にした。涼介が「いや、まだ」と答えると、彼は「そうか、なら、この話はもう終わりだ」と会話を終わらせた。淡九郎は速水を呼び寄せ、広海を別のクラスに移してほしいと要求した。速水が難色を示すと、淡九郎は能力を使った。
吹奏楽部に入った涼介が庭で下手なトランペットを吹いていると、清子が現れて文句を言う。彼女は涼介の心を読み、「次、おかしなこと考えたら殺すよ」と脅した。淡十郎は沙月と近付くため、美術部に入った。回りくどい方法を取る彼のために、涼介は沙月に対して能力を使おうとするが、広海に阻止された。広海が去った後、涼介は沙月から「棗君のこと好きなんだ。彼女がいるかどうか訊いてくれない?」と頼まれた。それを聞いていた淡十郎は、涼介の前で悔しさを爆発させた。
淡十郎は涼介に、「絶対に許さん。棗をこの町から追い出す」と告げた。彼は涼介を伴って棗家を訪ね、「僕と共に、この町を出よう」と広海に持ち掛けた。淡十郎が「僕は日出の家を継ぐつもりは無い。力と家を受け継いだところで、この湖の周りでしか生きられない。それのどこが面白いんだ。僕は天下を取れる人間だ。あんな小さな城の殿様なんかで納まる器じゃない。貴様のやりたいことがあるんだろう?力など、己を殺してまで守ることか」と語ると、広海は迷いを示した。
広海が「この力を授かったことには意味があると思う」と言うと、淡十郎は「そんなものは無い」と強い口調で断言する。彼は「両家の世継ぎがいなくなれば、皆こんなくだらん力から解放され、戦も終わる。僕は力などに頼らず、自分の力で未来を切り開く」と述べた。改めて「共に町から出よう」と誘われた広海が悩んでいると、永海が現れた。永海が襲い掛かろうとしたので、淡十郎と涼介は逃げ出した。城に戻った2人の心を読んだ清子は、「下手なことするんじゃないよ」と冷淡な態度で告げた。
淡十郎は涼介に、「清子には心を読む力がある。しかも力を持つ者に力を使える唯一の人間。それが不幸の始まりだ」と言う。そして彼は、15歳で御神水を飲んだ彼女が親友だと思っていた仲間たちの本心を知り、引き篭もりになってしまったこと、もう10年も城から出ていないことを明かした。涼介が濤子から指示された修業をやってみると、金だらいの中の水が動いた。またトランペットの練習をしていた彼は、清子から「こないだ、棗の道場で何話してたの?」と質問される。「言わないなら頭の中覗くだけだよ」と脅され、涼介は淡十郎が町を出たがっていることを打ち明けた。
速水が城を訪れ、「日出の皆さんに、この町から出て行ってもらいたい。貴方たちの存在は、もはやこの地では望まれていない。48時間以内に、この城から出て行ってもらいたい。そして琵琶湖から日出一族全員に立ち去って頂きます」と述べた。淡九郎が力を使おうとすると、速水は彼の時間を止めた。すぐに濤子が飛び掛かろうとするが、やはり動きを止められた。「約束を守れば元通りにして差し上げる」と彼は言い、濤子を自由にして淡十郎と涼介を眠らせてから立ち去った。
濤子は淡十郎と涼介に、速水が日出と棗の両方の力を操ったことを説明した。濤子は一族の会議へ出向き、淡十郎と涼介は学校へ行く。すると広海が2人の元へ来て、棗道場にも速水が来て同じ要求を突き付けたことを明かす。永海が襲い掛かったが、家族の眼前で速水に動きを止められていた。広海は淡十郎と涼介に、「お袋を助けてほしい。お袋は棗の血筋ではない、普通の人間だ。力のことは知らない」と言う。秘密を知った者を琵琶湖の神に生贄として捧げなければ、一族は一夜で滅びるという掟が棗には存在するのだ。
広海は淡十郎と涼介に、「お袋の記憶を消してほしい」と頼んだ。棗一族は時間を戻す能力を持っていると知った涼介は、それを使えばいいのではないかと提案した。すると広海は、「そうすれば親父もお袋も基に戻るかもしれない。ただ、その力を使うと棗の存在自体が消えると言われている。誰も使ったことの無い力だから、正確なことは分からないが」と話す。淡十郎は「一つだけ方法がある」と述べ、清子に頭を下げた。清子は速水に会わせることを条件に出し、協力を承諾した。
清子は淡十郎と涼介を伴い、棗道場へ出向いた。彼女は母親の記憶を消しただけでなく、新たな記憶を入れて京都へ行かせることにした。彼女が城へ戻ろうとすると、速水が現れた。清子は能力を使うが、速水には届かなかった。そこに棗の母が現れると、速水は力を使おうとした。潮音が母の盾になると、涼介と広海は彼女を守ろうとして同時に力を使った。すると今までとは異なる強烈な音が脳内に響き、2人は激しく苦悶した。
涼介と広海が平常心を取り戻すと、速水は姿を消していた。何食わぬ顔で突っ立っている淡十郎を見た広海は、「しかし、どうして平気なんだ?」と疑問を口にした。すると淡十郎は、自分に日出家の能力が無いことを打ち明けた。彼は「潜在的に力はあっても、御神水を飲まなければ力は現れない。御神水は飲む振りをして捨てた」と語る。そのことを知っていたのは、清子だけだった。御神水を飲んだ清子が以前と変わってしまったことが、淡十郎が能力を捨てようと決めた大きな理由だった…。

監督は水落豊、原作は万城目学(集英社文庫刊)、脚本は ふじきみつ彦、製作総指揮は宮田昌紀、製作は長澤修一&有川俊&重村博文&木下直哉&依田巽&茨木政彦&間宮登良松&黒崎等&高橋誠&宮本直人、エグゼクティブ・プロデューサーは豊島雅郎&白倉伸一郎、ラインプロデューサーは上原英和、アソシエイトプロデューサーは高橋雅奈&森田大児、企画・プロデュースは山田雅子、VFXプロデューサーは隠田雅浩、撮影は明田川大介、照明は府川秀之、録音は松本昇和、美術は原田恭明、編集は鈴木真一、音楽は瀬川英史。
主題歌『堂々平和宣言』 ももいろクローバーZ 作詞:鎮座DOPENESS、作曲:MICHEL☆PUNCH/KEIZOmachine! from HIFANA/EVISBEATS。
出演は濱田岳、岡田将生、深田恭子、渡辺大、村上弘明、笹野高史、佐野史郎、津川雅彦、田口浩正、高田延彦、貫地谷しほり、大野いと、柏木ひなた(私立恵比寿中学)、小柳友、森若香織(GO-BANG'S)、三又又三、浜村淳、渡辺哲、長久博行、太田淳司、北川肇、寺尾毅、柳沼周平、古賀英鉄、井坂邦子、川口喜代子、澤田裕子、宮田順仁、鈴木英之、藤村椿、杉さおり、大倉巧、佐々木厚咲、土本ひろき、谷口知輝、文山永京、福嶋千明、平瀬ひとせ、林富江、池田琴弥、寺浦麻貴、弓木菜生、中島瞳、加藤由貴、山本果歩、川畑明子、入柿友香、畑中咲菜、石井秀明、崎田有作、パレラ・ケント、倉井陽祐、笹部祐矢、岡村知樹、江田大空、夫島義裕ら。


万城目学の同名小説を基にした作品。
監督は『犬とあなたの物語 いぬのえいが』の一篇を担当した水落豊で、これが初の長編。
脚本はTVドラマ『世にも奇妙な物語』の特別編を担当していたふじきみつ彦で、初の映画作品。
淡十郎を濱田岳、涼介を岡田将生、清子を深田恭子、広海を渡辺大、速水を村上弘明、源治郎を笹野高史、淡九郎を佐野史郎、淡八郎を津川雅彦、洋介を田口浩正、永海を高田延彦、濤子を貫地谷しほり、 沙月を大野いと、広海の妹・潮音を柏木ひなた、葛西を小柳友、棗の母を森若香織が演じている。

これまでに万城目学の小説は、『鴨川ホルモー』と『プリンセス・トヨトミ』が映画化されている。
彼の作品の特徴は、その奇抜な設定にある。この映画も、もちろん奇抜な設定が用意されている。その設定は、かなり細かい部分まで用意されており、それが読者を引き付ける大きな要素になっているのだろう。
ただし、そういった原作を映画化する時に難しいのは、全ての設定を説明するには相当の時間と手間が必要になるってことだ。
その結果として、「設定を説明するだけで精一杯」になる恐れがある。

「恐れがある」って書いたけど、この作品も含めて、今まで映画化された3本は全て、「設定を説明するだけで精一杯」になっている。
キャラクターに厚みを付けるとか、ドラマを盛り上げるとか、そういうトコにまで神経が行き渡らない。そんなことに気を配っている余裕が無いからだ。
この映画にしたって、「日出一族は石走で一大勢力を築いていて、日出一族と棗一族は戦っていて、それぞれに違う能力があって、琵琶湖を離れると力が使えなくなって、日出一族が誕生した時には能力の有無を確認する儀式があって、成長の過程でも必要な儀式があって、淡十郎は特別な人間で、清子は心を読むことが出来て、でもそのせいで引き篭もりになって」といった辺りだけでも、かなり大変だ。
もう説明するだけで上映時間の大半を使わなきゃいけないんじゃないかと思うし、まだ他にも設定は残っているのだ。

我々の住んでいる世界観、馴染みのある世界観をそのまま使って話を作るなら、その説明に時間を割く必要など無い。いきなり話を進めたところで、何の問題も無い。ちょっとだけ風変わりなキャラが出て来たり、ちょっとだけ異なる設定があるというだけなら、「ちょっとだけ」の部分を説明するだけで済む。
しかし本作品の場合、我々が暮らしている社会、我々がいつも見ている日常風景とは全く異なる設定が用意されている。
だから、全てを説明しようとすれば、おのずと多くの時間を費やす必要が生じるのだ。
そして、その結果として、「設定を説明するだけで、ほとんど終わっている映画」になってしまっている。

広海が能力を使った時、どのように作用しているのかは良く分からない。
彼が葛西の投げたナイフから沙月を守る時も、バスケットゴールから落下する葛西を助けた時も、カットが切り替わると「広海がナイフを掴んでいる」「広海が葛西を捕まえている」という描写になっており、力の作用がどうなっているのかを省略しているからだ。
一方、日出一族の心を操る能力にしても、その描写はボンヤリしている。こちらは目に見える能力ではないから、描写が難しいのは分からんでもないが、それにしても弱い。
日出一族の力にしろ、棗一族の力にしろ、使われた時の音で涼介が苦悶する激しいリアクションに対して、その能力自体の強さがイマイチ伝わって来ない。
「行使された時の騒音の凄さに比べて、力自体は大したことが無い」というトコに面白さを持たせているならともかく、そうじゃないんだから、能力が発揮された時の描写については、もう少し視覚的に伝わりやすい表現が必要だったんじゃないかと。

葛西のナイフを投げた時点で淡十郎は沙月と会っているのだが、その時点では彼女に惹かれている気配が全く無い。
一方、その時点で沙月は広海に惚れた様子をハッキリと示している。
その後、沙月が描いた絵を見た淡十郎が涼介に「彼女は美しい」と言うのだが、タイミングとして遅すぎると感じる。
もう最初に沙月と出会った時点で、惚れさせちゃった方がいい。そして、そんな彼女が広海に惚れたことで、2人が激しく争うという展開にしてしまった方が色々とスッキリするわ。

涼介は源治郎の小舟で城へ向かう途中、馬に乗っている清子を目撃する。だが、その後、なかなか清子は再登場しないし、涼介が彼女の存在を気にすることもない。
だったら、最初に涼介が会う時に初登場させた方がいい。そこはキャラの出し入れが上手くない。
キャラの出し入れに関しては、速水の登場も上手くない。他の先生たちが淡十郎にペコペコする中、彼だけが廊下から眺めて平然としているので、違和感があるのだ。「新任だから良く知らない」ということなんだけど、そもそも新任であることの説明も後から入るし。
その娘である沙月は涼介に話し掛けるシーンになって初めて、そんなフランクに喋るキャラクターであることが分かる。そのシーンまで彼女のキャラが良く分からないのも、やはり見せ方に問題がある。

涼介を案内役に据え、「普通に暮らしていた高校生がヘンテコな世界に入り込む」という形にすることで、観客を突飛な世界観に導こうとしているはずだ。しかし、まだ観客が充分に世界観を理解せず、まるで落ち着かない内に、淡十郎と広海がバトルを始めてしまう。まだ日出一族の設定だけでも不充分な説明に留まっているのに、雑に話を進めて行く。
チラッとだけ涼介の修業シーンを描いたり、チラッとだけ沙月を絡ませたりして、あれもこれもと色んなことに目移りして、散らかし放題になっている。少しかじっては次、かじっては次という感じだ。
設定の説明は必要だけど話も進めなきゃいけないもんだから、とにかくバタバタしている。
もっと落ち着いて、一つずつ丁寧に片付けられないのかと思うんだけど、全てを消化するためには、それは無理な相談なんだろう。

沙月が広海に惚れていると知った淡十郎は強烈に悔しがり、涼介に「絶対に許さん。棗をこの町から追い出す」と告げる。ところが棗道場へ行くと、「両家の世継ぎがいなくなれば皆が力から解放され、戦も終わる。僕と共に町を出よう」と説く。
後になって「あれは棗を追い出すための嘘で、自分は町から出る気なんて無い」と言い出すので、そういうことなんだろうとは思う。
だけど、それを明かすまでに時間が掛かるので、「嫉妬心で広海を追い出そうとしていたはずなのに、なんで真面目に説法してるのか」と違和感が生じる。
その違和感が生じたまま話が進むことには、何のメリットも無い。

しかも、淡十郎が争いを望んでいないのも、能力を嫌っていたのも事実なんだよね。
つまり「力と家を受け継いだところで、この湖の周りでしか生きられない」とか「両家の世継ぎがいなくなれば、皆こんなくだらん力から解放され、戦も終わる」という言葉は、彼の本当の思いなのだ。
そうなると、「共に町から出よう」という訴えからして、本音ではないかという印象になる。しかし、それが本音だとすると、「淡十郎が沙月に惚れた」ってのも、「広海に激しい嫉妬心を燃やしたから道場へ行く」ってのも無意味になってしまう。
だから、どういう風に解釈したとしても、そこは問題が生じるのだ。

日出と棗が対立している構図だけでも手一杯だし、まだ充分に膨らませることも出来ていないのだが、途中で「速水が2つの一族を琵琶湖から追い払おうとして動き出す」という展開に突入する。
それまでの日出と棗の対立は前菜扱いで、速水の陰謀ってのがメインディッシュのような形になっているのだ。
まだ2つの一族の戦いに軽く触れた程度なのに、その段階で共通の敵を用意するかね。
まだ日出と棗の戦いが全く燃え上がっていないトコに新たな敵を投入しても、それで火の勢いが一気に強くなることなんて無いぞ。

どう考えたって、この映画は多くの要素を盛り込み過ぎだ。114分の上映時間で処理できる容量を、遥かに超えている。
映画化するのであれば、思い切った改変が必要だったんじゃないかと思うんだよね。
ぶっちゃけ、速水なんて登場させなくてもいい。日出と棗の戦いだけで最後まで引っ張るべきだわ。
「実は淡十郎が能力を持っていない」というネタだけでも、1つの話を作れるし。
しかも、速水の陰謀だけでも手を広げ過ぎだと感じるのに、その後には「実は彼は操り人形に過ぎず、黒幕がいて」という展開まで待っているんだよな。

速水の陰謀に淡十郎たちが対抗する中で、「2つの一族の力が衝突すると龍を呼び出すことが出来る」という設定が唐突に説明される。
急に龍とか言われても、何の伏線も無かったので、ただポカーンとするだけだ。黒幕の目的や過去の事情に関しても、そこで急に明かされることで伏線も脈絡もゼロに等しいから、ピンと来ない。しかも説明が薄っぺらいから、動機として弱いと感じるし。
能力には頼らないと言っていた淡十郎が能力に頼って問題を解決するとか、御都合主義が甚だしいとか、潮音の存在意義が薄いので柏木ひなたが無駄に可愛いだけになっちゃってるとか、他にも不満はある。
だけど、ともかく「万城目学の小説を丸ごと映画化する」という企画の時点で、無理があるんじゃないかと思うんだよな。

(観賞日:2015年3月31日)

 

*ポンコツ映画愛護協会